Ep02. 新たな始まり
私は高貴な猫ですわ。
名前はマリーだったり、フランソワだったり、アレクサンドラだったり、ルイーズだったり、エリーゼだったりしますの。
それは、この高貴で誰にも縛られない私にふさわしいと言えるでしょう。
ふわふわの白い毛、空を閉じ込めたようなスカイブルーの美しい瞳、ぷりっと上がったお尻に、魅惑的なふさふさの尻尾。
どこからどう見ても完璧な猫でしょう?
あまりの美しさに捕まえて自分の物にしようとする不届き者がたびたび湧いて現れますが、美しい物にはとげがあると言います。
ええ、美しい私は鋭い爪で相手の顔を一人残らず、ずたずたにしてやりましたわ。
私の美しさに魅了されてしまった生き物に憐れみを感じましたが、やはり私は誰にも捕らわれることなく生きていくべきなのです。
ああ、美しいって罪ですわね。
そんな私は日々、人間が見落としてしまった害獣を排除することにいそしんでいます。
私が縄張りとするこの家は広い上に、害獣が隠れやすい壁の隙間も多いので人間は全く手が出せないのです。
そこでこの高貴でありあがら優秀なハンターである私が奴らの出入り口を見張り、不遜にも私たちの領域へと侵入しようとする瞬間に息の根を止めてやるのです。
人間は成果が見えなければさぼっていると理不尽な評価をするものです。
ですから私は成敗した害獣は必ず人間のいる場所に集めるようにしています。
すると人間は必ず甲高い喜びの声を上げて、私の名を呼ぶのです。ええ、もっと感謝してもよろしくてよ。
ある日のこと、逃げ回る害獣を追いかけ、私は普段は立ち入らない場所へと足を踏み入れました。
高貴な私がいるべきは清潔に整えられた環境。
害獣が寝床にしている場所は、たとえ奴らを倒すためと言えど私の矜持が許しませんでした。
ですがその日は害獣が無駄な抵抗を繰り返し、私の追跡を追い払おうと走り回っていたため、私もどこを走っていたのかを把握しておりませんでした。
高貴で賢い私にしては本当に珍しいことでした。
あるいは、それが天の導きだったのかもしれません。その先に、運命のような、いえ、運命の出会いが待っていたのですから。
「ヂィ」
害獣が哀れみを誘うような声を出して私を見上げます。
そんなことをしても無駄ですわ。害獣は駆逐されるべき。そう私の本能が私を突き動かしているのです。
体を低くし、害獣を仕留めるために飛び出そうとした瞬間、私の集中を邪魔する声がしました。
「……誰?」
「ヂィ!」
「ン゛ニャ!?」
ああああああああ! 害獣が! 逃げてしまったではありませんか! 何てこと!
しかも高貴な私に不似合いな不細工な声まで上げてしまいましたわ! 何てこと、何てこと!
キッと私は美しい青い眼を鋭く尖らせ、この私の狩りを邪魔した不届き者へと視線を向けました。
そこにいたのは、小さな人間。コドモと呼ばれる部類の大きさ。
私がいる場所から少し離れたところにある寝台に腰かけ、私をキョトンと見ています。
驚きと共に見開かれた目の色は藍でしょうか。陽の光が入ってこないこんな暗い部屋ではしっかりと見えません。
それより、なんでこんな暗い部屋に人間がいるんですの?
人間は高貴で優秀な私と異なり、暗闇ではしっかり見ることができないと聞いておりますのに。
「ニャァ」
そんな疑問を抱きつつ、私はコドモの足元へと向かいました。
大抵、人間のコドモは高貴な私の価値に気付かず、不敬にも「ニャンニャン」などと呼んで撫でまわそうとする野蛮な生き物です。
ですが不思議とそのコドモからはそんな覇気というか、生命力などひとかけらも感じられませんでした。
「ねこ?」
「ニャ」
小さな声に返事を返します。優秀な私は人間の言葉が分かるのです。
上から見下ろすだけで微動だにしない子供を私は観察します。私の美しい毛並みとは正反対の伸び放題でベットリとした黒髪。
体の大きさに合わないボロキレのような服。そこから出る手足はガリガリで、さっき逃げていった害獣の方がよっぽど丸く肥えていたと思えるほど。
ニンゲンの子供とは丸くてふくふくして柔らかなものと思っていましたが、こんなコドモもいるのでしょうか。
このコウシャクケでは初めて見ましたわ。
もしかしたら人間のコドモには別の種類のコドモがいるのかもしれません。優秀な私でも知らないことはあるのですね。
もっと近くてで見てみたいという私らしくない好奇心が湧いてきて、私はトンッと床を蹴って彼の座るベッドの上に飛び乗りました。
普段の私らしからぬ行動です。ですがどうしてもこのコドモに近づきたい、触れてみたいと思ってしまったのです。
コドモは私がベッドに乗っても何も言いませんでした。美しい私から近寄ったというのに、覇気のない眼でぼんやりと見つめるだけ。
喜びに顔を輝かせるでもなく、ただそこにいる生き物を見ているというだけの瞳。
私は少し意地になっていたのかもしれません。その瞳を覗き込もうと、両前足をコドモの太ももに乗せた、その瞬間──
バチイッと火花のような衝撃が私たちを襲いました。
「う、わぁ!」
「ニ゛ニャ!?」
慌てて飛びのき、ベッドの下へとトンッと着地します。美しい白い毛並みが警戒で逆立つのを感じました。
毛穴一つ一つが全開になっているような感覚。暴れ馬の足元に迷い込んでしまった時に覚えた恐怖にも似ています。
「なに!? 何ですの? 今のは!」
幼いコドモのような声が響き渡りました。
でも目の前のオスの声ではありません。もっと幼いメスのような声。
まさか私から見えない場所にメスが隠れていたのでしょうか? そのメスがさっきの不可解な電撃を放った?
クルリッとその場で一つ回ります。
埃っぽくて暗い、狭い部屋。置かれているのは小さなベッド一つ。窓すらなく、私が害獣を追いかけて入ってきた壁の隙間くらいしか通れる場所はありません。
誰かが隠れるような場所はないのです。
「……どういうことですの?」
呟きが漏れました。
そして気づきました。その声は私の口から出ていると。
驚きが私の全身を支配し、あの電撃と同じような衝撃が私の中を駆け巡りました。
そして再び気づきました。
いえ、思い出したのです。
私はただの高貴な猫などではありません。
猫というのは仮初めの姿。
私は、本当は猫の姿をした妖精だということを。




