第10話 治癒の限界(後編)
毒使いを確保した後。
律はすぐに医療班へ引き渡された。
傷そのものは塞がっている。
だが――
体内に入った毒は消えていない。
俺たちも一度ARCへ戻ることになった。
◇
ARC本部、休憩室。
透花は黙ったまま、椅子に座っていた。
「…………」
いつもの透花なら、何かしら文句の一つでも言ってそうなのに。
今日はずっと静かだ。
「……なぁ」
「何?」
「さっきさ、あの毒野郎に突っ込んでってたけど……」
俺は透花を見る。
「あんなに前線まで行くの、怖くねぇの?」
「…………」
透花は少しだけ黙る。
「怖いに決まってるでしょ」
「私、自分は治せないんだから」
「…………」
「でも私が後ろにいたら、前で死ぬ人が増える」
透花が小さく息を吐く。
「だったら行くしかないじゃない」
「……そっか」
「何よ」
「いや」
俺は少し笑う。
「すげぇなと思って」
「別に」
透花は立ち上がる。
「ちょっと歩いてくる」
「おう」
そのまま透花が休憩室を出ていく。
「…………」
「……自分は治せねぇくせにな」
「ん?」
振り向くと――
和臣が椅子にもたれながら、透花が出ていった扉を見ていた。
「無茶しやがって」
「お前が言う?」
「うるせぇ!!」
「…………」
俺は少し笑う。
それから、透花が出ていった休憩室の扉を見る。
「……行ってやれよ」
「は?」
「あいつ、なんか落ち込んでたぞ」
「…………」
「はぁ? ほっとけばいいだろ、んなもん」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「ああああっ!! もう!!」
和臣が頭をガシガシ掻く。
「ちょっと行ってくるわ!!」
「おう。行け行け」
◇
透花は一人で廊下を歩いていた。
後ろから――
「おーい! 待てよ!」
「…………」
振り返らない。
「おいって!」
「うるさい」
「いいから聞けって!」
「……何よ」
透花がようやく振り返る。
和臣は一瞬、言葉に詰まった。
「いやぁ、その……なんだ」
「?」
「なんかよぉ……いつまでもシケた面しやがってよぉ、らしくねぇんだよ!」
「はぁ?」
「あんたには関係ないでしょ。ほっといてよ」
「ほっとけるかよ!」
「……!」
「そんなシケた面見せられてよ!」
和臣は少し視線を逸らす。
「どうせお前……律のこと助けられなかったとか思ってんだろ」
「…………」
透花は答えない。
「お前、まさか――」
和臣が透花を見る。
「諦める気じゃねぇだろうな?」
透花の表情が変わる。
「……諦めたいわけないでしょ」
「だったら――」
「でも!!」
和臣が言葉を止める。
「……私の能力じゃ、毒は治せないのよ」
透花が悔しそうに拳を握る。
「傷なら治せる」
「骨折だって治せる」
「でも……身体の中に入った毒は消せない」
「私が何回能力を使っても……」
「…………」
「助けたいわよ……」
小さく。
「助けられるなら、助けたいに決まってるじゃない……」
透花の目に、うっすらと涙が滲む。
「…………」
和臣は珍しく、声を荒らげなかった。
「……治せねぇって、誰が決めた?」
「……え?」
「だから」
「お前の能力じゃ毒は治せねぇって――」
和臣が透花を見る。
「誰が決めたんだよ」
「…………」
「久我のおっさんも言ってただろ」
「能力ってのは……その……」
「…………」
「何よ」
「使い方だとか! 理解だとか! なんかそんなこと!!」
「全然覚えてないじゃない!!」
「うるせぇな!!」
「…………」
和臣が頭を掻く。
「お前さ……」
「?」
「自分で“傷を治す能力”って決めつけてんじゃねぇの?」
「…………!」
「傷が治せる」
「骨も治せる」
「だったら――」
和臣が少し考える。
「治ってんのは、本当に“傷”なのか?」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間。
透花の頭に、久我さんの声が蘇る。
『能力を理解しろ』
『見えている現象だけで判断するな』
『自分が何を起こしているのかを考えろ』
『理解が変われば、使い方が変わる』
『使い方が変われば――可能性も変わる』
「…………」
透花が自分の手を見る。
「……状態」
「あ?」
「私……傷を治してるんじゃなくて……」
ゆっくり。
言葉を探すように。
「傷ついた身体を――」
「正常な状態に戻してる……?」
「…………」
和臣は少しだけ黙る。
「……知らねぇけど」
「…………」
「できそうなんだろ?」
「…………」
透花の目に、少しずつ力が戻る。
「あんた、本当にうるさいわね」
「はぁ!?」
「炎バカのくせに」
「関係ねぇだろ!!」
透花の口元が、ほんの少しだけ緩む。
「私だってね……考えてたんだから」
和臣もニッとする。
「だったら――」
「行くぞ」
「は?」
「律んとこにだよ!」
「…………」
透花は一瞬だけ驚いた顔をする。
そして――
「言われなくても、今行こうと思ってたわよ!」
二人はそのまま救護室へ向かって走り出した。
◇
その頃。
俺は、さっきの毒使いが搬送された病院に来ていた。
ガラガラ。
病室の扉を開ける。
「…………」
ベッドには、身体のあちこちを包帯で巻かれた毒使いが横たわっていた。
「……なんだよ。まだなんかあんのか?」
弱々しい声で男が聞いてくる。
「おい」
「あ?」
「今からお前の能力を反転するから、もう一度さっきの毒出せ!」
「はぁ?」
男が顔をしかめる。
「嫌だね。もうそんな気力も残っちゃいねぇし……」
「…………」
そんな言葉を無視して、俺は男へ手をかざす。
「《反転》!」
「おい、勝手に――」
「うるせぇ! いいからやれ!」
「…………」
「少しでも出せればいいからっ!」
「……チッ」
毒使いが震える右手を持ち上げる。
「これでいいんだろ……」
俺は容器を差し出す。
右手から――
ぽたり。
透明な液体が容器へ落ちる。
「…………!」
本来なら毒が生成されるはずだった。
だが――
今、こいつの《毒》は反転している。
「……出た」
「は?」
「《毒》の反対――」
俺はニッと笑う。
「《薬》だ」
◇
ARC本部、救護室。
律はベッドに横たわっていた。
額には汗。
呼吸もまだ荒い。
モニターの数値も安定していない。
バンッ!
扉が開く。
「律!」
透花と和臣が駆け込んできた。
医療班の一人が振り返る。
「透花」
「状態は?」
「良くない。毒性反応が下がらない」
「…………」
透花が律のそばへ行く。
「もう一度やる」
「透花、さっき何度やっても――」
「今度は違う」
「……?」
透花は律の身体に手を置く。
「…………」
今までなら。
傷を見る。
損傷した場所を見る。
そこを治そうとしていた。
でも今回は違う。
(傷を治すんじゃない)
(毒を消す……でもない)
律の身体全体を見る。
(この人の身体を――)
(毒を受ける前の状態へ)
「《治癒》」
淡い光が律の身体を包む。
「…………」
何も起きない。
「……っ」
透花が歯を食いしばる。
和臣は黙って見ている。
(戻って……!)
もう一度。
身体の中にある異常。
それを“毒”という異物としてではなく――
正常ではない状態そのものとして捉える。
「《治癒》!」
光が強くなる。
「……!」
モニターの数値が、僅かに変化した。
「え……?」
医療班が画面を見る。
「毒性反応が……下がってる」
「…………!」
透花は手を離さない。
(戻って)
(もっと……)
(元の状態に――!)
律の荒かった呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
脈拍も安定していく。
「……透花」
和臣が小さく呟く。
さらに――
数値が戻っていく。
「毒性反応……」
医療班がモニターを見つめる。
「消失しました」
「…………」
透花がゆっくりと手を離した。
律の顔色も戻っている。
「……できた」
自分の手を見つめる。
「私……できた……」
「…………」
後ろにいた和臣が口元を緩める。
「できんじゃねぇか」
「…………」
透花が振り返る。
「……うるさい」
「なんでだよ!!」
その時――
ガチャ!!
救護室の扉が勢いよく開いた。
「喜べ!!」
「!?」
全員が振り返る。
俺は手に持った容器を掲げる。
「薬持ってきたぞ!」
「…………」
「毒使いの能力を《反転》した!」
俺は得意げに容器を見せる。
「《毒》の反対は《薬》だ!」
「これで律は治るはず――」
「遅ぇよ!!」
「遅いわよ!!」
「えぇ!?」
俺の声が、救護室に響いた。
第10話 END




