↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢は13人を〇したい。  作者: たーちゃん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/21

第14話 泥の愛

 地響きがミノタウロスの足元から大地を伝う。猛牛の頭部を持つ巨獣が、その分厚い蹄で地面を踏みしめ、猛然とこちらへ突進しながら、その丸太のような腕で両刃の斧を振り上げた。


 普通の三歳の子供なら、その圧倒的な質量を前にしただけで、恐怖のあまり泣き出さない方が不思議なぐらいの、悪夢のような光景。


 それでも私は、その魔物を目の前にしても、凪いだ水面のように冷静なままだった。足元では、あらかじめ展開しておいた白銀の魔法陣が、まるで生き物のように眩く脈動して輝く。


 その緻密な幾何学模様を描く白銀の光が、私の小さな体を足元からなめるように通過し、肌の表面へと最終的に吸い込まれて消えていく。


【肉体よ、鋼鉄と化せ】


「ふ、フレデリカッその体……」

「お兄様よく見ていてください。これが戦闘魔法(ミリタリス)というものですわ。私が必ずお守りいたしますので、できることなら目を離さないでいてくださいね」


 三歳の幼い体に、その年齢からは到底あり得ないほどの、力強く狂暴な魔力がドクドクとみなぎってくる。俗に肉体強化魔法と呼ばれる術式の一種だ。


 体内の魔力が瞬時に全ての筋繊維を爆発的に活性化させ、生身の肉体に鉄の硬度をもたらしていく。


「ふ、ふふ、フレデリカ! 逃げて! 殺される! 殺されちゃうよ!」


 背後から聞こえる、涙でガタガタと震える悲痛な叫び声。お兄様。本能的な恐怖に完全に支配され、その場で腰を抜かしておしっこをちびっておられるのが精一杯のはずなのに。


 そんな極限状態にあってもなお、私を見つめ、私の名を呼び、その身を案じてくださるなんて、本当に素晴らしいですわ。


 普通なら、幼い妹を盾にして自分だけでも這いずって逃げ出してもおかしくない状況なのに、お兄様は私の安全を心の底から願って叫んでくださっている。……ああ、何という純粋な愛情。何という無垢な慈悲なのでしょう。


「お兄様。何というお優しい言葉。フレデリカ、本当に感心いたしましたわ!」

「フレデリカッ! 何を言ってるの!? 殺されちゃうよ!」


 お兄様はガクガクと小刻みに震える膝を必死に叩き、私を助けようとこちらへ駆け寄るべく泥臭くもがいている。だが、生物としての絶対的な本能の壁がその足を地面に縫い付け、一歩も前に進ませない。


「いいのですわ、お兄様。それよりも、余計な返り血を浴びてしまわぬよう、もっと後ろに下がっておいてくださいね」


 宥めるような、穏やかな言葉を口にした瞬間、私の視界がミノタウロスの圧倒的な巨体で完全に覆い尽くされた。魔物特有の、鼻を突く強烈な生臭い悪臭と、煮え立つような熱い吐息が私の顔に吹きかかる。


 魔物はその巨大な斧をさらに横に振りかぶり、


「ガアァァッ!」


 迷いなく、私の胴体めがけて一気に振り抜いた。私はそれを、避けない。あえて、正面からまともに受け止める。凄まじい衝撃が爆発したように体を襲った。


 三歳児の幼くも軽い体は、その絶大な衝撃を逃がしきれずあっけなく後方へと弾き飛ばされた。これほどの巨大な斧を正面から受け、胴も腕も切断されてはいない。


 周囲の視界が凄まじい速度で後ろに流れる。背中に鋭い激痛が走り、ドォン!という鼓膜を引き裂くような轟音と共に、私は太い木の幹へと深々とめり込んだ。


 ミシミシと大木が悲鳴を上げ、頑丈な幹が半分ほどへし折れるほどの衝撃が全身の骨を駆ける。


「ガハッ……ッ」


 肺の中の空気が無理やり外へと押し出され、一瞬、呼吸の仕方を忘れる。視界が真っ赤な火花を散らし、チカチカと不快に明滅した。


「フレデリカ! フレデリカ! フレデリカ!」


 お兄様の、私の身を心の底から案じる悲痛な呼び声が、森に木霊となって私の耳に届く。……ああ、心地よい。なんて甘美で愛おしい響きかしら。


 かつての『私』が終わる時。誰かに無惨な傷を負わされ、血を流す私を見て、周囲の人間は皆、一様に醜悪な嘲笑を浮かべて指を差して喜んでいた。私のことなど誰も心配していなかった。


 周囲から死を望まれて捕らえられ、家畜のように首と足と手に重い鎖を繋がれ、広場を引き回された時。浴びせられたのは同情などではなく、無数の冷たい石礫と、耳を塞ぎたくなるような汚い罵声だけだった。


 今も鮮明に思い出す、泥と血にまみれたあの冷たい感触。

 決して忘れられない、裏切りの記憶。

 絶対に忘れてはいけない人間の醜悪さ。


 あの時は、私の頭から赤黒い血が流れるたびに、民衆は歓喜の声を上げて手を叩き、まるで祭りのように騒いでいたわ。それなのに、今、この新しい世界で、お兄様は私のために涙を流し、喉を枯らして本気で心配してくださる。


「……やはり、兄妹愛とは尊いものですわね」


 脳を麻痺させるような甘やかな陶酔感に浸っている私の前で、ミノタウロスが追撃の一歩を踏み出した。勝利を確信したのか、さらに力を込めて両刃の斧を振り上げる。


 もう一度、衝撃を全身で受けて、このお兄様の愛がもたらす極上の快楽を享受しようかとも思った。けれど、これ以上はお兄様に対して悪趣味というもの。何より、私を本気で心配するお兄様が可哀想だわ。


 お兄様は心から私の死を恐れ、心を痛めてくれているのだ。私は、自ら進んで攻撃を受けるような真似を、ここで終えることにした。


 めり込んでいた幹から、弾かれたように脱出する。巨獣の容赦ない追撃が幹を跡形もなく粉砕する一瞬前、私はミノタウロスの完全な死角へと軽やかに舞い降りた。


 お兄様の方からは、死んだはずの妹が忽然と消え、次の瞬間には別の場所に何事もなかったかのように姿を現したように見えたことでしょう。さぞや安心されたはずだわ。


「防御力を少し確かめてみたのだけれど。……あなた程度の腕力で殴られて、少し『痛い』と感じてしまうのね。残念だわ。三歳児の体という器が小さすぎて、どれほど強化しても、全盛期のような肉体強化には届かないのね」

「グオオオオオオオオオオォッ!」


 知性の欠片もない狂暴な咆哮。この魔物の脳内には、獲物を殴り殺し、その生の肉を喰らうという原始的な本能しか詰まっていない。魔物という種族は、総じて普通の野生の獣よりも獰猛で、会話が通じない。


 手なずけて配下にすることも不可能ではないけれど、そのためには魔物に好かれるという特異な体質が必要になる。そんなものは私にはない。


 ミノタウロスは怒り狂ったように、自身の周囲に円を描いて荒々しく斧を振り回し始めた。


「ダメよ。あなたへのサービスは、今ので終わり。次は、私の『攻撃力』をじっくり試させてもらいましょうね」


 私は唇に優雅な微笑を湛えたまま、ミノタウロスの大振りな一撃を紙一重の差でひらりと回避し続ける。


 あら……先生が到着されたのね。


 鬱蒼と生い茂る木々の隙間、深い陰影の底からこちらをじっと覗き込む、気配がある。イメルダ先生だ。こんな恐ろしい巨獣に、大変愛らしくて可憐な幼女が一方的に襲われている。


 なのに、あの人は助けに入りもせず、娯楽でも眺めるようにこちらの立ち回りを観察している。


「……じっくり見ていてくださいな。存分に踊って差し上げましょう」


 私は胸の内で静かに、殺意をたぎらせ、三歳の小さな足で地面を蹴り上げた。私に踏まれて、ドォンと大地が衝撃に悲鳴を上げ、硬い地表が幼い靴底の圧力に耐えかねて蜘蛛の巣状にひび割れ、深く沈み込む。


 音を置き去りにするほどの加速。ミノタウロスの懐へと潜り込み、幼児の柔らかな拳を術式で極限まで鋼鉄化させ、強靭な筋肉に覆われた腹部へと、まっすぐに叩き込む。


【破砕(フラクトゥーラ)ッ!】


 大気の壁を爆砕して放たれた幼い拳は、あらゆる防御を無に帰す鉄の槍と化し、怪物の鋼じみた肉体を陥没させてめり込んでいった。


 生々しくグロテスクな破壊の感触。獲物の強靭な内臓や骨が体内で破裂し、消し飛ぶ手応えが、小さな腕を通じて私の脳へと伝わってくる。


「ガオウッ……オゴッ……」


 内臓を潰された魔物が、小さく呻き声を漏らす。肉体への致命的な衝撃により、堂々としていたミノタウロスの巨躯は、まるで針金のように不格好にくの字に折れ曲がった。


「お前も死ぬために呼ばれるとは可哀想にね。楽にしてあげるわ」


 くの字に曲がった怪物の体を踏み台にし、私は空中で軽やかに体を反転させてさらに高く舞い上がる。


【破砕(フラクトゥーラ)ッ!】


 バキ、という乾いた破壊音が森に響き渡る。頭骨ごと地面に叩きつけられ、泥まみれになりながら無様に痙攣を繰り返す巨大な肉体。傷口からは、どす黒く汚い血が勢いよく飛び散っていく。


「……まったく、汚らわしい」


 倒れ伏すミノタウロスの巨体は、生物としての未練でまだピクピクと動く醜悪な手足を確認し、私は最後の仕上げとして小さな指先を向け、言霊を紡ぐ。


【貫き通せ、大地の杭(テラノドス)!】


 その言葉が放たれた瞬間、大地が私の体内魔力と呼応し、地表を突き破って鋭利な円錐状の土槍が突き出た。土槍はミノタウロスの鳩尾(みぞおち)を寸分の狂いなく刺し貫き、その巨体を大地へと磔にする。


 内臓のすべてを根こそぎ抉り取られ、今度こそ完全に、その魔物は沈黙した。


 見届けた私は、ずっと背後で見守っていたお兄様へと振り返った。


「お兄様。いかがでしたか?」

「ふ、フレデリカ……強い……、うそでしょっ……」


 お兄様の顔は土気色に青ざめ、目を見開き、ただ魂を抜かれたように呆然と立ち尽くしている。生後わずか五歳の子供だもの、こんな地獄絵図を見せられては無理もないわ。


 ……あら?


 よく見れば、お兄様、恐怖のあまり完全に失禁されてしまったようだ。仕立ての良いズボンの股間辺りに、じわじわと不名誉な染みが広がっていくのが見えた。


 そんな無様な姿すら、今の私には愛おしく思えてしまう。私はお兄様のプライドを守るため、あえてその染みに気づかぬふりをし、慈愛に満ちた微笑を浮かべた。


「まあ、この程度の雑魚、一人で容易く狩ることもできなければ、これからの厳しい世界ではお話になりませんのよ。もちろん、お兄様も遠くない未来、これくらいは平然とできるようにならなければいけませんね」

「ぼ、僕が……? こんなことを……?」

「はい。こんなものはまだ、最低ラインにすら達しておりません。お兄様、私と共に、これからどんどん強くなりましょうね。……この先の未来、もう二度と、誰にも傷つけられない私たちであるために」

「いや、うん……僕に、できるのかな。正直、僕……少し、自信ないな。周りのみんなよりもずっと成長が遅いって、いつも、お父様にも言われるからさ……」

「大丈夫ですわ、お兄様」


 私はどこまでも優しい、蕩けるような眼差しでお兄様へとゆっくり歩み寄る。さて、あのお漏らしの痕跡を周囲に隠すために、いかにしてお兄様の尊厳を傷つけず、自然にお着替えをさせるか……。


 思考を巡らせた末、私はとっさに、自分の指先にべっとりと付着していたミノタウロスの赤黒い返り血を、


「おっと」


 わざとらしい声を上げてバランスを崩すフリをし、私はお兄様の小さな胸元へと、甘えるようにそのまま倒れ込む。驚いたお兄様が、とっさに私を支えようと、小さな両手を必死に伸ばしてくれた。


「フレデリカ、大丈夫!?」

「はい。あら……ごめんなさい、お兄様。私が魔物の血で汚れていたせいで、お兄様のズボンまで、返り血でこんなに汚してしまいましたわ。これでは酷く不潔ですわね」


 これで、お兄様が着替えるための完璧な理由付けができたわ。お兄様を傷つけないことが何よりも大事であり、ミノタウロスを殺すより神経を削る作業だ。


「今すぐお着替えをしなければいけませんね。……ふふ、幸いにも私が魔法で、今、穿いているものとそっくりの立派なズボンと下着を創り出して差し上げますわ。あちらの死角になる木陰で、すぐに着替えてきてくださいまし」


 私は衣服の構造を呼び出し、足元に構築した魔術式から、上質な生地で編まれたズボンと下着を紡ぎ出した。


 私のこの必死の、かつ完璧な気遣いにようやく気づいたのだろう。お兄様はちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめ、私の差し出した真新しい衣服を受け取ると、大急ぎで木陰の奥へと走っていった。


 お兄様が完全に木陰に隠れて着替えを始めたのを目視で確認すると、先ほどまで浮かべていた笑みを消し去った。


 そして冷ややかな手つきで、地面に脱ぎ捨てられたばかりのお兄様の汚れ物のズボンとパンツへ、ゴミを見るような視線を向ける。指先から微弱な魔力を放ち、それらを音もなく、ただの汚い土塊へと変えて崩れ落ちさせた


「さようなら。……私の愛しいお兄様の、弱くて汚いものたち」


 お兄様がもう二度と、他の誰からもこのような恥ずかしめに遭わぬよう、この手で徹底的に、完璧に鍛え上げて差し上げねばならない。土塊を見つめながら、私はその決意を、より一層強く胸に刻み込むのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
武力がものを言う世界。。
もう星5入れてしまってるんですが、今から入れられる追加星ありませんか???
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。