普通の整備員
故郷の能力を失ってから、帝国中枢への潜入でいちばん困ったのは戦闘ではなかった。
整備手帳が読めないことだ。
現地の共通語で、献立、契約、道標は読める。
帝国黒日中枢の専門術式は、明らかに無料の範囲外だった。
「この行は何だ」と声を落とす。
インクが帽子の鍔を鼻先まで下げる。
「高圧魔力管。打撃禁止です」
ガンドが、管を叩こうとしていたレンチを引っ込めた。
「これは」
「漏洩を見つけたら即時退避」
「向こうが漏れている」
「だから急いで歩きましょう」
炉灰を運ぶ魔導車が検査門を三つ抜け、僕たちを黒日塔の地下へ送った。
地下牢のようではない。
きれいすぎる。
壁煉瓦の寸法はすべて同じ、灯の間隔も同じ、どの扉も同じ灰色だ。帝国は、十二城が塩一匙の統一で争った面倒を、全部消していた。
代価は、扉に名前がないことだ。
番号だけがある。
第一検査所の役人が手を出す。
「通行札」
セインがインクの作った点検札を渡す。
役人は一瞥した。
「旧式だ。新標準は昨夜発効した」
計画は、三枚目の扉の前で期限切れになった。
フィアが道具箱を机へ置く。
「新標準だからこそ、七号の風圧弁と旧軌距にずれが出ている。僕たちを止めたいなら止めていい。そのあと黒日がこの階を真空にするのを待ってくれ」
彼女は速く、確信を持って言った。
役人が壁の圧力針を見る。
針が、ちょうど一度揺れた。
インクが箱に隠した唱歌煉瓦が管を叩いたせいだ。
「どれくらいかかる」
「十九分。質問が一つ増えるたびに、一分増える」
役人はすぐ扉を開けた。
検査所を出たあと、僕は彼女を見る。
「七号弁がどこか、知らないだろう」
「方向はだいたい合っている」
「だいたいか」
「黒日はこれだけ大きい。七号弁はある」
炉灰の管に沿って中心へ歩く。
管の中は火ではない。
多くの人間の生活の痕だ。
割れた部屋札、抹消された地方印章、回収された種族文字の教科書、宿の名簿、使い切っていない種子の袋。黒日はそれを均一の灰粉にし、同じ管へ流し込む。
オードランは家を焼いているのではない。
先にどの家も帝国の同じ資産だと登記し、もともと区別がなかったと証明している。
前方に分岐が出た。
アランは鞘の中で黙っている。
「どちらだ」と聞く。
「わからん」
「路が見えるんじゃないのか」
「どちらも本当に核心へ通じている。一方は軍営、一方は高圧炉灰倉だ」
「どちらが安全だ」
「吾を宿の避難図だと思っているのか」
以前の帰途は、住民、危険な建物、最短路を示してくれた。
今あるのは選択だけだ。
セインがしゃがみ、地面を見る。
左の軌道は摩耗が強く、軍靴の黒い泥が残っている。右の壁際には細い灰が溜まり、通風は内側へ向かう。
「右だ」と彼は言った。「炉灰倉は兵士の合言葉を検査しない」
「爆発はします」とインクが補う。
「二択だ」
「ガルドなら三つのうち二つをくれる」
「彼はいない」
炉灰倉は、旧風笛の庭全体より広かった。
巨大な灰罐が百以上、空中に懸かり、管で黒日と繋がっている。どの罐にも都市番号、人口、移住回数、抽出可能な魔力が書いてある。
ガンドが一罐の前で止まった。
札には、彼の生まれた牛角牧場とある。
「全員、帝都へ自発移住、と書いてある」と彼は言った。
「本当か」
「母は晴風へさえ引っ越さない。城門が狭いと言う」
セインが携帯の記録煉瓦を出す。
「証拠を持っていく」
「一分しか録れない」
「なら札、管、総登記印を録る」
四十息まで録ったところで、警報が鳴った。
偽造書類のせいではない。
フィアが言った七号風圧弁が、本当に壊れた。
激しい気流が倉頂から逆流し、灰罐が揺れ始める。最初の管が裂け、炉灰が黒い暴雪のように噴いた。インクが制御台へ飛びかかるが、帝国が新しく替えた統一ボタンが読めない。
どのボタンも、まったく同じ形だ。
「標準化の欠点です!」彼が叫ぶ。「事故のとき、どれを叩けばいいかわからない!」
フィアが風障を開く。
魔力が埃に触れた瞬間、黒日が術式を伝って引き返す。風障が半分崩れ、彼女はよろけて下がった。
「大魔法はだめ! 食べられる!」
二罐目が外れる。
ガンドが罐底を支え、靴が地面に裂けを作る。
「長くは持たない!」
アランを抜く。
金紋が灰霧を照らす。
「管を斬るか」と聞く。
「だめだ。ここの管はすべて本物の都市に繋がっている。不用意に切れば灰火が逆流する」
「なら出口を探せ」
「出口は上の点検橋だ」
二十丈の高さ。
以前なら羽民の視界、フィアの風感、牛角の力を借り、三つの融合で上がれた。
今あるのは四年で鍛えた剣術、二本の脚、痛む肩だけだ。
「ガンド、罐を左へ押せ!」
「軌道が壊れる!」
「今は弁償しなくていい」
彼が吠え、巨罐を左へ押す。罐体が吊鎖に当たり、坂になる。セインが先に走り、縄鉤を点検橋へ投げる。インクが縄を登り、フィアが魔力のない折り畳み風帆で気流を受ける。
僕の番で、巨罐が滑り始めた。
領域が足元を安定させてくれない。
五歩走り、四歩目で踏み外し、肩が罐壁へ強く当たる。アランが手から外れ、剣先が上の継ぎ目へ刺さった。
「掴め!」とそれが叫ぶ。
柄を掴む。
「痛い痛い痛い! 全身の重さを吊るせとは言っていない!」
「今のお前は僕より強い」
「強いことと、吊り荷重の上限がないことは違う!」
セインが手を掴み、点検橋へ引き上げた。
下で灰罐が次々に壊れる。
フィアは埃を止めず、自然通風の方向を変え、黒日の中央抽出管へ流し込んだ。
黒日が過剰な炉灰を呑み、塔全体が一度震えた。
警報がすべて赤へ変わる。
整備扉を衝き、後ろから帝国守衛の足音が来る。
インクが記録煉瓦を、外へ向かう廃材管へ押し込んだ。
「どこへ着く」
「わかりません。外へ出る唯一の路です」
煉瓦には一分の証拠しかない。
誰かが拾えば、黒日の自発登記が全部偽造だと証明できる。
拾われなければ、二枚目はない。
前方の扉が自動で開く。
向こうは核心ではなかった。
軍隊の食堂だ。
数百人の帝国兵が、同じ大きさの黒パンを持ったまま、揃って僕たちを見ている。
整備員の外套を見下ろす。
「七号風圧弁の点検だ」と僕は言った。
老兵が一人、パンを噛んだ。
「七号弁は反対側だ」
「あるとは言った」フィアが小さく言う。
老兵は守衛を呼ばなかった。
ガンドが持っている牛角牧場の偽移住札を見、東の黒日の牽引管を見た。
「俺の故郷も自発移住に登記されている」と彼は言った。「女房の手紙では、行きたくないそうだ」
「手紙は」とセインが聞く。
「士官が取り上げた」
「なぜ教える」
老兵が盆を横へ押す。
「軍令では、この戦いが終わってから帰れと言われている」
食堂の後ろ、番号のない小さな扉を指す。
「核心はあっちだ」
「一緒には来ないのか」
「まだ決めていない」
「いい」
僕は代わりに決めなかった。
小さな扉を抜ける。
向こうの路は真っ直ぐ上へ向かい、先に黒い太陽がすぐそこまで来ていた。
太陽の下で、一人が待っている。
衛兵も王冠もない。
アランより完全な黒い長剣が一本あるだけだ。
曜石皇帝オードランが、僕を見ていた。
「予想より遅かったな、天野陸」




