四十年待った郵便車
無人の駅舎の扉が、ひとりで開いた。
木の人形が、扉の向こうに立っている。
色褪せた赤い制服を着て、左目に青いガラスが嵌まり、胸に銅札が掛かっていた。
|白楊前駅、当直員七号。|
「王国郵便車の到着予定は」木の人形が聞く。
セインが反射で規格冊を繰る。
「旧暦で計算すれば、四十年前だ」
「一万四千六百二十二日の遅延」七号の目の青光が二度瞬く。「記録した。郵便車は道路証憑を出せ」
「郵便車はない」と僕は言った。
扉が、ばたんと閉まる。
フィアの帽の先が、危うく挟まれる。
「今の、歓迎だった?」
「半分は歓迎した」
雨はすでに霧谷の方から追ってきていた。こちらには屋根、湯、ガンドの重車を繋げる庭が要る。駅舎には、とうに存在しない郵便車が要る。
それぞれの需要は、どれももっともだ。
揃えると、たいへん不便になる。
もう一度、扉を叩く。
七号が開ける。「郵便車は道路証憑を出せ」
「宿泊だ」
「本駅は王国郵便車と随車人員のみを扱う」
「郵便車は今日来ない」
「遅延を記録した。本駅は待ち続ける」
ガルドが塀を一周、手で撫でる。
「扉は風鳴晶駆動、窓にも錠がある。半時辰くれ」
アランがすぐ言う。「鍵開けで吾を呼ばなくなったか」
「お前の方が速い」
「営業中の宿屋を壊すのは、反対だ」
僕はそれを見た。
「その一文には同意する」
フィアは煙突から入れと言い、セインは旧郵便条例を見つけて道路点検員として認定しろと言い、ガンドは塀を壊したらいくら弁償かだけ聞いた。
ルミラが門前の花壇を撫でる。土は湿っている。中の白鈴花だけが、きちんと並んでいた。
「ここで、ずっと手入れしている」
雨粒が落ちる。
僕は旧風笛の宿泊簿を鞄から出し、空白のページを開く。
「当直員七号、こちらは旧王道南端の駅舎から来た。駅舎互助により、一晩の雨宿りを申請する」
扉の向こうの青光が、数秒止まる。
「本駅が識別できる互助印を出せ」
僕にはない。
セインが公函から王都の道路印を写す。フィアが風で墨を乾かし、ガルドが旧制の寸法で仮の木札を削る。
最初の実行は、順調だった。
順調すぎて、木札を渡した瞬間、軒下から鉄網が二枚落ち、僕とセインを宙に吊るした。
「王国郵便印の偽造」七号が言う。「抑留した」
「原則として、これは道路修繕任務の公函印だ」セインが逆さに説明した。
「公函印は宿泊に使えない」
「早く言え」
「質問に、その項目は含まれていなかった」
アランが笑い、鞘が震える。
ガルドが鉄網を斬ったときには、雨はすでに大きくなっていた。誰も塀越えを言い出さない。駅舎の防衛は、晴風の西壁より手入れが行き届いている。無理に入れば、四十年前の郵便賊向けの熱い接待が、一式先に発動するだろう。
軒下に押し合う。
扉越しに聞く。「なぜ郵便車だけを扱う」
「白楊前駅の建造目的:王国郵便車の馬換え、宿泊、点検」
「最後の郵便車は、いつ来た」
「一万四千六百二十二日前」
「その間、旅人が扉を叩いたか」
「三百七回」
「誰も入れなかったのか」
「対象外だ」
旧風笛の最初の夜を思い出す。
宿屋がいちばん犯しやすい誤りは、誰でも泊めることだけではない。規則を守りすぎて、規則が誰かに寝る場所を与えるためだったことを忘れることだ。
「郵便車は戻ってこない」と僕は言った。
七号は応えない。
「旧郵路は廃された。白楊前駅の建造目的は、もう果たせない。待ち続ければ、遅延が一日増えるだけだ」
扉の隙間の青光が、少し暗くなる。
「目的が果たせなければ、当直手順は停止する」
「停止したあと、何がある」
「後続の指令はない」
「なら、まだ止めるな」
濡れた階段に座る。
「こちらは旧王道を直している。これから糧車、商隊、郵便、迷った旅人が通る。馬換え、宿泊、点検は続けられる。対象を王国郵便車から、この道を使う者へ変えればいい」
「中核対象の変更には、王国郵便総署の授権が要る」
セインが小さく言う。「郵便総署は三十二年前、交通庁に統合された」
「交通庁は授権できるか」
「記録が焼け、旧機関の権限承継は、ずっと結論が出ていない」
いい話だ。
四十年の待ちが、三十二年前の火事に負けそうになった。
ルミラが扉際へ来る。
「中核対象を変えられないなら、臨時の例外を足す。道路破損中は点検員が宿泊できる。道路回復後、その者たちが新しい旅客を登録する」
セインが続く。「旧駅の緊急避険条例は、当直員が暴雨、獣襲、道路途絶のとき、非郵便人員を受け入れることを認める」
「例外の期限は」七号が聞く。
「次の王国郵便車が到着するまで」と僕は言った。
扉の向こうが、長く静かになる。
「次の郵便車も、遅延する可能性がある」
「慣れている。晴風の最初の正式便も、影さえない」
扉が、ようやく再び開く。
「臨時避険の登録を開始する。氏名、同行人数、駄獣の数、危険物」
「天野陸、二十七人、輓牛一頭、危険物は話す剣が一本」
「分類に抗議する!」
「危険物の発言、記録した」
駅舎の中は、塵一つない。
さらに小さな木偶が四人、水桶を押して出て、一人ずつ手拭いを渡す。二人は厩へ車を卸しに行き、一人はアランを兵器庫へ鎖で入れようとして、完全な全名による抗議を五分受けた。
カウンター後ろに、黄銅の鍵が十二本掛かっている。
七号は四十年前の規格で部屋を分ける。人間とドワーフは二階、牛角族は厩、灰耳族は貯蔵室。
ルミラが鍵を戻す。
「同行です。種族では分けません」
「ベッドの寸法が違う」
「なら寸法で分ける。耳では分けない」
二度目の部屋割りも、また問題が出た。
七号はガンドをいちばん広い部屋へ入れたが、ベッドは普通の長さしかない。いちばん小さな灰耳の若者を、六床の相部屋へ入れた。僕たちはベッドを測り直し、扉を測り、人数を数え、最後にガンドを二床つなげて横に寝かせ、ドワーフ職人は天井の低い部屋へ、ルミラたちは厨房に近い相部屋を自分で選んだ。
「登録規則を変える必要がある」と僕は言った。
七号の木の手が、帳簿の上で止まる。
「旅客は割り当てを拒むのか」
「よくある。南向き、静か、便所に近くて便所の匂いがしない、と要求する者もいる」
「互いに矛盾する」
「宿屋業へようこそ」
夕食は駅舎庫の堅い餅と、持ってきた酸菜だけだった。木偶は新しい料理を作れないが、二十八組の食器は寸分違わず並べた。
食後、七号の臨時登録欄を書き直す。氏名、人数、実際の必要、使えるベッド、調整を受け入れるか。
それは僕たちを三度、試して接客した。
三度目で、ガンドは角が挟まないベッドをようやく得た。
「サービス完了」七号が言う。
「今夜だけだ」
「明日も続けるか」
「道が通れば、毎日続ける」
旧風笛の分駅の木札をカウンター横に掛ける。白楊前駅のもとの名は、覆さない。
夜、いつものように巡房する。
職人の鼾は正常、フィアは濡れた観測紙を一部屋いっぱいに掛け、セインはまだ七号と例外条項を突き合わせている。一階まで来ると、広間の突き当たりに、一度も火を入れていない黒石の暖炉があった。
炉室に薪はない。
炉心だけが、橙赤の一点を灯している。
腰のアランが、低く唸る。
六十里向こう、旧風笛の帰巣炉が、荒原一枚を隔てて応えた。
次の瞬間、暖炉の中に、主炉とまったく同じ金色の火が一本、昇った。




