第26話 五歳の誕生祭
「お父様。フレデリカは、お父様が来てくださって本当に嬉しいです。……今日はもちろん、我が家にお泊まりになってくださるのですよね?」
精一杯の愛嬌を振りまき、幼子特有の舌足らずな甘えを演出する。だが、絶対に泊まってなど欲しくない。この男が同じ屋根の下で呼吸をしていると思うだけで、私の心が不快なノイズを立てる。
「残念だがフレデリカ、皇帝陛下との急ぎの約束事があってな。祝宴が終われば、すぐに登城せねばならんのだ」
お父様の声は努めて明るいが、よそよそしさが隠せていない。皇都で妾と暮らす彼にとって、私たちとの時間はもはや捨て去るべき煩わしい過去でしかないのだろう。
目の前に立つのは、若く精悍な美男子だ。私が処刑された時よりもずっと若く、力に満ちている。それなのに、お母様が期待する家族としての情など、この男は微塵も持ち合わせてはいない。
この実の父親を前にして、私の頭にあるのはただ一つ。
どうすれば、最も効率よくこの男を殺せるかだ。
私は笑みを貼り付けたまま、あの日、私たちの首を刎ねさせた男の喉元を見つめた。この喉を切り裂くだけでいいならきっと今すぐでもできるのに、そんなことをしたら他の十二人に近づけなくなる。
「それは……残念です。私の誕生祭が終わるのは夜分でしょうに、お父様、そんなお時間からお帰りになってお体に障りませんか? 魔獣が出て襲われたらどうするのです?」
襲われて二度と帰ってこなければいい――。そう言いかけて、かぶりを振った。今の私にとって、この場で無益な挑発をすることに価値はない。お父様はゆっくりと歩み寄り、私の頭に大きな掌を置いた。
触るな! 穢らわしい! その手で私の髪に触れるな!
「案ずるな。父は強い。夜の魔獣など、私の敵ではない」
「そうですよね。お父様は、帝国でも指折りの強いお方ですもの」
「あなた。もうそろそろ、上級貴族の方々も到着される時刻ですわ。主人がお出迎えしませんと」
お母様の控えめな催促に、お父様は短く頷いた。
「……おお、そうだったな。ではフレデリカ。また後でな」
「はい。いってらっしゃいませ、お父様」
背中を見送り、扉が閉まる音を確認してから、私はようやく肺に溜まった濁った空気を吐き出した。部屋にはまだ給仕のメイドたちが控えていたが、精霊フィクトルの声が脳内に響く。
《リカ。いつもより魔力の波が乱れてる。……あいつ、嫌い? 今すぐ足元、沼にして沈める?》
《ありがとう、フィクトル。嫌いだけど、今は大丈夫よ。まだその時ではない。今は何もしてはダメなの。あなたも大人しくしていてね》
《リカが言うならそうする。……それより、チェロ頑張る》
「ええ。本当に肝心なのは、そちらね」
私も今日は忙しい。
やがてお父様たちが戻り、私は五歳の誕生日を祝われる舞台へと、廊下をゆっくり歩み進めた。背後にお父様とお母様を従え、会場へと足を踏み入れる。
豪奢なシャンデリアが照らし出す会場は、すでに着飾った貴族たちで溢れかえっていた。私の登場で、儀礼的な拍手と好奇の視線が集中する。その群衆の中に、私は『彼』の姿を見つけた。
ジュリアン大公息。
幼くも彫刻のように整った利発な顔立ち。彼は自分が優れた人間であることを一分も疑っていない。類まれなる魔力の才、音楽の天賦、そして誰からも愛される宿命であると知っている。
その無垢な自信に満ちた顔は、私のような人間の神経を逆撫でする。昔はあの男にも憧れていたというのに、お父様と同じだ。やはりどうやって殺すべきか、そればかりを考えてしまう。
他にも私と同世代の貴族子女が数多く参列していた。だが、今の私は興味を惹かれない。本来ならば、第一皇子エリックも出席するはずの場だったが、皇家からは皇妃様と皇女様が代理として出席していた。
しかし第一の人生では、皇妃様がいるだけで、皇子の代理などいなかった。何よりも皇女様の姿を、私は以前一度も見たことがなかった。それぐらい人前に姿を現さなかった。
噂では何らかの呪いにかかっているとか言われていて、ずっと『子供のままだ』などという、バカバカしい噂まであった。彼女は会場の光を拒むように深いフードを被り、その顔すら定かではない。
呪いかそれとも病弱ゆえの遮光だろうか……。
名前は確か……エルフレイド。
彼女に興味は引かれたが、今日ばかりは自分のつまらない用事が忙しい。やがて、誕生日の祝いの品を披露する儀式が始まった。
公爵令嬢の誕生祭において、贈られる品々は全参列者の前に曝け出される。それは贈る側の財力と、贈られる側の価値を天秤にかける『値踏み』の場だ。
だが、今回に限っては、贈る側の足並みは揃っていた。私はお父様に疎まれている。そして跡継ぎであるはずのレオナルドお兄様も、先日のご自身の誕生祭でどうにもうまく振る舞えなかった。
『さて、キースを超える水魔法を使えるようになったと聞いたぞ。是非、披露してみてくれ。もちろんそれは戦闘魔法なのだな?』
本来なら魔法を使えるようになって評判も上がるはずだったのに、お父様に余計なことを吹き込まれたせいで妾の子を意識しすぎて醜態を晒し、今や廃嫡の噂が絶えない。
「バランシエール公爵家は、もう妾のものだ」
そんな貴族たちの打算が、並べられた品々に露骨に表れていた。光沢だけは良いが魔力伝導率の低い絹の織物。名の知れた工房ではあるが量産品に過ぎない陶器。魔石すら埋め込まれていない、単なる装飾用の時計。
……マジックアイテムが、一つもない。
これが、帝国における私の『格付け』というわけだ。
「フレデリカ様、この度は五歳のお誕生日、心よりお慶び申し上げます」
「ありがとうございます。素敵な贈り物に感謝いたしますわ」
「こ、これは当家が心血を注いで用意した、ささやかながら……」
「ありがとうございます。素敵な贈り物に感謝いたしますわ」
私はにこやかに、機械的な微笑を絶やさず、精密に調律されたオルゴールのように同じ言葉を繰り返した。感謝の語彙を増やす価値すら、この場には存在しない。
最初はにこやかに近づいてきた貴族たちも、順番が進むにつれ、私のあまりの『同じ対応』に、次第に顔を引き攣らせていく。五歳の子供が、多数の大人を相手に一分も表情を変えず、同じ温度の言葉を吐き続ける。
その光景は、もはや可愛げを通り越して不気味な怪異に近い。
「フレデリカ。もう少し……その、愛想良くしなさいな。緊張しているのかしら?」
隣で見ていられなくなったのか、お母様が不安げに耳打ちしてくる。お母様の心配はもっともだ。相手が下級貴族とはいえ、社交界では隙を見せることも、時には媚を売ることも必要だと教えられてきた。
でも、ご安心くださいお母様。今の私がどれほど愛想を振りまいたところで、彼らの冷笑的な評価が覆ることはないのです。彼らは私を見ていない。私の後ろで目を光らせるお父様の冷遇という値札を見ているだけなのだから。
愛想など、いくら安売りしてもゴミ同然に扱われるだけ。
『クソが、死ね』と、全ての言葉の枕詞につけていいのなら、もう少し語彙を豊かに対応もできるのだが。それを淑女の嗜みで抑え込んでいる私を、誰か褒めてはくれないだろうか。
だが、ようやく列のランクが上がり始めた。これまでは無視してよかった雑魚ばかりだったが、ここからはお父様も無視できない実力者たちが並ぶ。
「これはこれは、ランドック伯爵家のミレイユ様。ようこそ、娘の誕生祭へ来てくださいましたな」
お父様、あなたはせいぜい、私の評判をこれ以上落とさないように、公爵としての役目を果たしてくださることね。普段、何の役にも立たないのだから、せめてこんな時ぐらい私の代わりにしゃべりなさい。
ともかく、お父様は今日の私の人形のような振る舞いを見て、きっとまた私を侮るわね。可愛げのない、中身の空っぽな幼稚な子供だと。冷遇されて拗ねてるのだと。
「ありがとうございます。素敵な贈り物に感謝いたしますわ」
思考の海に沈みかけていた私を、事務的な自分の声が現実へと引き戻す。考え事をしている間にも、祝賀の列は淀みなく流れ、一通りの挨拶が終わろうとしていた。
ジュリアン大公息や、皇女様、皇妃様といった方々は、公的な序列において我が公爵家より上位に位置する。彼らがこのような一般の列に並んで、私に直接プレゼントを渡すことはない。
お祝いの品はすでに別室へ届けられており、自分たちの爵位以上の高位貴族はこの『献上の儀』には加わらないのが帝国の不文律だ。
ようやく、型通りの退屈な時間が終わった。続いて始まったのは、立食形式の午餐会だ。会場の空気は、儀礼的な緊張感から、酒と美食がもたらす享楽的な熱気へと塗り替えられていく。
最高級の魔獣の肉や、精霊が生み出したとされる芳醇な酒が惜しげもなく饗され始めた。
「ずいぶん、奮発されたのですね、お母様」
「当然ですわ、フレデリカ。バランシエールの正妻たる私の娘に、恥をかかせるわけにはいきませんもの」
お母様が扇子の陰で誇らしげに胸を張る。やはり、お母様とお兄様だけが、私の潜在的な味方なのだわ。どんなことがあっても私を裏切らなかった二人。第一の人生、地獄の底まで付き合ってくれた二人だけは、信じている。
それにしても、これは少し贅沢が行き過ぎている。
ずらりと並んだ銀盆の上では、北海産の銀鱗魚を涼やかな氷のジュレとあわせた一品が宝石のように煌めき、その隣には黒トリュフを贅沢にあしらった小鉢が、精巧な美術品のごとく積み上げられている。
温かな皿に盛られた高級肉の串焼きからは、深紅の特製ソースが艶やかに滴り、クラーケンとサフランを入れたコロッケからは、香ばしい芳香が立ち上っていた。
お母様が公爵家の威信を……いいえ、彼女自身のプライドをかけて用意した、希少なモンスターたちの脂の香りが、会場の隅々まで支配していた。
「なんと贅沢な。これほどの食材、一体どこから……」
「一体これでどれほどの財を投げ打ったのか。正妻の意地というやつか」
「無理もない。何しろ、長男レオナルド様の誕生祭は目も当てられなかったからな。それを二回も続けるわけにはいかん。挽回に必死なのだろうよ」
周囲の貴族たちの囁きが、私の耳にまで届く。特にお兄様の不出来すぎる誕生祭の後だ。あろうことか、その後に王都で開催された庶子キースの誕生祭は、皇帝陛下自らが参列されるという異例の華やかさだったと聞く。
ギフテッドを持った子供。それはこの帝国において何よりも大事な存在なのだ。お母様がその噂を聞きつけ、狂気的な対抗心を燃やした結果がこれだ。
大人たちがサファイア・シャンパンの青い火花に酔い痴れ、子供たちが虹色果実のネクターが口内で味を変えるたびに歓声を上げる。私は貴族たちの間を回りながら、その熱狂から一人、完全に切り離された感覚でいた。
これだけの贅を尽くし、財を蕩かしても、結局のところ、これはあのジュリアンという『麒麟児』を引き立てるための舞台装置に過ぎないのだ。
お母様の空回りするような愛情と執着が透けて見える豪華な食卓を、私はただ、冷めた目で見つめ返していた。可哀想なお母様。どうにかしてお父様を見返したくて、それでいて、今でもあの男の愛情を取り戻したくて必死なのね。
でも、もうそんなことにこだわるのはおやめなさい。安心してくださいな。すぐに私が、この腐りきった帝国も、お父様の傲慢も、全て塗り替えて差し上げますわ。
「フレデリカ。あなた、今日はどうしたのですか? さきほどから心ここにあらずという様子で……母は心配です」
「……申し訳ありません。あまりの華やかさに、私も少し緊張しているようです」
「あなたが緊張? そのようには、とても見えませんけれど。……ともかく、次は大公家のジュリアン殿ですよ。さすがに失礼のないように。いつもの、大人以上の大人なあなたで、きちんとご挨拶するのですよ」
お母様に促され、視線を向ける。午餐会での貴族への挨拶回りには、形ばかりお父様も隣に立っていた。彼が私やお母様のことを気にかけている様子はない。
一緒に歩いてはいるものの、常に他の有力貴族の親たちと談笑し、こちらに付き合う素振りも見せない。
「これはこれはジュリアン君。よくぞ娘の誕生祭を祝いに来てくれたね。……そういえば、キースの誕生祭にも来てくれていたね。キースもまた、君と出会いたいと言っていたよ」
お父様の声には、私に向けたことのないような活気が宿っていた。話の内容は社交辞令だろうが、その端々に『この娘は重要ではない』というニュアンスが滲み出ている。それは前世の頃よりも、ずっと露骨だ。
理由は察しがつく。私が、子供らしくお父様を慕わず、まるで気にしていないことに、彼は純粋に苛立っているのだ。何より、公爵家の中で起きていることをお父様が掴むのは容易なこと。
私が密かに努力を重ね、イメルダ先生のもとで異質な優秀さを見せ始めていることも、耳に入っているはず。考えを巡らせながら、私はジュリアンを正面から見た。
現在、会場の視線を一気に集めているのは、主役であるはずの私ではない。
病弱で滅多に人前に姿を現さない皇女様も注目されていたが、家令を背後に従え、白銀の髪を月の光のように輝かせて立つ五歳のジュリアンが、やはり圧倒的な存在感を放っていた。
サファイアの瞳に慈愛に満ちた微笑を湛えたその姿は、白いベルベットの正装も相まって、見る者に『大公家の麒麟児』たる神聖さを知らしめていた。
「それはとても光栄です、公爵様。僕もまた、キースに会える日を心待ちにしています。彼は素晴らしい才能の持ち主ですから」
「ははは、そう言ってもらえると嬉しいよ。それでは近いうちに、是非遊びに連れて行かせてもらうよ」
「はい。いつでも歓迎いたします」
いけないわね。この二人が揃うと私の苛立ちは頂点に達する。落ち着かなければいけない。このような『挑発』で腹を立てても何の得もない。分かってはいる。分かってはいるがキースの名前を出したことがさらなる苛立ちとなった。
「お父様ったら、はしゃぎすぎですわ。今は、妾の息子の誕生日じゃございませんのよ? それとも、今日ここに、その子が招かれているとでもおっしゃるのですか? 妾の子など穢らわしい。招くわけがないでしょう? ねえ、お父様。違いますか?」
私の唇から零れた言葉に、会場の温度がはっきりと一度か二度、急降下した。
五歳の子供が無邪気に口にするには、あまりに鋭利で、あまりに毒の効いた嫌味。まるでお母様の怨念が乗り移ったかのようなその響きに、周囲の貴族たちは一瞬にして凍りついた。
私の背後で、あの完璧な微笑を浮かべていたジュリアンですら、その言葉の真意を測りかねて瞬きをする。彼の背後に控える家令は、驚愕に目を見開いていた。
さあ、お父様。では『可愛げのない娘』の頬を、叩いてみますか?




