第19話 上級精霊
「お願いします。私自身が強くなる方法を、どうか教えてください」
「やはりあなたは迷わないと思いましたよ。その心意気、とても私の好みです。ではお約束通り、精霊を呼び出しましょう」
イメルダ先生はこともなげにそう口にした。しかし、私はその背後にある危うさを考え、内心で冷や汗を拭った。
「まず、お嬢様が契約する精霊ですから、呼び出すのはお嬢様自身です。そこは理解できますね?」
「はい。ですが上級精霊を呼び出すことなど、今の私の魔力で本当に可能なのでしょうか?」
「そこは私が魔力をお貸しするので大丈夫です」
「……」
またしても、先生は恐ろしいことを平気で口にする。己にその実力がないのに、他者から魔力を借り受けて上級精霊を呼び出す。それは言ってみれば、上級精霊を欺く行為に等しい。
実体としての魔力を見せかけ、あたかも契約に足る力量があるかのように装って高次存在を呼び出す。借り物の力など精霊には即座に見抜かれるだろうし、欺いたと知れれば、怒り狂う姿しか想像できなかった。
胸に一抹、いや、かなり大きな不安の波が押し寄せてくる。
しかし、今の私のままでは、万が一にも、この世界でも村娘の逆ハーレムが完成してしまった場合、対抗する術が私個人になくなる。自分自身で復讐を成し遂げたければ、絶対的な力を手に入れる必要があった。
ただし、怒り狂った上級精霊に、最初の挨拶代わりに殺されてしまってはそれも意味がない。私はできる限りの準備として、先生に尋ねることにした。
「あの、せめて……上級精霊を私がどうやって手懐けるのか。それだけでも教えておいていただけないでしょうか?」
「現状のあなたに手懐けるのは無理ですね」
「それなのに呼び出すのですか?」
「呼びますわ」
「……先生、私に死んでほしいわけではないのですよね?」
あまりの理不尽さに、思わず不安を隠せず確認した。
「もちろん。絶対に死んでほしいなどと思っていませんとも。これでお嬢様がもし死ぬようなことがあれば、正直私も責任を感じます。なので……ともに死にましょう」
何でもないことのように先生は言った。しかし、その言葉には奇妙な重みがあり、決して嘘やごまかしで言ったようには聞こえなかった。
「天魔——アエテリウス・ダエモンが、その命をかけるのですか?」
「お嬢様。私はね、自分自身にはかなりの限界を感じているのです。私はおそらくこれ以上にはなれない。でも心の奥底に、魔導の真髄を極めたいという思いがいつまでもくすぶって離れない。では、人にその思いを叶えてほしい。それなのに……」
先生は私の顔をじっと見つめてきた。
「誰を見てもそれができると思える者は皆無でした。だからすぐにその者たちから離れた。ですが、なぜかお嬢様ならできそうな気がするのです。ですから、命をかけますわ。この私の歪で狂った思いを受け止めてくれますか?」
「な……なるほど。狂った人間には狂った人間が寄ってくるものなのかもしれませんね。いいでしょう。何でもどんどん来てください。小さな胸ですが、すべて受け止めて差し上げますわ」
「……」
イメルダ先生がまた嬉しそうにニヤニヤしている。この辺りの粘着質な雰囲気は、どれだけ付き合っても慣れそうにない。
「失礼。ではお嬢様、私の知る限りで、土の上級精霊の中でお嬢様に良さそうだと思える名前を三つ挙げます。この中から好きなものを選んでください。もちろん分かっていると思いますが、選んだからといって、それと契約できるかどうかは同義ではないということは、先にご承知くださいね」
では、と先生は続けて三つの上級精霊を提示した。
「一つ目は、防御特化型の非常に硬い上級精霊、テラ・ソリドゥス」
先生の説明によれば、不動の盾となり、誰の攻撃も寄せ付けない物理障壁を展開することを得意とし、その硬さを生かした攻撃も非常に強力だという。要はゴリゴリの戦闘魔法専用の精霊である。
「二つ目は、私とはかなり相性の悪い育成の上級精霊、テルス・アルマ」
破壊するのではなく育成に特化した精霊であり、荒れ果てた場所に花を咲かせ、作物を育てることにも長けている。要は農耕魔法専用の精霊である。
「そして最後は、フィクトル・ラピドゥム。変幻自在の創造型精霊です」
これは武器や防具、建物を建てることにも向いており、鍛冶に特化した上級精霊なのだそうだ。一般に、かなり人を選ぶと言われる鍛冶魔法専用の精霊である。
はっきり言おう。
全部欲しい。
最初の精霊がいれば私の戦闘能力が一気に上がるし、二つ目の精霊がいればおそらく村娘を見ていて羨ましくて仕方なかった、かなりレベルの高い回復魔法も使えるようになると考えられる。
そして最後の精霊……これも魅力的だ。この精霊は間違いなく魔導具造りが得意なはずである。魔導具は何かにつけて必要になることが多く、そして高価なものが多い。
公爵家であればお金などどうとでもなると言いたいところだが、魔導具は物によっては公爵家ですら買えないものがあるのだ。何よりも必要な時に必要な魔導具が都合よく見つかるものではない。それが全部自前で用意できれば……。
「この中から、自分に最も相性が良いと思うものを選んでください」
「え、ええ……どれもこれもとても魅力的ですわね」
「そうですね。一番最初のテラは、戦闘魔法に最も向いています二つ目のアルマは、領地の育成に特化していますね。この精霊をお嬢様が操ることができるようになれば、領地経営に非常に役立つことでしょう。最後のフィクトルは、お嬢様自身は戦わず、優れた武器や防具や建造物を創造することで、間接的に戦場や環境を支配する道を選ぶという可能性も開けます」
「悩みますね……」
これで上級精霊が自分のものになるわけではないのも重々承知している。とはいえ、どの精霊も今の私にとっては喉から手が出るほど欲しい力ばかりなのだ。本当の本当に全部手に入れたい。
一番目の精霊はどうしても欲しい。しかし領地育成に向いている二番目の精霊も捨てがたい。
そもそも母が、公爵家の正当な血筋にも関わらず、養子の父にその立場を追われることになった原因の一つは、父がいなくなった後の領地経営の拙さにある。
母は父とは完全に仲違いし、よく分かっていないまま領地経営に口を出し、見事に失敗した。
母の言いなりになった領地経営は悲惨の一言であり、何もわかっていない母を騙しに来る人間も後を絶たず、公爵の領地は借金に苦しむこととなった。
その責任を全て負わされて母はお父様に何も持たせてもらえず公爵家を追い出され、さらに養子側がバランシエールの家名を継ぎ、他家の人間だった父がそのまま当主としての立場を強固にしたのだ。
そして二度目の人生を歩む私も、前世の知識はあっても領地経営に詳しくない。何より村娘に対抗するために強くならねばならない以上、領地経営に割く時間はほとんどない。
そう考えると二番目の精霊アルマがいてくれることで領地経営の難易度が下がれば、それだけで大きな救いになる。
そして三番目の精霊フィクトルの存在も無視できない。鍛冶に特化した精霊が味方になれば、公爵家の軍隊に優れた武具を渡すことで、彼らの忠誠を確実なものにもできる。
何しろ、良い武器や防具は、戦う者にとって何よりも魅力的な恩恵だ。それに精霊の力を使って生み出した武器には特別な力が宿る。騎士は俗にこの【精霊武具】と呼ばれる物を喉から手が出るほど欲しがる。
「うーん……。先生、どれか一つに絞らなければいけないのですよね……」
今だからこそ冷静に理解できる。前世で世界を蹂躙した村娘の逆ハーレム。あの怪物たちの背後には、おそらくこれら全ての特性を凌駕するような、加護や契約があったのだ。
だからこそ、あれほど強大で、こちらがどんな手を講じても、すぐに対抗してきて見せたのだろう。
「すべてと契約してみてももちろん結構です。ですが、言うまでもなく精神と肉体に課せられるリスクは跳ね上がります。私の考案した魔術式でやるなら不可能とは言い切れませんが、それは生半可な覚悟で挑むことのできる危険ではありませんよ?」
先生は精霊契約の具体的な方法をまだ語ろうとしない。このまま、詳細な手順を伏せたまま儀式を強行するつもりか。どの道、この契約が死にかねない賭けであることは理解できる。
誰でもできるならこんな方法誰でもやる。先生が詳細を先に言わないのは、私が無駄な恐怖心に呑まれ、儀式の前に逃げ出すのを避けるためか……あるいは、最初から私の覚悟を試しているのか。
村娘との圧倒的な実力差を埋めるなら、この程度の博打は必要だ。一方で、もし私が村娘を先んじて殺害、あるいは完全に無力化することに成功すれば、過酷なリスクを背負う必要はない。
だが、その可能性は極めて低い。あの女には圧倒的なまでに強力な味方がいるのだ。それは逆ハーレムの人員ではない。そもそも逆ハーレムの成立前、最初から、そばでずっと守る存在がいるのだ。
光の上級精霊【創世の極光】
村娘自身、最初の方はその存在を理解していなかったようだが、村娘が成長していくとともに光の上級精霊はその実力を発揮していく。あの光り輝く神のごとき姿を思い出すだけでも、身が竦む。
かつて魔王ですら、その底知れない存在を恐れていた。そして私が断頭台へ送られる直前、監獄で死を待っている間に魔王は討伐されたという話だけは聞かされた。
あれは魔国を帝国に引き入れた私への当て付けだったのだろう。
世界中が魔王討伐の歓喜に湧き上がる中、私は『魔王に人類を売ろうとした裏切り者』として、母や兄と共に、嘲笑の中で首を刎ねられた……。
そこまで私を追い詰めたことに対する同情は誰一人として抱くことはなかった。
今回は、あの惨めな道を辿らぬなど誰が言える?
「先生、決めましたわ。私はその上級精霊、三体全てと契約を行います。あなたが望む方法でやってくださるなら、私は何も問いません」
「本気ですね?」
「先程、先生は私に『三つの上級精霊を私の支配下に置くことが不可能ではない』とおっしゃいました。先生の編み出した魔術式ならば、私の未熟な器であっても可能性はあると。……それは間違いありませんね?」
「ええ、間違いありません。ただ、私が指定した三体の上級精霊たちは、いずれも高位の古き存在たち。安易な気持ちで臨めば、その精神を喰い荒らされることになりますよ?」
私が前世で従えていた精霊は、私の当時の魔力機関に見合った精霊で、村娘の持つ上級精霊とは比べるのも恥ずかしいぐらいだった。しかし今、先生が呼び出そうとしているのは、上級精霊の中でも古き存在だという。
精霊というのは昔から存在するものほど力が強い。高位の古き精霊ならば、上級精霊でも頂点に君臨する精霊になる。それを三歳という未完成の肉体でどうにかするなど、やはり狂気の沙汰だ。
でも先生は私の復讐心が、最短かつ最もリスクの高い道を選ぶことを理解しているようだった。しばらく沈黙のあと、私は深く頷いた。
「先生、これ以上のやり取りは不要。お願いしますわ」
「お嬢様はやはり正しく狂っておられる。幼子のような可憐な外見でありながら、その内面は死の淵を覗き込む大人の判断を下される。……長生きはできませんよ、お嬢様」
「長生きなど、最初から望んでおりませんの」
ただ、誰にも踏みにじられることのない人生を歩みたい。それだけだ。
「分かりました。これを提案したのも、そしてそれが可能だと判断したのも、あなたが初めてです。不思議なお嬢様。そんな死を恐れないあなたに、私の大事な『知り合い』である三体の上級精霊を紹介しましょう」
先生は眼鏡の奥で不気味に笑い、私の体に触れた。私の中に魔法の理が浮かび、先生の言われるままに魔力を放出し、空間に三つの魔法陣を重層的に浮かべた。
白銀に輝く魔法陣は、それぞれが複雑に回転しながら、この世の理から外れた特殊な紋章を描き出す。先生が紡ぐ言霊に呼応した私も、その言葉を紡いだ。先生の魔力によって、空間の密度が急速に高まっていく。
【【土の深淵に眠りし、古き盟約の守護者たちよ。我が呼び声に応え、この地にその威を現せ!】】
先生と私の声は、洞窟の底から響く地鳴りのように重く、空気を震わせた。白銀の魔法陣が、言霊を喰らってそれぞれ異なる色の輝きを放ち始める。
【【一つ 不動なる大地の核を成す者 揺るぎなき盾にして 不滅の礎!】】
第一の魔法陣が深い琥珀色に染まり、岩石の紋章が浮かび上がる。そして上級精霊の名前を私は頭に浮かび上がるままに叫んだ。
【【アペリオ・テラ・ソリドゥス!】】
その場所から、今の私の魔力を遥かに凌駕する重圧を放つ岩石の巨人が、大気を切り裂いて出現した。幼い体がドッと疲れる。しかしそれで魔法は終わらない。
私もこれで終わらせるわけにはいかない。自分で三体必要だと口にしたのだ。その責任は取る。私は二体目の呼び出す言霊を高らかに叫んだ。
【【一つ、万物を育み、循環させる母なる慈愛。癒やしと再生の土!】】
第二の魔法陣が柔らかな翡翠色に輝き、蔦と花が絡み合う紋章が形成される。そしてその名を刻む。
【【アペリオ・テルス・アルマ!】】
ゴホッと咳き込むと口から血がこぼれた。大きすぎる上級精霊の魔力に内臓が破れたのだ。そこに、緑の髪を揺らす、この世のものとは思えないほど端正な顔立ちの女性が現れた。
足元がふらつく。倒れそうになるけど小さな足を倒れるなと私は叩いた。そして叫ぶ。
【【一つ、形なき土に形を与え、知恵を練り上げる造形者。無限の可能性!】】
第三の魔法陣が、鋭い青白色に輝き、幾何学的な結晶構造の紋章が刻まれる。体の中から命が削られるように魔力が放出されていく。目の前が赤く染まっていく。
私は倒れる前に最後の名前を呼んだ。
【【アペリオ・フィクトル・ラピドゥム!】】
最後に現れたのは、生物の形をとらない青と白が入り混じる不思議な球体だった。それは魔法陣の上に浮遊し、空間そのものを歪めるような揺らぎを放っている。
三体すべてを呼び出すことができた。いずれも恐ろしいまでの力を放ち、この存在たちと対峙しているだけで精神が削り取られそうになる。何よりも口と目から血が流れるのを止められない。
本当にこんな状態の私が、これほどの存在たちと契約できるのか?
思わず恐怖に萎縮しそうになったが、もはや後戻りはできない。もし契約できなければ、間違いなく私はこの場で灰になる。しかし、ダメだ。体が内側から弾け飛びそうだ。
もう一度咳き込むと大量の血が口からこぼれ落ちた。やはり無理か。こんな復讐も始まっていないところでこれほど失敗するとは……。
「ふふ、これでは……以前よりも無様ね……」
私は立っていられなくて膝から崩れ落ちる。
そこに声が聞こえた。
まだ終わってなかった。
でも私に声を出す力は残ってなかった。
【三位一体となりて、我が見出しし少女の中に宿れ! 我が名はアエテリウス・ダエモン! 天魔の名において命ずる!】
先生が最後の言霊を絶叫した瞬間、三つの魔法陣から同時に強烈な光の柱が立ち昇った。それは天を衝き、空間に亀裂を入れるほどの輝きを放ち、この世界の理が軋む音が聞こえるようだった。




