寝返りを打つ谷
眠れる巨人は、地図より七百尺長かった。
高くなったのではない。
旧地図が足を丘だと思っていた。
魔導車本線は、その膝裏のそばを通らねばならない。北へ迂回すれば九十里増え、南は鉄を飲む酸沼だ。いちばん安い案は、少なくとも三百年横たわっているこの巨人が、このまま眠り続けることを祈ることだった。
ガルドは、祈りを工事予算に入れることを認めない。
僕たちは谷口に仮の旅駅を組んだ。職人三十六、風路員十二、牛角運搬八、それに僕が入る。部屋はいびきの大きさで割り振る。巨人が一度呼吸するたび、窓板が膨らむ。
アランは窓に押し付けられた。
「歴史は聖剣への侮辱を繰り返す」
「少なくとも今度は、巨人の呼吸だ」
「英雄譚に、少しは聞こえるな」
第一項は振動測定だ。
フィアが軽い羽根を沿線の石隙へ挿し、風が地面の微かな起伏を拡大する。ドワーフ職人が岩層を叩き、内部の反響を読む。牛角工は鋼軌を満載した試験車を引き、本物の荷重を記録する。
三組のデータは、各自では正しい。揃えると正しくない。
僕は初めて、三種の技能を同時に借りようとした。
帰巣炉が仮の旅灯を通し、住人の見慣れた方向を送ってくる。左はガルドの構造感覚。岩層の空洞が足元で違う反響を出す。上はフィアの風感覚。震動の一道一道が塵を押し上げる。両腕はガンドが巨石を運ぶときの力のリズムを借りた。
三つの「正しい手触り」が同時に流れ込む。三人の料理人が同じ匙を奪い合うようだ。
僕は槌を一本外し、測杭が飛んだ。
アランを越え、巨人の靴底へ釘のように刺さった。
谷の奥から、低い唸りが届く。
全員が、その姿勢のまま動かなかった。
十息過ぎて、巨人が足を掻いた。
山壁の半面が、予定路盤へ崩れた。
初回測量は終了し、新規工事量は土石四千三百車。ガルドは帳簿に、僕の槌工技能へ「単独上番禁止」と書いた。
フィアが三枚の測量紙を重ねた。
「三人の話を同時に聞け、じゃない。順番をつけなさい。風が表面を見て、構造が内部を探し、力は落点を確認してから使う」
翌日、僕はやり直した。
先に彼女の風感覚を借りる。塵の流れが谷底を地に沿って滑る。巨人が息を吐くたび、西側の乱流に折れ角が一道増える。
次にガルドの構造感覚。折れ角の下は中実の岩ではない。落石で塞がれた古い排水洞だ。
最後にガンドの力。山壁を硬く叩かない。ドワーフが印した耐力縫に沿い、寸ずつ塞石をこじ開けた。
力、方向、構造が、初めて互いを奪い合わなかった。
最後の岩が転がり、百年溜まった地下水が洞口から噴き、古い溝に沿って酸沼へ流れた。緩かった路盤が排水を始める。
ガルドがしゃがみ、泥を摘んだ。
「敷ける。一人で敷けるわけじゃない。得意になるな」
「予算の四千車ぶんの土石を消しただけだ」
「それは得意になっていい」
僕たちは浮橋式の軌床を採った。河妖が排水層を造り、樹霊が地脈を驚かさない根索で固定し、ドワーフが分解できる軌節を敷く。第一列の工事車が通ったとき、巨人はくしゃみを一つした。
くしゃみがフィアを三十尺、飛ばした。
彼女は空中で一回転して車頂へ戻り、最初の一句は「風向データ、とても貴重よ」だった。
点検が三日目まで進んだとき、ガルドが帝国の安価軌件を一段、分解した。
外見は一塊の精鋼だ。内部には、ほとんど見えない薄い黒膜がある。黒膜は二段の軌道が噛み合う位置に隠れ、平時は魔を導かず、荷重にも影響しない。
アランが近づくと、黒膜が灯った。
十二歯の許可印が一閃した。
さらに二十段、分解した。
七段に印がある。
違う製造批からだ。巨人谷だけに敷かれたものではない。過去三ヶ月、十二都市は工期に追われて帝国鋼件を大量に買い、軌道、倉庫の戸軸、風路塔基、炉門修理環にまで同類が混ざっている可能性がある。
セインが晴風から返信した。「直ちに封存しろ。刺激するな。起動方式と分布を確認する必要がある」
ガルドは全撤去を主張した。
フィアが反対する。「全部外せば、本線は半年止まる。帝国が起動しなくても、こちらが自分で道路を閉じることになる」
僕はアランで黒膜を斬ろうとした。
剣先が印に触れた瞬間、軌件の中から牽引力が来た。遠くで誰かが道路を掴み、東方へ曳いているようだ。アランの古いひびがそれに合わせて光る。
「斬れるか」と僕は聞いた。
「斬れる」
「代価は」
「この程度の細々した邪術、取るに足らん」
握った手が、剣の震えを感じた。
「本当のことを言え」
「いま一枚斬れば、痛いだけだ。同時に起動すれば、一枚一枚が互いを認め、路全体を覆う所有権契約になる。そのとき斬るのは鉄片ではない。帝国が登記した『道路』そのものだ」
結局、工事は止めなかった。
帝国軌件は一段ごとに番号を付け、危険箇所を先に替え、残りには素早く外せる隔魔挟板を付けた。総ギルドが十二都市へ洗い出し任務を出し、報酬は見つかった有効印で清算する。勝手に起動させてはならない。
その夜、僕は仮の旅駅へ戻り、部屋を見た。
フィアはまだ卓端で図を描いていた。地球から持ち帰ったボールペンのインクが、半分しか残っていない。
「魔導車が通ったら」と、彼女は顔を上げない。「旧風笛亭からここまで二時間。これからの帰省部屋、私の鍵も残して」
「地球は魔力がないと嫌っていたくせに」
「ヨーグルトはあるわ」
窓の外で、巨人が寝返りを打った。
旅站全体が左へ半尺滑り、根索にしっかり引き戻された。
カウンターの緊急反響レンガが同時に灯る。
十二都市の洗い出し報告が次々と届いた。
許可印は軌件の中だけではない。
晴風東倉庫の扉、断橋鎮の吊橋三基、月泉城の新しい炉環。すべて、すでに静かに印されていた。




