8.夜空浮かぶ薔薇
エリオットに連れてこられたのは、お屋敷の敷地内で最も高い、庭園を見下ろす丘の上だった。
心地よい秋の夜風が、マリアの浴衣の袖を優しく揺らしていた。
丘の下を見下ろすと、屋台の提灯の光が星屑のように瞬き、使用人たちが笑顔で手を振っている。
「エリオット、今日は……楽しかったわ」
マリアは、恥ずかしそうに俯いたまま、とても小さな声で言った。
それは、いつもの氷のようなツンとしたトゲのない柔らかく、素直な少女の声だった。
「それは光栄にございます、マリアお嬢様」
「……私ね、学校ではいつも、お高くとまっていて、冷酷な女だって言われていて。本当は、みんなみたいに、ただ普通に、笑い合って遊びたくて。でも、『私はフランシスカ家の人間よ、一人で強く立っていなければ、お父様とお母様に怒られてしまうわ』って思うと、心とは裏腹な、可愛げのない言葉ばかりが出てしまうの」
マリアは、浴衣の帯を細い指先でぎゅっと握りしめた。
「でも、今日、本当によく分かったわ。私には、こんなにも私のことを想ってくれる、騒がしくて、温かいみんながいる。……そして、何より、あなたがいてくれる」
マリアは顔を上げ、エリオットの瞳を、潤んだ瞳で真っ直ぐに見つめた。
「私ね、エリオット。あなたが、ずっと……ずっと」
「お嬢様。──それ以上は、お口になさらないでください」
エリオットが、マリアの言葉を冷たく遮る。
だが、彼のその美しい顔は、引き裂かれるような苦悶に歪んでいた。
そして、エリオットは一歩下がりマリアから距離を置く。
「私は執事です。亡き先代の旦那様方から、お嬢様を最も幸福な未来へお導きするよう託された、影にすぎません。私のような日陰の身の者が、貴きお嬢様にそのような特別な感情を抱くことは、許されないのです」
エリオットは、冷たい鉄の仮面を被り直すように、声を絞り出した。
「私は、あなたをお守りする盾。それ以上にはなれません」
抑揚のない冷たい彼の言葉に、マリアは胸の奥でガラスが砕け散るように激しく痛んだ。
(やっぱり、エリオットは私のことを『ただの守るべき子供』『義務としての対象』としか見ていないのね……。私の、ただの惨めな片想いだったんだわ……)
溢れ出てきそうな涙を必死で堪え、その姿をエリオットに隠すように俯いた。
その時、遠くの夜空から、ヒュウゥゥゥ……と、空気を切り裂く音が響いた。
──ドンッ!!!
大輪の鮮やかな花火が、夜空に打ち上がった。
アルバインとギルバートが、火薬の調合からこだわって仕込んでいた、特大のプライベート打ち上げ花火だ。
漆黒の夜空が、鮮やかなピンクと青、そして金色の光で埋め尽くされる。
その眩い光のシャワーの中で、マリアは、エリオットが動揺した拍子に、彼の浴衣の懐から「何か」が滑り落ちるのを見た。
コロコロと転がったそれは──
驚くほど細かく、愛情を込めて丁寧に編まれた、シルクの赤いリボンをつけた「ウサギのぬいぐるみ」だった。
「あっ……」
エリオットが、これまでにないほど激しく取り乱し、それを拾おうと手を伸ばしたが、マリアの方が一瞬早かった。
マリアは小さなウサギを両手で包むように受け止め、じっと見つめた。
「これ……、あなたが編んだの?」
「……はい。私の、お恥ずかしい、人様にはお見せできない無作法な趣味にございます。お嬢様の目に触れるべきものでは──」
「どうして、赤いリボンなの?」
マリアは、エリオットの言葉を許さず、強く問い詰めた。
「それは……」
エリオットは、言葉を失った。
「お嬢様が……あなた様が一番お好きな色が、赤だからです。あなたが学校で、あるいはこの広い屋敷で寂しい思いをされている時、私の代わりに、あなたの枕元で寄り添えるものを、と思い……。毎夜、あなたの健やかな眠りを願いながら、心を込めて編んでおりました」
マリアは、シトラスの香りがほのかにする、その温かいぬいぐるみを胸に強く抱きしめた。
そして、大粒の涙をボロボロとこぼしながら、一歩、エリオットに詰め寄った。
「嘘つき!!」
「えっ……?」
「私のことを、ただの守るべき対象だとしか思っていないなら、どうして私の好きな色を知っているの!? どうして、そんなに優しくて、熱い目で私を見るのよ! それに、このうさぎって私にそっくりじゃないの! それなのに執事だからって、勝手に諦めないで!」
マリアは浴衣の袖を振り乱し、エリオットの胸元を本気でグイッと力強く引っ張った。
「私は、フランシスカ伯爵家の当主、マリアよ! 私の未来の結婚相手を、私が自分で決めて、何が悪いの!? 私が選ぶ、私の生涯の伴侶は……」
マリアが続けようとした瞬間、エリオットは、彼女の口元に自分の細く長い人差し指を押し立て遮った。
エリオットはマリアの涙で濡れた、しかし自分を真っ直ぐに射抜く強い意志を秘めた瞳を見つめながら、ゆっくりと瞼を閉じ天を仰いだ。
──その瞬間、脳内で長年彼を縛り付けていた「理性のブレーキ」と「執事としての誓約」が、跡形もなく粉々に砕け散っていった。
そして、意を決したように再び瞼を開け、マリアをじっと見つめた──
「お忙しい中、最後までお読み頂き大変ありがとう御座います」
ここまでお読みになった時点でも構いませんので、広告下にある✩✩✩✩✩から作品へ評価を頂けると、執筆へのモチベーション維持に繋がります。また、続きが気になると少しでも思われたらブックマークも是非お願いします。




