Ep32. 巡り会い
空のように青い目が僕を映し出す。
風が吹いて、柔らかなウェーブの髪が揺れる。
「私は猫としてこの屋敷に住み、そしてある日、屋根裏で一人の少年と出会いました」
屋根裏という言葉に、体が揺れる。
僕が監禁されていた場所だ。
そしてそれは公にはされていない情報。
いや、王族である彼女であれば知る手段などいくらでもある。
信じてしまいそうになる自分を叱咤し、彼女を睨みつけた。
「私を騙すために、そんな作り話をするために来たのでしたらお帰りください」
「待ってください。信じていただけないかもしれないのは分かっています。ですが、これは本当に私の身に起きたことなのです」
縋るように僕を見る瞳から目を逸らす。
騙されるな。
その姿で、目で、色で、声で、僕を騙そうとするな。
ああ、本物の悪魔がいるとしたら、彼女のように無垢な姿をしているのかもしれない。
「お帰りください。家の者に案内させますから」
「待って……オーちゃん!」
踵を返そうとした僕の背に懐かしい呼び名が突き刺さった。
思わず足を止め、彼女をまじまじと見つめる。
「どこで、その名を?」
低く喉奥から声を絞り出す。
ギルに聞いたのか? いや、ギルと彼女が直接会話するような機会はなかったはず。
ぐるぐると僕とキランに関わった人たちの顔が浮かんで消えていく。疑いたくない、僕を助けてくれた人たちの顔が。
わずかだが、苦痛に満ちた時間を彼女の切実な叫びが断ち切った。
「オーちゃん! オーガストちゃんは呼びにくいからって、私が付けたの。あなたは最初は嫌がって、でも仕方がないって許してくれた。初めて外に出た日、一緒にこの庭に来たわ。お気に入りの場所だって教えてくれた。そしてオーちゃんはあの橋の上で、私に名前を付けてくれた」
青い瞳から涙がこぼれた。
その雫が太陽の光を反射して煌めくのを、僕は呆然として見つめていた。
「私はオーちゃんの光だって、キランって名前をくれた!」
叫ぶように、彼女が告げた。
「ほんとうに?」
頭の奥が痺れる。
これは、現実なのか、それとも毎晩僕が見る優しい夢の中なのか。
目が覚めたら、また絶望に打ちひしがれるだけの甘い夢。
「私は、キラン。あなたの唯一の妖精で、一生一緒にいるって約束をした猫。必ずあなたの元に戻るって約束を果たしに、私はここにいる」
強い風が吹く。
彼女の手からパラソルが落ちて、長い髪が揺れる。
そこに僕は手を伸ばして触れた。
柔らかな感触。指先に感じる、確かな存在。
僕の言葉を待つ彼女の目が、僕の瞳を見ている。
きっと、僕の目の中に浮かぶ魔力の色を追っている。キランはいつもそうだった。
僕の魔力が溢れて輝くのを見るのが好きだったから。
「……本当に、キラン?」
「ええ、あなたのキランよ、オーちゃん」
「信じられない」
ゆるりとかぶりを振る。
だって、キランが消えてもう八年。
何度も妖精が入れ代わり立ち代わり僕の元を訪れた。彼らにキランのことを尋ねても、期待する答えが戻ってくることなどなかった。
諦めて、でもキランは必ず約束を守ってくれるはずだと信じて、期待して、でも願いが叶うことはなくて。
「オーちゃんが信じてくれるまで、私が覚えてるオーちゃんとの思い出を全部話してもいいわ。ケネスのことも、ギルのことも、ギルとクローリー伯爵の妖精のことも」
「……他の人たちのことはいいよ。僕の思い出だけで」
「ふふっ、そうね。それでオーちゃんが私を信じてくれるなら」
僕のひねくれた答えにアナスタシアが、キランが笑う。
「信じられないから、だから、全部、キランの覚えていることを聞かせて」
「ええ、何度でも」
何度も髪を撫でる僕の腕に柔らかな腕が絡まる。
キランの尻尾がそうやって僕に触れたように。
一歩前に出ると、彼女もまた僕に一歩近づいた。
示し合わせたように彼女が背伸びして、僕は身をかがめる。
こつんと額を合わせ、鼻を触れ合わせる。
互いの口から幸福に満ちたため息が漏れた。
「会いたかった、キラン」
「ええ、私も会いたかったわ、オーちゃん」
「待たせ過ぎだよ」
「それはごめんなさい。六年も昏睡状態で、目が覚めても周りがなかなか外に出るのを許してくれくて」
「え? それ、大丈夫なの?」
顔を上げ、まじまじと彼女の顔を見つめる。
夜会で会った時、大丈夫だと言っていた。あの時は興味がなくて流したけれど、キランだったことを知った今は心配でたまらない。
「問題ないわ。妖精王様との約束でしたの。時をさかのぼった分、私の時間は止まるって」
「キランは……前の世界では二十一歳で命を落としたから?」
「そう。だから私がこっちに戻って妖精になった十五歳の時、この世界の私の時間が止まって、猫になって十歳だったオーちゃんのところに行ったわ。それから六年、仮死状態だったようね。だから体はまだ十九歳くらいかしら。オーちゃんに年齢を抜かされちゃった」
「そっか。キランが……アナスタシアの体に異常がないならいいけど」
「キランでいいわよ、オーちゃん。妖精王様がそこはちゃんと守ってくださったから」
「うん、僕もそれは信じる」
もう一度コツンと額を合わせる。
六年、僕のためにアナスタシアは眠っていた。
僕のために。
僕の命を救うために。そして国を救うために。
そしてもう一度僕に会いに来てくれた。
「ありがとう、キラン。ありがとう、アナスタシア」
彼女はキランでいいと言ってくれた。でも僕は猫のキランにも、人間のアナスタシアにも感謝を言いたかった。
壮絶な記憶を持っていても、諦めずに僕のそばにいて、僕の元に戻って来てくれた彼女に。
「……ありがとう、オーちゃん」
空色の瞳から涙がこぼれ落ちる。
僕の頬にもいつの間にか同じように涙が流れていて、そこにアナスタシアの唇が寄せられ、ぺろりと舐めとった。
「キラン!」
「ふふっ、オーちゃんの泣き虫」
「それは、キランもでしょう」
頬を押さえて離れた僕に、アナスタシアがいたずらっ子のように目を細める。
長い髪が風になびいて、ご機嫌そうに尻尾を揺らすキランの姿が重なる。
その向こうに青い空が広がる。
どこまでも完璧な風景。
「オーちゃん、こっちに来て」
アナスタシアに手を引かれ、小さな石の橋の上に立つ。
欄干も何もない、ただの石が渡されただけの大人が二人立つにはあまりに狭く細い橋。
アナスタシアは「ちょっと怖いわね」だなんて呟いてから、僕に向き合って両手を繋いで告げた。
「私、アナスタシア・ウィーレリアは、この命尽きるまでオーガスト・スフォルトに寄り添い、生きることを誓います」
それはかつての妖精の契約の誓いのようで、でもそれよりも深い愛情に満ちた宣言だった。
体のあちこちに心臓ができたように激しい脈を打つ。
「……そばにいることを、許してくれますか?」
何の反応も示さない僕に焦れたアナスタシアが僕を見上げて尋ねる。
僕は彼女の両手を握り返して答えた。
「私、オーガスト・スフォルトは、アナスタシア・ウィーレリアと共に、命尽きるまで、生きることを誓います」
今度こそ、この誓いを果たしてみせる。
繋がった手に込められた力が強くなる。
微笑みを交わして、額を触れ合わせて、鼻をくっつけて。
藍の目の奥で星が煌めく。青い空の瞳がそれを映してまた星屑のような涙をこぼした。
その日、僕たちの新たな始まりを祝福するようにウィーレリア王国各地で季節外れの花が咲き乱れたという。
愛し子と妖精は長い時を経て再び巡り合った。奇跡の物語は永遠に語り継がれていくことになる。
お読みいただきありがとうございました!
もう一話後日談にて、完結となります!




