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第239話:天守台の旗

歓声の中、春の青空に掲げられたのは新しい日本の国旗であった。

長く苦しい戦乱から解放され、民衆は歓喜に沸き立つ。

新しい時代への希望に満ちつつ、大和創生戦争が終幕を迎える。

 江戸城本丸の奥深く、一段と高くそびえ立つ石垣の土台。

 それが、かつてこの国の中心であった「天守台」だ。

 明暦の大火と呼ばれる大火災で天守閣が焼け落ちて以来、二百年以上もの間、この場所には何も建てられることなく、ただ巨大な石の土台だけが残されてきた。徳川の威信の象徴でありながら、同時にその限界を示すような、空虚な空間。

 だが今日、その空白の歴史に終止符が打たれる。


「おおおおおっ……!」


 天守台の下、そして江戸城の周囲を埋め尽くした無数の民衆から、地鳴りのような歓声が上がった。

 見上げれば、春の抜けるような青空を背景に、一枚の巨大な旗がゆっくりと掲揚されていくところだった。

 白地に赤く染め抜かれた日の丸。そして、その中心には、北の夜空で決して動くことなく輝き続ける星――「北極星」があしらわれている。

 それは、蝦夷地で産声を上げた北海道共和国の旗であり、そして今、新しく生まれ変わったこの「日本」という国の、新しい国旗であった。


「万歳! 万歳!」

「新しい日本の夜明けだぁ!」


 民衆の歓喜の声は、波のように押し寄せ、江戸の町全体を揺るがしているようだった。

 長かった戦乱の恐怖から解放され、新しい時代への希望に満ちた、心からの叫び。

 俺は、本丸御殿の縁側から、その光景を静かに見つめていた。


「……やっと、終わりましたね」


 隣に立つ女性が、そっと呟いた。

 千葉佐那。俺が京へ上る前から、ずっと俺を信じ、待ち続けてくれた人。彼女もまた、この江戸の地で、戦火に巻き込まれながらも生き延びてくれた。

 彼女の横顔は、春の陽差しを受けて穏やかに輝いている。


「ああ。……だが、これからが大変だ」


 俺は、素直な気持ちを口にした。

 国を壊すのは、力があればできる。だが、壊れた国を立て直し、新しい形に創り上げるのは、並大抵の苦労ではない。

 身分制度の撤廃、新しい法律の制定、そして、列強諸国との不平等な関係の是正。俺たちが直面している課題は、山のように積み上がっている。

 戦いは終わったが、俺たちの「本当の戦い」は、ここから始まるのだ。


「ええ。分かっています」


 佐那は、俺の方を向き、静かに微笑んだ。

 そして、俺の右手に、そっと自分の手を重ねてきた。


「これからは、ずっと一緒です。……どんな困難があっても、私があなたを支えます」


 その手は、かつて千葉道場で竹刀を握っているだけだった頃よりも、少しだけ荒れていた。戦火の中を生き抜いてきた証だ。

 だが、その手から伝わってくる温もりは、俺の心を深く、静かに満たしてくれた。


「……ありがとう、佐那」


 俺は、彼女の手を優しく握り返した。

 佐那は、安心したように目を閉じ、俺の肩にコトンと頭を預けた。

 春の風が、二人の間を通り抜けていく。

 これまで、剣を握ることしか知らなかった俺の右手が、今は愛する人を守るためにある。その事実が、何よりも嬉しかった。


「おいおい、見せつけてくれるじゃねぇか、新八!」


 ふと、下の方から陽気な声が聞こえてきた。

 視線を落とすと、本丸の中庭で、新選組の連中がどんちゃん騒ぎをしているのが見えた。


「よーし、今日は無礼講だ! 飲むぞォ!」


 原田左之助が、どこから持ってきたのか、大きな酒樽を抱えて叫んでいる。彼はすでに上半身裸になり、自慢の切腹の傷跡を見せつけながら、見事な腹踊りを披露していた。

 周囲の隊士たちが、手を叩いて大爆笑している。


「あはははっ! 左之さん、お腹のお肉、少し弛みましたね!」


 沖田総司が、腹を抱えて笑っている。

 その隣には、男装の女剣士・中沢琴の姿があった。彼女もまた、この戦いを生き抜き、沖田と共に江戸へと戻ってきていた。


「琴さん! 僕たちも踊りましょう!」

「えっ? ちょ、ちょっと総司さん!?」


 沖田は、突然琴をヒョイとお姫様抱っこすると、そのままクルクルと回り始めた。


「きゃあああっ! 目が回るぅ!」

「あははははっ! 琴さん、軽いですねぇ!」


 琴は顔を真っ赤にして抗議しているが、沖田は全く気にする様子もなく、満面の笑みで回り続けている。

 その無邪気な姿は、かつて京の屯所で悪ふざけをしていた頃の「総司」そのものだった。労咳(結核)の影に怯え、死の淵を彷徨った彼が、今こうして心から笑っている。

 それだけで、俺は胸が熱くなるのを抑えきれなかった。


「……たく、どいつもこいつも、羽目を外しすぎだ」


 呆れたような声と共に、土方さんが縁側に現れた。

 相変わらずの仏頂面だが、その目元はどこか緩んでいる。


「いいじゃないですか、トシさん。今日くらい」

「まぁな。……だが、明日からはまた地獄の忙しさだぞ。新政府の立ち上げに、治安の維持。俺たち新選組の役割は、まだまだ大きいからな」


 土方さんは、懐から煙草入れを取り出し、火をつけた。

 紫色の煙が、春の空へと吸い込まれていく。


「近藤さんは?」

「局長なら、家茂閣下や勝先生たちと、今後の打ち合わせだ。……あの人も、すっかり『政治家』の顔になっちまったよ」


 土方さんは、少し寂しそうに、だが誇らしげに笑った。

 かつて、多摩の田舎で剣術道場を開いていた男たちが、今やこの国の未来を背負って立とうとしている。

 運命とは、本当に分からないものだ。


「……なぁ、新八」


 土方さんが、ふと真面目な顔になって俺を見た。


「俺たちは、間違ってなかったよな?」


 その問いの裏にあるものを、俺は痛いほど理解していた。

 俺たちが歩んできた道は、決して綺麗なものではない。多くの血を流し、多くの命を奪ってきた。

 その罪の意識は、一生消えることはないだろう。


 俺は、天守台に翻る新しい国旗を見上げた。

 日の丸と、北極星。

 それは、俺たちが流した血の上に成り立っている。


「……ええ。間違っていませんでしたよ」


 俺は、はっきりと答えた。


「俺たちが流した血は、決して無駄にはならない。……この旗が、それを証明してくれます」


 土方さんは、俺の言葉に無言で頷き、再び煙草を深く吸い込んだ。


 下では、原田の腹踊りがさらにヒートアップし、沖田と琴が追いかけっこをしている。

 佐那は、俺の肩に頭を預けたまま、その光景を微笑ましそうに見つめている。


 平和な時間が、戻ってきた。

 いや、俺たちが、この手で勝ち取ったのだ。

 この穏やかな春の陽差しを、俺は一生忘れない。


新しい国旗を見上げ、新八は愛する佐那と未来を誓い合う。

中庭では新選組の面々が平和を噛み締め騒いでいた。

多くの血を流した罪を背負いながらも、彼らは新しい国を創り上げるという本当の戦いへと歩み出す。

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