第10話「神戸限定だから」
カフェ『アルカディア』から白いロードバイクを駆り、京都西陣から兵庫県神戸市までやってきた健矢。彼の眼前には、青空の下に雄大に広がる屋外球場――ほっかほっかフィールド神戸のグリーンが鮮やかに映えていた。
「ふぅ……! やっぱり神戸は最高だよな!かつての黄金期に北の大地からやってきた捕手が言ってたように『ほっと』するってもんだ!」
健矢は愛機の白いフレームを愛おしそうになでると、着くや否やヘルメット等から換装したキャップの庇をグッと直した。横に立つシオンは、網膜のインジケーターを静かに明滅させながら、健矢のバイタルと周囲の環境データをスキャンしている。
「マスター。本日の移動距離および走行ペダリングの消費エネルギーは2100kcalを超過しています。しかし、あなたの脳内報酬系は通常時をはるかに上回るレベルで活性化しています。大阪のドーム球場観戦時とは明らかに異なるデータパターンです」
「当たり前だろ、シオン! ここは聖地なんだよ! 大阪のドームももちろん素晴らしいが、この神戸の屋外球場は別格だ。応援だって球団合併前の仕様に代わる特別でレガシーな空間だ!花火だって見られる!何より、球場メシのカルチャーが大阪とは根本から違うんだからな」
健矢は興奮気味に、球場外周の広場を指差し、熱弁をふるい始めた。
「いいか、大阪のドームは洗練された常設店舗が中心だが、ここ神戸は常設店に加えて、球場をぐるりと囲むように個性豊かなキッチンカーの車列がずらりと並ぶんだ! 徐々に夕闇に染まりゆく青空の下、心地よい風に吹かれながら、どの店のメシを食うか悩む時間……この祭りのような開放的な雰囲気こそが、ファンのテンションを極限までブーストしてくれるのさ!」
「なるほど。空間音響および視覚的開放感による心理的相乗効果ですね」
シオンは淡々と手元の端末で球場システムにアクセスした。
「さらに興味深いデータを発見しました。この神戸開催におけるファンクラブのポイント付与システムですが、大阪のようにスマホアプリへ直接デジタル付与される形式ではなく、紙の『ポイント補助券』が手渡しで配布される仕様となっています」
「そうだよ! その紙の補助券ってのがまたいいんだよ!」
健矢はポケットから大事そうに発券されたばかりの紙切れを取り出し、掲げてみせた。
「デジタルで一瞬で処理される時代に、わざわざスタッフの手から紙の券を受け取る。このアナログな『もらった感』がたまらないんだ。こういう細かい仕掛け全部が、『今日は神戸に来たんだ』っていう特別な旅情を演出してくれるんだよ!」
「完全にノスタルジーに起因する認知のバグですが……」
シオンは呆れたように小さく首を振った。
「そこまでテンションが上昇しているのなら、そろそろエネルギー補給を行うべきです。キッチンカーおよび常設店のメニューを照合しました。やはり、神戸限定のグルメということで、あの有名な『神戸牛』を使用した高級ステーキ丼か肉すいあたりを選択しますか?」
「甘いな、シオン」
健矢はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「神戸限定だからといって、安直に『神戸牛』に飛びつくのは素人の浅知恵だ。俺がここで、在庫があれば絶対に食べると心に決めている至高の一品は他にある」
「神戸限定でありながら神戸牛ではない……? 該当する人気メニューを再検索します」
シオンの瞳の奥で青い光が高速で明滅した。
「……データの抽出に成功しました。マスター、あなたが言っているのは、もしかして宮崎県の老舗鉄板焼き店が手掛ける――」
「そうだ! 【四国グリルの宮崎牛カレー】だッ!!」
健矢は胸を張り、力強く叫んだ。
「神戸の球場に来てんのに!神戸牛ではなく、あえて『宮崎牛』のカレーを食う!! 一見すると矛盾しているように見えるだろ? だがな、これこそが歴史を知るファンの嗜みなのさ! かつて宮崎の春季キャンプや地域の繋がりから生まれたこの名物カレーは、肉のコク、スパイスの深み、そしてゴロゴロと入った宮崎牛の旨味が次元違いなんだよ! 在庫があって買えた日は、それだけで今日の試合は勝ったも同然なんだ!」
「神戸の聖地で宮崎の肉を食す……非論理的なこだわりですが、カレーに対するマスターの執念だけは本物ですね」
シオンはそっと自嘲気味なログを記録した。
健矢は買い求めたばかりの熱々のカレー容器を大事そうに両手で抱え、内野スタジアムの芝生が見渡せる観客席へと足早に向かった。爽やかな風が天然芝の香りを運んでくる。
「見てみろよシオン、この青空と緑の芝生。そして手には絶品の宮崎牛カレー……。これ以上の幸せがこの世にあるか?」
健矢はスプーンを大きくすくい、口一杯にカレーを放り込んだ。絶妙なスパイスと極上の牛肉の脂が口内で弾け、思わず「うおっ……うますぎる……」と恍惚の表情を浮かべる。
「マスターの多幸感パラメーターが上限値に達しました」
シオンは健矢の横に静かに腰掛け、膝の上にちょこんと乗った愛猫のクロ――ではなく、今日は『留守番の猫たちの写真を端末で確認しながら』言った。
「屋外の解放感、アナログな補助券、そして神戸での宮崎牛カレー。あなたのその支離滅裂で愛おしいこだわりが満たされた以上、あとは試合で『猛牛軍団』が勝利を収めるだけですね」
「おうよ! この最高のカレーのパワーで、今日もバシッと『おりほー』と叫んで帰るぜ!」
青空の下、風がそよぐ神戸のスタンドで、健矢は最高の一皿を味わいながら、まもなく始まる熱戦のプレイボールを心待ちにするのだった。




