Ep28. オーちゃん!
「オーちゃん!」
慌ててオーちゃんの腕の中から抜け出し、オーちゃんの名を呼びます。何度も。ですがオーちゃんの藍色の目は虚ろで、何も映していません。
「オーちゃん? オーちゃん!」
両前脚をオーちゃんの腕に置いて揺さぶっても、オーちゃんは全く反応しません。
いったい、何が起こっているんですの!?
「おやおや、公子様、大丈夫でしょうかね?」
「オーガスト様に何をした!」
「人聞きの悪いことをおっしゃる。しかも他国の王族に向かってそんな口を聞いていいとでも?」
目を細め、侮蔑を含んだ眼差しでギルを睨む男――こいつが王族である限り、他国の一騎士であるギルは直接手出しできないのです。
まったく、人間は本当に面倒ですわ。
ならば人間ではない、オーちゃんの契約妖精である私が適任ということです。
「お前、オーちゃんに何をした! さっきの男の魔術、あれは何!?」
失礼な男に対して丁寧に話してやるほど私の心は広くありません。
赤髪の男は私を見下ろし、ふっと鼻で笑いました。
「この国は猫がしゃべるとは、奇妙奇怪ですね」
「答えなさい! でなければその顔を引き裂くわ!」
一鳴きして風を纏い、男へと飛びかかります。ギルが「キラン様!」と叫ぶのが聞こえても、止まるはずがありません。
男は咄嗟に交差した腕で顔をかばいました。私の鋭い爪と風魔法が男の豪奢な上着にいくつもの切れ目を入れます。
くっ、もう少しなのに!
「この、クソ化け猫が!」
「早く答えなければ、手足を切り落とす!」
風の刃がひゅんひゅんと高い音を立てて男の周りを飛び交います。男は上げた腕の隙間から、にやりと口元を歪めて笑いました。
「すぐに分かる」
「なに?」
この男はいったい何を企んでいるの?
さっきギルが男を切り伏せた時、魔術は完成していなかったように見えたのに、オーちゃんにだけ影響が出ているのはなぜなんです?
その時、オーちゃんが微かなうめき声を上げました。
「オーちゃん! 気が付いたの!?」
オーちゃんは自分を抱きしめるようにして蹲っていました。
ですがその元に駆け寄ろうとする私に、オーちゃんが言いました。
「……に、げて、キラン。逃げてええええええ!」
何を言っているの?
そう尋ねる暇もありませんでした。
オーちゃんの中から濁流のような魔力が放出され、それと共に制御できない魔法が次々に放たれたのです。
「ぐ、うああああああ!」
「オーちゃん!」
叫びと共に広がる衝撃。
先ほどの私の風魔法など足元にも及ばないほどの暴風が吹き荒れ、空には黒雲が集まりその中で稲光が奔りパチパチと鋭い音を上げています。
土埃があがり、騎士たちや離宮から連れ出された使用人たちも皆、掴まれる物であれば、木や人にしがみついて飛ばされないようにと必死です。
いいえ、周囲の人間などどうでもいいのです。このままの勢いで魔力を放出し続けていたら、いくら妖精の愛し子で無尽蔵ともいえる魔力を持つオーちゃんでも命の危険に陥ってしまう!
「オーちゃん!? オーちゃん、魔法を、止めて!」
「……と、まら、ない。変……!」
肩を抱いて蹲ったオーちゃんの服が風でめくれ上がり、なめらかな子供の肌に不気味な文様が浮かび上がるのが見えました。
いつの間にあんな物を!
「あんた、オーちゃんに何したのよ!」
「くはは、さぁ、ね?」
身を低くし吹きすさぶ風に何とか耐えている男は、それでも何も語ろうとしません。
いえ、分かっています。
状況から考えれば明確。先ほどの男が死ぬことで、オーちゃんの魔術が発動するようにあらかじめ仕込んでおいたのでしょう。
なんと卑劣な奴!
(妖精王様が言っていたのに! 相手は用意周到に魔術を張り巡らしていると!)
悔しい。でも自分の不甲斐なさを悔やんでいる時間などありません。
今はオーちゃんを助けることが先決。そのためにはあの忌々しい魔術をどうにかしなければ。
「ギル! 魔術を破壊するのはどうすれば!?」
「魔術を物理的に壊すのが一番です。ですが、あれはオーガスト様に直接描かれていて、オーガスト様から魔力を吸い出しているようですので……無理に引き裂こうとすると、オーガスト様の命も奪ってしまうかもしれません」
「そんなことできないわ」
一刀両断すると、ギルは唇を噛み苦悩の表情を浮かべました。
他に術はないの?
このまま待っていても、オーちゃんの命を削るだけです。決断は早くしなくてはいけません。
「……私が、壊します」
「可能ですか?」
「魔力をオーちゃんから引き出しているなら、それを私に向ければいいのです」
発動方法が異なるだけで、公爵邸で私に放たれた魔術。あれと原理は同じはずです。
構成は分かりませんが、どう作用しているのかはその術を受けたこの身が理解しています。術の矛先を捻じ曲げ、できた綻びに魔力を叩き込む。ただそれだけです。
「直接私が魔術に魔力を注ぎ込みます。それで何とか魔術が破壊できないか試してみます」
「お気をつけて」
荒れ狂う風の中、地面に剣を突き立てて頷くギル。
立派な騎士、妖精に好まれる実直な心。オーちゃんと一緒にいてくれて良かったと本当に感謝していますわ。
「ギルフォード、オーちゃんをよろしくね」
「……キラン様?」
爪を引っ込め、私の周りに風魔法を展開して暴風と相殺させながら前に進みます。
オーちゃんは亀の子のように地面に小さく丸まっています。まるで振るわれる暴力から身を守るようです。
もう二度と、誰にもオーちゃんを傷つけさせないと誓ったのに、私はダメダメな妖精ですわね。
オーちゃんの服がパタパタと揺れて、不気味な魔術が覗きます。オーちゃんの膨大な魔力を引き出している魔術。あれを壊すにはオーちゃんと同じくらいの魔力をぶつけなければいけません。
それは恐らく私を私たらせている、すべての魔力と等しいでしょう。
(別れてもそれは永遠じゃない、必ず再び会えると妖精王様は言っていました。あれは、必ず私たちに一度は別れが訪れると言うことですのね)
覚悟は決まっています。
私の全てはオーちゃんのためにあるのです。
ただ、ほんの少しだけ、オーちゃんともっといたかったという我がままだけは残りますが。
「オーちゃん、ごめんなさいね。ちょっと痛いでしょうけど我慢してください」
「キ……ラ、ン?」
オーちゃんの元にたどり着き、汗を浮かべるオーちゃんの頬に自分の頬をそっと摺り寄せます。
オーちゃんの目がうっすらと開いて、藍の瞳が私を映しました。魔力が暴れているせいで、瞳の中に銀色の星が散っています。こんな時でなければいつまでもうっとりと眺めていたいほどです。
「背中の魔術を壊すのに、爪をたてるので、オーちゃんの肌を傷つけちゃいます。ごめんなさいね」
「ん……いいよ、お願い」
苦しいでしょうに、オーちゃんは目を細めて笑ってくれました。本当に健気で可愛らしい子。
ペロリと浮かんだ汗を舐めると、オーちゃんは吐息だけでまた笑ってギュッと目を瞑りました。
さぁ、もう時間はありません。
「行くわよ」
声をかけてトンッとオーちゃんの背中に乗ります。
私の足の下で、憎き魔術がオーちゃんの肌の下まで根を張って魔力を引きずり出し、めちゃくちゃに暴れているのを感じます。
「大人しく、しなさい!」
しまっていた爪を出して粗末な服を引き裂き、その下にあるオーちゃんの肌に深く突き立てます。
オーちゃんの体が大きく震えました。
じわりと血が滲みだします。
(ごめんね、オーちゃん。ちょっとだけ我慢して)
心の中で再び謝って、私はオーちゃんの背に深々と突き立てた爪を力の限り勢いよく引きました。
今日は2話投稿しています。




