第5話 未来視
――また、この光景だ。
一人の女が立っている。
ワインレッドの長い髪を、後ろで束ねた女。
見覚えはない。
だが――何度も見た顔だ。
女が何かを話している。
その後ろから――
一人の男が歩いてくる。
青みがかった黒髪の、若い男。
女が振り返る。
男が何かを言う。
そして――
光景が変わる。
走っている。
自分が。
後ろから、あの男が追ってくる。
また光景が変わる。
今度は、あの男と向かい合っている。
拳を振る。
避ける。
殴る。
そして――
両手が背中へ回っている。
手首を拘束される。
車に乗せられる。
やがて車が止まり、一つの建物が見える。
その入口には――
《ARC》の文字。
「……またか」
目を開ける。
何度見ても同じだった。
あの女が現れる。
その後から、男が来る。
逃げる。
追われる。
そして最後には――ARCに拘束される。
未来は、変わらない。
なら――
「捕まるわけにはいかない」
◇
「……あの人ね」
美琴は少し離れた場所から、一人の男を見ていた。
灰色がかったアイボリーの、少し長めの髪。鋭い目つきの青年。
ARCに入った情報は、ある能力者についてのものだった。
詳しい能力は分からない。
ただ――通常では知り得ないはずのことを、事前に知っているかのような行動が何度か確認されている。
能力が発現して間もない可能性もある。
危険人物という情報はない。
なら、まずは接触して話を聞く。
必要なら、ARCで保護する。
そして――
本人が望むなら。
「……うちに来てもらうのもありね」
美琴は少しの間、男の様子を窺った。
「…………」
やがて、ゆっくりと歩き出す。
男も近づいてくる気配に気づき、顔を上げた。
美琴と目が合う。
「あなたね?」
「…………!」
男の表情が変わった。
「少し話がしたいの」
「……やっぱり来たか」
「?」
男は美琴の後ろを見る。
誰もいない。
おかしい。
あの未来なら――このあと。
「美琴さん?」
「…………!」
男の目が見開かれる。
「あら、朔」
学校帰りの俺は、たまたま見かけた美琴さんに声をかけた。
「こんなとこで何やってんの?」
「ちょっと仕事よ」
「仕事?」
「あら。ちょうどいいところに――」
「…………」
男が俺を見ている。
なんだ?
俺の顔を知ってるみたいな目で見てる。
「……同じだ」
「あ?」
「何度見ても……同じだ」
「何の話だ?」
「その男も……」
「俺?」
男の表情が険しくなる。
「あんたらが――俺を捕まえに来る」
「え?」
美琴さんが眉をひそめる。
「待って。何か勘違いして――」
「来るな」
「…………」
「俺は捕まらない」
男が走り出した。
「朔!」
「は?」
「あの人を追って!」
「はぁ!?」
「早く!」
「なんで俺が!?」
「理由はあとで話すから!」
「俺、学校帰りなんだけど!?」
「いいから!」
「ったく……!」
俺は学校の鞄を持ったまま、男の後を追った。
◇
男は人通りの少ない路地を走っていた。
左右には建物が並び、細い道がいくつも枝分かれしている。
後ろから足音が聞こえる。
男は走りながら振り返った。
追ってくる。
青みがかった黒髪の男。
――同じだ。
また未来と同じ。
「やっぱり。こいつらは――俺を捕まえに来た」
男は角を曲がる。
そして――足を止めた。
◇
「待てって!」
ったく。
「速ぇな、あいつ」
男が曲がった角へ飛び込む。
その瞬間――
「――っ!」
目の前に拳。
ドゴッ!!
「ぐっ!?」
まともに顔へ喰らった。
「いってぇ……!」
「……やっぱり来たな」
「あ?」
「何度見ても――」
男が俺を見る。
「お前はここから来る」
「…………」
何言ってんだ、こいつ。
「俺は別にお前と喧嘩しに来たわけじゃ――」
「しつこい奴だな」
「は?」
「何を言われても、俺はお前らには捕まらない」
「だから何の話だよ!」
駄目だ。
完全に話を聞く気がない。
俺は鞄を地面に置いた。
「話聞く気がないなら――」
構える。
「一回、大人しくしてもらうぞ」
「無駄だ」
「あ?」
「お前が次に右足を踏み込むことも――」
「!」
右足を踏み込む。
「その後、左拳を振ることも見えている」
左拳を振る。
だが――
男はすでに身体を傾けていた。
拳が空を切る。
「なっ――」
ドッ!!
「ぐっ!」
腹に拳を喰らう。
「無駄だと言っている」
「……っ!」
今度は右から――
拳を振る直前、左へ切り返す。
「フェイントも無駄だ」
「!」
バキッ!!
「ぐぁっ!」
今度は頬に一撃喰らう。
視界が揺れる。
「くそ……!」
速い。
いや――速いだけか?
俺は男の横へ回り込む。
死角から――
「そこだ」
「!」
蹴りが飛んでくる。
腕で受ける。
ビリッと腕が痺れた。
「何をしても無駄だ」
「…………」
なら――
考えるな。
適当に動く。
右。
左。
踏み込む。
拳。
蹴り。
だが――
全部避けられる。
俺が動くより、ほんの少し早く。
男が動いている。
「っ……!」
また拳を喰らう。
身体が地面へ倒れた。
「終わりだ」
「…………」
「お前じゃ俺には勝てない」
「……まだだ」
「?」
俺はゆっくり立ち上がる。
「まだ……分かってねぇ」
俺は口元から流れる血を拭った。
考えろ。
こいつは何をしてる?
速いんじゃない。
俺より身体能力が高いわけでもない。
俺の攻撃を見てから反応してるわけでもない。
もっと前だ。
俺が拳を振る――前。
俺が踏み込む――前。
こいつはもう動いている。
最初もそうだった。
俺が角を曲がった瞬間。
すでに拳が目の前にあった。
俺がそこから来ることを――
知っていた。
『お前が次に右足を踏み込むことも――』
『その後、左拳を振ることも見えている』
見えている……?
そういうことか――!
「……分かったぜ」
「?」
俺は男を見る。
「お前の能力!」
「…………」
男の目が細くなる。
「……なら言ってみろ」
「お前の能力は未来視。先の出来事を視ることができる。……違うか?」
「…………」
男の表情が変わった。
「……正解だ」
「やっぱりな」
「だが――知ったところで何になる?」
「…………」
「お前が次に何をするのか、俺には見える」
未来。
先に起こる出来事。
俺の攻撃を先に知っているから、避けられる。
だったら――
ふと、あの模擬戦を思い出す。
飛んできた炎を返したんじゃない。
俺が反転させたのは――
発火そのものだった。
なら。
俺は右手を男へ向ける。
「試してみりゃ分かる」
「何を――」
「――反転」
何も起きない。
「…………?」
男が眉をひそめた。
◇
視えた。
だが――
「…………?」
男が立っている。
あの男。
だが、何かがおかしい。
これは――
数秒前。
自分の拳が、あの男の腹に入っている。
「……何だ、これは」
もう一度見る。
今度は、あの男の頬に一撃を入れている。
さっきの光景。
「…………」
もう一度。
過去。
もう一度。
過去。
何度視ても、頭の中に浮かんでくるのは――
すでに起きた出来事ばかり。
「馬鹿な……!」
未来が――
一切、視えない。
◇
「…………!」
男の顔から、さっきまでの余裕が消えている。
俺は一歩、近づく。
「来るな……」
「…………」
「なぜだ……? なぜ……未来が……視えない……?」
「未来の反対って――」
俺は拳を握る。
「過去だろ?」
「…………!」
男の顔が引きつる。
俺が右から来るのか。
左から来るのか。
拳を振るのか。
蹴るのか。
もう――分からない。
俺は男へ近づく。
「くっ……!」
拳を振る。
男が目を閉じた。
だが――
拳は、その顔の前で止まった。
「…………?」
「もう、やる気ねぇだろ」
「…………」
「だったら終わりだ」
男の身体から力が抜ける。
そのまま、ゆっくりと膝をついた。
「俺の……未来視を……」
「…………」
「こんな奴が……」
俯いたまま呟く。
「いるのか……」
「――朔!」
後ろから声が聞こえた。
「美琴さん」
「大丈夫!?」
「めちゃくちゃ殴られたよ」
「…………」
俺は男を見る。
「一体こいつ何なんだよ?」
「ごめんなさい、朔。後でちゃんと説明するから」
美琴さんは男へ近づいた。
「やっと落ち着いてくれたみたいね」
「…………」
「でも、朔への暴行もあるし、一時的にあなたを確保させてもらうわ」
「…………」
男が俯く。
「……やっぱりこうなるのか」
小さく息を吐いた。
「好きにしろ……」
男は立ち上がると、自ら両手を背中へ回した。
◇
――カチャ。
手首に拘束具が掛けられた。
「…………」
知っている。
この光景を。
何度も見た。
このあと車に乗せられる。
そして――ARCへ連れていかれる。
「…………」
結局。
未来は変わらなかった。
◇
車が止まる。
男が顔を上げる。
そこには、一つの建物。
入口には――
《ARC》の文字。
「…………」
同じだ。
あの未来と。
建物の中へ連れていかれる。
そして――
――カチャ。
「…………?」
手首の拘束具が外された。
「……何のつもりだ」
「何が?」
「俺を……捕まえるんじゃないのか」
「捕まえる?」
美琴さんが首を傾げる。
「言ったでしょ。一時的にって」
「…………」
「私も、あなたと同じ能力者なの」
「……何?」
「人の強く表に出た感情や思考を感じ取ることができる」
「…………」
「だから、あなたがなぜ逃げたのかも、なぜ朔に暴行したのかも分かってる」
「…………は?」
男の顔が固まる。
「私たちは最初から、あなたと話をしたかっただけよ」
「…………」
美琴さんが小さく息を吐く。
「能力が発現したばかりなら、困っていることもあるでしょうし」
「…………」
「それに――」
美琴さんが笑う。
「あなたをARCに誘おうと思ってたの」
「…………は?」
「俺を……?」
「そう」
美琴さんは男を見る。
「あなたの《未来視》」
そして、俺を見る。
「それから、朔の《反転》」
「…………」
「二人とも、一人で使うには惜しい能力だと思わない?」
「……何が言いたい」
「うちに来ない?」
「…………」
男は美琴さんを見る。
俺を見る。
そして――ARCの本部内を見回した。
長い沈黙のあと。
「……少し、考えさせてくれ」
「もちろん」
美琴さんが笑う。
「いい返事、期待してるわ」
「…………」
俺はそのやり取りを見ながら、ふと気づく。
「……美琴さん」
「何?」
「まさか、こいつにもあのカード渡すのか?」
「そのつもりだけど?」
「…………」
やっぱり。
「またそれかよ!!」
――第5話 END




