Ep31. アナスタシア王女
アナスタシア王女が顔を上げると、プラチナの髪が細い肩の上を流れた。
「……とても、綺麗な髪ですね」
挨拶を返すよりも先に、言葉がこぼれた。
後ろでギルがぎょっとしている。誰にもお世辞を言ったことがない僕にびっくりしているのかもしれない。でもお世辞じゃなくて本心が零れ落ちた。
「ありがとうございます。元はブロンドだったのですが、闘病の間に色が抜けてしまいまして。でも私もこの色が大好きなんです」
青い目を細めて姫が笑う。
ずっと見ていたら、心まで吸い取られてしまいそうで視線をずらす。
危険だ。彼女の纏う色も、空気も……声も。
そう、声。彼女の声は、キランの声を思い起こさせる。
優しいのに凛としていて、気品があって、人を自然と従わせてしまうような気高い声。
ずっと聞いていたい気にさせられる。
「体は、回復されたのですか?」
「ええ、二年ほど前には動けるようになっていたのですが、父が心配してお会いするのがこんなにも遅くなってしまいました」
「いえ……」
「本当はお手紙をお送りしようと思ったのですが、お会いもしていない私から一方的にご連絡するのは失礼と思いまして」
すらすらと紡ぎ出される言葉が頭の中を素通りしていく。
駄目だ。涙が出てきそうになる。
頭の中では「キランが人間だったらこんな感じだろうか」とかいう馬鹿な考えで埋め尽くされている。
「……スフォルト公爵? 大丈夫ですか? お顔の色が」
「すみません。少し、席を外させていただきます」
「いえ、体調がすぐれないところに失礼いたしまいした」
僕の勝手な言葉にも気分を害した様子もなく、姫は一礼して去って行った。その背で長い髪がゆらりと揺れる。
そこに伸ばしそうになる手をぎゅっと握り締めた。
「なんとも、独特の雰囲気の姫様でしたね」
「ああ」
「それに、声が」
「言うな」
ギルの言葉を遮る。
八年経っても耳に残っているキランの優しい声。僕のことを大好きだと、愛していると言ってくれた声。
それが掻き消されて、上書きされてしまう恐怖に臓腑が冷えていく。
「今日はもう帰りましょう」
「ああ」
相当酷い顔色になっていたのだろう。ギルは無理強いすることなく、僕たちは会場を後にした。
それから一週間後、アナスタシア王女から公爵家を訪問したいとの手紙が届いた。
「勝手な願いを聞き入れてくださり、感謝いたします」
「いえ……先日は正式に挨拶ができず失礼いたしました。スフォルト公爵の位を継ぎましたオーガスト・スフォルトです」
「ご丁寧にありがとうございます」
今日の姫はパーティーの時よりは軽装だが、やはり淡い色を多く纏っている。
(銀の縁取りがされた紺のリボン……)
その中で、細いウエストを強調するかのように巻かれたベルベットのリボンに目がひかれる。紺と銀は……キランが好きだと言っていた僕の目の色だ。
なぜ、こんなにもキランを思い起こさせる?
会ったばかりなのに、すぐにでも逃げ出してしまいたい。ここは僕の屋敷で、どこにも逃げられないのに。
「お話したいことがたくさんあるのですが、どうお伝えすればよいのかずっと考えておりました」
キランによく似た声で、アナスタシア姫が切り出した。
澄んだ空の青い瞳が僕を見て、どこか泣きそうに煌めいた。
それから一つ大きく息を吐き、唐突に「差し支えなければお庭を散策させていただきながらお話しても?」と言い出した。
(たった今、この応接室についたばかりで?)
出された茶に手を付ける暇もない。
訝しむ僕に姫は申し訳なさそうに笑う。でもこの部屋で正面からこの目を見続けるのは僕も辛い。
立ち上がり、彼女の隣に行って手を差し出した。
「どうぞ。ご案内します」
「ありがとうございます」
ふわりと、花のように彼女は笑った。
屋敷の中を進む間、彼女はどこか落ち着きなく周囲を見回しては口元を綻ばせる。
「何か、ありました?」
「いえ、以前来た時と変わっているなと思いまして」
「我が屋敷に来たことが?」
「ずいぶんと昔ですが。公爵が屋敷に手を入れられたのです?」
「ええ。すべてではないですが、気になった個所だけ」
「そうですか。とても良い雰囲気ですわ」
「ありがとうございます」
彼女には言わなかったけれど、隠された魔術を見つけ出して破壊するために、この屋敷のありとあらゆる場所に手が入っている。だから父親が公爵だった頃とは内装は大きく変化している。
庭へと通じる扉を抜け、外へと出る。
連れてきた侍女からパラソルを受け取る様子を見るに、元々庭に出ることを計画していたようだ。
暫く庭へと続く小道を歩く。今は花の盛りではない。これが春であればもっと美しい景色が見せられたのにと少し残念に思う。
そんな自分に苛立ち、そんな気持ちにさせた姫にまで苛立ってしまいそうで唇を引き結ぶ。
外でなら話せると言ったアナスタシア王女は無言のまま。
その足が庭へのルートから外れ、屋敷の裏へと続く道へと向いた。
「姫殿下、そちらは」
「こちらに、見たい場所があるのです」
有無を言わせぬ声に、僕は制止しようとした言葉を止める。
こちらを行くと、裏庭だ。
そこは、駄目だ。
あの場所は、僕と、キランの──
「ああ、ありました」
アナスタシア王女が呟く。
「思ったより、小さいのですね」
その言葉に怒りが湧いた。
僕とキランの思い出の場所。
小さな池と、小さな橋。
王族が見るにはあまりに素朴で、まったく価値のない場所だろう。
でもそれを貶めることだけは許さない。
腹の奥底で魔力が暴れる。
「約束を、果たしに来たのです」
両手を握りしめ、強張った顔をアナスタシアへと向ける。
彼女は冷静な眼差しで僕を見上げた。そして突然告げた。
「私が二十一歳の時、この国は滅びました」
いったい何の話を?
口を開きそうになった僕を、彼女は「何も言わず、少しの間だけ、私の話にお付き合いください」と言う。
彼女がそれで満足して、ここを去るならば。そう思い僕は小さく頷いた。
彼女はどこか「よくできました」とでも言うように目を細めて続けた。
「それよりも五年以上前から国内では天変地異が続き、国力は明らかに弱まっていました。私は分かっていました。ウィーレリアは愛し子を失ったのだと。そしてその年、ゾルバーンに攻め込まれ、国王となっていたフェルナンドにより徹底的に滅ぼされたのです」
フェルナンド──あの男が国王に?
訳が分からない。あの男は廃嫡され、王族からも除籍されているはず。
そもそも僕は、愛し子である僕はここにいる。
アナスタシアは僕を見上げて言った。
「そして私は──フェルナンドによって殺された私は、気が付けばある屋敷にいました。猫となって」




