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8/10

第8話 人生の正解

結は、人から相談されることが多かった。


仕事のこと。


恋愛。


結婚。


離婚。


育児。


転職。


上司や部下との関係。


姑。


不倫。


浮気。


セクハラ。


パワハラ。


友人関係。


ママ友。


家。


金。


病院。


内容は何でもありだった。


「椿さんなら分かりますよね」


そう言われることも多い。


四十二歳。


二度の離婚を経験し、高校生の息子と中学生の娘を育てながら、社長秘書を十五年続けている。


確かに、人より経験は多い方かもしれない。


そのせいか、いつの頃からか周囲には「何でも分かっている人」のように扱われるようになった。


でも結本人は、ずっと思っている。


そんなわけないだろ。


水曜日、午前七時十三分。


「母さん」


息子が言った。


「何」


「牛乳ない」


「昨日言って」


「昨日あった」


「誰が飲んだの」


「妹」


向かいに座っていた娘がすぐに言い返した。


「お兄ちゃんも飲んだじゃん」


「俺一杯」


「私も一杯」


結は冷蔵庫を開けた。


確かにない。


「じゃあ一杯ずつでなくなったんでしょ」


「もっとあった」


息子が言う。


娘も少し考えてから、結を見る。


「じゃあ母さんじゃない?」


二人の視線が結へ向いた。


結は牛乳入りのコーヒーを飲んでいた。


「あ」


息子が言った。


「犯人じゃん」


娘も続ける。


「朝から推理終わった」


「うるさい」


結はそのままコーヒーを飲んだ。


息子は高校二年生。


娘は中学二年生。


二人とも、時々結より妙に冷静なことがある。


特に恋愛の話になると容赦がない。


「母さん」


今度は娘が言った。


「何」


「昨日の人、誰」


結の手が止まる。


「昨日の人?」


「電話」


「ああ」


息子もこちらを見る。


「男?」


「仕事」


娘がすぐに言った。


「声変わってたよ」


「何が」


「ちょっと女だった」


結は眉を寄せた。


「普段も女だけど」


「そういう意味じゃない」


息子がパンを食べながら口を挟む。


「また変なの?」


「何で最初から変なの前提なの」


「過去」


「実績」


娘が続けた。


結は二人を見る。


「君たちさ」


「何」


「母親に対する尊敬とかないの?」


息子が答える。


「あるよ」


娘も頷いた。


「仕事では」


「限定的だな」


二人は笑った。


結も少しだけ笑った。


昨日電話してきた男は四十六歳で、飲食関係の仕事をしている。


知り合いの紹介で二ヶ月ほど前に一度食事をし、その後も何度か連絡を取っていた。


独身。


優しい。


話も面白い。


見た目も悪くない。


条件だけ見れば、特に問題はなかった。


ただ、昨夜の電話で元妻の悪口を四十分も話していた。


結は途中からほとんど聞いていなかった。


それでも電話を切ったあと、また会ってもいいかなと思った。


自分でも少し驚いた。


「結局さ」


息子が言った。


「母さんって」


「何」


「ダメな男好きだよね」


「まだダメって決まってない」


「元嫁の悪口言う男でしょ」


結の動きが止まった。


「何で知ってるの」


「聞こえた」


「盗み聞き?」


「リビングでスピーカーにしてたじゃん」


「あ」


娘が呆れた顔をする。


「危機管理ゼロ」


「家だから」


「家族いる」


「はいはい」


結は時計を見た。


「遅れるよ」


息子が笑う。


「逃げた」


娘も続く。


「逃げたね」


「朝から人の恋愛に口出すな」


「恋愛なんだ」


結は止まった。


二人が笑った。


「もう学校行け!」


午前九時。


会社へ着く頃には、結はいつもの顔に戻っていた。


社長の予定を確認する。


来客。


資料。


移動。


電話。


メール。


予定変更。


会食の調整。


秘書という仕事は外から見ると静かに見えるが、実際には一日中どこかで予定が動いている。


「椿さん」


声をかけられて振り向く。


友梨亜だった。


「おはよう」


「おはようございます」


結は友梨亜の顔を見た。


先週より少しマシになっている。


それだけ確認する。


「今日は?」


友梨亜が聞く。


「何が」


「顔見ただけで分かるやつ」


「今日は六十五点」


「微妙」


「先週四十点だったから上がった」


「そんな悪かった?」


「悪かった」


友梨亜は少し笑った。


その手に本を持っている。


結はすぐに気づいた。


「何それ」


「あ」


友梨亜が本を見る。


「一人旅の本です」


「行くの?」


「まだ」


「行かないの?」


「まだ」


「彼氏みたいなこと言うじゃん」


友梨亜が露骨に嫌そうな顔をする。


「それ、この前も言われました」


「私が言った」


「そうでした」


結は笑った。


「で」


「はい」


「進展は」


「何がですか」


「一二三君」


「別に」


「その別にやめな」


「結さんも使うじゃないですか」


「私はいいの」


「何で」


「四十二だから」


「意味分かんない」


友梨亜は少し考えてから言った。


「来週、またご飯行きます」


「二人で?」


「はい」


「話す?」


「多分」


「結婚」


友梨亜が少し止まる。


「それも」


結は頷いた。


以前なら、ここで何か言っていたかもしれない。


どう考えるべきか。


何を聞くべきか。


何を決めるべきか。


でも今は、その必要はないように思えた。


友梨亜はもう、自分で考え始めている。


「六花は?」


結が聞くと、友梨亜が少し笑った。


「なんか楽しそうです」


「男?」


「はい」


「また?」


「今回は多分まともです」


「多分って」


「一二三の幼馴染」


「へえ」


「すごい人なんですよ」


「何が」


「高身長、高収入、高学歴」


結は少し嫌な顔をした。


「三つ揃ってんの」


「はい」


「危ないね」


「何でですか」


「条件良すぎる男は何かある」


「偏見」


「経験」


「結さんの経験は特殊なんですよ」


結は胸に手を当てた。


「傷ついた」


「絶対傷ついてない」


「バレた」


二人で笑った。


そこへ女性社員が声をかけてきた。


「あ、椿さん」


「はい」


「ちょっと相談したいんですけど」


結は時計を見る。


「五分なら」


「ありがとうございます」


友梨亜が横で笑った。


「相談所」


「無許可営業」


結はその女性と少し離れた場所へ移動した。


相談は仕事のことだった。


今の上司とどうしても合わない。


部署を変えたい。


会社自体を辞めたい気もする。


でも、辞めるほどのことなのか自分でも分からない。


結は話を聞きながら、いくつか質問した。


今の部署に不満があるのか。


会社そのものに不満があるのか。


仕事自体は嫌いなのか。


異動が可能なら残りたいのか。


一つずつ整理していく。


最後に結は言った。


「異動希望だけ出してみたら?」


女性の表情が少し変わった。


「そうですよね」


「辞めるか残るかの二択じゃなくてもいいでしょ」


「ああ」


「希望出して、ダメならその時また考えれば」


「ありがとうございます」


女性は少し楽そうな顔で去っていった。


結はその背中を見ながら、ふと自分で言った言葉に引っかかった。


辞めるか、残るか。


二択じゃない。


仕事なら、こんなに簡単に言える。


どうして恋愛になると、自分は同じことができないのだろう。


昼。


社員食堂で、珍しく友梨亜と二人で食事をしていた。


六花は取引先へ出ているらしい。


「結さん」


「何」


「昨日の男って誰ですか」


結は箸を止めた。


「何で知ってる」


「朝、何か考えてましたよね」


「そんな分かる?」


「六十五点とか言う人なんで」


「関係ないでしょ」


友梨亜は少し笑う。


「男ですか」


結はため息をついた。


「男」


「お」


「何、そのお」


「珍しい」


「私だって男くらいいる」


「彼氏?」


「まだ」


「候補?」


結は少し考えた。


「候補の候補」


「弱いな」


「だって」


結は味噌汁を飲んだ。


「昨日、元奥さんの悪口四十分」


友梨亜の顔が変わった。


「なし」


「早いな」


「なしでしょ」


「だよね」


「だよねって」


結は笑った。


「子どもにも同じこと言われた」


「子どもに話したんですか」


「聞かれた」


「で、会うんですか」


結は少し黙った。


「迷ってる」


友梨亜が信じられないという顔をする。


「何で?」


「優しいし」


「元妻の悪口四十分ですよ」


「仕事できるし」


「元妻の悪口四十分ですよ」


「店詳しいし」


「元妻の悪口四十分ですよ」


「顔もまあまあ」


「結さん」


「はい」


「だから二回離婚してるんじゃないですか」


結は止まった。


友梨亜も言ってから気づいた。


「あ」


「言ったね」


「すみません」


「今のちょっと効いた」


「すみません!」


「いや」


結は笑った。


「正しい」


友梨亜は少し申し訳なさそうな顔をしている。


「でも」


結が続ける。


「分かっててもさ」


「はい」


「選ぶ時って、選んじゃうんだよね」


「何を」


「変なの」


友梨亜が吹き出した。


結も笑った。


「結さんでも分かんないんですね」


友梨亜が言った。


結はその言葉を少しだけ考えた。


「何が」


「男」


「分かんないよ」


「もっと」


「何」


「人生とか」


結は笑った。


「何で分かると思ったの」


「だって」


友梨亜が少し困る。


「いつも何か答えるから」


「答えてないよ」


「答えてます」


「選択肢出してるだけ」


「同じじゃないですか」


「違う」


結は箸を置いた。


「人のことって楽なの」


「そうなんですか」


「だって、失敗しても私の人生じゃないから」


友梨亜が少し目を丸くする。


「ひど」


「本当でしょ」


「まあ」


「だから冷静に見えるだけ」


結は笑った。


「自分のことになると全然ダメ」


「意外」


「何が」


「結さん、もっと」


「ちゃんとしてる?」


「はい」


「ちゃんとしてるよ」


「自分で言う」


「仕事は」


「恋愛は」


「終わってる」


二人で笑った。


そのまま、結は昔のことを少し思い出した。


最初の結婚は二十五歳の時だった。


相手は三歳年上。


優しくて、面白くて、夢がある男だった。


ただ、仕事があまり続かなかった。


何かを始めては辞め、


「今度こそ」


と言う。


結はそのたびに信じた。


息子が生まれた。


それでも相手は変わらなかった。


むしろ状況は少しずつ悪くなった。


金。


嘘。


喧嘩。


最後は離婚した。


一回目の離婚で、結は学んだつもりだった。


夢ばかり見る男はダメだ。


だから二度目は正反対の男を選んだ。


三十三歳。


安定した仕事がある。


収入もある。


真面目。


現実的。


これなら大丈夫だと思った。


最初は本当に大丈夫だった。


娘も、その人との間に生まれた。


でも、安定している人間が優しいとは限らなかった。


仕事が続く人間が、人を傷つけないとも限らない。


言葉。


無視。


支配。


大きな何かが起こったわけではない。


少しずつ、家の中が息苦しくなった。


そして結はまた離婚した。


一回目で、


「夢ばかり見る男はダメ」


と学んだ。


二回目では、


「現実的な男なら大丈夫」


と思った。


それも外れた。


「人生の正解って」


結が言った。


友梨亜が見る。


「はい」


「多分、選ぶ時には分かんないよ」


友梨亜は黙った。


「後から正解だったって思うことはある」


「はい」


「失敗だったって思うこともある」


「はい」


「でも、そのあとまた変わる」


「変わる?」


「うん」


結は少し笑った。


「離婚した直後なんて、二回とも全部失敗したって思ったよ」


友梨亜は何も言わない。


「見る目ない」


「はい」


「時間無駄にした」


「はい」


「人生間違えた」


「はい」


「子ども巻き込んだ」


「はい」


結は少しだけ声を落とした。


「最悪って思った」


友梨亜は黙って聞いている。


「でも今、息子と娘見てるとさ」


結は少し考えた。


「全部間違いだったとは言えないんだよね」


友梨亜は何も言わなかった。


「だから」


結は続ける。


「正解を選ぼうとすると、多分動けなくなる」


「……」


「正解なんて、後から勝手に形変わるから」


友梨亜はしばらく黙っていた。


「それ」


「何」


「一二三に言っていいですか」


結は笑った。


「自分で言いな」


「ケチ」


「相談料取るよ」


「無許可なのに」


「高いよ」


午後、結は普通に忙しかった。


午前中に三件。


午後に四件。


予定変更。


会食キャンセル。


急な来客。


社長の妻から電話。


社長本人が忘れていた予定。


全部、結が何とかする。


五時。


結は社長へ資料を渡した。


「椿さん」


「はい」


「今日会食だった?」


「社長はありません」


「いや、君」


結は少し止まった。


「私?」


「朝、予定表に何か入ってたから」


「ああ」


個人予定を見られたらしい。


「食事です」


「彼氏?」


「違います」


社長が少し笑う。


「また変なの捕まえないようにね」


結は真顔になった。


「社長まで言います?」


「子どもにも言われてる?」


「何で分かるんですか」


「長いから」


十五年。


確かに長い。


社長は、一回目の離婚も二回目の離婚も知っている。


一度目に離婚した時、結は会社を辞めようとした。


子どもはまだ保育園。


離婚。


仕事。


育児。


全部を一人でやるのは無理だと思った。


その時、社長が言った。


『辞める必要ある?』


結は辞めなかった。


二度目の離婚の時も、また辞めようと思った。


今度は社長が何も言わなかった。


結の方から聞いた。


『止めないんですか』


すると社長は、


『一回目止めたから、二回目も止めると思った?』


と言った。


腹が立った。


でも結局、その時も辞めなかった。


「社長」


「何」


「私って見る目ないですかね」


社長が資料から顔を上げる。


「男?」


「はい」


「ないね」


即答だった。


「酷い」


「仕事ではある」


「男は?」


「ない」


「そこまで」


「二回見たから」


「実績で言うのやめてください」


社長は笑った。


「でも」


「はい」


「また会うんでしょ」


結は黙った。


「多分」


「じゃあ行けば」


「止めないんですか」


「何で止めるの」


「だって見る目ないって」


社長はまた資料を見る。


「見る目ない人が、三回目だけ急に見る目あるかもしれないでしょ」


結は少し笑った。


「適当」


「人の人生だから」


結は声を出して笑った。


昼に自分が友梨亜へ言ったことと、ほとんど同じだった。


「何」


社長が聞く。


「何でもないです」


「じゃあ六時上がっていいよ」


「珍しい」


「食事でしょ」


「ありがとうございます」


「明日報告して」


「しません」


「秘書なのに」


「業務外です」


午後七時。


結は銀座の店の前に立っていた。


待ち合わせ相手はすでに来ていた。


「結さん」


男が手を上げる。


結も笑った。


「お待たせしました」


「全然」


普通に感じがいい。


昨夜、元妻の悪口を四十分も話した人とは思えない。


店に入る。


食事をしながら、仕事や料理、旅行の話をした。


子どもの話もする。


男はちゃんと聞いていた。


「大変ですよね」


「まあ、もう大きいので」


「でも二人でしょ」


「はい」


「元旦那さんから養育費は?」


結の中で、少しだけ何かが止まった。


「まあ」


「ちゃんともらってます?」


「一応」


「女の人って、そういうの甘い人いるから」


「そうですか」


「元嫁もね」


来た。


結は水を飲んだ。


「うちの元嫁は」


そこから始まった。


十分。


二十分。


昨日とほとんど同じ話だ。


結は聞いていた。


途中から料理が妙に美味しく感じてきた。


慣れというのはすごい。


三十分ほど経った頃、男が言った。


「だから女って感情的じゃないですか」


結は箸を置いた。


「私も女ですけど」


男が一瞬止まる。


「いや、結さんは違うじゃないですか」


一番嫌いなやつだった。


結は笑った。


「何が違うんですか」


「ちゃんとしてるし」


「元奥さんはちゃんとしてなかった?」


「全然」


男はまだ気づいていない。


結は思った。


ああ。


やっぱりダメだ。


そう判断した瞬間、なぜか少し安心した。


どうして安心したのかは分からない。


自分にはやはり見る目がないと確認できたからか。


それとも、もう迷わなくて済むからか。


食事を終えて店を出る。


男が言った。


「今度は」


結は笑って遮った。


「ごめんなさい」


「え?」


「私、多分あなたとは合わないです」


男が驚く。


「急ですね」


「そうですね」


「今日楽しかったですよね?」


「楽しかったです」


「じゃあ」


「楽しいのと、一緒にいたいのは別なんで」


男は少し不機嫌そうな顔になった。


「ああ」


その表情を見て、結はさらに確信した。


「そういう感じ」


男が言う。


「どういう感じですか」


「いや、結さんって」


「はい」


「結構きついですよね」


結は笑った。


「そうですか?」


「だから離婚したんじゃないですか」


一瞬、静かになった。


結は驚いた。


そのあと、本当に笑った。


「かもしれませんね」


男は少し拍子抜けしたようだった。


結は頭を下げる。


「今日はありがとうございました」


「いや」


「ごちそうさまでした」


そのまま歩き出した。


振り返らない。


駅へ向かいながら、家族のグループチャットを開いた。


『今帰る』


息子からすぐに返信が来た。


『どうだった』


続けて娘。


『変な男?』


結は打った。


『変な男でした』


息子。


『やっぱり』


娘。


『知ってた』


『うるさい』


息子から返ってくる。


『次いこ次』


結は歩きながら笑った。


『軽いな』


すると娘から、


『母さんが人に言うやつじゃん』


と返ってきた。


結は少し立ち止まった。


確かに、人にはよく言っている。


合わなかったなら、次。


仕事でも。


男でも。


人間関係でも。


一つ失敗したからといって、人生全部が終わるわけではない。


でも、自分にはなかなか同じ言葉を言えなかった。


四十二歳。


二回離婚。


子どもが二人。


そして相変わらず男を見る目がない。


もう恋愛なんてやめた方がいい。


そう思う自分がいる。


一方で、別に三回目があってもいいのではないかと思う自分もいる。


今すぐどちらかに決める必要はない。


ホームへ向かう途中、友梨亜からメッセージが来た。


『結さん』


『何』


『一人旅、予約しました』


結は少し目を丸くした。


『どこ』


『鎌倉』


結は笑った。


近い。


一人旅と言うにはかなり近い。


でも、そんなことはどうでもいい。


『いいじゃん』


『日帰りですけど』


『十分』


『一二三にはまだ言ってません』


結は少し考えた。


『言わなくていいんじゃない』


『何で』


『友梨亜の予定でしょ』


しばらくして、


『そうですね』


と返ってきた。


結はスマホを閉じた。


電車の窓に自分の顔が映る。


四十二歳。


別に若く見えなくてもいい。


綺麗だと思われなくてもいい。


誰かに選ばれなくても、今すぐ困るわけではない。


それでも、誰かといたいと思う日がある。


それも別に恥ずかしいことではない。


人生というのは、何歳まで迷うのだろう。


多分、ずっとなのだろう。


結は少し笑った。


家に着く。


「ただいま」


娘がリビングから答える。


「おかえり」


息子もすぐに聞いてきた。


「どうだった?」


結は靴を脱ぎながら言う。


「ダメだった」


二人がほぼ同時に答えた。


「知ってた」


「腹立つな!」


結はリビングへ入り、冷蔵庫を開けた。


牛乳がある。


「あ」


娘が言った。


「買っといた」


「ありがとう」


息子が口を挟む。


「俺が」


娘も言う。


「私が頼んだ」


「どっちでもいい」


結は牛乳を出し、夜なのに少しだけコーヒーを淹れた。


娘がソファから聞く。


「母さん」


「何」


「もう男やめる?」


結は少し考えた。


三秒。


五秒。


「分かんない」


息子が笑った。


「珍しい」


「何が」


「母さんが分かんないって言うの」


「分かんないことくらいある」


「いっぱい?」


結はコーヒーを飲んだ。


「いっぱい」


娘が少し笑う。


「じゃあ普通じゃん」


結は娘を見る。


「何が」


「私らと同じ」


「一緒にすんな。年季が違う」


「分かんない年季?」


「そう」


息子が聞く。


「それ何の役に立つの」


結は少し考えた。


「分かんない」


三人で笑った。


夜。


寝る前にスマホを見る。


今日会った男からは何も来ていない。


一瞬ブロックしようかと思った。


でもやめた。


別に必要ない。


そのまま画面を閉じた。


昔は、人生には正解があると思っていた。


いい男を選ぶ。


いい仕事を選ぶ。


いい母親になる。


失敗しない。


間違えない。


ちゃんとする。


そんなふうに一つずつ正しいものを選んでいけば、最後にはちゃんとした人生になるのだと思っていた。


無理だった。


結は選び間違えた。


怒った。


泣いた。


離婚した。


それでもまた誰かを好きになった。


また間違えた。


それでも朝は来る。


牛乳がなくなる。


会社へ行く。


誰かに相談される。


ご飯を食べる。


子どもと笑う。


たまには変な男にも会う。


人生は、正解したから続くわけではない。


間違えても、勝手に続いていく。


結はベッドに入った。


明日は七時起き。


社長は九時から会議。


十時半に来客。


十一時には取締役が来る。


午後は資料の準備もある。


そして多分、また誰かが相談に来る。


「知らないって言ってやろうかな」


少し笑った。


多分、言わない。


分かる範囲で、一緒に考える。


それだけでいい。


人生の正解なんて、最後まで分からないのかもしれない。


でも今夜は、変な男を一人、ちゃんと断れた。


四十二歳の椿結には、それだけで十分だった。


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私はいつでもMinority

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