第8話 人質立てこもり事件(前編)
数日後。
「また呼び出しか」
俺はARC本部の廊下を歩きながら、小さく息を吐いた。
前回の任務から、まだそれほど時間は経っていない。
とはいえ――
任務が終われば、次が来る。
ARCにいる以上、それは当然のことだった。
「お、いたいた」
後ろから声がする。
振り返ると、和臣がこちらへ歩いてきていた。
「遅ぇぞ」
「別に遅れてねぇだろ」
「俺より後に来た」
「それだけだろ」
「細けぇな」
「お前が言うな」
そんなやり取りをしながら、俺たちはブリーフィングルームへ向かう。
扉を開けると――
「おはよう」
すでに鈴音が席に座っていた。
「おう」
「おはよう」
鈴音は柔らかく笑う。
その隣には、澪もいた。
「……おはよう」
「おはよう」
相変わらず、短い挨拶だ。
全員が揃ったところで――
美琴さんが部屋へ入ってきた。
「揃ったわね」
手に持っていた資料を机の上へ置く。
「今回の任務について説明するわ」
部屋の空気が、少しだけ変わった。
和臣も椅子に座り直す。
美琴さんは資料の一枚を手に取った。
「今回、能力犯罪者による立てこもり事件が発生しているわ」
「立てこもり?」
俺は眉をひそめる。
「場所は、郊外にある銀行」
美琴さんが資料をめくる。
「犯人は複数」
「能力者もいるのか?」
「ええ」
美琴さんが頷いた。
「能力者は一人。他は普通の戦闘員よ」
能力者が一人。
それでも、油断はできない。
「その能力者の能力は?」
澪が尋ねる。
「《糸》」
「……糸?」
和臣が首を傾げる。
「特殊な糸を生成して、自在に操る能力よ」
美琴さんは続ける。
「その糸は非常に強靭。拘束だけじゃなく、相手を傷つけることにも使える」
「なら、燃やせば――」
和臣が言いかける。
「問題は、そこよ」
美琴さんが言葉を遮った。
一枚の資料を、俺たちの前へ置く。
「犯人たちは、複数の人質を取っている」
資料に写っていたのは、銀行の見取り図だった。
「そして――能力者は、人質と同じ場所にいる」
「……」
俺は黙る。
「人質の首には、糸が巻かれている可能性が高いわ」
「……ッ」
和臣の表情が変わった。
「俺の炎で焼けば――」
「人質の首のすぐそばで?」
「…………」
和臣が黙る。
美琴さんは静かに続けた。
「犯人が糸を操作すれば、それだけで人質を傷つけられる可能性がある」
つまり――
下手に突っ込むこともできない。
「正面から戦闘になったら、人質が危ないってことか」
「そういうこと」
美琴さんが頷く。
今回の任務は、前回とは違う。
相手を倒せばいいだけじゃない。
まず――
人質を安全に助けなければならない。
「今回の任務は、人質の安全確保を最優先とするわ」
美琴さんが俺たちを見る。
「その上で、犯人を確保する」
少しの沈黙。
「面倒な任務だな」
和臣が腕を組む。
「燃やしたらダメ。暴れたらダメ」
「だから炎バカって言われんだよ、普段から暴れすぎなんだよお前は」
「誰が暴れてるって? あと、炎バカって何だコラ!」
「お前以外に誰がいるんだよ」
「俺は必要な時にしか暴れてねぇ!」
「暴れてることに変わりねぇじゃんか」
「うるせぇよ! 俺は暴れるのが仕事なんだよ!」
「暴れるのは構わないけど、考えなしに突っ込んで無駄に怪我して帰ってくるの、やめてよね」
透花も冷めた目で言い放つ。
「……ふふっ」
鈴音が小さく笑う。
その声で、少しだけ張り詰めていた空気が緩んだ。
「和臣」
美琴さんが言う。
「今回も、あまり暴れないように」
「美琴さんまでそれ言う!?」
「冗談よ。それで、話を戻すわよ」
美琴さんが資料をまとめる。
「今回のメンバーは――」
美琴さんが、俺たちを見る。
「朔。和臣。鈴音ちゃん」
三人の名前が呼ばれる。
「それと、澪。透花」
二人も頷く。
「俺たち五人か」
「ええ」
美琴さんは頷いた。
「現場では澪に内部の状況を確認してもらう」
「了解」
「透花は、負傷者が出た場合の治療をお願い」
「分かった」
「人質がいる以上、負傷者が出る可能性は高いわ」
「だから、透花には後方から治療に回ってもらう」
「了解」
「朔、和臣、鈴音ちゃんは、状況に応じて突入と人質の救出を担当して」
俺は小さく頷いた。
「じゃあ、準備して」
美琴さんが俺たちを見る。
「現場へ向かうわよ」
◇
銀行の周囲には、すでに警察が展開していた。
俺たちは少し離れた場所で、銀行の様子を確認する。
「澪」
「分かってる」
澪が目を閉じる。
《索敵》。
周囲の状況を探っている。
「……人質、奥に複数」
「何人くらいだ?」
「正確には分からない。でも……少なくとも五人」
「犯人は?」
「いる」
澪が銀行を見る。
「正面に二人」
「じゃあ裏から――」
「見張りがいる」
「屋上」
「いる」
「地下」
「いる」
「…………」
どこから入っても、見張りがいる。
「どうする?」
和臣が俺を見る。
その時だった。
「……待って」
澪が銀行を見つめたまま、呟いた。
「?」
「中に……一人いる」
「人質だろ?」
「違う」
澪が目を細める。
「動いてる」
「……犯人じゃないのか?」
「分からない」
澪はしばらく黙って、建物の中を探る。
「普通じゃない動き方をしてる」
「どういう意味だ?」
澪の眉がわずかに動く。
「人の反応が消えた……!?」
「……?」
「壁の中……?」
俺たちは顔を見合わせた。
何を言っているのか、よく分からない。
その直後だった。
銀行の外壁。
ほんの小さな隙間から――
白い煙が、ゆっくりと漏れ出してきた。
「……なんだ、あれ?」
和臣が目を細める。
白い煙は、その場に留まることなく――
スゥ〜っと。
近くの木へ向かって流れていく。
「え?!」
澪が声を上げた。
「どうした?」
「今の白い煙が流れていった木の影」
澪が木を見る。
「急に人間の生体反応が出た」
「は? どういうこと?」
「分からない……」
数分後――
木の影から人の姿が現れた。
明るい茶髪をポニーテールにした、活発そうな少女だった。
少女は周囲を見回し、こちらへ近づいてくる。
「あの、この辺にいたら危ないよ?」
「それはこっちの台詞だ!!」
「あの銀行に人質を取って立てこもってる奴がいるのを知らないのか?」
「ああ、知ってるよ。私さっきまであの銀行の中にいたもん」
「はぁ!? 何やってんだよ。危険すぎるだろ。てか、よく出てこれたな」
「ああ、私ね、能力者なの」
「こうやって」
そう言って、腕を少しだけ前へ出す。
その腕の輪郭が――
ふっと、崩れた。
「……!」
煙のように、腕が空気へ溶けていく。
「これ……」
「私の能力」
少女は笑った。
「《気体化》っていうの」
「気体化……」
俺は少女を見る。
身体を気体に変える能力。
だから、あの隙間から――。
「そもそもなんであの銀行の中にいたんだよ?」
「私も中にいる人たちを助けに来たの」
「中の状況を把握して、警察に情報を提供しようと思ってたとこ」
「あなたたちは何してたの?」
「俺たちは特異能力社会調整機構《ARC》の人間だ」
「人質の救出と犯人の確保に来た」
「えー? それだったら話が早いじゃん!」
「中はどうなってる?」
俺が尋ねる。
「えっとね――」
少女は少し考える。
「人質は、銀行の奥の部屋に集められてる」
「犯人は?」
「何人かいるけど、一番奥にいるのが能力者」
「《糸》の奴か」
「うん」
少女が頷く。
「人質の首に、いっぱい糸を巻いてる」
「……やっぱりか」
俺は拳を握る。
少女がその様子を見て、少し考えた後――
「じゃあ私が入って、人質から糸外してくるよ」
「できるのか?」
「ん〜、上手くいくか分かんないけど、やってみる!」
ポニーテールの少女は――
ニッと笑った。
◇
第8話「人質立てこもり事件(前編)」・END




