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第2話 別に今すぐじゃなくていいけど

広畑ひろはた 友梨亜ゆりあは、送ったメッセージを見ていた。


『別に今すぐって意味じゃないからね』


既読はついている。


返事はない。


午前九時二十二分。


仕事中なのは分かっている。自分だって仕事中だ。だから返ってこなくても普通だ。


普通。


分かっている。


友梨亜はスマホを伏せ、パソコンの画面に戻った。


メール、資料、数字。今日中に確認しなければならない案件がある。午前中に一本、午後に二本。明日の会議資料もまだ完成していない。


やることはいくらでもある。


だから、スマホなんか見ている暇はない。


五分後。


友梨亜はまたスマホを見た。


返事はなかった。


「何やってんだろ」


小さく呟く。


「何がですか?」


隣から声がした。


友梨亜は反射的にスマホを伏せた。


「何でもない」


「絶対なんかありましたよね」


立花たちばな 六花りっか、26歳。同じ部署の後輩だ。


仕事はそこそこ。愛想はかなりいい。上司への返事もよく、取引先への受けもいい。そして何より、機嫌が悪い日がほとんどない。


友梨亜とは六歳違う。


なのに、入社してしばらくすると妙に懐いてきた。


「友梨亜さん、朝からスマホ見すぎです」


「見てない」


「見てますよ」


「仕事しなさい」


「してます」


「じゃあ私のこと見ないで」


「視界に入るんですよ」


「席変えてもらえば?」


「嫌です。友梨亜さんいないと困るんで」


友梨亜はパソコンに向き直った。


「何が困るのよ」


「色々」


「雑」


「でもホントですって」


六花は笑いながら自分の画面へ戻った。


こういうところが、少し羨ましかった。


六花は誰とでも話せる。深く考えない。少なくとも、そう見える。


誘われれば飲みに行く。面白そうなら参加する。知らない人ともすぐ仲良くなる。


そのせいで、よく失敗もする。


財布を店に忘れる。終電を逃す。知らない人の誕生日会に参加する。飲み会で知り合った男についていき、翌朝になってから「よく考えたらあの人誰だったんだろ」と言う。


友梨亜からすると、信じられない失敗も多い。


そのたびに呆れるのだが、六花は次の日には大体元気だった。


昔の自分も、もう少しそうだった気がする。


友梨亜は仕事に戻った。


三十二歳。


その年齢になった瞬間、何かが変わったわけではない。


朝起きたら急に老けていたわけでもない。仕事ができなくなったわけでも、服が似合わなくなったわけでもない。男性からまったく声をかけられなくなったわけでもない。


ただ、少しずつ変わった。


本当に少しずつ。


最初に気づいたのは、二十九歳くらいだった。


以前なら合コンの誘いが来ていた同期から、結婚式の招待状が来るようになった。飲み会の話をしていた先輩は、いつの間にか保育園の話をするようになった。


金曜日の夜に誘えばいつでも来ていた友人も、


『旦那に聞いてみる』


と言うようになった。


三十を過ぎた頃には、


『今度飲もうよ』


の「今度」が、本当に来なくなった。


嫌われたわけではない。


むしろ仲はいい。連絡も取るし、誕生日にはメッセージも来る。


ただ、みんなの人生の中心から、自分が少しずつ外れていった。


それだけだった。


午前十一時。


会議室で、友梨亜は資料を説明していた。


「前月比で見ると数字は落ちていますが、ここは季節要因が大きいので、前年同月との比較を見た方がいいと思います」


上司が頷く。


「広畑さん、この辺まとめてもらえる?」


「はい。午後までに修正版出します」


「助かる」


会議が終わり、友梨亜は資料を閉じた。


仕事はできる。


自分でも分かっている。


別に天才ではない。ただ、大きく失敗しない。事前に確認する。相手が欲しいものをある程度先回りする。締切は守る。新人の面倒も見る。上司が言い忘れたことも拾う。


そうやって十二年働いてきた。


気がつけば、


「広畑さんに任せれば大丈夫」


と言われることが増えた。


悪い気はしない。


ただ最近、その言葉が少しだけ重い。


会議室を出ると、六花が待っていた。


「お疲れさまです」


「何してるの」


「友梨亜さん待ってました」


「何で」


「ランチ」


「まだ十一時じゃん」


「今日は早めに行けるかなって」


「仕事は?」


「あります」


「じゃあやって」


「冷たい」


友梨亜は笑った。


「十二時になったら行くから」


「絶対ですよ」


「はいはい」


席に戻り、スマホを見る。


返事が来ていた。


一二三。


『ごめん仕事中だった。急にどうした?』


友梨亜は画面を見つめた。


急にどうした。


別に急ではない。


前から考えていた。


いや、前からというほどでもない。


最近、少しずつ考えることが増えた。


返信する。


『何となく聞いてみただけ』


送った瞬間、後悔した。


何となくではない。


でも、重いと思われたくなかった。


数分後。


『そっか』


それだけ。


友梨亜はスマホを置いた。


「……そっかって何」


小声で言う。


「何がですか?」


「何でもない!」


六花が笑った。


十二時十分。


会社近くのパスタ屋で、六花は大盛りの明太子パスタを食べていた。


「友梨亜さん、食べないんですか?」


「食べてる」


「全然減ってないです」


「今食べてるでしょ」


「恋ですか?」


友梨亜はフォークを止めた。


「何でそうなるの」


「朝からスマホ気にしてるし」


「仕事かもしれないでしょ」


「仕事だったら、そんな嫌そうな顔しないですよ」


「嫌そうな顔してる?」


「してます」


友梨亜は水を飲んだ。


「一二三さんですか?」


「まあ」


「喧嘩?」


「してない」


「じゃあ何ですか」


「別に」


「出た」


「何よ」


「女の別に」


「女でまとめないで」


六花は笑った。


「何聞いたんですか?」


「何で聞いたって分かるの」


「友梨亜さん、返事待ってる顔だから」


友梨亜は少し黙った。


六花はパスタを巻いている。


言うべきか迷った。


この手の話をすると、大抵その次に来る言葉は分かっている。


結婚?


もう一年付き合ってるんでしょ?


聞いてみれば?


三十二なんだから大事だよ。


そろそろ考えないと。


そういうの。


全部、分かっている。


分かっているからこそ、聞きたくない。


「結婚する気あるか聞いただけ」


六花のフォークが止まった。


「おお」


「何、その反応」


「いや、思ったより本題だったんで」


「本題って」


「もっと『最近LINE減ったんだけど』とかだと思ってました」


「そういうのじゃない」


「で、一二三さん何て?」


「まだちゃんと返事きてない」


「え」


六花の顔が変わった。


「逃げたんですか?」


「そういう言い方しないで」


「だって」


「仕事中なんだから」


「でもLINE返ってきてるんですよね?」


「来たけど」


「何て?」


「急にどうしたって」


六花は少し考えた。


「まあ普通ですね」


「でしょ」


「友梨亜さんは何て?」


「何となく聞いただけって」


六花はフォークを置いた。


「それはダメじゃないですか?」


「何でよ」


「本気で聞いたのに、本気じゃないふりしたんですよね?」


友梨亜は黙った。


六花は悪気なく続ける。


「それじゃ一二三さんも、どのくらいちゃんと答えればいいか分かんなくないですか?」


友梨亜は明太子パスタを巻いた。


少し腹が立った。


六花に、というより。


正しいことを言われたことに。


「別に今すぐ結婚したいわけじゃないのよ」


「うん」


「結婚したいっていうか」


「うん」


「何ていうか」


「うん」


「……確認したかっただけ」


「何を?」


友梨亜は答えなかった。


自分でも分からない。


自分が一二三の未来に入っているか。


それを確認したかった。


たぶん。


「六花は結婚したい?」


「いつかは」


即答だった。


「何歳までにとかある?」


「ないですね」


「ないの?」


「ないです」


「焦らない?」


「今のところは」


二十六だから。


そう言いそうになって、やめた。


六花は気づいていない。


あるいは、気づいていて言わないだけかもしれない。


「でも友梨亜さん」


「何」


「一二三さんと結婚したいんですか?」


また。


友梨亜は答えられなかった。


六花が目を丸くする。


「え、そこ迷うんですか?」


「いや」


「めっちゃ迷ってますよね」


「考えたことなかったわけじゃないけど」


「好きなんですよね?」


「好きだよ」


「じゃあしたいんじゃないですか?」


「そんな単純じゃないでしょ」


「そうですか?」


「そうだよ」


六花は首を傾げた。


「私、好きな人できたら割と結婚したいって思いますけどね」


「その好きな人ができてから言って」


「酷い」


友梨亜は笑った。


少し気が楽になった。


六花は何も考えていないようで、たまに核心を突く。


そして、その後で台無しにもする。


「でも一二三さんって、結婚向いてそうですよね」


「何で」


「普通だから」


「褒めてる?」


「めっちゃ褒めてます」


「どういう意味」


「ちゃんと仕事して、変な遊びしなさそうで、浮気とか面倒くさがりそう」


「それは分かる」


「あと優しいですよね」


友梨亜は少し笑った。


「まあね」


「顔も普通」


「そこいらない」


「でも大事ですよ。イケメンすぎると疲れるし」


「一二三に言ったら落ち込むよ」


「友梨亜さんが言わなきゃバレないですよ」


友梨亜は久しぶりにちゃんとパスタを食べた。


一二三は普通だ。


本当に。


身長も普通。顔も普通。仕事も普通。収入もたぶん普通。


派手な趣味もなければ、変なこだわりもない。


毎週会いたいと言えば大体会う。行きたい店があれば付き合う。自分からサプライズをするような男ではないけれど、誕生日は忘れない。


LINEもものすごく早いわけではないが、無視はしない。飲みに行って朝帰りもしない。女友達もほとんどいない。


付き合う前、友梨亜は少し物足りないと思っていた。


もっと、ときめく相手がいるんじゃないか。


そう思っていた。


マッチングアプリには、一二三より条件のいい男はいくらでもいた。


年収。学歴。身長。写真。趣味。海外旅行。経営者。商社。医者。コンサル。


プロフィールには魅力的な言葉がいくらでも並んでいた。


二十代の頃から、友梨亜は選ぶ側だった。


少なくとも本人はそう思っていた。


誘われる。告白される。食事に連れて行ってもらう。店を選んでもらう。褒められる。


その中から、いいと思った相手を選ぶ。


だから一二三と付き合い始めた時も、どこかで思っていた。


もっといい人がいたかもしれない。


そして一年近く経った今。


考えることは逆になっていた。


一二三よりいい人がいるか、ではない。


一二三が、自分よりいい人を見つけるかもしれない。


そんなことを考えてしまう。


自分でも面倒くさいと思う。


午後三時。


仕事に戻ると、社内チャットが飛んできた。


『広畑さん、社長室から資料について確認です』


友梨亜は返信しようとして、そのまま椅子から立った。


直接行った方が早い。


社長室前の秘書席には、椿つばき ゆいが座っていた。


42歳。社長秘書。


この会社で知らない人間はほとんどいない。十五年この席にいて、部署の違う女性社員からもよく相談を受ける。


社内では密かに「椿相談所」と呼ばれているらしい。


本人も知っている。


そして多分、面白がっている。


「あら、友梨亜」


「お疲れさまです」


「早いね」


「チャット見たので」


「メールでいいのに」


「こっちの方が早いかなって」


「仕事できる女は違いますなあ」


「やめてください」


「褒めてるのよ」


結は笑った。


四十二歳には見えない。


そう言うと怒られる。


以前、誰かが同じことを言った時、


「四十二歳に見えないって褒め方、四十二歳を何だと思ってるの?」


と返していた。


なので今では、誰も言わない。


「ここの数字なんだけど」


結が資料を指した。


友梨亜が説明すると、二分ほどで話は終わった。


「了解。じゃあそのままで大丈夫」


「分かりました」


戻ろうとしたところで、結が呼び止めた。


「友梨亜」


「はい?」


「今日、顔変だよ」


友梨亜は止まった。


「え」


「化粧じゃないよ」


「分かってます」


「男?」


「何でみんなすぐ男だと思うんですか」


「じゃあ仕事?」


友梨亜は答えなかった。


結が笑う。


「男ね」


「違います」


「はいはい」


「ホントに」


「別に聞かないわよ」


聞かないと言いながら、結はコーヒーを飲んでいる。


友梨亜は立ったままだった。


帰ればいい。


なのに、なぜか帰らなかった。


「結さん」


「何」


「結婚って、した方がいいと思います?」


結の手が止まった。


「随分でかい相談になったね」


「いや、一般論です」


「一般論なら、好きにすれば」


「そうじゃなくて」


「じゃあ一般論じゃないじゃん」


友梨亜は少し笑った。


この人も、こういうところがある。


「彼氏と何かあった?」


「何もないです」


「じゃあ何で結婚の話?」


「もう一年くらいになるので」


「ああ」


結は頷いた。


「三十二だし」


無意識に口から出た。


結の表情が少し変わる。


「それ」


「はい?」


「三十二だから結婚するの?」


「そういうわけじゃ」


「じゃあ三十五なら?」


「え」


「三十なら?」


友梨亜は答えられない。


「二十八なら?」


黙ったままだった。


結は椅子にもたれた。


「私、結婚二回してるじゃん」


「はい」


「二回とも、その時は正解だと思ってた」


「……はい」


「で、二回とも間違えた」


「そんな言い方」


「間違えたよ」


結は笑った。


「少なくとも、ずっと続く相手ではなかった」


「後悔してます?」


「するよ」


即答だった。


友梨亜は少し驚いた。


結なら、「してない」と言うような気がしていた。


「めちゃくちゃ後悔する時あるよ。何であんな男と結婚したんだろって」


「二人とも?」


「二人とも」


「男見る目なさすぎません?」


「そこは会社中が知ってる」


結は笑った。


「でもさ」


少しだけ声が落ち着いた。


「その二回がなかったら、うちの子たちいないからね」


友梨亜は黙った。


「だから正解か間違いか分かんないのよ」


「……」


「結婚したから正解でもないし、しなかったから失敗でもないし。離婚したから全部間違いだったわけでもない」


「難しいですね」


「難しくしてんのよ、人間が」


「結さんが言うと説得力ありますね」


「二回失敗してるから?」


「そこまで言ってないです」


「顔に書いてある」


二人で笑った。


結は時計を見た。


「そろそろ戻った方がいいんじゃない?」


「あ、はい」


「あと」


「はい?」


「彼氏に聞くなら、聞きたいことちゃんと聞きな」


友梨亜は止まった。


「聞きました」


「何を?」


「結婚考えてる?って」


「それで?」


「何となく聞いただけって言いました」


結はしばらく友梨亜を見た。


「面倒くさい女だねえ」


「ちょっと!」


結は声を出して笑った。


「だってそうでしょ」


「分かってますよ!」


「ならいいじゃん」


「良くないです」


「じゃあ直せば」


簡単に言う。


「でもね」


結はコーヒーに手を伸ばした。


「それ、結婚するかどうか聞きたいんじゃないんじゃない?」


友梨亜は黙った。


「自分がその人の未来にいるか聞きたいんじゃないの」


昼に自分で考えたことと同じだった。


友梨亜は少しだけ目を逸らした。


結はそれ以上何も言わなかった。


「仕事戻ります」


「はい。働け働け」


「結さんもですよ」


「私は働いてる」


「コーヒー飲んでましたけど」


「社長秘書はコーヒー飲むのも仕事なの」


「絶対違います」


席に戻ると、一二三からメッセージが来ていた。


『今日、課長の家行くことになった』


友梨亜は眉をひそめた。


『また?』


『また』


『何でそんなに呼ばれるの笑』


『俺が聞きたい』


少し笑った。


いつもの一二三だ。


『遅くなる?』


そこまで打って、止まる。


消した。


代わりに、


『餃子らしいよ』


と送った。


『なんで知ってるの?』


『前も餃子だったじゃん』


『そうだっけ』


『そう』


数秒後。


『怖』


友梨亜は笑った。


『覚えてるだけ』


『そういうのを怖いって言うんだよ』


『じゃあもう覚えない』


『それはそれで怖い』


どうしろというのか。


でも、こういう会話は好きだった。


何でもない。


意味もない。


一二三と付き合う前は、もっと刺激が必要だと思っていた。


旅行。記念日。いい店。サプライズ。特別なこと。


付き合うなら、そういうものが必要なのだと思っていた。


一二三とは、意外と何もない。


土曜日に町田で飯を食べて、帰りにコンビニへ寄って、家で動画を見る。


友梨亜が先に寝て、一二三がテレビを消す。


そんな日が多い。


昔なら、つまらないと思ったかもしれない。


今は、それがなくなることを考えると少し怖い。


夜七時四十分。


友梨亜は会社を出た。


六花は飲み会へ行った。


「友梨亜さんも来ます?」


と誘われたが断った。


一二三は課長の家。


自分には特に予定がない。


電車に乗り、何となくSNSを開く。


高校時代の友人は、子どもの写真。


大学時代の友人は、結婚記念日。


元同僚は、新築の家。


別の友人は、妊娠報告。


また別の友人は、海外旅行。


友梨亜は画面を閉じた。


別に、羨ましいわけではない。


子どもが欲しいかと言われれば、分からない。


家を買いたいか。


分からない。


結婚式をしたいか。


別に。


専業主婦になりたいか。


それも違う。


今の仕事を辞めたいわけでもない。


じゃあ、何がそんなに不安なのか。


電車の窓に自分が映っていた。


疲れている。


三十二歳。


まだ三十二。


もう三十二。


どちらも聞く。


どちらが正しいのかは分からない。


駅を降り、家まで歩く。


途中でコンビニに寄った。


夕食はサラダとスープ。それに適当に選んだおにぎり。


自宅に着いて着替え、テレビをつける。


別に見たい番組があるわけではない。


一人暮らしを始めた二十四歳の頃は、一人の部屋が好きだった。


自由だった。


誰にも気を使わない。好きなものを食べ、好きな時間に寝る。休みの日は昼まで寝る。


誰かに誘われたら出かける。予定がなければ一人で映画を見る。


それで十分楽しかった。


今も、同じ部屋。


同じ自由。


なのに時々、静かすぎると感じる。


スマホが震えた。


一二三。


『今帰り』


時計を見る。


22時13分。


『お疲れ』


『餃子食いすぎた』


『何個?』


『知らん』


『また子どもと競争した?』


少し間が空いた。


『何で分かるの』


友梨亜は笑った。


『前もやってたから』


『だから怖いって』


『はいはい』


そこで指が止まった。


朝のこと。


聞くか。


やめるか。


結婚、未来、自分。


本当は何を聞きたかったのか。


友梨亜は文字を打った。


『朝の話なんだけど』


送らない。


消す。


『一二三は私と』


消す。


『私とこの先も』


また消す。


「何やってんの」


声に出した。


結局、


『気をつけて帰ってね』


と送った。


すぐに既読がつく。


『ありがとう』


それだけ。


友梨亜はスマホを置き、ソファにもたれた。


少し泣きそうだった。


何が悲しいのか、自分でも分からない。


一二三は何もしていない。


むしろ普通に返信している。


自分が勝手に聞いて、勝手に答えを期待して、勝手に本音を隠して、勝手に不安になっている。


面倒くさい。


自分でも思う。


スマホがまた震えた。


『今度ちゃんと話そうか』


友梨亜は画面を見た。


心臓が少し速くなる。


『何を?』


送る。


返信。


『朝のやつ』


しばらく、その文字を見つめた。


嬉しい、怖い、聞きたい、聞きたくない、全部あった。


『別にいいよ』


送った。


送った瞬間、


「何でそうなるのよ」


自分に言った。


スマホを額に当てる。


一二三から返信。


『そっか』


友梨亜は目を閉じた。


そっか。


また、そっか。


「違うでしょ」


誰もいない部屋で言った。


本当は違う。


話したい、ちゃんと聞きたい。


ただ、答えが怖い。


そして何より怖いのは、一二三がいなくなることではなかった。


一二三がいなくなったあと。


また一人で、


「もっといい人がいるかもしれない」


と思いながら、誰かを探し続ける自分に戻ることだった。


友梨亜はスマホを手に取った。


『ごめん』


打つ。


続けて、


『やっぱり今度話したい』


指を止める。


十秒。


二十秒。


送信した。


既読はつかない。


電車の中なのかもしれない。


風呂かもしれない。


もう寝たかもしれない。


友梨亜はスマホを置いた。


今度は見ない。


そう決めた。


一分後。


見た。


既読。


そして。


『うん』


たった一文字。


友梨亜は少しだけ息を吐いた。


それで何かが決まったわけではない。


一二三が結婚したいと思っているのかも分からない。


自分が本当に結婚したいのかも分からない。


ただ、話すことにはなった。


それだけだった。


友梨亜はテレビを消した。


部屋が静かになる。


明日も仕事だ。


朝起きて、会社に行って、六花に絡まれて、仕事をして、帰る。


何も変わっていない。


でも、朝よりはほんの少しだけ、自分が何を怖がっているのか分かった気がした。


結婚できないこと。


ではない。


選ばれないこと。


でもない。


自分で選んだものを、これでよかったと思えないこと。


たぶん、それが一番怖い。


友梨亜はベッドに入り、スマホを充電器につないだ。


画面には、一二三から届いた最後のメッセージ。


『うん』


それだけだった。


今夜は、それでいいことにした。


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私はいつでもMinority

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