7.夜の宴
数日後の夜、心地よい秋の夜風が吹く頃──
マリアは、エリオットに「お嬢様、裏庭に、我が国では極めて珍しい夜にしか咲かない『月光の薔薇』が見事な開花を迎えました。ぜひ一度、ご覧ください」と促され、乗り気でないふうを装いながら、裏庭へと足を運んだ。
「薔薇くらいで、わざわざこんな夜中に連れ出して……。もし私の体冷えでもしたら、あなたに温かいお茶を三杯淹れてもらいますからね」
文句を言いながら、庭の重厚な鉄鋳物の門をくぐったマリアは……
──その場に縫い付けられたように、思わず息を呑んだ。
「……えっ?」
そこに広がっていたのは、漆黒の闇を黄金色に染め上げる、無数のきらびやかな提灯の列。
砂利道に沿って、赤や青の暖簾を掲げた「お祭り」の屋台がいくつも並び、どこからかお囃子の小気味良い、楽しげな太鼓と笛の音が響いてくる。
「な、何ですの、これは……!?」
「マリアお嬢様のためだけの、プライベート祭りにございます」
不意に、背後から低く甘い声。
マリアが振り返ると、いつの間にかエリオットが、シックな紺色の上質な絹で仕立てられた浴衣姿になって佇んでいた。
普段の燕尾服とは異なる、少し崩れた襟元から覗く白い首筋と鎖骨のライン。いつもはきちっと整えられていた髪が、今夜は前髪を少し下ろしていた。
その艶やかな姿が格好よくて心臓が止まるほどドキドキし、マリアは一瞬、息をすることすら忘れてしまった。
「お嬢様ぁ! 特製焼きそばはいかがかしらぁん!? 隠し味にトリュフオイルと、最高級の牛肉を細切れにしてふんだんに使っておいたわよぉん!」
屋台の中で、浴衣(サイズが筋肉でパツパツになり、はだけた胸元から凄まじい大胸筋が主張している)を着たギルバートが、両手に持った特大の鉄ヘラをジャキーンと鳴らしてウィンクした。
「お嬢、こっちの射的、景品は全部お嬢が夜な夜なベッドの中で読んでる『令嬢と騎士の秘密の恋』の限定挿絵ポスターと特装本だぜ! 銃は全部、俺が仕込んだ超高精度で照準の光が出る仕様だから、引き金引けば百発百中だ!」
ハンツが、ねじり鉢巻き姿で、獲物を狙う猟犬のような鋭い目で叫ぶ。
「冷やし胡瓜と、お団子もありますよ。もちろん、わたくしが三度、毒見を済ませておきましたので、一口で即死するような心配はございませんからねぇ」
ミリアが慈愛に満ちた聖母の笑顔で微笑み、その隣では、アルバインが本格的な和太鼓をドンドコと、熟練の工作員のような正確無比なリズムで叩き鳴らしていた。
「みんな……」
マリアの大きな瞳に、じわりと、熱い涙が浮かんだ。
彼女が寂しそうにチラシを見ていた、その一瞬を見逃さず、この物騒だけど、誰よりも自分を愛してくれる使用人たちが総力を挙げ、この広大な敷地内に「お祭り」という奇跡を再現してくれたのだ。
「フん……、みなさん、本当に手の空いた暇人なんですのね。伯爵家の当主である私が、このような庶民の遊戯に興じるなど……。でも、せっかく用意していただいたのですから、少しだけ、本当に少しだけ付き合ってあげますわ」
マリアは精一杯のツンとした表情を維持しながらも、その頬は歓喜に染まり、嬉しさを隠しきれずに屋台へと小走りに駆け出した。
ギルバート特製の、言葉を失うほど美味な極上焼きそばを食べ、ハンツの射的で景品を乱獲し(ハンツが裏で強力な電磁石を使い、マリアがコルクを撃つ前に景品を裏から叩き落としていた)楽しんだ。
ミリアのわたあめ(暗殺ワイヤーを巻き取る超絶技巧により、信じられないほど真ん丸でふわふわに成形されている)を美味しそうに頬張る。
マリアの顔に、聖ルミナス女学院では決して見せることのなかった、心からの少女の笑顔が咲き誇っていた。
エリオットは、その眩しい笑顔を少し離れた場所から、吸い込まれそうなほど愛おしそうな、そしてどこか切ない眼差しで見つめていた。
「……良かった。本当に、お喜びいただけて」
◇
だが、ハプニングは突如として静寂を破られた──
アルバインが敷いた、世界最新鋭の防衛網の「わずかな盲点(風の通り道)」をすり抜けた、本物の「侵入者(近隣を荒らし回っている、ナイフを持った凶悪な強盗犯)」が、お祭りの光と音に釣られ、高い石壁を乗り越えて侵入してきたのだ。
「へへ、金持ちの敷地だと思ったら、何だぁ? 随分と豪勢な祭りじゃねぇか。あそこにいるお嬢ちゃん、首元にすげぇ高そうなダイヤのペンダントをつけてやがる……ちょっと脅せば、一攫千金──」
不審者が、薄暗い庭木の影からマリアの背後に向かって、ナイフをギラつかせながら手を伸ばした。
その瞬間──
──カチャリ
不審者の脳天に、冷たい硬質な金属の感触が突きつけられた。
「……動くな、ドブネズミめ。それ以上一歩でも動けば、その安っぽい頭部を我が庭の肥料にするぞ」
アルバインの声だった。その声は、庭師のそれではなく、数々の死線をくぐり抜けてきた、冷徹極まりない「伝説の諜報員」そのものの、背筋が凍るような重低音だった。
「ひっ……!?」
「あらあら、今日はお洗濯のターゲットが、自分から汚れに飛び込んできてくれたのねぇ」
ミリアが笑顔のまま、その指先で鋼鉄をも容易く切断する極細のワイヤーをサディスティックに弄んでいる。
「俺のシマで……何、お嬢に薄汚い視線向けてやがんだコラァ。その眼球、裏路地でビー玉にして遊んでやろうか?」
ハンツが、かつての「狂犬」の顔に戻り、ナイフを持つ男の手首を、骨が軋む音を立てるほど握り潰した。
「アタシの……可愛い、世界で一番尊いお嬢様に……その薄汚ねぇ泥棒猫の手ぇ近づけんじゃねえよ! このゴミが! その脳みそかち割ってやろうか? あ?」
元より強面のギルバートの声は途中からドスのきいた暗黒街の「男」の声になっていた。
鬼の形相で近づき、丸太のような太い両腕で男の巨躯を軽々と持ち上げ、そのまま脳天から地面に向かって、芸術的な角度のジャーマンスープレックスを極めた。
──ズドォォォン!!
凄まじい肉体の衝撃音が響く。
「ぎゃああああああああ!!」
「いや~ん、アタシったら、つい可愛さ余って優しくしちゃったわぁ〜ん」
ギルバートは、いつものようにお尻をフリフリしながら、元の位置に帰って行った。
不審者は、マリアが異変に気づくよりも早く、わずか三秒で「無害化」され、ハンツによって速やかに、敷地の外の警察署の前にゴミのようにポイ捨てされた。
マリアは、ちょうど「わたあめ」の甘い香りに夢中になっていたため、その背後で行われた国家規模の「防衛・排除アクション」に、全く気づいていなかった。
「どうかいたしましたの? 向こうの藪の奥で、何か大きな獣の骨が折れるような音がした気がいたしますけれど……」
首を傾げるマリアの前に、エリオットがサッと音もなく立ちはだかり、その端正な顔に極上の笑みを浮かべて、彼女の小さな手を取った。
「いいえ、マリアお嬢様。ほんの少し羽音の大きな不躾な害虫が、地面に激突して息絶えた音にございます。気になさる必要はございません」
エリオットはマリアの視線を完璧に遮り、彼女をエスコートするように歩き出した。
「それよりもお嬢様。お祭りの締めくくりに、あちらの丘へ参りましょう。私がお嬢様のために、特等席をご用意しております」
マリアはエリオットの堂々とした態度に少し驚きつつも、いつもの「ツンデレ・モンスター」スイッチを押すことなく、言われるがまま頬を赤らめながら素直についていった。
その姿は、正に恋する乙女が彼氏にリードされているデートのようだった。
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