第3話 特異能力社会調整機構《ARC》
第3話「特異能力社会調整機構」
――パチ、パチ、パチ。
「……?」
突然聞こえてきた拍手に、俺は振り返った。
そこには、一人の女が立っていた。
長いワインレッドの髪。三つ編みのシニヨン。
着ているスカートスーツもワインレッド。
落ち着いた雰囲気の女だ。
いつからいた?
さっきまで、あの男との戦いに必死でまったく気づかなかった。
「さっきの君の戦い、見させてもらったわよ」
女はそう言って、倒れている男へ一度視線を向ける。
そして、再び俺を見た。
「なかなか面白い能力を持ってるのね」
「……誰?」
「ああ、申し遅れたわ」
女は特に気を悪くした様子もなく答えた。
「私は榊美琴。特異能力社会調整機構――《ARC》の人間よ」
「ARC……?」
どこかで聞いたような。
そう思って――思い出した。
数日前、朝のニュースで聞いた名前だ。
「Ability Regulation & Coordination」
美琴と名乗った女が続ける。
「政府公認の独立機関。能力に関わる事件や事故への対応、それから能力者の保護や支援なんかを行っている組織よ」
「…………」
そんな組織があることすら、まともに知らなかった。
いや。
ニュースで名前を聞き流していたくらいだ。
「ねぇ、あなた」
「……?」
美琴が少しだけ笑った。
「もしよかったら、うちに来ない?」
「…………」
何を言い出すのかと思えば。
「嫌だ」
「…………」
今度は美琴が黙った。
「即答なのね」
「組織とか面倒くせぇ。興味ないね」
「そう」
意外にも、それ以上勧めてはこなかった。
美琴はポケットから一枚のカードを取り出すと、俺へ差し出した。
「じゃあ、これだけ」
「……?」
「気が変わったら連絡して」
受け取ったカードには、《ARC》の文字と連絡先が記されている。
美琴はそれだけ言うと、俺に背を向けた。
「…………」
遠ざかっていく背中を見送ってから、カードへ視線を落とす。
「変わらねぇよ」
俺はそれをポケットへ突っ込んだ。
◇
それから数日後。
高校からの帰り道。
いつものように街を歩いていると、突然、前方から叫び声が聞こえた。
「誰か!!」
「子供が!!」
「……?」
見ると、人だかりができている。
何人もの人が足を止め、一様に空を見上げていた。
俺もつられて顔を上げる。
「……なんだありゃ」
上空に――人がいた。
まだ小学生くらいだろうか。
一人の少年が、空中に浮かんでいる。
「うっ……!」
少年の身体は、ゆっくりと上昇を続けていた。
「誰か……助けて!」
地上では、母親らしき女が必死に叫んでいる。
「誰か助けて!!」
「能力……?」
おそらく、突然能力に目覚めたんだ。
俺も数日前まで能力なんて持っていなかった。
だから、あり得ない話じゃない。
問題は――本人がまったく制御できていないことだった。
「降りられない……!」
少年の身体は止まらない。
少しずつ。
少しずつ。
高度だけが上がっていく。
その時だった。
「あっ!」
風が吹いた。
少年の身体が横へ流され、近くのマンションへと近づいていく。
「――!」
少年が必死に手を伸ばした。
ガシッ!
七階あたりのベランダ。
どうにか、その手が手すりを掴む。
「た、助けて!!」
だが、足は宙に浮いたままだ。
身体は今も上へ行こうとしている。
両腕だけで、必死に手すりへしがみついていた。
「お願い!! 誰か!!」
「…………」
どうする。
俺には――。
「下がってください!」
鋭い声が人混みを割った。
数人の男女が、集まった人々をかき分けて入ってくる。
「……?」
その先頭にいた女を見て、俺は目を見開いた。
「あ」
向こうも俺に気づいた。
「…………」
「……何だよ」
「別に」
それだけ言うと、美琴はすぐに少年へ視線を戻した。
「状況は?」
その問いに、長い艶やかな黒髪の女がマンションを見上げながら答える。
「七階のベランダ。周囲の部屋に人はいない。救助に入っても大丈夫」
「了解。消防と受け入れ先には連絡済み」
今度は別の男が答える。
その隣で、赤みがかった髪の、ガタイのいい男が上を見た。
「《浮遊》ってとこか」
「助けてぇ!!」
「……俺の炎じゃどうにもできねぇぞ」
「ええ。無理に使わなくていいわ」
「…………」
俺は自分の右手を見る。
これまで自分がやったこと。
飛んできた《衝撃》を返した。
空気で作られた拳を返した。
だけど――。
少年は俺を攻撃しているわけじゃない。
そもそも、俺に向かって何かが飛んできているわけでもない。
返すものがない。
「…………」
俺にも……どうにもできねぇ。
「何階だ」
落ち着いた低い声がした。
見ると、一人の男がマンションを見上げていた。
銀色の髪。白いスーツ。
眼鏡の奥から、少年のいるベランダを静かに見据えている。
騒然とする周囲とは対照的に、その男だけは妙に落ち着いて見えた。
「七階。ベランダまでは外壁を真っ直ぐ上がれば最短で行ける」
「分かった」
男が歩き出す。
「……?」
そのままマンションの外壁の前まで進むと――突然走り出した。
「おい、何する気――」
地面を蹴る。
男の足が、垂直の壁へついた。
「《固定》」
――ピタッ。
「……は?」
足が。
壁にくっついたまま、止まっている。
男はもう片方の足を、さらに上へ運んだ。
「固定」
ピタッ。
先ほどの足を解除する。
さらに上へ。
「固定」
解除。
固定。
解除。
「…………」
まるでそこに見えない階段でもあるように。
男が垂直の壁を駆け上がっていく。
「相変わらず無茶苦茶な使い方しやがる」
炎を使うらしい男が呆れたように言った。
「……あれが能力?」
「ああ。《固定》」
「固定……」
男はもう五階付近まで到達している。
「……すげぇ」
思わず声が漏れた。
六階。
そして――七階。
「もう……無理……!」
少年の指が震えている。
「もう少し耐えろ!」
「……!」
男が最後の一歩を蹴り、ベランダへ飛び移った。
その瞬間。
ズルッ。
「あっ――」
少年の手が離れた。
「――!!」
母親の悲鳴。
少年の身体が再び上空へ浮き上がろうとする。
男が手を伸ばした。
ガシッ!!
少年の腕を掴む。
「……!」
「捕まえた」
そのまま少年の身体へ触れる。
「《固定》」
――ピタッ。
「……?」
少年の身体が、空中で完全に止まった。
「もう大丈夫だ」
男は少年をゆっくり引き寄せ、その身体を抱きかかえる。
「おじさん……」
「…………」
男の眉がわずかに動いた。
「先生だ」
少年を抱えたまま、男は再び壁へ足をつける。
「固定」
一歩。
解除。
「固定」
また一歩。
少年をしっかりと抱えながら、壁を降りていく。
やがて――地上へ辿り着いた。
「――!」
母親が駆け寄る。
「ありがとうございます!!」
「お母さん……!」
親子が強く抱き合った。
「能力に覚醒したばかりだ。しばらく専門機関で診てもらった方がいい」
「もう連絡してある」
「そうか」
「ったく、世話焼かせやがって」
「無事だったんだからいいでしょ」
「分かってるよ」
「…………」
俺はその光景を、黙って見ていた。
誰かを倒したわけじゃない。
戦ったわけでもない。
ただ物を動かなくするだけに思えた能力で、あの人は壁を走り、少年を助けた。
「…………」
ポケットに手を入れる。
指先に、硬いものが触れた。
数日前にもらった――《ARC》のカード。
取り出す。
美琴がそれに気づいた。
「なあ」
「?」
「この前の話」
「…………」
俺はカードを見せた。
「まだ有効か?」
美琴が少しだけ笑った。
「もちろん」
「…………」
もう一度、あの男を見る。
あんなものを見せられて――
少しだけ、この組織に興味が湧いた。
俺は手にしたカードを握る。
「やっぱ入るわ。ARCに」
「は?」
炎の男が間の抜けた声を出した。
「誰こいつ」
さっき通信を担当していた男まで首を傾げる。
「お前ら知らねぇのかよ」
「まだ紹介してないもの」
「…………」
「なんだこいつ」
「お前こそなんなんだよ」
「とりあえず――」
美琴が少し笑った。
「ようこそ、《ARC》へ」
◇
――ARC本部。
「…………」
案内された施設の中を見回す。
もっと秘密基地みたいなものを想像していたが、思っていた以上に普通だった。
「思ってたより普通だな」
「何を想像してたのよ」
美琴は呆れたように言うと、他のメンバーへ向き直った。
「じゃあ、まずは新入りから紹介するわね」
美琴が俺を手で示す。
「御影朔。能力は《反転》」
「反転?」
赤みがかった髪の、ガタイのいい男が俺を見る。
「……って言っても、俺もまだよく分かってねぇけどな」
「相手の能力を返す。今のところ、俺に分かってんのはそれくらいだ」
「なんだ、よく分かってねぇのかよ」
「目覚めたばっかなんだからしょうがねぇだろ」
「まあ、その辺りも含めてこれからね」
美琴がそう言って、今度は俺へ向き直った。
「じゃあ、改めてこっちも紹介するわ」
最初に示したのは、炎を使うらしい男。
「…………」
「さっきの暑苦しい奴」
「誰が暑苦しいんだ!!」
「炎場和臣。《炎》」
ボッ。
和臣の手に炎が灯る。
「よろしくな、新入り」
「暑苦しいな」
「てめぇ!!」
「次」
美琴があっさり流す。
次に、銀髪の男が一歩前へ出た。
「久我宗一。能力は《固定》だ」
落ち着いた声で続ける。
「対象にしたものを、その場に固定することができる」
「対象?」
「ああ。物体だけとは限らない。先ほどのように、人間を固定することもできる」
「……なるほど」
「離れたものを固定することも可能だ」
「離れてても?」
「ああ。ただし、距離が離れるほど精度は落ちる」
「…………」
改めて、さっきの光景を思い出す。
「だから壁を走れたのか」
「正確には、自分の足を壁に固定していただけだ」
「それで壁を走る発想になるのがおかしいだろ……」
宗一は特に反応しなかった。
「訓練や教育も担当してもらうことになるわ」
「先生ってこと?」
「そう思っておけ」
「…………」
「何だ」
「いや……」
マンションの壁を駆け上がっていった姿を思い出す。
「本当に先生なんだなって」
「どういう意味だ」
「別に」
「次は高遠澪」
先ほどマンションの状況を確認していた、長い艶やかな黒髪の女がこちらを見る。
切れ長の目が、俺を静かに捉えた。
「《索敵》」
「索敵?」
「一定範囲なら、人がどこにいるか分かる。それと、周囲の建物や通路なんかも、見取り図みたいに把握できる」
「へぇ……」
「ただ、何でも分かるわけじゃない。そこにいるのが誰なのかとか、部屋の中に何が置いてあるとか、そういうところまでは分からないから」
「それでも十分便利じゃね?」
「……まぁ」
澪が軽く頷いた。
「次は還田透花」
肩にかかるほどの、黒に近い深緑の髪。
どこか気の強そうな目をした女が、こちらを見る。
「能力は《治癒》」
「大体の怪我なら治せるわ。自分自身は治せないんだけどね」
「自分は治せないのか」
「ええ。今後、怪我をすることがあったら私に言って。治してあげるから」
「怪我するようなことやったりするのか?」
「ええ。日常茶飯事になると思うわ」
「…………」
俺は入り口の方を見る。
「ここに来るの失敗したかも」
「何だ? ビビってるのか?」
横から和臣が茶化してくる。
「ダセェ奴だな」
「うるせぇ。ビビってねぇし」
「はいはい。次行くわね」
美琴が慣れた様子で遮った。
「次は通山結人」
短い黒髪の、細身の男が軽く手を上げる。
少し跳ねた前髪が妙に目についた。
「俺は《通信》」
「通信?」
「普通の無線が届かない場所でも、俺の能力なら通信を繋げられる」
「へぇ」
「ただし、距離に限界はあるけどな」
「……地味だな」
「なんでだよ!!」
結人が即座に食いついた。
「高遠の《索敵》には便利って言っただろ!」
「だって便利そうだったし」
「俺だって便利だわ!!」
「…………」
澪は我関せずといった様子で黙っている。
和臣がニヤニヤしながら口を挟む。
「地味だけどな」
「お前まで乗っかってくんな!!」
「そして私は榊美琴。能力は《感応》」
「感応……?」
「人の強く表に出た感情や思考を感じ取ることができる」
「…………」
嫌な能力だな。
「今、面倒くさそうって思ったでしょ」
「思ってねぇ」
「思ったわね」
「その能力ズルくねぇ!?」
「ハハハハ!」
和臣の笑い声が部屋に響いた。
◇
顔合わせが終わると、今度は全員揃って本部内の講義室へ移動した。
長机と椅子が並ぶ、学校の教室にも似た部屋だ。
和臣、澪、透花、結人も席についている。
美琴は少し離れたところから、こちらの様子を見ていた。
前に立っているのは宗一だ。
「……何で入ったその日に授業なんだよ」
「ARCに所属する以上、自分の能力について理解してもらう必要がある」
「俺も?」
結人が自分を指さした。
「あなたも」
美琴が答える。
「俺には関係ねぇと思うけどな」
「本当にそうか?」
「通信は通信だろ。繋ぐ以外に何すんだよ」
「…………」
宗一は俺たち全員を見渡した。
「能力そのものに強弱があるわけではない」
「……?」
「能力者が自身の能力をどこまで理解し、どのように解釈するか――」
宗一が続ける。
「それによって同じ能力でも、その可能性は大きく変化する」
「…………」
さっきの光景が頭をよぎった。
垂直の壁を駆け上がる宗一。
《固定》という能力で。
「能力を理解しろ」
宗一の声が講義室に響く。
「見えている現象だけで判断するな」
「自分が何を起こしているのかを考えろ」
「理解が変われば、使い方が変わる」
「使い方が変われば――可能性も変わる」
「…………」
俺は自分の右手を見る。
これまで自分がやったこと。
相手の能力を――返した。
……俺の能力は、相手の能力を返す能力。
「…………」
少し考える。
……だよな?
「今すぐ答えを出す必要はない」
「……!」
思わず顔を上げた。
「だが、自分の能力を自分自身で決めつけるな」
「…………」
俺だけじゃない。
澪も、透花も。
それぞれが何かを考えるように、自分の手元へ視線を落としている。
隣では、和臣が自分の手を見ていた。
ボッ――。
手のひらに炎が灯る。
「…………」
そして。
ボォッ!!
炎がさらに大きくなった。
「要するに、もっと火力上げりゃ強くなるってことだろ?」
「…………」
宗一がしばらく黙った。
「お前はまず人の話を聞け」
「あ?」
「お前、絶対授業向いてねぇだろ」
「うるせぇ!」
結人も自分の通信機へ視線を落としている。
「俺はどう考えたって通信だろ……」
小さく呟く。
「距離伸ばすくらいしかねぇだろ」
「…………」
宗一が結人を見る。
「そうやって、自分で可能性を決めるなと言っている」
「へいへい」
「今日のところは以上だ」
「やっと終わった……」
立ち上がろうとした――その時。
「なあ」
「あ?」
和臣が俺を見ていた。
ニヤッと笑う。
「ってことはよ」
ボッ――!
その拳に炎が灯った。
「俺の《炎》も返せんのか?」
「…………」
揺らめく炎を見る。
「……多分」
「へぇ……」
和臣の口元が吊り上がる。
ボォッ――!
炎が一回り大きくなった。
「じゃあ――」
ニヤァ、と笑う。
「俺の炎と、お前の能力」
燃え盛る拳を俺へ向けた。
「どっちが強ぇか試してみようぜ」
「…………」
「は?」
――第3話 END




