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第244話:大和憲法の起草

法務大臣の新八は、大和共和国の基本法となる大和憲法の起草という最大の難事に取り組んでいた。

四民平等など近代国家の根幹を成す概念を明文化しようとするが、数百年の身分制度を覆すことへの反発は避けられない。

新しい国の形を巡る激しい議論が幕を開ける。

 法務省の執務室は、書類の山で埋め尽くされていた。

 机の上はもちろん、床にまで積み上げられた和綴じの書物や、横文字で書かれた洋書の数々。それらは全て、世界各国の法律や思想を記した文献であった。


 俺は、その書類の山に埋もれるようにして、一本のペンを握りしめていた。

 大和共和国の基本法となる、「大和憲法」の起草。

 それが、法務大臣である俺に課せられた、国造りにおける最大の難事であった。


「……『基本的人権の尊重』、か」


 俺は、書きかけの草案を見つめ、深く息を吐き出した。

 それは、人間が生まれながらにして持っている、侵してはならない権利。フランスの人権宣言やアメリカの独立宣言にも記されている、近代国家の根幹を成す概念だ。

 しかし、この国において、それを法律として明文化することは、並大抵の困難ではなかった。


「永倉さん、また行き詰まっているようですね」


 ノックの音と共に執務室に入ってきたのは、渋沢栄一だった。大蔵省の官僚として経済政策の立案に奔走する傍ら、彼はこの憲法起草委員会のメンバーとしても、俺を強力に補佐してくれていた。


「ああ、栄一か。……どうにも、言葉にするのが難しくてな」

「無理もありません。我々がやろうとしているのは、数百年続いた身分制度を根底から覆すことなのですから」


 渋沢は、俺の向かいの席に座り、山積みの書類を一つ手に取った。


「『四民平等』。言葉にするのは簡単ですが、いざそれを法律として適用するとなると、反発は必至です。特に、特権を奪われる形になる武士階級からの反発は、想像を絶するものになるでしょう」

「分かっている。だが、これをやり遂げなければ、この国は本当の意味で『近代国家』にはなれない」


 俺は、筆を置き、渋沢の目を真っ直ぐに見返した。


「北海道で、俺たちは身分の壁を越えて戦った。農民も、商人も、武士も、皆が同じように銃を取り、血を流したんだ。その犠牲の上に成り立つこの国で、一部の人間だけが特権を持つような真似は、絶対に許されない」


 俺の言葉に、渋沢は深く頷いた。


「同感です。……ところで、もう一人の『知恵袋』は、まだ到着していませんか?」

「ああ、福沢さんなら、もうすぐ来るはずだが……」


 噂をすれば影、というやつだろうか。

 バタン、と勢いよく扉が開かれ、一人の男が足早に入ってきた。


「遅れて申し訳ない! 塾での講義が長引いてしまってね」


 福沢諭吉である。

 『学問のすゝめ』を著し、慶應義塾を設立し教育活動に邁進するこの男。今やこの国で最も影響力のある知識人の一人となった彼は、その多忙なスケジュールの合間を縫って、この憲法起草に協力してくれていた。


「いや、構わんよ。先生の知恵は、この憲法には不可欠だからな」

「そう言ってもらえると光栄だが……さて、どこまで進んだかな?」


 福沢は、俺の書いた草案を覗き込み、ふむ、と顎を撫でた。


「『三権分立』。行政、立法、司法の権力を分散させ、互いに監視し合う仕組み。これは良い。独裁を防ぐための、最も有効な手段だ」

「ええ。勝議長がまとめる国会が『立法』、家茂大統領率いる政府が『行政』、そして独立した裁判所が『司法』を担う。この枠組みは、既に固まっています」


 渋沢が補足すると、福沢は満足げに頷いた。


「問題は、ここからだ。……『象徴天皇制』。これについては、どうまとめるつもりかな?」


 福沢の指摘に、俺と渋沢は顔を見合わせた。

 これが、この大和憲法における最大の争点であった。


 古来より、この国において天皇は「現人神あらひとがみ」として崇められてきた。薩長は、その権威を利用して幕府を倒そうとしたのだ。

 しかし、俺たちが目指す近代国家において、一人の人間を「神」として絶対的な権力を持たせることは、危険極まりない。それは、再び誰かが天皇の権威を利用し、国を誤った方向へ導く可能性を孕んでいるからだ。


「俺は、天皇を『神』ではなく、『国民統合の象徴』として定義したいと考えている」


 俺は、意を決して言った。


「政治の実権は、国民によって選ばれた大統領と国会が持つ。天皇は、政治には直接関与せず、この国の歴史と伝統、そして国民の団結を象徴する存在として、敬愛されるべきだ」

「なるほど。英国の『君臨すれども統治せず』という考え方に近いな」


 福沢は、腕を組み、深く考え込んだ。


「理にかなってはいる。しかし、これを公にすれば、旧態依然とした尊皇派の連中が黙ってはいないだろう。『不敬である』と、暴動が起きかねんぞ」

「それは承知の上です。ですが、誰かが泥を被らなければ、この国は前に進めない」


 俺がそう言い切った時、不意に、背後から静かな声が響いた。


「その泥、私が被りましょう」


 振り返ると、そこには、いつの間にか執務室に入ってきていた静寛の帝――和宮様の姿があった。

 お供も連れず、質素な洋装に身を包んだそのお姿に、俺たちは慌てて立ち上がり、頭を下げた。


「へ、陛下! このようなむさ苦しい場所へ、いかがなされましたか!」

「よいのです、永倉。皆の議論が白熱しているようでしたから、少し立ち聞きさせてもらいました」


 静寛の帝は、穏やかな微笑みを浮かべ、俺たちの前に進み出た。


「『象徴天皇制』。素晴らしい考えだと思います」

「しかし、陛下。これは、陛下から『神』としての権威を奪うことになります。反発する者も多く……」


 俺が言い淀むと、静寛の帝は静かに首を振った。


「私は、神ではありません」


 その言葉は、静かであったが、確かな力強さを持っていた。


「私は、血も通い、涙も流す、一人の人間です。神として雲の上から民を見下ろすのではなく、一人の人間として、国民と共に歩み、共に苦しみ、共に喜びたい。それが、私の願いなのです」


 静寛の帝の瞳には、一切の迷いがなかった。

 大和創生戦争という過酷な運命を乗り越え、自らの足で歩き始めた彼女は、もはや籠の鳥の皇女ではなかった。この国の未来を背負う、真の元首としての覚悟が、そこにはあった。


「……陛下がそう仰るのであれば、我々は全力でこの条項を守り抜きます」


 俺は、深く頭を下げた。

 最大の懸案事項が、帝ご自身の決断によってクリアされたのだ。これで、憲法起草は大きく前進する。



 数日後。

 大和憲法の草案が完成し、その内容が政府高官や各藩の代表者たちに示された。

 予想通り、最も大きな反発を招いたのは、「武士の特権廃止」――すなわち、帯刀の禁止と、身分制度の完全撤廃であった。


「ふざけるな! 我々武士から刀を奪うというのか!」

「刀は武士の魂だ! それを捨てろとは、我々に死ねと言うに等しい!」


 政府の会議室では、旧幕臣や各藩の武士たちが、顔を真っ赤にして怒号を飛ばしていた。

 彼らにとって、刀は単なる武器ではない。自らのアイデンティティであり、誇りそのものであった。それを奪われることは、彼らの存在意義を根底から否定されることと同義なのだ。


「静まれ!」


 騒然とする会議室に、一喝が響き渡った。

 声の主は、土方歳三であった。

 彼は、黒の軍服姿で立ち上がり、鋭い眼光で反発する武士たちを睨みつけた。


「貴様ら、まだそんな寝言を言っているのか」

「な、なんだと……! 新選組の副長ともあろう者が、武士の魂を捨てるというのか!」


 食ってかかる武士に対し、土方は鼻で笑った。


「武士の魂だと? 笑わせるな。そんなものは、とうの昔に蝦夷地の雪の中に置いてきた」


 土方は、自らの腰に提げた軍刀をポンと叩いた。


「いいか、よく聞け。時代は変わったんだ。刀を振り回して威張っていられる時代は、もう終わった。列強の連中が、鉄の船と大砲で押し寄せてくるこの時代に、刀一本で国が守れるとでも思っているのか!」


 土方の言葉に、武士たちは言葉を失った。

 彼らも、頭では分かっているのだ。鳥羽・伏見の戦いで、そして大和創生戦争で、旧式の装備がいかに無力であったかを、彼ら自身が一番よく知っているはずなのだ。


「俺たちが変わらなきゃ、この国は守れねぇ。国を守るために、自らの誇りを捨てる。それこそが、真の『武士道』ってもんじゃねぇのか?」


 土方の静かな、しかし熱を帯びた言葉が、会議室に響き渡る。


「刀は、心の中にしまえ。そして、新しい時代を生き抜くための『知恵』と『力』を身につけろ。それが、生き残った俺たちの責任だ」


 土方の説得に、反発していた武士たちは、次々と俯き、沈黙した。

 かつて、誰よりも武士らしくあろうとし、刀に生きた男の言葉だからこそ、彼らの心に深く突き刺さったのだ。


 こうして、最大の難関であった「武士の特権廃止」も、土方の尽力によって受け入れられることとなった。


 大和憲法。

 それは、多くの血と涙、そして人々の覚悟の上に成り立った、新しい時代の道標である。

 俺は、完成した憲法の草案を手に、窓の外に広がる東京の空を見上げた。


最大の争点である象徴天皇制は、静寛帝自らの覚悟と決断により道が開かれた。

武士の特権廃止への猛反発も、土方歳三の真の武士道を説く言葉により鎮まる。

多くの血と涙、人々の覚悟の上に成り立った大和憲法の草案が完成し、新八は新しい時代の道標を手に東京の空を見上げる。

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