Ep05. 帰郷
ガチャガチャと忙しない音が響きます。
ここ、公爵家の厨房は常に騒がしく、私は好まない場所です。それにここにいる人間も私の美しさを理解できない者が多いようで、酷い時は包丁を持って追いかけられたことさえありました。
あるいは、美しさが人を狂わすという通り、あの者は私のあまりの美しさに嫉妬したのかもしれません。
安心しなさい。美しさは罪ですが、醜さは罪ではありません。あなたの罪は私が許してあげますわ。
それに妖精の姿を取り戻した今、自分の存在を望む相手だけに認識させることができます。つまり、私は完璧に誰にも悟られることなく厨房に入れるのです。
今は公爵家のための夕食の支度が進められているようです。
さすが、王家に次ぐ権力を持つ公爵家。使われる素材は全て最高級のものばかり。
これが一口も愛し子の元へと届けられないということに心底腹が立ちます。
人間たちの足の隙間にしなやかで美し体を滑り込ませ、私は目的の場所へと突き進みます。
「おーい、前菜ができたから、持って行ってくれ」
「はい。お飲み物は?」
「出してある」
人間たちが声をかけあっているのが聞こえます。
その近くに並ぶのは完成した料理を運ぶためのカート。
私はキラリと美しいスカイブルーの眼を光らせ、そっとカートに近寄ります。
なるほど。この屋敷で公爵家として食事をしている人間は三匹いるようですわね。いえ、人間は三体でしたかしら。
さて、どうやって頂きましょうか。
お皿に入っているものが一番持ち出しやすいのですけれど......これって、勝手に持っていったらやっぱり怒られますわよね。
あら、あちらにどうやらまだサーブしていない料理があるみたいですわ。
トントントンッと棚伝いに鍋の元に行くと、まだたくさん中身が入っているのが見えました。
「スープでしたら、愛し子も食べやすいでしょう」
前足で宙をかき混ぜれば、美しく縁取りされたスープ皿に黄金色の液体が注がれて私の元にやってきました。
それをさっと妖精の持つ亜空間にしまい、次に持っていくべきものを探します。
「スプーンは必要ですわね。あとはカットされたフルーツは美味しそうです。お野菜と、お肉。ええ、もちろんいただきましょう。それから、パンと」
その時、私の敏感な鼻が芳醇なバターの香りを捉えました。
これは、焼きたてのデザートの香り!
青い眼が一際強く輝きます。効果音をつけるとしたらキラーンがふさわしいでしょう。
ふわりと浮き上がり、魅惑の香りの元へと何もない空を蹴って進みます。ええ、私としたことがすっかり忘れていましたが、妖精ですので宙に浮けるんですわ。
人間の頭上を飛び越えていけば、すぐにオーブンから出されたばかりのデザートが見えました。
これは、ショコラカップケーキ? 黒い真珠よりも蠱惑的な輝きを放っていますわ。
焼きたてより少し味を落ち着かせた方がいい気もしますが……あら、あれはブランデーでも塗るのでしょうか。
あの子供には少し大人な味になってしまいます。ブランデーが塗られる前に......「えい!」っと一つ、二ついただきます。
「んあ? カップケーキが足りないぞ?」
白い帽子をかぶった人間がブランデーに浸した刷毛を手に、きょろきょろとあたりを見回し始めました。
テーブルの下、オーブンの中まで見て首を傾げ、訝し気にしています。
もしかしたら後で怒られたりするのかしら。でも仕方がありません。この人間よりも愛し子のほうが重要ですからね。申し訳ありませんわ。
一通りの食事はいただきました。
あの子の元に戻るかどうか迷い、私は一旦妖精界に戻って妖精王様にお会いすることにしました。
妖精の愛し子のことであれば、妖精王はきっと何か知っていらっしゃるはず。そして私に必要なアドバイスも下さるはずです。
そうと決まれば、尻尾を咥えて、右足でトンッと一回転!
ふわっと浮き上がった瞬間、視界に色鮮やかな花々が咲き誇る草原が広がりました。
私のふるさと、妖精界です。
「キティ、帰ってきたのね」
「ご無沙汰しておりますわ、妖精王様」
美しく広がるレースのドレスを纏う妖精王様。地面にまで広がる絹のような髪の間には妖精たちが花をさしたり、編んだりして遊んでいます。
ふわりと動くたびにキラキラときらめきが散り、精霊の子らが生まれ落ちて飛んでいきます。
私もトントンっと宙を蹴って、妖精王様の足元へと滑りこみます。
「キティ、思い出した?」
「はい。愛し子に会いました」
「良かった。あなたは特別だから、必ず思い出してくれると信じていたわ」
伸ばされた妖精王様の手に鼻先をするりと擦りつけ、伝わってくる温もりと妖精王様からあふれ出る慈愛のような生命力を受け取ります。
人間界に行って多少疲れていたのでしょう。じんわりと私の体を癒していくのが分かりますわ。
「私は、特別なのですか?」
「ええ、あなたは妖精だけど、それだけではないから」
「どういう意味でしょうか」
「今は言えないわ。人間の王との契約がありますから。でも必ずあなたと愛し子は結ばれる定めなのです」
どういう意味なのでしょう。もう一度問いかけようと口を開き掛けましたが、やんわりと返された笑みに諦めて再び口を閉じます。
妖精王様が私たちが結ばれるというのであれば、私は必ず愛し子と契約できるということと信じるべきですわね。
「私は、何をすべきでしょうか」
「あなたらしくいなさい。そして愛し子に寄り添いなさい。それだけで、十分です」
妖精王様は明確な答えはくれませんでした。でも告げられた言葉は私の望みと一致するもの。否定する要素は全くありません。
「分かりました。あともう一つ、あの公爵家にある不快な魔術について、教えていただけますか?」
「あれは、愛し子を蝕むものです。愛し子の恩恵を奪い、愛し子の運命を捻じ曲げる悪しきモノ。愛し子の家に入り込み、偽の愛情の仮面で愛し子を洗脳したのです」
「やはり、家族が原因なのですね」
「ええ。キティ、こちらに来なさい。一度魔術に触れたものは汚染されやすくなります。私の加護を与えましょう」
「ありがとうございます!」
妖精王様から直接加護を頂けるだなんて、なんて心強いのでしょう。
妖精王様の膝に飛び乗り、背中を撫でていく妖精王様の手に心が震えます。さらりと長い髪が流れ、妖精たちが笑い声をあげて逃げていきます。キラキラと精霊が輝きと共に生まれます。
妖精王様の薄桃色の唇が近づいてきて、ちょんっと私の鼻先に触れました。妖精としての自分の核が強い何かで覆われたような気がしました。
「キティ、私の可愛い猫ちゃん、あなたは必ず自分が何者かを思い出して、愛し子のもとに戻るでしょう。別れがあってもそれは永遠ではありません。あなたたちは必ず出会うのです」
歌うような声に顔を上げれば、薄い紗のベールの向こう側から虹色の瞳が私を見つめていました。
今の私には妖精王様の言葉を全て理解することはかないません。不吉な予言のようにも聞こえますが、祝福の道しるべにも思えます。
妖精王様の指が私のピンッと張ったヒゲをサワサワと揺らします。ああ、だめですわ。それをやられたらちゃんと考えられなくなってしまいます。
「安心しなさい。何度でも、あなたとあの愛しい子は巡り合うのですから」
風が吹きます。
花びらと精霊、妖精が光を散らして風と踊ります。美しい息を呑むような光景に、私の顔は自然と上がり目が輝くのが自分でも分かりました。
「お行きなさい。あなたの愛し子の元へ──」
妖精王様、それは違います。あの子は妖精王の愛し子です。そう言う前に、私の視界は変わりました。
光り輝く美しい場所から、暗くひっそりとした場所へ。
あの子がいる屋根裏部屋へ。




