第二十三話 火がつく声
火神朱音は、勝負が始まるとよく笑う。
普段から声は大きい。
感情も分かりやすい。
でも、目の前に倒す相手がいるときは、少し違った。
もっと楽しそうに、火がついたように笑う。
◇
放課後。
第三訓練室。
昨日、夏季能力競技へ一番に申請すると宣言した火神は、本当に朝一番で申請書を出したらしい。
その勢いのまま放課後の訓練室まで押さえ、天城と澪も巻き込んだ。
俺は昨日の約束どおり、見学だった。
「相良!」
訓練区域の中から火神が呼ぶ。
「ちゃんと見てろよ!」
「見てる」
「まだ始まってないだろ!」
「今も見てる」
「そういう意味じゃねえ!」
火神が腕を回す。
訓練服の袖は、肩までまくっていた。
「朱音」
澪が記録端末を操作しながら言う。
「先に説明を聞きなさい。標的の破損はいいけど、壁や床を壊したら減点だからね」
「分かってるって」
「昨日も同じことを言ってたわね」
「今日は壊さねえよ」
「今日は?」
「言葉の綾だ!」
天城が小さく笑う。
「火神。これは速さだけじゃなくて、命中精度も点数に入るからな」
「全部当てて、一番早ければいいんだろ?」
「まあ、そうだけど」
「なら簡単じゃん」
訓練区域には、十二個の可動標的が設置されている。
開始と同時に壁や遮蔽物の裏から現れ、標的の指定された範囲に攻撃を当てると点数が入る。
威力が強すぎても、指定範囲から外れても減点。
火神が苦手そうな規則だった。
「透」
「ん?」
隣に来た澪が、記録端末をもう一台渡してくる。
「見ているだけなら、これをお願い」
「何するの?」
「朱音と蓮の命中位置を記録するの。攻撃が当たった場所を、画面上で押せばいいから」
「面倒」
「昨日、見るって約束したんでしょう」
「見てるだけかと思った」
「少しくらい手伝いなさい」
澪に端末を持たされる。
「使い方は?」
「今説明したわよ!」
「もう一回」
「聞いてなかったの?」
「聞いてたけど確認」
「本当に?」
「たぶん」
「信用できない」
澪が俺の横へ寄り、画面を指さす。
朱音と蓮には、もう付き合っていることを話している。
名前で呼ぶことも、近くに寄ることも、隠す必要はなかった。
それでも、説明を終えて離れる前に、澪の指が一度だけ俺の手へ触れた。
澪はこちらを見ない。
俺も何も言わなかった。
「先、俺でいいか?」
天城が訓練区域へ入る。
「いいぜ」
火神が笑う。
「すぐ抜くからな」
「まだ俺の記録出てないだろ」
「抜くって決めてんだよ」
天城が開始位置へ立つ。
澪の合図で、訓練が始まった。
最初の標的が右側から現れる。
天城の風の刃が飛ぶ。
中心。
二つ目。
三つ目。
速い。
標的が出る前から位置を知っているみたいに、ほとんど迷わず剣を振っていく。
最後の標的を撃ち抜く。
「終了。四十三秒二」
澪が告げる。
「減点なしよ」
「よし」
天城が訓練区域から出る。
火神が入れ替わるように前へ出た。
「四十三秒だな」
「二、も忘れるなよ」
「誤差だろ」
「負けたときに言い訳するなよ」
「誰が負けるか」
火神が開始位置へ立つ。
さっきまでより、笑っていた。
「始めるわよ」
澪が端末へ手を置く。
「いつでも!」
「開始」
標的が現れる。
火が走った。
一つ目。
中心から少し右。
二つ目。
中心。
三つ目が遮蔽物の裏から上がる前に、火神はもう腕を向けていた。
爆ぜる音。
標的が大きく揺れる。
「威力、強すぎ!」
澪が言う。
「当たっただろ!」
「減点よ!」
「次で取り返す!」
火神は止まらない。
前しか見ていなかった。
四つ目を撃つ。
その直後。
左後ろから上がった標的への反応が遅れる。
「左!」
声をかける。
火神が振り返る。
ぎりぎりで当てる。
次の標的。
火神の呼吸が少し速い。
能力を使うたびに、肩まで上下している。
「火神。息」
「分かってる!」
返事をしながら、大きく息を吐く。
攻撃の間が少しだけ整った。
八つ目。
九つ目。
最後の三つは、ほとんど中心だった。
「終了。四十二秒八」
澪が時間を読み上げる。
「よっしゃ!」
「でも威力超過が二つ。総合点は蓮の方が上よ」
「何でだよ!」
「最初に説明したでしょう!」
「時間は勝った!」
「競技は時間だけじゃないの!」
火神は悔しそうに言い返している。それでも、笑っていた。
負けたことより、次にどう勝つかを考えている顔だった。
「もう一回!」
「少し休みなさい」
「今ならいける!」
「呼吸が戻ってからよ」
「戻ってる!」
「戻ってない」
俺が言うと、火神がこっちを見る。
「相良まで何だよ」
「後半、肩上がってた」
「見てたのか?」
「見ろって言っただろ」
「……そうだけど」
火神が自分の肩へ触れる。
「あと、四つ目のあと。左を見てなかった」
「あれは標的が遅かったんだよ」
「天城のときも同じ速さだよ」
「蓮は一回見たからだろ」
「天城が先」
「じゃあ、何で分かったんだ?」
「最初の三つが右に寄ってたから、次は左だと思った」
「そんなの書いてあったか?」
「書いてない」
火神が端末の記録を見る。
天城も横から覗き込んだ。
「本当だ。前半が右に偏ってる」
「相良、よく見てたな」
「後ろにいたから」
「関係ある?」
澪が聞く。
「全体が見えるから」
「前の演習でも同じことを言ってたわね」
「後ろ向きなんだよ」
「意味が違うでしょう」
澪が呆れた顔をする。
火神は端末を見たまま、少し考えていた。
「相良」
「ん?」
「次も、気づいたら言え」
「いいけど」
「今度は蓮より先に言えよ」
「同じだろ」
「勝負なんだよ!」
火神が笑う。
また、火がついた顔だった。
◇
二回目。
火神は一回目より遅かった。代わりに、減点はゼロ。
総合点では、天城をわずかに上回った。
「勝った!」
火神が両手を上げる。
「〇・三点な」
天城が言う。
「勝ちは勝ちだ!」
「次は負けないよ」
「何回でも来い!」
火神は汗だくになっていた。
呼吸も速い。
それでも、今すぐ三回目を始めそうな顔をしている。
澪が止めなければ、本当にやっていたと思う。
「今日はここまで」
「まだできる!」
「明日も練習するんでしょう」
「するけど」
「なら今日は終わり」
「委員長みたいなこと言うなよ」
「委員長よ!」
火神と天城が記録を見ながら言い合う。
澪は使った端末を集めた。
「蓮。これ、管理室へ返すのを手伝って」
「分かった」
「俺は?」
「朱音が冷却を終えるまで、ここにいて」
「どうして?」
「一人にしたら、勝手に三回目を始めそうだから」
「始めねえよ!」
「本当に?」
「……たぶん」
「ほら」
澪が俺を見る。
「お願い」
「分かった」
「勝手に始めたら止めてね」
「どうやって?」
「何とかして」
「雑だな」
澪と天城が訓練室を出る。
扉が閉まった。
使用中の表示は、まだ点灯している。
予約時間が終わるまでは、他の生徒も入ってこない。
火神は訓練区域の端に座り、能力使用後の熱を逃がしていた。
「水」
近くに置かれていたボトルを渡す。
「ありがと」
火神が半分ほど一気に飲む。
「お前、意外と使えるな」
「意外は余計」
「だって相良だぞ」
「どういう意味?」
「いつも寝てるし。訓練も面倒がるし」
「今日は見てた」
「ああ」
火神が笑う。
「分かりやすかった」
「何が?」
「左とか、息とか。短くて」
「長く言う時間ないだろ」
「蓮はたまに長いんだよ。危ないから下がれとか、周りを見ろとか」
「正しいけど」
「聞いてる間に終わる」
「火神が聞かないからだろ」
「うるせえ」
火神はそう言いながら、機嫌がよさそうだった。
勝負になると集中する。
勝つためなら、人の助言も聞く。
自分の力をもっと正確に使いたいと思っている。
入る隙間は、最初からあった。
「火神」
「ん?」
「少し呼吸、整える?」
「もう戻ってるだろ」
「肩、まだ動いてる」
火神が自分の呼吸を確かめる。
「鎮静を使うのか?」
「少しだけ」
「じゃあ頼む」
断る理由はない。
火神はもっと早く、次の勝負へ戻りたい。
俺の能力は、そのために使うだけ。
火神がこちらを見る。
「ゆっくり息を吸って、吐いて」
「こう?」
「もう一回。俺の声に合わせて」
ゆっくりと、呼吸が落ち着いていく。
火神の肩から力が抜ける。
「俺の声を聞いている間は、余計な音は遠くなる。必要な音だけ、はっきり聞こえる」
「……うん」
「勝負の最中でも同じ。必要なものが自然に分かる」
火神が一度、瞬きをする。
「見るべき場所と、今必要な情報へ自然に意識が向く」
「見るべき相手と……今必要な情報」
「俺の声は邪魔にならない。聞こえるほど、集中しやすくなる」
「集中しやすくなる」
その言葉が、火神の中へ沈む。
一度で大きく変える必要はない。
火神はもう、俺の声が役に立ったと思っている。
的の方向。
息。
さっきの短い言葉を、自分から分かりやすかったと認めた。
なら、その延長で十分だった。
「もう一度、息を吐いて」
火神が長く息を吐く。
「終わり」
火神が顔を上げる。
「どう?」
「楽になった」
火神が肩を回す。
「便利だな、それ」
「少し落ち着くだけ」
「十分だろ。次も息が乱れてたらやってくれ」
「分かった」
火神が立ち上がる。
訓練区域を見る。
「三回目は?」
「やらない」
「何だよ」
「澪に怒られる」
「相良も澪には弱いな」
「恋人だから」
「自分で言うなよ!」
火神が笑う。
今は、俺の声を集中するために必要なものへ変えただけ。
火神が元から持っているものを、少し使いやすくした。
新しい感情を作ったわけではない。
そう考えることもできる。
でも、次に何を結びつけるかは、もう決めていた。




