第2話 理解
あの事件から、数日が経った。
俺の生活は――驚くほど何も変わっていない。
朝になれば起きて、飯を食って、高校に行く。
数日前までと同じ日常。
違うことがあるとすれば、一つだけ。
「…………」
登校途中、俺は自分の右手を見る。
握る。
開く。
あの日。
俺は、能力者になった。
――たぶん。
正直、今でもよく分かっていない。
迫ってきた《衝撃》を逆方向へ返した。
一度目は無意識に。
二度目は、自分の意思で。
あれから何度か試そうとはした。
当然、何も起こらなかった。
そりゃそうだ。
そもそも、返すものがない。
「……結局、なんなんだよ」
右手をポケットへ突っ込む。
考えたところで答えが出るはずもない。
そのまま歩き出そうとした――その時だった。
「……!」
少し先で、松葉杖をついた男が足を止めた。
「…………?」
男が、俺を見ている。
いや。
睨んでいる。
なんだ?
どこかで――。
「兄貴!」
松葉杖の男が、隣にいた男の腕を掴んだ。
そして俺を指さす。
「あいつだ!」
「……は?」
「間違いねぇ! こいつだよ! 俺の《衝撃》を返しやがった奴!」
「…………」
思い出した。
「……マジかよ」
数日前の《衝撃》使い。
その隣に立つ男が、ゆっくりと俺を見る。
顔立ちはどことなく似ている。
「へぇ……」
男が俺を頭から足元まで眺める。
「お前か」
「…………」
「弟が世話になったみてぇだな」
「いや」
思わず一歩下がる。
「そいつが勝手に暴れてただけなんだけど」
「関係ねぇよ」
男が前へ出る。
「俺の弟をこんな目に遭わせた。それだけで十分だ」
「…………」
嫌な予感しかしない。
「お前、こいつの攻撃を返したんだって?」
「……まあ」
「面白ぇじゃねぇか」
男が拳を握った。
その構えを見た瞬間――
嫌な記憶が蘇る。
拳。
遠距離からの攻撃。
そして、兄弟。
――こいつも《衝撃》か?
「兄貴! やっちまえ!」
弟が叫ぶ。
「言われなくても、そのつもりだ」
兄の拳が振り抜かれた。
「――!」
来る。
反射的に右手を出す。
数日前と同じ。
こっちへ来るなら――
向こうへ。
「……返れ!」
――何も起こらない。
「……え?」
次の瞬間。
ドゴッ!!
「ぐっ!?」
突然、顔面に何かが叩き込まれた。
身体が大きく仰け反る。
「な……」
何だ?
今の。
「ハッ!」
兄が笑う。
「弟から聞いてた話と違ぇじゃねぇか!」
「…………」
返せなかった。
いや。
それ以前に――
何を食らった?
拳は届いていない。
衝撃波も見えなかった。
数日前の《衝撃》なら、拳を起点に円状の歪みが生まれていた。
でも今は――
何も見えなかった。
「もう一発いくぞ」
兄が拳を振る。
「……!」
右へ跳ぶ。
直後。
ドッ!!
さっきまで頭があった場所を、何かが通り抜けた。
「…………」
見えない。
何だ、こいつの能力。
「逃げてばっかじゃ勝てねぇぞ!」
拳が振られる。
――来る。
でも、どこから?
どの軌道で?
「くそっ!」
走る。
ドゴッ!
「ぐっ!」
背中に激痛。
前につんのめりながらも、なんとか踏みとどまる。
また拳が動く。
「……っ!」
横へ飛ぶ。
ドンッ!
地面から砂埃が上がった。
見えない。
攻撃の瞬間すら分からない。
拳を振っている。
それだけは分かる。
だが、その先に何が起きている?
「どうした!」
また来る。
「っ……!」
避ける。
走る。
また避ける。
逃げるしかなかった。
反撃しようにも、相手の攻撃が見えない。
それ以上に――
何の能力なのか分からない。
だから。
さっきみたいに返そうとしても、何も起きない。
なんでだ?
数日前はできた。
なのに、今回は――。
「考え事してる場合か!」
「――!」
ドゴッ!!
「がっ……!」
脇腹を殴り抜かれたような痛み。
身体が横へ飛ぶ。
地面を転がり、すぐに起き上がった。
痛ぇ。
息も上がってきた。
このままじゃまずい。
俺は走った。
「逃がすかよ!」
背後から男が追ってくる。
何度も拳が振られる。
見えない攻撃が、背後から襲ってくる。
避ける。
走る。
また避ける。
どれだけ走ったのか。
気づけば、周囲の景色が変わっていた。
「…………」
木々。
遊歩道。
ベンチ。
公園か。
しかも、かなり木が多い。
「追いかけっこは終わりか?」
男がゆっくりと入ってくる。
「…………」
まずい。
体力がかなり削られている。
呼吸が整わない。
相手はまだ余裕そうだ。
「さっきまでの威勢はどうした?」
拳が動く。
俺は横へ飛んだ。
ドゴッ!!
「ぐあっ!」
避けきれない。
頬に激痛が走る。
地面へ倒れそうになりながら、どうにか踏みとどまった。
その時――
「…………?」
視界の端。
木から一枚の葉が、ひらひらと落ちてくる。
風もなく、ゆっくりと。
そして――
男が拳を振った瞬間。
葉が突然、横へ弾けた。
まるで突風に吹き飛ばされたように。
直後。
ドゴッ!!
「ぐっ!」
顔面に激痛。
俺は地面へ転がった。
「…………」
今の……。
起き上がりながら、さっきの光景を思い返す。
葉っぱの動き。
明らかに不自然だった。
ゆっくり落ちていたはずなのに。
あいつが拳を振った瞬間だけ――横へ吹き飛んだ。
「…………」
まるで。
突風にでも吹かれたみたいに。
でも。
風なんて吹いていない。
周囲の木々を見る。
枝は揺れていない。
他の葉も静かなまま。
じゃあ、今のは何だ?
見えない攻撃。
拳を振ることで飛んでくる。
目では見えない。
物体じゃない?
見えないもの。
何がある。
空気。
霊。
水――いや、水なら見える。
「…………」
待て。
空気。
もし――
「何を考えてやがる?」
男が勝ち誇ったように笑う。
「何をしたって無駄だ!」
拳を構える。
「お前はなす術もなく、俺にやられるんだよ!」
「…………」
俺は周囲を見た。
木。
枝。
そして――
大量の葉。
「…………」
試してみるか。
男の拳が振り抜かれる。
その瞬間――
「っ!」
俺はすぐ横にあった木の幹を、思い切り蹴り飛ばした。
ドンッ!!
枝が大きく揺れる。
大量の葉が、一斉に舞い落ちた。
「何を――」
男が眉をひそめる。
次の瞬間。
舞い散る葉の一部が――
不自然に吹き飛んだ。
「――!」
葉が押し退けられていく。
何もないはずの空間に。
まるで巨大な拳が通り抜けているかのように。
一本の軌道が浮かび上がった。
「見えた!」
身体を逸らす。
葉を巻き込みながら、見えない何かが目の前を通過していく。
「…………」
やっぱりだ。
見えないんじゃない。
見えていなかっただけだ。
拳の形。
空気の流れ。
周囲の葉を巻き込みながら進む、見えない塊。
こいつは――
「……分かったぜ」
男が眉をひそめる。
「はぁ? 何が分かったってんだ?」
「…………」
俺は男を見る。
「お前の能力!」
一瞬。
男は呆気に取られ――
すぐに笑った。
「ハッ!」
両腕を大きく構える。
「当てられるもんなら当ててみな!」
周囲の空気が、わずかに揺らいだ。
今度はさっきまでとは違う。
拳一つ分なんて大きさじゃない。
大量の空気が、男の前へ集まっていく。
見えない。
だが――
もう、分かる。
舞い散る葉が次々と押し退けられていく。
巨大な拳の輪郭を描くように。
「喰らえぇぇ!!」
男が両腕を突き出す。
巨大な空気の拳が放たれる。
「…………」
俺は右手を前へ出した。
数日前。
衝撃波を返した。
あの現象。
でも、今度は違う。
返すものが何なのか。
俺は知っている。
これは衝撃じゃない。
こいつが操っているのは――
空気だ。
こっちへ来るなら。
向こうへ。
そして初めて。
自分の中にある力に、名前をつけるように――
「――《反転》!!」
その瞬間。
空気の流れが――反転した。
「なっ――!?」
舞い散る葉が、一斉に逆方向へ弾ける。
巨大な空気の拳が向きを変え、そのまま男へ襲いかかった。
ドゴォォォォォン!!!
「ぐあああああっ!!」
男の身体が吹き飛ぶ。
何度も地面を跳ね、そのまま木の根元へ倒れ込んだ。
「…………」
動かない。
終わった……のか。
「はぁ……はぁ……」
全身から力が抜ける。
その場へ座り込みそうになるのを堪え、俺は自分の右手を見る。
数日前。
衝撃を返した。
今日。
空気を返した。
でも最初は――できなかった。
「…………」
なんでだ?
違いはなんだった?
あの時と。
今と。
俺は舞い落ちる葉を見る。
あれを見るまで、俺はこいつの能力が何なのか分かっていなかった。
そして。
分かった瞬間――
「…………」
右手を握る。
まさか。
俺の能力って――。
◇
少し離れた場所。
公園を見下ろせる建物の屋上に、一人の女が立っていた。
最初から。
ずっと、戦いを見ていた。
「…………」
女の視線の先には、御影朔。
見えない攻撃に翻弄され。
追い詰められ。
それでも観察し。
考え。
そして――能力の正体を見抜いた。
女は静かに目を細める。
「……なるほど」
手元の端末へ視線を落とす。
そこには、数日前に起きた能力犯罪の記録。
《衝撃》能力者。
そして――
事件現場にいた、正体不明の能力者。
「御影朔、か」
端末を閉じる。
「面白い能力ね」
女はもう一度、公園にいる朔を見る。
その口元が――
ほんの少しだけ緩んだ。




