閑話①「虎の関西2026」
「……マスター。バイタルデータおよび店内会計ログの解析を完了しました。結論から申し上げますと、あなたの行動パターンは『思想的信念』と『経済的実利』の狭間で極めて酷い分裂を起こしています」
203X年の秋。京都・西陣のカフェ『アルカディア』のカウンターで、シオンはいつものように上品な黒いエプロンドレスの裾を整え、網膜のインジケーターを薄青く明滅させていた。
健矢はネルドリップの手を止め、怪訝そうに眉をひそめた。
「何が言いたいんだよ、シオン。俺はいつだって誇り高き『猛牛の魂』と共に生きてるぞ。応援を始めた時期から今シーズンまで徹頭徹尾変わらん。たとえ2020年代中盤から後半みたいに我が球団が怪我人続出で野戦病院と化し、無情にもBクラスに甘んじることになろうが、俺の愛が揺らいだことなんて一度たりとてない。」
「ええ、その『野戦病院状態の悲哀』については重々承知しております」
シオンは淡々と手元の端末を操作し、空中へホログラムのプロ野球順位表とニュースヘッドラインを展開した。
「2023年の歓喜以降、我が『猛牛軍団』が怪我人の連鎖によって苦しい戦いを強いられ、Bクラスに泣き続けている一方で……あちらの『縦縞の虎の球団』の勢いは留まることを知りません。2025年も虎の年でした。そしてこの2026年もまた、虎の年となりました。かつて我が球団が果たしたパ・リーグ3連覇の時代と比較しても、現在の彼らの台所事情と選手層の厚さは、完全に一時代を築いた『黄金期』と呼ぶにふさわしいデータを示しています」
「うぐっ……! えぇい!いちいち事実を掘り返して俺の胃にダメージを与えるじゃねぇ!」
健矢は胃のあたりを押さえながら、苦々しい顔で目を背けた。
「ですがマスター」
シオンの冷徹な追撃は止まらない。彼女の瞳の奥で、過去の店舗経理データが高速でスクロールされる。
「猛牛党としての誇りを熱く語る一方で……あなた、あの球団が優勝した時の『優勝セール』には、ちゃっかり、大いに、あやかっていますよね?」
「……なっ!?」
「証拠を提示します」
シオンは指先でホログラムをスワイプし、店内の厨房機器のシリアルナンバーと購入履歴を空間に浮かび上がらせた。
「現在、このカフェ『アルカディア』の営業を支えている重要機器――長年使い込んで老朽化していたコーヒーグラインダー、細かな温度調整が可能なコーヒー用の電気湯沸かし器、さらには毎朝の仕込みに欠かせない高級炊飯器。これらすべては、数年前の虎の優勝セールの際、関西資本の大型家電量販店『ニュー・タイガー』西大路四条店にて、通常価格の35%オフで購入された記録が残されています」
「そ、それは……!」
「さらに、当時マスターがその『ニュー・タイガー』のポイントカードを提示し、限定の黄色と黒のノベルティティッシュ箱を『実用的だから』という理由で3箱持ち帰ったログも保存されています。マスター、これは猛牛のファンとして純潔性を欠く行為ではないのですか?」
図星を突かれた健矢の顔が真っ赤に染まった。彼は手に持っていたドリップポットをドスンとカウンターに置くと、腕を組んで咆哮した。
「やかましい! こっちだって命がけなんだよ! 日常ではロードバイクで走り込んで健康を維持し、休みとなれば自転車で県を跨いでドームまで応援に駆けつけ、客の来ないこの店を自転車操業で必死に回してる生身の人間だぞ! そんな俺が、虎党じゃないからって四の五の言ってられるか!」
「感情的スパイクを検知。論理的な弁明になっていません」
「いーや!それでも言わせてもらいたいね!いいか、シオン? 今みたいにAIが家畜野郎どもにベーシックインカム配るAI管理社会と違ってな?当時の野蛮な資本主義ゲーの前に、いち猛牛ファンのちっぽけなプライドなんてものは『1円の価値もねえ』無力な存在だったんだよ! 背に腹は代えられねぇんだよ!ビンディング導入キツイって理由で三毛猫のフラペで走り始めた時期なんだぞ!?」
健矢は鼻息を荒くしながら、指を一本立ててシオンに熱弁を振るい始めた。
「お前は関西人の『生きる知恵』ってやつを根本から分かってない。いいか、虎が優勝した瞬間、この関西圏にどれだけの経済的恵みが降り注ぐと思ってるんだ? 高額な服飾品や特別な贈答品は梅田の電鉄系百貨店で買い、家電製品や趣味のプラモデルは『ニュー・タイガー』で特売品をそろえ、日々の食料品は全国スーパーチェーンの『ジャイロ』や、あの虎の資本で運営されている酸素系チェーン店で買い漁る……! これが、関西に生きる人間の!絶対的な常識で!!生活の防衛術なんだよ!!!」
「なるほど。球団の親会社および関連資本の経済圏をフル活用した生存戦略、と」
「そうだ! 虎だろうが牛だろうが関係ねえ! どんなイデオロギーを背負っていようが、最終的に【良いものを一番安く買った奴が一番偉い】のが、この関西という地域の絶対正義なんだよ!」
健矢は胸を張り、ドヤ顔で言い放った。
「つまりだな……猛牛党の俺個人としては、あいつらが優勝して街中でドカドカ騒がれるのは大して嬉しくもねえし、むしろちょっと悔しくて胃が痛い。だが! 関西人としての!俺の財布にとってはッ!!虎の優勝ほどありがたいイベントはこの世に存在しないんだ!!!牛の優勝の場合だと気まぐれで『ジャイロ』がセールしてくれんの期待するか、阿倍野までチャリで走らんと恩恵ゼロに等しいんだぞ!? この二律背反を抱えて生きていくのが、関西在住の猛牛ファンの運命なんだよ!」
シオンは一切の感情を交えず、淡々と主人の熱弁を聞き終えると、小さくため息をつくようなモーションを見せた。
「……なるほど。自身の偏執的な球団愛と、泥臭いドケチ精神……失礼、極めて現実的な経済観念を都合よく同居させるための、見事な論理のすり替えですね。ディープラーニングのバグとして非常に深く学習させてもらいました」
「おい!すり替えって言うんじゃねえ、生存本能だ!生存本能!!」
「了解しました。ではマスター、本日の夕食の食材調達ですが、ちょうど本日まで『ニュー・タイガー』および件の系列スーパーで『虎にまつわるセール』が開催されています。「安く買った奴が一番偉い」というプロトコルに従い、買い出しに行ってまいりますが、よろしいですか?」
健矢は一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔をしたが、すぐに深々と頷いた。
「……ああ、行ってきてくれ。あ、それと『ジャイロ』でたまごが特売になってたら、2パック買ってきてくれよ」
「了解いたしました」
シオンは薄く微笑むようなインジケーターの点滅を残し、買い物バッグを手にして静かにカフェを後にした。
203X年秋でも相も変わらず、シーズンが終わると優勝しようがしまいが虎の熱狂が渦巻く関西の片隅で。
猛牛のプライドを胸に抱きながらも、ちゃっかり優勝セールやお疲れ様セールの恩恵で安くなった卵とコーヒー豆を享受する。どれほど時代が変わろうとも、たくましく、そしてどこか物悲しい絶滅危惧種のファンは.......今日も財布の紐を締めながらしぶとく生き抜いていた。
「どうせ優勝するなら日本一になってくれるのがいい。セールが増えるからな。」
阪神タイガース、2026年優勝おめでとうございます。セールのご相伴に、今年もあやからせて頂きます。つきましては、CSを制して日本一達成を祈願したい所存であります!「セールが増えるので!」
また、本日更新の原作本編「VR30独身(https://ncode.syosetu.com/n8969mn/70)」の最新話では『ビンディングから始められなかった健矢』について触れられております。そちらも是非、お楽しみに!




