フェルディナント侯爵家
フェルディナント侯爵は王国は西部、大樹海を始めとする未開地域と接している大領地を治めている上級貴族である。
かつては辺境伯だったが、それだと宮内で立ち回りづらいだろうという当時の王の差配によって、侯爵へと引き上げられたという経緯がある。
フェルディナント侯爵であるグランツとその妻であるアーニャには、夏休みの頃に一度挨拶に出向いている。
そのため屋敷に入るのは久しぶりだったが、それほど緊張するようなこともなく、ヘルベルトは彼らと対面することができた。
「久しぶりだね、ヘルベルト君。夏休みに侯爵領に遊びに来てくれた時以来かな?」
「お久しぶりです侯爵。はい、その認識で間違っていないかと」
グランツはマキシムとは違い、がっしりとした体格をしている。
着ているのは自宅用のゆったりとしたローブだったが、それでも隠しきれないほどに筋肉が浮き出ている。
柔和で優しそうな顔つきとムキムキの肉体が妙にアンバランスな人だ。
親子で共通している特徴を探すのが難しいほどに、ネルとは似ていない。
ちなみにグランツのその肉体は決して飾りではなく、彼は自身が保有する騎士団長相手にも勝つことができるほどの実力を持っている。
なんとかつてはリンドナー王立魔法学院の『覇究祭』の『一騎打ち』で優勝したこともあったという。
元は辺境伯領だったということもあり、彼が収めるフェルディナント侯爵領は未開発の地域も多い。つまりはそれだけ、沢山の自然に囲まれている場所も多いということだ。
開拓作業は未だ各地で続いており、フェルディナント侯爵領の収穫量は未だに右肩上がり。
けれど魔物被害もバカにならないため、グランツ自身が先頭に立って魔物狩りの陣頭指揮を行うことも多いのだという。
「ネルはご迷惑かけてないかしら?」
「いえいえそんな、毎度こちらが助けてもらってばかりです」
「それならいいんですけど……ほらこの子、感情表現が下手くそじゃない?」
「ちょっとお母さん!? 何を――」
焦るネルを見ておほほほほと優雅に笑っているのは、彼女の母であるアーニャ・フォン・フェルディナント。
ネルに似た光沢のある銀の髪を揺らすその姿は、ネルを産んで育ててきたとは思えないほどに若々しい。
ちなみに彼女の表情筋はネルと同様あまり活発に動いてはおらず、口元に手を当てながら笑っているものの目は全然笑っていない。
そのため感じる威圧感がとてつもない。
ネルのキツい視線に慣れているヘルベルトからすると、なるほどネルの母親なのだと思わずにはいられなかった。
「私アリス・ツゥ・ヴァリスヘイムと申します。本日はよろしくお願い致します」
「よろしくね、ネルからも何度か話は聞かせてもらっているよ」
「ネルが女の子の友達を連れて来たのなんて何年ぶりかしら? この子ったら昔から友達づきあいが苦手でねぇ……」
「ちょっとお母さんっ!?」
どうやらアーニャは完全に娘の昔語りモードに入ってしまったようで、ネルはそんな母親を必死になって止めている。
その様子を見て、少し後ろからヘルベルトとアリスは面白い見世物を見ているような感じで、はにかみながら見つめていた。
「フェルディナント家はずいぶんと家族仲がいいんだな」
「ええ、うちとは大違いです……」
「帝国貴族だと、またうちとは勝手が違うのか?」
「帝国では、女性の地位がもっと低いですね。少なくともアーニャさんのように生き生きしている奥方を、私はほとんど見たことがありません」
「なるほど……そういうものなのか……」
ふふふと暗い感じで笑うアリスを見てまた帝国の闇を見てしまったヘルベルト。
彼は帝国には行ったことはないが、そこまで文化が違うと一度見に行ってみたくなるな……などと考えているうちに、ネルが疲れた顔をして帰ってくる。
さっきまで必死になってアーニャを止めていたからか、その頬は上気しているように見える。
「もう知りません! あんな人は放っといて、部屋に行きましょう!」
そう言うとネルは右手でヘルベルトの左手を、そして左手でアリスの右手を掴んだ。
心なしかいつもよりおてんばに見えるネルに引きずられながら、ヘルベルトは久しぶりにネルの部屋へと向かうのだった――。
「どうぞ」
促されるがままに、部屋の中へと入る。
ヘルベルトが最後にネルの部屋に入ったのは、それこそ十歳前後の頃だ。
久しぶりに入るネルの部屋は、以前とはずいぶん違って見えた。
「なんだかずいぶんすっきりした気がするな……」
「子供の時と今を比べられても困ります」
記憶ではベッドの上や脇を固めるように動物のぬいぐるみが置かれていたはずなのだが、それらが全てなくなっている。
いや……よく見ると枕の横に一つだけ、熊のぬいぐるみがあった。
ん、なんだかあのぬいぐるみにはどこかで見覚えがあるような……と首を傾げていると、ネルがそのむっとした顔をずずいと近づけてくる。
「あ、あんまりじろじろ見ないでください!」
「す、すまん」
頭の隅の方にあったとっかかりもどこかに飛んでいってしまったので、おとなしく床に座る。
白のふかふかなカーペットが敷かれており、クッションの上に座っているようだった。
座高に合わせた低めのテーブルに、ソーサーやカップ、籠が置かれていく。
そしてあっという間に使用人達が準備を終え、お茶会が始まった。
「たまにはこういうのも悪くないな」
「ですね」
ヘルベルトが行ったことのある茶会というのは基本的に庭やラウンジ、吹き抜けの居間などでかなりの人数を集めて行うものだ。
なのでこういうこじんまりとして、皆で膝をつき合わせてやるようなものは初めての経験だった。
使用人もかなり後ろの方で控えており、三人が一つのテーブルを囲うように座る。
茶のふんわりとした香りに混じって、女の子特有の少し甘いような香りが漂ってくる。
思わずドキリとするヘルベルトだったが、なんとかこらえて表面上は平静を保つ。
ヘルベルトの右にネルが、左にアリスがいる形だ。
左右を女の子に挟まれるせいで、どうにも居心地が悪く感じてしまう。
「でも学院を襲ってきた犯人は、どこかの貴族家に恨みのあった商家のドラ息子が立てた計画らしいです」
「それも本当かどうかは怪しいですよねぇ。被害がなかったのは助かりましたけど」
ヘルベルトを飛び越えるような形で話される話題は、つい先日会った学院への不法侵入についてのものだった。
あの後襲撃の前後関係を洗ったらしいが、やはり本丸の『アガレスク教団』の幹部達の関与を示すようなものは出てこなかった。メンバーの中には魔人もいなかったという。
一応家宅捜索で関与を疑うようなものは出てきたというが、それ単体だと関係を立証するのは難しいらしい。
なのでまたマーロンが言うところのとかげの尻尾切りだけが行われ、教団の支部のうちの一つが潰されるに留まっているという結果に終わっていた。
ちなみに生徒達に真実を伝えいたずらに恐怖心をあおらぬよう、あの日に侵入していたのはただの痴情のもつれで襲撃を画策した商家の人間ということになっている。
今のところその情報統制は効いており、噂話などでささやかれはするものの、学院生達にそこまで現状を不安視している様子はない。
「ヘルベルトは何か知っていますか?」
「さぁな、『アガレスク教団』と関わっているのではとは思っているが」
「そういえば教団の特徴的なローブを着ていたという話もありましたね」
けれどここ最近の不穏な空気というのは、やはり多かれ少なかれ皆感じているようで、ネル達もなんとなく怪しいとは思っているようだ。
彼女達を危険に遭わせたくないヘルベルトとしては、適当にお茶を濁すしかない。
なので目撃者がいるため言っても問題のない、『アガレスク教団』の関与をほのめかすに留めておいた。
「にしても最近は皆の顔色も暗いですし……何か元気にする方法はないでしょうか?」
「ここ最近は王都もあまり良くない話を聞きますし、私達にできることがあれば何かやろうということになったんです」
「元気にする方法か……」
襲撃事件があってからというもの、学院の雰囲気はお世辞にもいいとは言えない。
やはり皆どことなく不安そうな顔をしているし、大きな物音が立てばすわ襲撃かと身構える生徒達も未だ多いのだ。
強制逮捕の目処が未だ立っていない現状では、ヘルベルト達には事態が進展することを待つことしかできない。
それなら学院中にはびこっている鬱屈とした雰囲気を払拭するためにも、何かやってみるというのはありかもしれない。
「それなら一度、生徒会長のマリーカ先輩に話をしてみるか」
「生徒会長に……ですか?」
「ああ、イベント好きの彼女のことだ。多分話をすれば、皆を盛り上げるためのイベントの一つや二つ打ってくれるんじゃないか?」
「それは名案ですね! もしよろしければ、私もお話をさせていただければと思います!」
「アリスも行くの?」
「珍しいもの好きの会長なら多分喜んでくれるだろう。それなら三人で行ってみるか」
というわけでネルの家での茶会での茶飲み話から突然として出たアイデアを実行に移すため、ヘルベルト達は動き出すことにした。
学院を盛り上げるため、早速次の日に学院内で最も力を持っている生徒会長に直談判をしに向かうのだった――。




