第十七話 王審-2
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十年前まで、ルミエールより一万キロ以上北の氷雪地帯に、《コーネリア帝国》は確かに存在した。
北極風は、真北から真南へ吹き下ろし、二十四時間、何万キロとも知れない世界中を縦断し続ける風である。当然、発生源の北へ近づくほど北極風は強まり、過酷な乾燥寒冷の様相を増していく。
コーネリアは、世界で最も北に位置する国を自負していた。国の外は風速90メートル毎秒という悪夢のような猛吹雪が昼夜吹き荒び、事実、コーネリアの周囲は百キロ以上に渡って毛一つ生えない氷の大陸だった。そんな極寒の陸の孤島に、かつては五十万人を越える人間が豊かに生活していたと言っても、今となっては信じる者もいない。
コーネリアは、国土の北を巨大な山脈の峰に支えられていた。美しい、氷でできたような白銀の雪山である。それが吹き荒ぶ北極風を殺して東西へ受け流し、雪解け水が大地を潤し、煉素濃度が非常に濃いこともあって、コーネリアの土地は豊かな緑に囲まれていた。コーネリアは、北の霊峰を国の守り神として崇めながら、穏やかに暮らしていた。
白皇は、帝国のほとりに位置する教会で暮らす孤児だった。肌も髪も雪のように白いのを気味悪がられ、孤児仲間からは疎まれていたが、一人だけ、白皇に懐いた物好きがいた。
「おーい、ハク!」
教会入り口の階段に座り込んでぼうっとしていた幼い白皇に、遠くから黒髪の少年が、満面の笑顔で手を振り駆け寄ってくる。
「クロ、どうしたの」
「聞いてくれよ、試験に受かったんだ! 冒険者になれるんだぜ、俺!」
「わぁ」と、ハクの顔がほころぶ。
「おめでとう、クロなら絶対なれると思ってた」
「トーゼン! 俺は世界最強の男になるんだからな! でもよ、俺はハクと一緒にウォーカーになりたかったな」
「何度も言ったでしょ。僕には無理だよ、戦いなんて。おっかない」
「そーかな? 俺はお前のこと、やればできるやつだって思ってるんだぜ」
太陽のように笑うクロが、ハクは大好きだった。
クロは同い年の孤児仲間で、腕っぷしが強く、小さな頃から上級生も含めて一番ケンカが強かった。いじめられるハクを庇い、最初は守ってくれていたのが、いつのまにやら懐かれて、二人はいつも一緒にいる、無二の親友になっていた。
クロは、地球人だ。コーネリアに地球人は珍しい。よその国と違い、"その日"に外に出て新客を捜索し、救助することが不可能だからだ。よほど力のあるウォーカーなら猛吹雪の中でも外に出られないことはないが、新客の方が召喚されて間もなく死んでしまう。
だから、コーネリアにいる地球人は、安全な敷地内にたまたま召喚された幸運な人間だけ。十年に一人現れるかどうかというペースだったから、コーネリアでは地球人は珍しい客人として可愛がられる傾向にあった。
教会の前に召喚されたとき、クロはまだ一歳未満の赤ん坊だったというのだから、国民がこぞってクロを可愛がるのは必然のことだった。髪が黒いからクロ、そんな感じで名付けられ、教会でクロはのびのびと育った。
わずか十三歳でウォーカーとなったクロは、毎日真面目に働いた。コーネリアのウォーカーは、冒険者といいながら、外にはほとんど出ない。過酷すぎる環境のあまりモンスターがほとんどいないからだ。代わりにウォーカーには、警吏や騎士のような職務が多く課せられていた。治安を守り、町の人々と触れあい、たまにモンスターが壁を越えてやってくると命を懸けて戦う。その仕事は、クロの肌に合っていた。
五年もすれば、クロはコーネリアで一番のウォーカーとして、国の英雄と呼ばれるまでになっていた。ハクは下町で氷細工の職人をやりながら、クロが会いに来る夜を楽しみに働く毎日を送っていた。
ある日、クロが「会わせたい人がいる」と言って連れてきたのは、そばかすの可愛らしいおさげの女性だった。「アンナ、俺の婚約者だ」と、クロは照れもせず、からっとした笑顔で彼女を紹介した。少女、アンナの方はむちゃくちゃに赤面していた。
人気者のクロはてっきり、貴族の美人を捕まえて結婚するものとばかり思っていたから、少しだけ驚いた。ハクたちと一つ年下というアンナは、田舎で牧場を営む農夫の娘で、いかにもという素朴さだった。だが、二人と少し話すうちに、二人がどれだけ愛し合っていて、お似合いなのかがすぐに分かったから、ハクも大満足でクロを応援していた。
結婚式を翌月に控えたある日、壁を越えて、一体のモンスターがコーネリアに侵入する事件が起こった。
それ自体は珍しいことではなかった。この近辺にはコーネリア以外、餌となる動物も植物も存在しないから、人間の匂いに誘われ、流れてきた野良のモンスターが、吹雪を越えコーネリアに辿り着くことはこれまでもしばしばあった。
一つだけ違ったのは、そのモンスターがこれまでとは比較にならないほど強かったこと。
迎撃任務に当たったウォーカーたちが押し返され、中央区の市街地にまでモンスターの侵入を許した。その時点で五十を越える殉職者が出ていた。建物に火の手が上がり、街は逃げ惑う人々の悲鳴で溢れた。ハクは自宅で震えながら、クロの無事とモンスターの撃退を祈っていた。
ふと、窓の外に、戦うクロの姿が見えた。激しく血を流し、消耗しながらも、クロは守るべき国を背に隠し、両手を広げ――黒い瞳を真っ赤に燃やし、血まみれの顔で獣のように吼えた。
その瞬間、石畳を突き破って大地から噴き出した深紅の光が、クロを貫いた。濃密な赤を生きた鎧のように纏って、クロは――バケモノになった。
ハクの目の前で、怪物同士の凄惨な戦いは、永遠に思えるほど長く続いた。この世の戦いとは思えなかった。ハクの知るクロの戦いではなかった。
戦いの中で、クロの体はどんどん奇形じみていった。彼を包む深紅の光から爪が、尾が生え、獣の耳が生え、翼が生えた。その光はやがて、彼の肉体そのものとなった。目は血の色に染まり、牙は鋭く尖り、彼の声は失われた。かつてクロだった赤いバケモノは、ついにモンスターを倒した。
戦いを見ていたらしい人々から、歓声が上がった。クロは国民から全幅の信頼を寄せられていた。姿が醜悪になったところで、国民にはクロが敵を倒すために切り札を使ったという風にしか映らなかった。もちろん、ハクも。
駆け寄った仲間のウォーカーを、クロが喰い殺すまでは。




