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第8話 人質立てこもり事件(後編)

「本当にやるのか?」


 俺が聞くと、少女は首を傾げた。


「やるよ?」


「いや、だから……」


「大丈夫大丈夫!」


「上手くいくか分かんねぇんだろ!?」


「だから、やってみるんじゃん」


「そういう問題か!?」


 こいつ……。


 妙に軽い。


「でも」


 少女の表情が、少しだけ変わった。


「このまま何もしなかったら、人質の人たち、危ないんでしょ?」


「……」


「なら、行ってみる」


 そう言って、少女は銀行を見る。


「人質の糸が外れたら、そっちに合図する」


「合図って?」


「ん〜……」


 少女は少し考える。


「全員助けられたら、一瞬だけでもいい。実体化して」


 澪が口を挟んだ。


「私が《索敵》で見てる。全身気体化中はあなたの反応が消えるけど、実体化すればまた反応が出る」


「それを合図にすればいい」


「ええっ!?」


 少女が一瞬、困った顔をする。


「……ん〜、まぁ仕方ないか。ちょっと恥ずかしいけど、頑張る」


「じゃ、行ってくるね!」


 そう言って――


 少女の身体が、徐々に綻んでいく。


 腕から肩へ。


 肩から身体へ。


 髪も、足も。


 その輪郭が白い煙となって、空気へ溶けていく。


 やがて――


 少女の姿は、完全に白い煙へ変わった。


「……何度見てもすげぇな」


 和臣が呟く。


 白い煙は地面近くを滑るように進み――


 銀行の外壁へ。


 そして。


 小さな隙間へ吸い込まれるように姿を消し――


 パサッ。


 彼女の着ていた服だけが、その場に落ちた。


「おいおい。服忘れてるぞ、あいつ」


 和臣が焦った声を上げる。


「私が預かっておくわ」


 透花が服を拾い上げる。


「…………」


 和臣が銀行を見る。


「あいつ……今、実体化したらヤバいんじゃね……?」


     ◇


 銀行の奥。


 薄暗い部屋に、数人の人質が集められていた。


 その首には――


 細い糸。


 一本ではない。


 何本もの糸が絡み合うように巻きついている。


「動くなよ」


 部屋の奥にいた男が言った。


 指先から伸びる糸が、人質たちの首へ繋がっている。


「変なことしたら――分かってるな?」


 人質たちは、何も言えない。


 ただ震えていた。


 その時。


 床際。


 わずかな隙間から、白い煙が入り込む。


 誰にも気づかれないまま――


 煙はゆっくりと人質の背後へ回った。


 そして。


 一人の人質のすぐ横で――


 少女の顔と手だけが、ふっと姿を現す。


「……っ!?」


「しーっ」


 少女が人差し指を立てる。


「助けに来たよ」


 明るく笑う。


 人質の目が大きく見開かれた。


 少女は再び顔を煙へ戻す。


 手だけを残し――


 人質の首に巻かれた糸へ触れる。


「……結構キツいなぁ」


 小さく呟きながら、少しずつ糸を外していく。


 一人。


 二人。


 少女は、人質の首に巻かれた糸を外していく。


 震えている人質たちを見ながら――


 ふと、昔の記憶が蘇った。


     ◇


 数年前――


 彼女自身も、ある事件に巻き込まれたことがあった。


 人質に取られ――


 監禁された。


 暗い部屋。


 手には、手錠。


 身体には、縄。


 扉は固く閉ざされている。


 逃げられない。


 このままでは――殺されるかもしれない。


 きっと、親も心配している。


(悔しい……)


 彼女は歯を食いしばった。


(手を拘束する手錠も――)


(体を縛り付ける縄も――)


(私を閉じ込めている、この部屋も!)


(全部すり抜けて逃げられたらいいのに……!)


 そう、強く思った。


 その時――


「……え?」


 自分の身体が、わずかに綻んでいることに気づいた。


「何これ……? 身体が……?」


 綻びは止まらない。


 腕の輪郭が崩れていく。


 やがて――


 腕が白い煙のように分散し、空気の中へ溶けていった。


 カラン。


「……?」


 床に、手錠が落ちた。


「え? 何これ?」


 少女は戸惑う。


 自分の腕が――ない。


「やだっ! 私の腕……治って……!」


 必死に念じる。


 すると――


 空気中へ溶けていった白い煙が、少しずつ集まり始めた。


「……!」


 煙が形を作っていく。


 腕。


 手。


 指。


 みるみるうちに――


 元の腕へ戻っていった。


「……戻った」


 腕を見る。


 手錠は、もうない。


 それどころか――


 身体の後ろで縄に縛りつけられていたはずの腕が、縄から抜けている。


「今の……なんだったの……?」


 何が起きたのか分からない。


 それでも――


 自由になれた。


 そのことに、少女は小さく息を吐いた。


 だが。


 まだ問題は残っている。


 扉は、閉ざされたままだ。


(ここから出たい……)


 少女は扉を見る。


(よく分からないけど……手錠は抜けた)


(だったら――)


(さっきの感じで、この扉もすり抜けられたら……)


 少女は扉に手を当てる。


 そして――


 念じた。


「……!」


 再び、手が白い煙のように綻び始める。


 指先が崩れ――


 煙となったその一部が、扉のわずかな隙間から外へ流れていく。


(いける……!)


(行けっっ……!)


 少女は強く念じる。


(このままっ……!)


 綻びが広がっていく。


 手から腕へ。


 腕から肩へ。


 身体へ。


(この隙間からっ!)


 やがて――


 全身が綻んだ。


 その身体すべてが、白い煙へ変わる。


 そして。


 閉ざされた扉の隙間を――


 すり抜けた。


     ◇


(あの時と同じ)


 少女は、人質の首に巻かれた糸を外していく。


(怖いよね)


(こんなところに閉じ込められて)


(逃げられなくて)


(いつ殺されるかも分からなくて)


 だから――


 一秒でも早く。


 この人たちを、ここから出してあげたい。


 最後の一人。


 少女の手が、首に巻かれた糸へ伸びた。


 慎重に――


 一本ずつ。


 絡みついた糸を外していく。


 そして。


「……よし」


 最後の糸が、首から離れた。


 これで――


 全員。


 少女は小さく息を吐く。


(合図……)


 外で待っている澪の言葉を思い出す。


『全員助けられたら、一瞬だけでもいい。実体化して』


「…………」


 少女は周囲を見る。


 すぐ近くに、倒れた机があった。


「ちょっとだけ……ごめんね」


 人質たちに小声で言うと――


 机の陰へ滑り込む。


 そして。


 白い煙が集まり――


 一瞬だけ。


 少女の身体が、元の姿へ戻った。


     ◇


「……出た」


 澪が声を上げる。


「!」


「さっきの子の反応」


 銀行の中を見つめる。


「実体化した」


「ってことは――」


「あの子が言ってた通りなら」


 澪が俺たちを見る。


「人質の糸は、全部外れた」


「よし!」


 和臣が拳を握る。


「行くぞ!」


     ◇


 少女はすぐに、再び身体を白い煙へ変えようとする。


 その時だった。


「誰だ、お前」


「…………」


 少女の動きが止まった。


 机の陰からゆっくりと顔だけを出す。


 部屋の奥。


 《糸》の能力者が――


 こちらを見ている。


「ヤバっ! バレた!」


「何者だ!」


 男が腕を振った。


 ヒュンッ!!


 一本の糸が少女へ向かって飛ぶ。


「当たらないよーだっ!」


 瞬間。


 少女の身体が――


 白い煙へ変わる。


 糸が、その身体をすり抜けた。


「なっ!?」


 男の目が見開かれる。


 その隙に――


 白い煙は床を這うように部屋の外へ流れていった。


「待て!」


 男が追おうとした――


 その瞬間。


 ドゴォン!!


 銀行の正面入口から、大きな音が響いた。


     ◇


「行くぞ!!」


 和臣が先頭を走る。


「おう!」


 俺も続く。


「止まれ!」


 正面にいた男が武器を構える。


「邪魔だぁ!!」


 和臣の拳に炎が灯る。


 ドゴッ!!


「ぐぁっ!」


 男が吹き飛んだ。


「だからいきなり飛ばしすぎだって!」


「時間ねぇんだよ!」


 もう一人がこちらへ向かってくる。


 その手に持った武器が振り下ろされた。


「朔!」


 鈴音の声。


 直後――


 俺たちの前に、透明な壁が現れる。


 ガンッ!!


「!?」


 攻撃が《防壁》に弾かれた。


「守りは私に任せてねぇ」


「サンキュー! 鈴音。あとは俺らに任せろ!」


 俺と和臣は、そのまま奥へ走る。


     ◇


「何が起きてる!?」


 《糸》の能力者が、入口を見る。


 その間に――


「今です!」


 人質の一人が立ち上がった。


 次々と、人質たちが出口へ向かって走り出す。


「待て!!」


 男が指を動かす。


 ヒュンッ!!


 大量の糸が、人質へ向かって伸びた。


「させない!」


 鈴音が手を前へ出す。


 《防壁》。


 バババババッ!!


 糸が透明な壁へ突き刺さる。


「……っ」


 鈴音の身体が、わずかに後ろへ押された。


「鈴音!」


「大丈夫!」


 鈴音は踏ん張る。


「早く、人質を!」


「分かった!」


 透花が人質たちを出口へ誘導する。


「こっち! 急いで!」


 人質たちが次々と外へ向かう。


「くそっ!」


 男が腕を振った。


 壁や天井へ糸が伸びる。


 その糸が一気に縮み――


 男の身体が宙へ跳ね上がった。


「うおっ!?」


 和臣が見上げる。


 男は天井近くまで移動すると――


 両腕を広げた。


 何十本もの糸が集まっていく。


 一本。


 二本。


 十本。


 さらに――


 束ねられる。


 やがて。


 巨大な刃のような形へ変わった。


「切り刻んでやる!」


 男が腕を振り下ろす。


「鈴音!」


「分かってる!」


 《防壁》が展開される。


 ズガァン!!


「……っ!!」


 透明な壁が大きく揺れた。


「これ……かなり重い!」


「なら――」


 和臣が前へ出る。


「燃やしゃいい!!」


 炎が一気に噴き上がる。


 ゴォォォォッ!!


 束ねられた糸を炎が包み込む。


「……!」


 だが――


 糸は切れない。


「マジかよ!」


 男が笑う。


「無駄だ!」


 さらに糸が集まり――


 束が太くなっていく。


「俺の糸は、そんな簡単に燃えねぇよ!」


「チッ!」


 和臣が炎を強める。


 だが。


 焼けるより先に、何本もの糸が補充されていく。


(違う……)


 俺は糸を見る。


 燃えないんじゃない。


 一本一本は――


 炎に触れたところから、ちゃんと焼けている。


 でも。


 燃える前に、新しい糸を束ねて補強している。


(だから切れねぇのか)


 男が再び腕を振る。


 束ねられた糸が、和臣へ向かって飛ぶ。


「和臣!」


「分かってる!」


 和臣が避ける。


 だが――


「ッ!」


 腕を一本の糸が掠めた。


 浅く皮膚が切れる。


「和臣!」


「こんくらい平気だ!」


 俺は再び男を見る。


 束になった糸。


 その根元。


 男の指先から次々に生成されている――


 細い糸。


「……和臣!」


「あぁ!?」


「束になってから燃やすな!」


「は?」


「出たばっかの糸だ!」


 和臣が男の指先を見る。


「一本のうちに焼け!」


「……!」


 ニヤッ。


 和臣が笑った。


「なるほどな」


「何を――」


 男の指先から、新しい糸が伸びる。


 瞬間――


「そこだぁ!!」


 和臣が腕を振る。


 炎が走った。


 ゴォッ!!


「なっ!?」


 束ねられる前の細い糸へ――


 炎が直撃する。


 プツッ。


 糸が焼き切れた。


「なに!?」


「やっぱりな!」


 俺は走り出す。


「一本一本が燃えねぇわけじゃねぇ!」


 男が次の糸を出す。


「させるかよ!」


 和臣の炎が、次々と焼き切っていく。


「テメェ……!」


 男が俺を見る。


 だが。


 もう遅い。


 糸を束ねられなければ――


 さっきまでの攻撃は作れない。


「終わりだ!」


 俺は男の懐へ潜り込む。


「ぐっ――!」


 拳を――


 腹へ叩き込んだ。


 ドゴッ!!


「がはっ!」


 男の身体が床へ転がる。


 伸びていた糸が――


 一斉に力を失った。


     ◇


 数分後。


 犯人たちは、すべて確保された。


 人質も――


 全員無事。


「はぁ……終わった」


 俺は小さく息を吐く。


「朔」


「ん?」


 透花が、俺の後ろを見る。


「そいつ、連れてきて」


「そいつ?」


 振り返ると――


「痛ってぇ……」


 和臣が切れた腕を押さえていた。


「お前……」


「浅いって」


「手、出して」


 透花が和臣の前に立つ。


「いや、このくらい――」


「手」


「…………」


 和臣がおとなしく腕を差し出す。


 透花の手が淡く光る。


「だから言ったでしょ」


「何が?」


「考えなしに突っ込んで無駄に怪我して帰ってくるの、やめてって」


「これは必要な怪我だ!」


「どこがよ! どうせ糸なら燃やせると思って突っ込んだんでしょ」


「結果、人質助かっただろ!」


「もっと慎重に行ってれば怪我しなくても助けられたでしょ!」


「んなこと分かるか!」


「分かるわよ!」


「……ふふっ」


 鈴音が小さく笑った。


「なんだよ」


「仲いいんだねぇ」


「よくねぇ!!」


 二人の声が重なった。


「息ピッタリじゃん」


「うるせぇ!」


 ……なんか、このパターン前にも見たような。


 その時。


「ねぇー!」


 聞き覚えのある声がした。


「ん?」


 振り返る。


 少し離れた物陰から――


 白い煙が漂っている。


「あ」


 和臣が声を上げた。


「そういや、あいつ……」


「はいはい」


 透花が預かっていた服を持ち上げる。


「持ってきてるわよ」


「よかったぁ!」


 煙から声が返ってくる。


「そこ置いといて!」


「分かった」


 透花が物陰へ服を置く。


 数秒後。


「お待たせ!」


 服を着た少女が、元気よく飛び出してきた。


「……お前、あの中でよく平気だったな」


「全然平気じゃないよ!」


「そうなのかよ」


「だからほとんど気体のままだったんじゃん!」


「なるほどな……」


 和臣が妙に納得している。


「でも」


 少女は救出された人質を見る。


 その顔に――


 安心したような笑みが浮かんだ。


「全員助かって、よかった」


     ◇


 その後――


 ARC本部。


「それで」


 美琴さんが、目の前の少女を見る。


「どうして一人で銀行の中に入ったの?」


「だって私なら入れそうだったし!」


「……」


「待ってられなかったんだよね」


 少女は笑う。


 だが。


 その瞬間――


 美琴さんの目が、わずかに細くなった。


 《感応》。


 強く表面へ浮かんだ感情。


 その奥にある思考が――


 美琴さんへ流れ込む。


 手錠が床へ落ちる音。


 閉ざされた扉。


 犯罪者への恐怖。


 ここから出られないかもしれないという絶望。


『あの人たちを、一秒でも早く助けたかった……。』


『だって私は……あの人たちの恐怖を知ってるから……。』


「……」


 少女は――


 美琴さんに聞こえていることなど、知らない。


「……ってことで! 結果オーライじゃない?」


「ダメよ」


「え?」


「結果が良ければ、一人で危険なことをしていいわけじゃない」


「……はーい」


「次からは、一人で行かないこと」


「…………」


「返事」


「……はーい」


「…………次から?」


 少女が首を傾げる。


「ええ」


「それって……」


 美琴さんが、少し笑う。


「あなた、その力……もっと上手に使えるようになりたくない?」


「……それって、私もそっちに入れってこと?」


「強制はしないわ」


「じゃあ入る!」


「軽っ!」


 思わず声が出た。


「だって一人で行くなって言ったじゃん」


「そういう意味なのか!?」


「まあ、いいんじゃない?」


 美琴さんが笑う。


「そういえば――」


 俺は少女を見る。


「まだ名前聞いてなかったな」


「あ、そっか!」


「霞野みつき(かすみのみつき)!」


「よろしくね!」


 ニッと笑う少女を見て――


 俺も、小さく笑った。


     ◇


第8話「人質立てこもり事件(後編)」・END

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