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第247話:佐那との約束

新しい時代の息吹に満ちる江戸の街。

喧騒から離れた一角に、かつて名を馳せた北辰一刀流千葉道場が佇む。

仕事を切り上げた新八は特別な思いを胸にその門をくぐった。

長く過酷な戦いの日々を支え続けてくれた女性、千葉佐那が待つ場所へ。

二人の時間が静かに動き出す。

 江戸の街は、新しい時代の息吹に満ちていた。

 かつての武家屋敷は次々と取り壊され、新しい政府の機関や、レンガ造りの洋館が建ち始めている。道を行き交う人々の服装も、髷を結った者と散切り頭の者が混在し、和装と洋装が入り乱れる、まさに過渡期の光景であった。


 そんな喧騒から少し離れた、静かな一角。

 そこには、かつて「北辰一刀流千葉道場・玄武館」として名を馳せた剣術道場が、今もひっそりと佇んでいた。

 道場の看板は古びていたが、建物自体は手入れが行き届いており、凛とした空気を漂わせている。


 俺は、その道場の門の前に立ち、一つ深呼吸をした。

 ここは、俺にとって特別な場所だ。

 まだ何者でもなかった若き日、試衛館の仲間たちとこの道場の門を叩き、そして――彼女と出会った場所。


「……よし」


 気合を入れ直し、門をくぐる。

 道場の中からは、竹刀の打ち合う音は聞こえない。今日は門下生たちの稽古は休みのはずだ。


 板張りの廊下を進み、道場の引き戸を開ける。

 広々とした道場の真ん中に、一人の女性が正座していた。

 千葉佐那である。


 彼女は、かつてのように稽古着姿ではなく、落ち着いた色合いの着物を身に纏っていた。しかし、その背筋の伸びた美しい姿勢と、凛とした横顔は、初めて出会ったあの日のままだ。


「佐那、待たせたな」


 俺が声をかけると、佐那はゆっくりと振り返り、ふわりと微笑んだ。


「新八様。お仕事、お疲れ様です」

「ああ。今日は法務省の仕事も早めに切り上げてきたんだ」


 俺は、佐那の正面に歩み寄り、どっかりとあぐらをかいて座った。


「こうして二人でこの道場にいると、昔を思い出すな」

「ええ、本当に。新八様が初めてここにいらした日のこと、昨日のことのように思い出せますわ」


 佐那は、懐かしそうに目を細めた。


「あの時の君は、本当に強かった。俺も、危うく一本取られるところだったからな」

「ふふっ、ご謙遜を。結局、新八様には敵いませんでしたもの」


 二人の間に、穏やかな沈黙が流れる。

 かつては剣を交え、互いの魂をぶつけ合ったこの場所で、今はこうして静かに語り合っている。その事実が、俺にはたまらなく愛おしかった。


 京都での新選組としての血みどろの日々。

 北海道での、凍てつくような寒さと絶望の中での戦い。

 そして、本土奪還のための大和創生戦争。


 俺は、常に死と隣り合わせの道を歩んできた。その中で、何度も心が折れそうになった。

 しかし、そんな俺を支え続けてくれたのは、江戸で俺の帰りを待ち続けてくれた、佐那の存在だった。

 彼女が編んでくれた手袋。彼女が送ってくれた手紙。それらが、俺に生きる力を与えてくれたのだ。


「佐那」


 俺は、姿勢を正し、佐那の目を真っ直ぐに見つめた。


「はい」

「俺は、これまで剣を振るって生きてきた。国のため、仲間のため、そして自分の信念のために、多くの血を流してきた」


 佐那は、黙って俺の言葉に耳を傾けている。


「でも、これからの時代は違う。俺たちが作った新しい国『大和共和国』は、法によって治められる国だ。もう、剣で物事を解決する時代じゃない」


 俺は、懐から小さな桐の箱を取り出した。


「これからは、剣ではなく……君を守るために生きたい」


 箱の蓋を開ける。

 そこには、銀色の指輪が一つ、鈍く光っていた。

 それは、北海道共和国時代に、蝦夷地の鉱山で採れた輝石を使って、知り合いの職人に特注で作らせたものだ。決して華美ではないが、俺たちの歩んできた道のりを象徴するような、力強さと温かみのある指輪だった。


「佐那。俺と、結婚してくれ」


 俺の言葉に、佐那はハッと息を呑んだ。

 彼女の大きな瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。


「……新八様……」

「待たせて悪かった。ずっと、苦労ばかりかけて……」

「いいえ……いいえ!」


 佐那は、首を横に振り、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、満面の笑みを浮かべた。


「はい。謹んで……お受けいたします」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の胸の中に、言葉にできないほどの熱い感情が込み上げてきた。

 俺は、たまらず佐那を引き寄せ、強く抱きしめた。

 佐那もまた、俺の背中に腕を回し、顔を埋めて泣きじゃくった。


 道場の真ん中で、二人の影が一つに重なる。

 長く、過酷だった戦いの日々が、ようやく本当に終わったのだと、俺は実感していた。


 ――パーン! パーン!


 突然、道場内に乾いた破裂音が鳴り響いた。

 驚いて顔を上げると、いつの間にか道場の入り口に、人だかりができているではないか。


「おめでとう!」

「新八先生、佐那先生、おめでとうございます!」


 色とりどりの紙吹雪が舞う中、満面の笑みで拍手をしているのは、千葉道場の門下生たちだった。

 そして、その中心には、腕組みをしてニヤニヤと笑っている大男――佐那の兄である千葉重太郎の姿があった。


「お、お前ら……いつからそこに……」


 俺は、慌てて佐那から体を離し、顔を真っ赤にして立ち上がった。佐那も、恥ずかしそうに袖で顔を隠している。


「最初から全部見ておったわ! いやぁ、あの朴念仁の新八殿が、あんな甘い台詞を吐くとはな!」


 重太郎は、腹を抱えて大笑いした。


「重太郎さん、あんたって人は……!」

「まあよいではないか。めでたい席だ。……新八殿」


 重太郎は、笑いを収めると、真剣な表情で俺の前に歩み寄ってきた。


「妹を、よろしく頼む。もし佐那を泣かせるようなことがあれば、この重太郎、北辰一刀流の奥義をもって、貴殿を叩き斬るからな」

「……ああ。命に代えても、幸せにする」


 俺が力強く頷くと、重太郎は満足そうに頷き、俺の肩をバンバンと叩いた。


「よし! 今日は祝いだ! 道場の酒を全部空けるぞ!」

「おおーっ!」


 門下生たちが歓声を上げる。

 俺は、頭を掻きながら、隣で微笑む佐那と顔を見合わせた。


 騒がしくも温かい祝福に包まれながら、俺は、これからの人生が、これまで以上に豊かで幸せなものになることを、確信していた。


剣ではなく法で治められる新しい国で、君を守るために生きたい。

新八の真っ直ぐな求婚に、佐那は涙を流して頷いた。

重太郎や門下生たちの温かい祝福に包まれ、二人はこれからの人生が幸せなものになることを確信する。


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