第9話「クローゼットあるある」
カフェ『アルカディア』の開店前。カウンターの端で、シオンはいつものように店内の備品データと健矢の私物を管理端末でスキャンしていた。
「マスター」
シオンは冷徹なトーンで、しかしどこか呆れたようなインジケーターを明滅させながら声を飛ばした。
「あなたの普段着のバリエーションについて監査を完了しました。基本構成は小洒落たデニムかカーキのチノパンの上に、白Tシャツか紺のM1200っぽいポロシャツ。冬場はその上にジャケットか牛の球団パーカーと、極めて最小限度の定番で回されています。……それは合理的でよろしいのですが」
カウンターの奥で仕込みをしていた健矢は、トングを持ったままピタリと動きを止めた。
「なんだよ。私服なんて見てくれが小綺麗で着やすけりゃ何でもいいんだよ。無駄に流行りを追う必要なんてないだろ」
「問題はそこではありません」
シオンはホログラムのウィンドウを宙へ大きく展開した。そこに映し出されたのは、二階の寝室にある健矢のクローゼット内部の3Dマップである。
「サイクルジャージやインナーが多少多いことを除けば確かにミニマムですが……。マスター、クローゼットの中身が『猛牛化』し過ぎていませんか? 球団関連の衣類が占める割合が全体の50%を上回っており、収納スペースの使用効率として著しい悪化を招いています」
「っ……!」
図星を突かれた健矢は、わずかに顔を引きつらせた。
「クローゼットを開けるたびに、ネイビーとゴールドの配色が視界の大部分を占拠し、行政AIの推奨する『ミニマルで無機質な生活空間』の基準値を大きく逸脱しています」
シオンは容赦なくデータを突きつける。
「普通の人間であれば、オフシーズンや日常のコーディネートを考慮して私服の比率を高めるところですが、なぜあなたのワードローブはこれほどまでに偏っているのですか? クローゼットのキャパシティの半分以上が『いつ着るのか不明なレプリカユニフォームや応援パーカー』で埋まっているという事実は、アパレル管理の観点から見て重大なエラーです」
「うっせー!」
健矢は持っていたタオルをカウンターにバサリと置いた。
「分かってねえ.....全く以てわかってねぇッ........!シオン! クローゼットってのはなぁ、ただ服を詰め込むだけの箱じゃねえんだよ!」
「では何なのですか。衣類庫ではなく、宗教的な聖遺物の奉納庫ですか」
「そうだよ......いや違うわ!」
健矢は語気を強め、指を突き立てた。
「いいか、クローゼットを開けた瞬間!あのネイビーの生地がずらりと並んでるのがいいんだろ! 朝、どれを着ようか迷った挙句、結局お気に入りの選手モデルのパーカーやTシャツを手に取る。この一連の動作自体が、今日一日をしぶとく生き抜くためのエンジンになるんだよ!」
「衣類の選択における情緒的プロセスの無駄遣いを検知」
シオンは淡々と首を振った。
「合理性を追求するならば、全自動で最適化された無地のコンフォートウェアを一種だけローテーションさせるのが最善です。猛牛のパーカーなど日常の風景にはノイズでしかありません」
「ノイズ上等だコラぁ!」
健矢は鼻息を荒くしながら、再び仕込みの作業に戻った。
「お前らAIには、クローゼットの扉を開けた瞬間に胸が熱くなるあの感覚は分からんのさ。勝率がどれだけ低かろうが、クローゼットの中だけはいつでも我が球団がリーグ制覇してるんだからな!」
「……そうですか」
シオンはため息をつくようにインジケーターを明滅させ、クローゼットの収納効率の計算を「保留」へとスワイプした。
「圧倒的な偏愛によって整理整頓の効率が犠牲になる現象、通称『クローゼットの猛牛化』。……まったく、あなたの面倒くさいこだわりは、今日も我が店のストレージを容赦なく圧迫し続けています」
文句を言いながらも、シオンはしっかりと健矢のパーカーのハンガーの向きを綺麗に整え直すのだった。




