第7話 間違えました
六花は、人生で何度も間違えてきた。
駅の出口を間違える。待ち合わせ時間を一時間勘違いする。似た名前の店に入り、誰も来ないと怒りながら三十分待ったこともある。
人の名前を間違えたこともあるし、飲み会の日付を一週間勘違いしたこともある。以前など、別部署の部長を新しく入った派遣社員だと思い込み、
「分からないことあったら何でも聞いてください!」
と元気よく声をかけた。
部長は笑っていた。
友梨亜は頭を抱えていた。
六花もその時は反省した。
ちゃんと反省した。
ただし、反省が次に生かされたことはあまりない。
火曜日、午後六時二十二分。
六花は会社のエントランス近くで友梨亜を待っていた。
スマホを見る。
丞からの返信は、まだ来ていない。
今日の午後二時過ぎ、六花は丞にメッセージを送っていた。
『今日仕事終わり空いてます?』
返信が来たのは三時間後だった。
『空いてます』
そこまではよかった。
問題は、そのあとだ。
『じゃあご飯行きません?』
六花がそう送ると、一時間後に返ってきた。
『二人で?』
『嫌ですか?』
そこから返信が止まっている。
「何でそこで止まるかなあ」
六花はスマホを睨んだ。
嫌なら嫌でいい。
いや、よくはない。
普通に傷つく。
でも、何も返ってこないよりはいい。
もしかすると仕事中なのかもしれない。
会議かもしれない。
電車かもしれない。
スマホの充電が切れた可能性だってある。
そこまで考えて、六花は自分で首を振った。
「いや、考えすぎ」
たかが返信だ。
まだ一時間も経っていない。
そう思ってスマホをバッグへしまう。
十秒後には、また取り出していた。
「何してんの?」
声に顔を上げると、友梨亜が立っていた。
「遅いです!」
「待ち合わせしてないでしょ」
「しましたよ」
「いつ」
「さっき。私の中で」
「知らないよ」
友梨亜は呆れながら歩き出した。
六花も隣に並ぶ。
「友梨亜さん」
「何」
「今日、二階堂さん誘ったんですよ」
「へえ」
「反応薄くないですか?」
「だって、そのうち誘うと思ってたし」
「二人でですよ?」
友梨亜が六花を見る。
「それはちょっと早かった」
「何でですか」
「六花だから」
「理由になってない」
「なってる」
六花はスマホを見せた。
「これ」
友梨亜が画面を見る。
『今日仕事終わり空いてます?』
『空いてます』
『じゃあご飯行きません?』
『二人で?』
『嫌ですか?』
そこで終わっている。
友梨亜は数秒、画面を見た。
「二階堂さん、困ってるんじゃない?」
「何で?」
「二人で、ってところで」
「四人なら食べたじゃないですか」
「四人と二人は違うでしょ」
「何が?」
友梨亜は六花を見る。
「本気で言ってる?」
「二人減っただけじゃないですか」
「そういうところだよ」
六花には、いまいち分からなかった。
食事は食事だ。
四人で食べられるなら二人でも食べられる。
人数が半分になるだけだ。
「でも空いてるって言ったんですよ?」
「聞かれたから答えただけじゃない?」
「じゃあ何で『二人で?』って聞くんですか」
「確認でしょ」
「私と二人が嫌ってこと?」
「だから知らないって」
六花は唇を尖らせた。
友梨亜が少し笑う。
「そんなに会いたいの?」
「だって、お礼まだしてないですし」
その瞬間、友梨亜の表情が微妙に変わった。
六花は気づいた。
「何ですか」
「何が?」
「今、変な顔した」
「してない」
「しました」
「してないって」
「友梨亜さん」
「何」
「何か知ってます?」
友梨亜は前を向いた。
分かりやすい。
「知ってるんだ」
「知らない」
「絶対知ってる!」
「声大きい」
「何ですか?」
「何でもない」
「言ってくださいよ!」
友梨亜は少し迷っているようだった。
その顔を見て、六花の中に嫌な予感が生まれた。
「待って」
六花は立ち止まった。
「何」
「私、何か間違えてます?」
友梨亜も止まる。
答えない。
六花は頭の中で考えた。
二階堂さん。
お礼。
助けてもらった。
新宿。
金曜日。
背の高い男。
その隣にいた男。
一二三。
「あ」
何かがつながりかけた。
「友梨亜さん」
「何」
「まさか」
友梨亜は何も言わない。
「私を助けたのって」
六花は恐る恐る聞いた。
「二階堂さんじゃない?」
友梨亜の沈黙で、ほとんど答えは出ていた。
「嘘でしょ」
「六花」
「嘘ですよね?」
「だから最初に言ったじゃん」
「何を!」
「違う人に感謝してる可能性あるって」
「そんなの酔ってた時の話じゃないですか!」
「酔ってたから言ったんでしょ」
六花は両手で顔を覆った。
「最悪」
友梨亜は笑いを堪えている。
「笑わないでください」
「ごめん」
「笑ってるじゃん!」
「だって」
「誰なんですか」
「何が」
「助けてくれた人!」
友梨亜は少しだけ言いづらそうにした。
「たぶん、一二三」
六花の動きが止まった。
「……誰?」
「私の彼氏」
「それは知ってます」
「この前一緒にいたでしょ」
「普通の人?」
「本人に言うなよ」
「言っちゃった」
「知ってる」
六花の頭の中に、あの日の朝が蘇る。
丞を見つけた。
走った。
頭を下げた。
『この前はありがとうございました!』
一二三もいた。
しかも一二三は笑っていた。
「待って」
六花は友梨亜を見る。
「あの人、知ってた?」
「多分」
「私が勘違いしてるって?」
「多分ね」
「言わなかった?」
「二階堂さんが止めたんじゃない?」
六花は天を仰いだ。
「何で!」
「知らないよ」
「私、連絡先まで聞いたんですよ!」
「うん」
「お礼したいって!」
「うん」
「焼肉好きですかって!」
「それは知らない」
「しかも今、二人でご飯誘ってる!」
友梨亜がとうとう笑った。
「笑わないでください!」
「ごめん、無理」
「最悪!」
六花は再びスマホを見る。
丞からの返信は、まだない。
今すぐメッセージを送りたい。
でも何と送ればいい。
『すみません、人違いでした』
違う。
『助けてくれた人、あなたじゃなかったみたいです』
もっと酷い。
『今までありがとうございました』
何が終わるんだ。
「どうすればいいですか」
「本人に言えば?」
「何て?」
「間違えましたって」
「無理ですよ!」
「事実でしょ」
「それ言ったあと、今日のご飯どうなるんですか!」
友梨亜は少し考えた。
「別に行けばいいじゃん」
「何で?」
「誘ったんでしょ」
「でも、お礼する理由なくなったじゃないですか」
「じゃあ行きたくないの?」
六花は口を開いた。
すぐには答えられなかった。
行きたい。
それは間違いない。
丞と二人で食事をしてみたい。
もっと話してみたい。
ただ、その理由を今までは「お礼」で隠せていた。
助けてもらったから。
お礼がしたいから。
だから連絡する。
だから誘う。
全部それで説明できた。
でも、その前提がなくなった。
「……それとこれとは」
六花が言うと、友梨亜が笑った。
「別なんだ?」
「分かんないです」
「じゃあ、それも本人に聞けば」
「何をですか」
「お礼じゃなくてもご飯行っていいですかって」
「死にます」
「何で」
「恥ずかしくて」
「今さら?」
「今さらって何ですか!」
その時、六花のスマホが震えた。
二人同時に画面を見る。
丞だった。
『大丈夫です』
六花は固まった。
友梨亜が横から覗く。
「よかったじゃん」
「何が大丈夫なんですか」
「二人でご飯でしょ」
「今それどころじゃないですよ!」
六花は頭を抱えた。
それでも、返信する指は速かった。
『じゃあ19時どうですか?』
送信。
すぐに友梨亜を見る。
「どうしよう」
「もう送ったじゃん」
「だって時間決めないと」
「行く気満々じゃん」
六花は黙った。
確かにそうだった。
午後六時五十八分。
待ち合わせ場所へ行くと、丞はもう来ていた。
相変わらず背が高い。
人混みの中でもすぐ分かる。
六花は少し離れた場所で立ち止まった。
今までなら、そのまま手を振って近づいていた。
今日はできない。
あの人は、自分を助けてくれた人ではない。
正確には、転びそうになったところを支えてくれた人ではある。
でも、それだけだ。
しつこい男に声をかけてくれたのは一二三だった。
そう思うと、急に距離感が分からなくなった。
丞がこちらに気づいた。
目が合う。
もう逃げられない。
六花は歩いていった。
「こんばんは」
「こんばんは」
丞はいつも通りだった。
六花だけが変だった。
「二階堂さん」
「はい」
「最初に謝っていいですか」
丞が少し首を傾げる。
「何を」
六花は一度息を吸った。
「間違えてました」
「何をですか」
「助けてくれた人」
丞が止まった。
六花は勢いで続ける。
「私、この前ずっと二階堂さんが助けてくれたと思ってたんですけど、一二三さんだったんですよね?」
数秒の沈黙。
「はい」
丞は普通に答えた。
六花は顔を覆いたくなった。
「やっぱり!」
「はい」
「何で言ってくれなかったんですか!」
丞が少し困った顔をする。
「言おうとしました」
「いつ?」
「最初に会った時」
六花は思い出す。
『この前はありがとうございました!』
『いや』
『金曜の夜です!』
『俺は』
確かに。
何か言おうとしていた。
「……私が遮った?」
「はい」
「連絡先聞いた時は?」
「その時も」
「私が?」
「ずっと喋ってたので」
六花は両手で顔を覆った。
「最悪」
「すみません」
「何で二階堂さんが謝るんですか」
「分からないです」
「私も分かんないです!」
丞は黙った。
六花も黙った。
気まずい。
初めて、丞との沈黙が気まずい。
「一二三さんに電話していいですか」
「何で俺に聞くんですか」
「何となく」
「いいんじゃないですか」
六花はその場で一二三に電話した。
数回の呼び出し音。
『もしもし』
「一二三さん!」
『声でか』
「この前!」
『うん』
「助けてくれたの一二三さんだったんですか!」
電話の向こうで、少し間があった。
それから笑い声が聞こえた。
『やっと気づいた?』
「知ってたんですか!」
『知ってた』
「何で言わないんですか!」
『タスクが言うと思って』
六花は丞を見る。
丞は目を逸らした。
「言ってくれなかったです!」
「言おうとしました」
横から丞が言う。
電話の向こうで一二三がまた笑った。
『今タスクといるの?』
「います!」
『飯?』
「そうです!」
『お礼?』
六花は止まった。
「……違います」
言ってから、自分で驚いた。
一二三も少し黙った。
『へえ』
「何ですか、その言い方」
『別に』
「ムカつく」
『俺へのお礼は?』
「あ」
完全に忘れていた。
「します!」
『別にいらないよ』
「でも」
『じゃあ今度四人で飯行く時、一、二杯奢って』
「それだけ?」
『それだけ』
「ホントに?」
『助けたってほどのことしてないし』
六花は少し黙った。
自分にとっては、かなり助かった。
あの時、一二三たちが来なければどうなっていたかは分からない。
「ありがとうございました」
今度はちゃんと言った。
電話の向こうで、一二三が少し笑った。
『はいはい』
「軽い」
『重くされても困る』
「友梨亜さんに似てきてますよ」
『嫌なこと言うな』
六花は笑った。
「じゃあ今度奢ります」
『よろしく』
電話を切る。
目の前には丞がいる。
六花はスマホをバッグにしまった。
「すみませんでした」
「何がですか」
「色々」
「別に」
「私、完全に勘違いしてました」
「はい」
「そこは否定してくださいよ」
「事実なので」
「そういうところですよ」
丞は少し困った顔をした。
六花は思わず笑った。
さっきまでの気まずさが、少しだけ消えた。
「じゃあ」
六花は言った。
「今日どうします?」
「どうするって」
「ご飯」
「行くんじゃないんですか」
「いや、だって」
六花は少し言葉に詰まった。
「お礼じゃなくなったんで」
丞は黙った。
六花も待った。
「帰りたいですか?」
丞が聞いた。
「え?」
「立花さんが」
「私は別に」
「じゃあ食べればいいんじゃないですか」
「いいんですか?」
「もう来たので」
六花は丞を見た。
相変わらず、言い方にはまったく色気がない。
でも、なぜか嬉しかった。
「行きましょう!」
「はい」
二人で歩き出す。
「何食べます?」
六花が聞く。
「焼肉」
「好きなんですよね」
「別に」
「え?」
丞が少し止まった。
「焼肉って言ったの、ヒフミです」
「……どういうことですか」
「何が好きか聞かれて」
「はい」
「分からなかったから聞きました」
「誰に?」
「ヒフミ」
六花は歩きながら止まった。
「待ってください」
「はい」
「私とのLINE、一二三さんに見せたんですか?」
「見せました」
「どこから?」
「最初から」
六花は両手で顔を覆った。
「最悪!」
「何がですか」
「全部じゃないですか!」
「何て返せばいいか分からなかったので」
「だからって本人の彼氏に!」
「本人?」
「友梨亜さんの!」
「ああ」
「『食べ物ですよ笑』とかも?」
「はい」
「『好きな料理とか!』も?」
「はい」
「消えたい」
「何で」
「恥ずかしいからです!」
丞には、本当に分からないらしい。
六花はしばらく悶えたあと、諦めた。
「もういいです」
「すみません」
「だから何で謝るんですか」
「怒ってるので」
「怒ってないです」
「じゃあいいです」
「切り替え早いな!」
店は本当に焼肉になった。
丞が選んだわけではない。
六花が、
「もうここまで来たら焼肉にしましょう」
と言ったからだ。
席について注文を済ませる。
向かいに丞。
二人きり。
改めて考えると少し緊張する。
四人でいた時とは違う。
六花は、とりあえず喋ることにした。
「二階堂さん」
「はい」
「私から連絡来るの、迷惑ですか?」
丞の箸が止まった。
「何でですか」
「だって」
六花は水を飲んだ。
「今まで、お礼って理由があったじゃないですか」
「はい」
「でもなくなったんで」
「はい」
「これから連絡したら、何でってなるかなって」
丞はしばらく考えた。
本当に考えている。
六花はだんだん不安になった。
「そんなに考えます?」
「考えてます」
「嫌なら嫌でいいですよ」
「嫌ではないです」
六花は少しだけ姿勢を正した。
「ホントに?」
「はい」
「じゃあ連絡していい?」
「頻度によります」
「頻度?」
「毎日はちょっと」
あまりにも具体的で、六花は笑った。
「毎日嫌なんだ」
「返事が難しいので」
「じゃあ二日に一回?」
「決めるんですか」
「冗談ですよ」
丞は少しだけ安心したように見えた。
「でも」
六花は言った。
「迷惑ではない?」
「はい」
それだけで、少し嬉しい。
自分でも単純だと思う。
肉が運ばれてきた。
六花が焼く。
丞は見ている。
「焼かないんですか」
「焼いてくれてるので」
「私が全部やるんですか?」
「嫌ならやります」
「そうじゃなくて」
六花は笑った。
「一緒にやりましょうよ」
丞もトングを持った。
しばらく二人で肉を焼く。
「二階堂さんって」
「はい」
「何で彼女いないんですか?」
丞の手が止まった。
「またそれですか」
「だって気になる」
「人といると疲れるので」
「私といるのも?」
丞は六花を見る。
少し考える。
「少し」
六花は吹き出した。
「そこ正直に言う?」
「聞かれたので」
「普通、違うって言うんですよ」
「嘘になるので」
「でも少しなんだ」
「はい」
「じゃあ思ったより疲れてない?」
「比較対象が分からないです」
「難しいなあ」
六花は笑った。
丞もほんの少しだけ笑ったように見えた。
「二階堂さん」
「はい」
「私のこと苦手ですか?」
「質問多いですね」
「気になるんで」
「苦手ではないです」
「ホントに?」
「はい」
「じゃあ好き?」
丞が完全に止まった。
六花も言ってから、少しやりすぎたと思った。
「今のなし!」
「はい」
「即答しないでください!」
「なしって言ったので」
「そうだけど!」
六花は笑った。
丞との会話は難しい。
でも面白い。
返ってくる言葉が予想できない。
変に気を遣った答えも返ってこない。
「逆に聞いていいですか」
丞が言った。
六花は驚いた。
「え」
「何ですか」
「二階堂さんから質問するんですね」
「ダメですか」
「全然! 何ですか?」
丞は少し考えた。
「立花さんって、何でそんなに人と会うんですか」
「え?」
「飲みに行ったり」
「はい」
「よく誘ってますよね」
「まあ」
「疲れないんですか」
六花は考えた。
今までそんなことを聞かれたことはなかった。
「楽しいから?」
「毎回?」
「毎回ではないです」
「じゃあ何で」
丞は本当に疑問らしい。
六花は肉を一枚ひっくり返した。
「家に一人でいるの、つまんなくないですか?」
「別に」
「二階堂さんはそうでしょうね」
「立花さんは?」
「暇になります」
「暇なら何かすれば」
「一人で?」
「はい」
「それがつまんないんですよ」
「そうですか」
「そうなんです」
六花は笑った。
でも、丞はまだ見ている。
続きを待っているらしい。
「あと」
六花は少し考えた。
「みんな何かしてるじゃないですか」
「何か?」
「彼氏できたり、結婚したり」
「はい」
「旅行行ったり、転職したり」
「はい」
「何かどんどん進んでる感じ」
丞は黙って聞いている。
「私、別に焦ってるわけじゃないんですよ」
「はい」
「でも家で一人でいると」
六花は少し笑った。
「自分だけ止まってる感じする時あるんですよね」
口にしてみると、思っていたより本音だった。
六花自身、少し驚いた。
「だから飲みに行くんですか」
「多分」
「危ない目に遭ったのに」
六花は止まった。
「……はい」
「また行く?」
「多分」
「反省してないですね」
「してますよ!」
「でも行くんですよね」
「行きます」
「じゃあしてない」
「してます!」
丞は真顔だ。
六花は笑った。
「二階堂さん、一二三さんに似てますね」
「嫌です」
あまりにも速かった。
「そこ即答なんだ!」
「似てないです」
「幼馴染なのに」
「関係ないです」
六花は笑い続けた。
食事は思ったより長くなった。
丞はあまり話さない。
六花も途中から、無理に話題を探さなくなった。
肉を焼いて、食べる。
少し話す。
また黙る。
最初は沈黙が気になった。
でも、そのうち気にならなくなった。
丞は沈黙していても、スマホを見ない。
退屈そうにもしていない。
ただ普通にそこにいる。
六花はそれが少し不思議だった。
今まで二人で食事をした男は、沈黙になると大抵何かを話そうとした。
仕事。
趣味。
恋愛。
次の店。
あるいはスマホを見る。
丞は何もしない。
ただ肉を食べている。
それなのに、六花は思ったほど居心地が悪くなかった。
店を出ると、午後九時を過ぎていた。
「思ったより長くいましたね」
六花が言う。
「そうですね」
「疲れました?」
丞は少し考える。
「少し」
「また言う」
「聞かれたので」
「でも帰りたいほどではなかった?」
「はい」
「じゃあ合格」
「何が」
「私が」
「何の」
「知りません」
丞は首を傾げた。
駅まで歩く。
人が多い。
六花は少しだけ歩幅を小さくした。
丞は背が高いので、普通に歩かれると速い。
すると丞も少し速度を落とした。
六花は気づいた。
何も言わなかった。
駅前で立ち止まる。
「二階堂さん」
「はい」
「またご飯行ってもいいですか?」
丞はすぐには答えなかった。
また考えている。
六花は待った。
「予定合えば」
「それ、行きたくない人が言うやつじゃないですか?」
「そうなんですか」
「そうですよ」
「じゃあ」
丞は少し考え直した。
「行きたくないわけではないです」
六花は笑った。
「それならいいです」
「はい」
「つまり、嫌じゃなかった?」
「はい」
「楽しかった?」
また丞が止まる。
「そこは考えるんだ」
「楽しいの基準が」
「もういいです」
六花は笑った。
「嫌じゃなかったなら、それで」
丞も少しだけ笑った。
「じゃあ」
「はい」
「また」
「はい」
六花は手を振って改札へ向かった。
振り返る。
丞はまだいた。
目が合う。
六花はもう一度手を振った。
丞も小さく手を上げた。
電車に乗る。
座った瞬間、友梨亜からメッセージが来た。
『どうだった?』
六花は少し考えてから返信した。
『間違えてました』
すぐに返ってくる。
『知ってる』
『そうじゃなくて』
『何が』
『助けてくれた人間違えてたけど』
少し考える。
『ご飯は楽しかったです』
既読。
しばらくして、
『それもうお礼じゃないね』
と返ってきた。
六花は画面を見た。
確かにそうだ。
今日、丞と食事をした理由は最初こそお礼だった。
でも、お礼する相手ではないと分かったあとも帰らなかった。
丞も帰らなかった。
二人で焼肉を食べた。
話した。
黙った。
また会ってもいいと言われた。
六花は窓に映る自分を見た。
少し笑っている。
「何だこれ」
自分でも分からない。
助けてくれた人だから気になったのだと思っていた。
顔が好みだったから、少し浮かれているだけだと思っていた。
でも、その二つだけではなかったらしい。
少なくとも今は、丞がどんな人なのかもう少し知りたい。
それだけは分かった。
スマホが震えた。
丞からだった。
『今日はありがとうございました』
六花は思わず笑った。
『こちらこそ!』
送る。
続けて、
『また誘います!』
と打つ。
そのまま送ろうとして、少し止まった。
丞は毎日の連絡は疲れると言っていた。
返信するのも難しいらしい。
六花は一度文字を消した。
少し考えて、打ち直す。
『また誘ってもいいって言ったの、忘れないでくださいね笑』
送信。
一分ほどして既読がついた。
返信はすぐには来ない。
六花は待った。
三分。
五分。
以前なら、さらに何か送っていたかもしれない。
『寝ました?』
とか、
『返信遅い笑』
とか。
今日は送らなかった。
電車が一駅進む。
スマホが震えた。
『覚えてます』
それだけだった。
六花は笑った。
短い。
本当に短い。
でも、今日はそれで十分だった。
助けてくれた人を間違えた。
お礼を言う相手も間違えた。
連絡先を聞く相手も、その理由も間違えた。
六花は昔から、こういう間違いが多い。
反省はする。
そして、あまり学習しない。
今回だって、たぶん褒められたものではない。
それでも今回は、間違えた先に何かが残った。
次に丞と会う理由は、もう勘違いではなかった。
ご意見ご感想あればぜひぜひコメントしてください。一言でも構いません。励みになります。
私はいつでもMinority




