第8話 羞恥するお嬢様
この世界における『貴族としての魔法』というのは、いざ戦争や有事となった際、国の前線に出て敵を殲滅することができる【戦闘魔法】を指す。
男女を問わず、高位貴族の生まれであればこれをしっかりと練習し、身に付けることこそが至高の嗜みとされていた。他国では『貴族が戦闘魔法を唱えることなど野蛮である』と、呑気なことを言っている国もある。
ただ、そんな国は帝国と魔国どちらかが勝利すれば、その後は間違いなく勝利したどちらかの国に滅ぼされることだろう。
まあそれはともかく、この世界の魔法は、大きく分けると、
【回復魔法】
【召喚魔法】
【攻撃魔法】
【補助魔法】
【鍛冶魔法】
この五つのカテゴリーに大別されるわけだが、攻撃魔法は完全に戦闘魔法であるし、そのほかもかなりの部分に戦闘魔法が含まれていた。
そして、戦闘とは直接関係がないのに、それと同じぐらい尊敬を集める【鍛冶魔法】も、極めれば国家レベルで最も大事にされる存在となる。鍛冶職人や家具職人、あるいは大工といった職人の世界。
そういった生産業に携わる人たちの中にも魔法使いがいて、【鍛冶魔法】が使えると、それだけで作業効率が文字通り跳ね上がる。そして、彼らが生み出す創作物の質は、魔法が使えない凡百の職人のものとは全く桁違いの上をいく。
【鍛冶魔法】を扱える一級の鍛冶師が打った剣は、それ自体が持ち主の魔力を宿して恐るべき威力を発揮するし、伝説的な領域に達した大鍛冶師ともなれば、一振りで城ごと叩き切るほどの神話級の武器すら生み出すことができるのだ。
当然、そういった特級職人たちは報酬も桁外れに高く、どこの国でも喉から手が出るほど欲しくて仕方がない。
私が今から目指すのはもちろんそんな職人の領域ではないけれど、今の私が必要としている『秘密のノートを隠すための隠蔽技術』には、まさにこの系統の『魔法』が不可欠となる。
そして、私が一度目の人生で最も馴染んでいたのは土魔法であり、この隠匿や偽装の術と極めて相性がいいはずだった。
「隠蔽系は使ったことはないけど簡単なものならそれほど難しくないはずよね。ともかく、メイドたちに見つからない程度の偽装をかけられる土魔法が使えれば、それでいいのよ」
私はまだ小さな体をよいしょとベッドの上に上げ、小さな膝を抱えてさらに思考を巡らせる。
「でも……例えば、私の前世の記憶を書き留めるために、新しく日記帳のようなノートを誰かに買ってきてもらったとするわよね。それを魔法でどれほど完璧に隠匿したとしても、買ってきたはずのノートが部屋のどこにも存在しないとなれば、私の部屋を管理するメイドたちは一体どう思うかしら? 特にアンナは、これからかなり長い間、私のすぐそばに居続ける筆頭専属メイドだわ。私にほんの少しでも不審な点や違和感があれば、あの子が一番に気づくでしょうね」
アンナは、今世の私にとっては信頼できる味方となってもらいたい。けれど、秘密を隠し通したい私にとっては、あの子の献身は都合の悪い障害でもあった。
「アンナは必ず思うはず。買ってきたノートはどこに行った? あのノートをお嬢様は隠したのか? しかし、三歳のお嬢様がどこに隠したのか……」
私は思考を切り替え、ベッドサイドのテーブルの上にある、小さな金属製の鈴をチリンと鳴らした。そうすると、それからほどなくして、扉が静かに開いてアンナが姿を現した。
この鈴は、微弱な魔力が組み込まれた特殊な【魔導鈴】になっていて、この部屋で私が鳴らすと、アンナたち使用人が待機している離れの詰所の鈴も連動して一緒に鳴る仕組みなのだ。
こういった生活に便利な道具を、先述した鍛冶系の魔法使い達が開発しており、この魔導鈴はその中でも歴史的なベストセラーの一つだ。
この世界では、発明した新魔法や魔導具には強固な『特権保護《特許》』が付き、他者が商売で同じものを使う場合は使用料が発生する。
その特許期間は二十年間有効なもので、この魔導鈴の魔法によって二十年間、国中の富を吸い上げ大儲けした魔法使いは、その後、溜め込んだ巨万の富を使って平民から貴族の地位へとのし上がり、今では立派な男爵になっている。
おかげで社交界の陰口では『鈴男爵』などと揶揄されているが、噂では、現在は特許の有効期限が切れてしまったため、一転してお金にかなり困っているそうだ。
確か一度目の人生の記憶が正しければ、何か次の大発明をと血眼になって追い求めた結果、この鈴男爵の孫――ちょうどお兄様と同年代の子供が、見事に第二の発明を成し遂げて家門を大復活させるはずだ。
そういえば……今世のこの段階なら、未来の知識を使って、その大発明のアイデアを彼らから事前に横取りすることだって簡単にできるわね。生き残るための資金源として、やれることは全てやるべきではあるけれど、
「……いいえ、高貴なる淑女として、さすがにそんな下品で泥棒まがいの真似はしたくないわ。それに私は鈴男爵には何の恨みもない。恨みのない相手の知識を奪うなら、それはただの姑息な人間だ」
「お嬢様、何かご用でしょうか?」
私がベッドの上でそんな考え事をしていると、アンナがいつのまにか部屋の中に入ってきていた。
「アンナ。私、これから毎日の出来事を、日記として書き残そうと思うの。悪いけれど、一度バランシアの街に出て、ノートを一冊買ってきてくれるかしら?」
「ノート、ですか? お、お嬢様……の、ノートでよろしいのですか?」
何か私は、変なことを言ったかしら? アンナはまるで、目の前で信じられない怪奇現象でも目撃したかのような、呆然とした目で私を凝視していた。
「何かおかしなことを言ったかしら? 私はただ、日記をつけるためのノートを買ってこいと命じただけよ?」
「あ、いえ! あの、ノートをご用意するのは一向に構わないのですけれど……。お嬢様、失礼ながら、お嬢様は『文字』がお書きになれましたか? もしよろしければ私が、ノートに記させていただいても構わないのですが……」
「アンナ。あなた、私のことを文字も書けないバカだとでも思っているのかしら?」
「いえ! お嬢様が馬鹿などと滅相もございませんが……。ですが、お嬢様が誰かから、文字の読み書きを教わっているご様子はこれまで一度もございませんでしたので……、ただ、不思議に思った次第です」
「ああ……」
やってしまった。ここ一ヶ月の私の死に物狂いの変貌ぶりを見て、周囲からは元々かなり成長の早い特殊な子供だと思われているはずだ。
しかし、成長が早いも何もまだ教わってもいないのか……。困ったわね。今からなら文字を書けないことにしてもいいけど、正直、アトラス語の勉強を幼児レベルでやるなど時間の無駄すぎる。
私はしばらく考えた。
幼児レベルの勉強などバカバカしくてやってられない。
どれだけ考えてもそうとしか思えなかった。
ならば強引に押し通すしかない。
「だから何だというの? 私が文字を書けると言ったら書けるのよ。ついでに、日記をつけるのに必要な万年筆やインクも一緒に買ってきてちょうだい」
「それは、また……」
「いちいち手を止めないで。あなたは主人の言った命令を、迅速にこなすことすらできないのかしら? 私は、行動の遅いグズな人間は大嫌いよ」
「グズ、とおっしゃいましても、お嬢様! もしそのご年齢で、誰に教わるでもなく文字をお書きになるのだとしたら……それは奥様に是非とも報告しなければならない、我が公爵家における最大の重大事ですよ!? というか、そもそも誰にも教わっていませんのに、どうして……っ」
「何度も同じことを言わせないで。教えてもらっていなくとも、それくらい見様見真似で当然にできるわ」
「いやいやいや! 普通、三歳児の幼子が平気な顔をして『文字が書ける』なんて言い出したら、誰だって腰を抜かすほど驚きますから! ちょっと待ってくださいませ、まず私、大急ぎで奥様にこのことを報告して参りますから!」
「報告など、しなくていいと言っているの――」
私がそう制止の言葉を口にしようとしたのにもかかわらず、アンナは結局、私の言うことなど耳に入らない様子で、パニックを起こしたまま脱兎のごとく部屋を飛び出して行ってしまった。
それからしばらくして――。
案の定、私の私室の扉が物凄い勢いで押し開けられ、お母様が鼻息を荒くして興奮状態で乗り込んできた。
「フレデリカ! あなた、誰に教えてもらいもしていない文字の読み書きが、すでに完璧にできるというのは本当なのですか!?」
お母様のその血走った目を見た瞬間、私は正直、心の底からこう言いたかった。
――面倒臭い、と。
「……ですから、それが何か問題でもありますの、お母様?」
「何か問題って……フレデリカ! あなた、やはり本物の天才、本物の神童なのだわ! あなたがそう言い張る以上、本当に文字が書けるのでしょう!?」
「できたら、一体何だというのです?」
私は、およそ三歳児にあるまじき冷ややかな態度を取りながら、あまりの面倒くささに、眉間のシワをこれでもかと深く刻み込んでいた。
嫌だわ。こんな可愛げのない表情、癖になって定着してしまわないように気をつけなくては……。
「ですから、それだけでもあなたは他の子供達よりも遥かに優れているということなのですわ! こうしてはいられません、早速あの人にも連絡をして、あなたにこの国で最高の教育を受けさせなくては!」
「お母様……」
「ああ、まさか私のお腹から、こんなに恐ろしく賢い子が生まれるなんて……!」
「お母様……」
「私は正直、貴族でありながらこれといって飛び抜けたところのない凡庸な女でしたから……なんだか我が子ながら、緊張してしまうわ」
「お母様っ!!」
いくら声をかけても興奮のあまり全く生返事すらしないお母様に対して、私は一段と声を張り上げて、きつくその名を呼んだ。
「な、なんですか、フレデリカ?」
「……先ほどからおっしゃっている『あの人』とは、一体誰のことですか?」
「誰って……もちろん、あなたのお父様ではないですか」
「……お母様。私がほんの少し優秀なところを見せれば、お父様の心がまたお母様のもとに戻ってくると、本気でそう思っていらっしゃるのですか?」
私は冷徹極まる鋭い視線でお母様を射抜いた。この程度のことで『天才』だの『ギフテッド』だのと周囲に騒ぎ立てられるのは、私にとっては心外を通り越して不快でしかない。
文字の読み書きなど、できて当たり前だ。まるで、幼い子供がスプーンを使って上手にスープを飲めただけで『偉いね』と無償で親に褒めちぎられる、あのまっとうな幼児扱いと全く同じではないか。
「できて当然の凡庸なことを大層に褒めるのは、金輪際おやめくださいまし。それは、私に対する侮辱ですわ」
「フレデリカ、あなた何を言うのです。まだ三歳のあなたには分からないかもしれませんが、これは歴史に名が残るほど凄いことなのですよ?」
「凄くなどありません。できて当たり前のことです。少なくとも、私にとってはそうなのです。取り立てて大騒ぎするようなことではないわ。どうか、それ以上私を侮辱しないでくださいまし」
「別に、私はあなたを侮辱など……」
「しています。……それと、アンナ!」
私は部屋の隅で縮こまっていたアンナを、きっと鋭く睨みつけた。
「は、はいぃっ!」
「私はお前に『街へ出てノートを買ってこい』と命じたのよ。一体誰が、お母様をここに呼んでこいと言いましたか?」
「そ、それは……お嬢様からは言われておりませんが……」
「では、さっさと自分が言われた仕事をこなしてきなさい。私は行動の遅いグズな人間は大嫌いだと言ったはずよ。二度も三度も、同じ命令を私に口にさせるんじゃないわよ!」
「は、はい……っ! 申し訳ありませんでした!」
「謝罪など求めていないわ。それよりも一刻も早く行きなさい。私には、無駄に浪費していい時間など微塵もないの」
完全に気圧されたアンナは、シュンと激しく肩を落としながら、逃げるように部屋から退出していった。
「フレデリカ。さすがに今のは、理不尽に怒りすぎではないですか?」
「いいえ、そんなことはありませんわ。あの子は私の身の回りの世話役のくせに、無駄に騒ぎ立てすぎて思慮が足りないのです。お母様も、これからはそこをよく理解しておいてください。私は普通の子供よりも、今の時点で『できること』が少しだけ多いのかもしれません。なぜか頭の中に自然とその知識が浮かんでくるので、人より早くこなせるのも間違いのない事実でしょう。しかし――そんなものは今だけの一時的な優位に過ぎないと、私自身が一番よく分かっているのです。狂気的な努力をし続けなければ、この程度の小手先の才能など、後から来た本物の怪物にすぐに追い抜かれて無惨に終わるだけですわ」
「しかし……三歳で文字が完璧に書けるのでしょ?」
「大人になれば、誰だって嫌でもできるようになることです」
「むう……」
言い返せなくなったお母様は、不満そうに両方の頬を不貞腐れたように膨らませた。中身が二十代後半の私から見れば、公爵夫人ともあろう大人の女性がそんな顔をするなんて、若干可愛いと思ってしまったのは秘密だ。
「そんな子供っぽい顔をしてもダメですわよ」
「あなたは……本当に人にも厳しいけれど、それ以上に自分自身に対して恐ろしいほど厳しい子なのね」
「お母様が私を真に評価してくださるなら、今の生ぬるい時点ではどうかおやめください。すべての学業と訓練を終えた後に、私が社会的に実質的な『結果』を叩き出したその時に、初めて褒めてくださるのなら喜んで受け入れましょう。――それとお母様。あの男に連絡をするのは、絶対に、未来永劫おやめください。私は『あの人』と呼ばれる我が父親なる人物を、私たちの家門を滅ぼす明確な『敵』だと認識しておりますので」
「……っ。そう、でしたね。……ごめんなさい、未だに私自身、あの人の裏切りを心の底では受け入れきれていないのかもしれませんね」
なんだか、今度はお母様までアンナのようにシュンと元気をなくして、静かに部屋を出て行ってしまった。私は一人ベッドの上でぽつんと取り残されながら、何か間違ったことを言っただろうかと自問した。
でも、大の大人が『文字が書けて偉いね』と褒められて、なぜ喜ばねばならない。ただ、そういう前世の記憶に由来する本音の気持ちをそのまま口にすると、今以上にもっと角が立つ。
……幼児のフリをするというのは、なかなかに難しいものである。
だからといって、あの化け物じみた村娘の、あの異常なまでの男たちを引き寄せるハーレムの強さは並大抵のものではない。今から手加減をして凡人の振る舞いをしている暇などない。
「アンナ。さっきは少し理不尽に言い過ぎたわね。ごめんなさいね」
「いいえ、お嬢様! アンナは全く気にしておりませんわ。ただ……もしよろしければ、お嬢様が本当に文字をお書きになるところを、私のこの目で少しだけ拝見してみたいかな、なんて……」
「……はあ。わかったわ、見たいならそこから見ていなさい」
街から戻ってきたアンナが、言われた通りに買ってきてくれたノートを見つめる。私はそのノートの真っ白なページを開くと、渡された万年筆を小さな手に握り、淀みない流れるような動作で、滑らかな文字を紙の上へと記していった。
それを見たアンナは、まるで奇跡の瞬間でも目撃したかのようにパッと目を輝かせ、感動のあまりパチパチと何度も手を叩いた。そして、これでもかと言うほどに私のことを大袈裟に褒めちぎってくれた。
ああ、もう、やっぱりどうにも居心地が悪くて敵わないわ……。
中身はとっくに成人しているというのに、三歳児の肉体ゆえに繰り広げられるその過剰な称賛の嵐に、私はひたすら顔を引き攣らせながら、ただただ面痒い居心地の悪さを全身で噛み締めるのだった。




