Ep09. 愛し子の光
青い空に白い雲が流れていきます。
澄み渡る空は、この日を迎えられることを待ちわびていたオーちゃんを祝福しているかのようです。
「外……!」
両手を大きく広げたオーちゃんが、こらえきれないというように声を上げます。
煌めく瞳が溢れんばかりの喜びを表しています。
ここまで、私が思っていたよりも長い時間がかかりました。
オーちゃんが魔法を取得できなかったわけではありません。
魔法自体はあっという間に身に着けてしまいました。さすがオーちゃんですわ。
しかし問題はその後でした。
長年あの狭くて暗い部屋に閉じ込められていたオーちゃん。
あの部屋を出たいという気持ちは何よりも大きいにもかかわらず、そこを抜け出すことへの恐怖がオーちゃんを支配してしまったのです。
まずは扉を開けること、屋根裏になっているあの部屋から降りる階段を一歩踏み出すこと、廊下にでること。
人とすれ違っても蹲らないこと、家族を見てもちゃんと呼吸をすること、怯えないこと、泣かないこと......ああ、本当に公爵家をぶっ潰してやりたいですわ。
一つ一つを乗り越えるため、私はオーちゃんを焦らせることなく、そっとそばに寄り添い続けました。
恐怖のあまり私を抱きしめたオーちゃんの両腕が、私を窒息させんばかりにぎゅうぎゅうに抱きしめた時も。
私が妖精であったことを喜ばしく思いました。だってどんなに強く抱きしめられても息が止まることはありませんから。
嬉しいことに、オーちゃんは私に触れると安心するようで、私に頻繁に触ってくるようになりました。
ぎこちなかった手つきも、今は完璧です。私のふわふわの最高級の手触りの毛を楽しみ、癒されている姿は私にとっても至福と言えるでしょう。ええ、間違いありません。
そうやって苦難を乗り越え、やっと、やっと最後の扉をくぐって外に出た時の感動!!
筆舌に尽くしがたいとはまさにこの時のためにある言葉でしょう。喜びに打ち震え、高ぶった感情で瞳を銀色に輝かせるオーちゃん。
妖精である私の眼にも涙が浮かんできます。
チカチカと集まってきた精霊たちが共に喜び、歌い、踊っています。
あらゆる呪縛からの解放を讃えています。
「あっち、あっちに池があるんだ。行こう」
「あら、待ってくださいな」
感動のあまり走り出したオーちゃんを追います。長い苦難の時ではありましたが、その間にオーちゃんの体は十歳という年齢にふさわしく成長してくれました。
部屋を出て、階段を上り下りして、長い廊下を歩く。少しずつ移動の距離を伸ばすことで、無理をすることなく体力もつけられたように思います。
これは一挙両得とでもいうのでしょうか。
のびのびと自由に駆けていくオーちゃん。ゴーストの魔法によって人に見えないのが残念なほどに輝いています。
公爵家の庭は、その内状が腐りきっているとは思えないほどに美しく整えられています。
閉じ込められる前の、幼い頃の記憶を頼りにオーちゃんは迷いなく庭園を走っていきます。
時折、眩しそうに木々や花々を見つめて。
一体何度、この庭に出ることを思い描いたのでしょうか。自由に生きてきた私には、オーちゃんに寄り添えることはできても、その思いを完璧に理解できる日は来ないでしょう。
それでも私を振り返っては照れくさそうに笑い、そしてまた駆け出すオーちゃんと喜びを分かち合うことができます。それだけでも、私は幸せなのです。
「ここ! ここが、僕のお気に入りの場所!」
公爵邸の前庭からだいぶ離れた、家族で楽しむための小さな庭園。そこにオーちゃんの特別な池はありました。
仰々しく人工的に作られた池ではなく、湧き水が今も滾々と湧き出る自然のままの池。妖精界にある景色をそのまま持ってきたような、郷愁の念を抱かせるような場所。
「……美しいですわ」
「でしょう!」
妖精の愛し子だからでしょうか。妖精が好む場所を同じように好むのかもしれません。
池に掛けられた白い石橋の真ん中にしゃがみ込み、オーちゃんは興味津々に池の中を覗き込みます。
その隣に私も座って同じ景色を眺めます。
しばらくして、走り回って上がった息が整う頃、オーちゃんは小さな声で尋ねました。
「あのさ……名前、どんなのがいいかって、希望はある?」
私はオーちゃんを見上げ、二度、三度と瞬きをしました。
彼の質問の意味を受け止め、そして理解しようとするのに時間がかかったのです。
「どんな……名前でも、オーちゃんがくれるものなら。どんな名前でも嬉しいわ」
昂ぶって上ずった声を抑えて、私は告げました。
オーちゃんはわずかに戸惑ってから言いました。
「キラン……太陽の光とか輝きって意味なんだって」
視線を池から私へと向けどこか不安げに、でも頬を赤く染めて誇らしげに告げられた名前。
「僕の、光。キラン」
今度ははっきりと自信をもってオーちゃんは口にして呼びました。
私の、名を。
「……キラン。私の名前は、キラン。嬉しい。オーちゃん、嬉しいわ。こんな素敵な名前、つけてくれてありがとう」
妖精にはないはずの心臓が高鳴って、ドクドクと音を立てます。白く輝く私の美しい毛の先まで血が通ったような、生きているという感動。
私はオーちゃんを見上げ、名を与えられた妖精としてすべき最初の務めを果たします。
『私、妖精キランは、この命尽きるまで、契約主オーガスト・スフォルトに従い、寄り添い、生きることを誓います』
誓いの言葉と共に、背伸びをして柔らかな肉球をむきゅうっとオーちゃんの額に押し付けます。
最初に出会ったあの日のように。
妖精と契約主を結ぶ契約印。私の可愛らしい肉球の証が、オーちゃんの額に刻まれました。
「え? キラン? 今のは?」
両手をあてて目を瞬かせるオーちゃんの鼻先に、私の鼻をスリッと寄せて私は答えます。
「契約です。妖精は名前を付けてくれた人のそばに寄り添い、一生を共にします。契約主が望むのであれば、妖精としての力を使うことができます」
「契約……」
「ええ。でも、私は契約があってもなくてもオーちゃんのそばにいますから、今更ですわね。でも私は妖精として強い力を持っていますから、きっとオーちゃんが幸せになるのに役に立てますわよ」
オーちゃんが勘違いをしないように、きちんと言葉にします。
これは私の心からの望み。契約に縛られているわけではないことを理解してほしいからです。
オーちゃんはクシャリと顔を歪め、そして藍と銀の間を行ったり来たりする瞳を揺らめかせて、ポロポロと涙をこぼし始めました。
「キラン、キランは、ずっと僕と一緒にいてくれる?」
「ええ、いますわ。キランはオーちゃんが大好きですから」
「僕も好きだよ、キラン」
伸ばされた腕の中に飛び込むと、私の体に顔を埋めてオーちゃんはしゃくり上げて泣き始めました。
私は尻尾を彼の腕に絡めて、愛しい契約主の心が落ち着くまで寄り添い続けました。
私の名前はキラン。太陽の光。
オーちゃんのそばで生き、見守り、愛を降り注いで温めるもの。
そして必要であれば敵をその光で焼き尽くして見せましょう。
愛し子の敵は、私の敵ですから。




