5.決戦は美しく華麗に(2)
──同日、午後3時30分。聖ルミナス女学院 正門前。
「はぁ……。本当に、今日も疲れる授業ばかり……」
授業を終えたマリアが校門を出てくると、そこには見慣れた、そして帝都で最も洗練された高級馬車が停まっていた。
馬車の前で背筋を真っ直ぐに伸ばし、非の打ち所がない美しいお辞儀で待っていたのは、銀縁眼鏡をかけた端正な顔立ちの執事──エリオットである。
そこには、朝方に「害虫を駆除せよ!」と無線で冷徹に叫んでいたあの狂気的な総司令官の面影など、微塵も残っていない。
「お迎えに上がりました、マリアお嬢様。本日の授業もお疲れ様でございました」
エリオットは、女性なら誰もが溜息を漏らすような、極上の微笑みを浮かべて恭しく馬車の扉を開いた。
マリアは、彼の端正な顔を見た瞬間、胸がドクンと跳ねるのを感じた。
(……相変わらず、心臓に悪い王子スマイルだわ……)
だが、天の邪鬼で不器用なマリアは、そんな恋心を素直に表現できるはずがない。
いつものツンツンとした「ツンツンモンスター」の仮面を被り、ツンとそっぽを向いて冷たい声を出してしまった。
「……別に、疲れてなんていませんわ。あなたにそんな心配をされる筋合いはありませんもの。まあ、迎えに来るのが3秒遅かったら、置いて帰るところでしたけれど?」
「これは失礼いたしました。お嬢様を1秒でもお待たせしたことは、万死に値します。後ほど自室にて、自らを厳しく罰しておきます」
エリオットは全く動じず、むしろその冷たいお言葉さえも嬉しそうに、滑らかな声で答える。
だが、エリオットもドキドキする気持を懸命に抑えていた。
執事としての身分を弁え、決してこの想いを悟らせまいと完璧なポーカーフェイスを維持しているが、彼女のツンとした冷たい態度さえも、彼にとっては愛おしくてたまらない最高のご褒美なのである。
馬車に乗り込みながら、マリアはふと、今朝の奇妙な違和感を思い出して尋ねた。
「そういえば……今朝、登校する途中で、なんだか物凄い爆音と、ギルバートの野太いオカマ声のようなものが聞こえた気がしたのだけれど……。あれは一体何だったの?」
お嬢様の鋭い一言に、エリオットは片眉一つ動かさず、完璧な嘘を淀みなく吐き出した。
「まさか。ギルバートは今朝、料理への情熱が限界突破してしまい、厨房で牛カツを揚げる際の油の温度に少々興奮しすぎてしまったようでございます。『お嬢様にいつでも最高の状態のカツをお届けしたい』という、彼なりの狂気……失礼、真心の表れかと。後で厳しく(物理的に)躾けておきますので、どうぞご安心ください」
「ふ、ふん。相変わらず大袈裟な人たちね……。ギルバートの牛カツは美味しいけれど、少しは落ち着いてほしいものですわ」
マリアは一蹴し、馬車の奥のシートへとストン腰を下ろした。
その、何者にも脅かされることのない、守り抜かれた純白の笑顔を見て、エリオットの眼鏡の奥の瞳が、ふっと深い、狂気的なまでの愛おしさに細められた。
「もったいないお言葉でございます、お嬢様。私ども使用人一同はただ、お嬢様の平穏をお守りするためなら──いかなる害虫をも、その根元から徹底的に根絶やしにする所存でございますから」
「本当に大袈裟ね」
何も知らない、何も気付いていないお嬢様を乗せた高級馬車は、夕暮れの美しい帝都の街並みを、何事もなかったかのように今日も優雅に走り去っていった。
◇
その日の深夜。フランシスカ伯爵邸の地下、エリオットの私室。
「ふぅ……。今日も無事にお嬢様をお守りできて良かった……」
昼間のドSで万能な冷徹執事の姿は、そこにはなかった。
エリオットは、パステルピンクの可愛らしい毛糸を手に取り、慣れた手つきで編み物針を動かしていた。誰にも言えない秘密の趣味を一人堪能する至福の時間に酔いしれていた。
「今日もお嬢様はツンツンしていらっしゃって、本当に可憐だったな……。ああ、この編み上がったウサギのマスコット、いつかお嬢様にプレゼントできたらいいのに……。いや、不審がられて捨てられてしまうかもしれない。それはそれでゾクゾクするけれど……」
眼鏡を少し指で押し上げ、編み途中のウサギを愛おしそうに見つめるエリオット。
そんな彼の携帯無線機に、ハンツからのノイズ混じりの報告が入る。
『総司令官、こちらハンツ。例の三人組ですが、現在、魔の樹海の中心部にて、野生のツキノワグマと一対一の熱い対話を繰り広げております。自力脱出まで、あと丸二日と半日といったところでしょう』
エリオットは、編み物針を動かす手を一瞬だけ止め、スピーカーに向かって、いつもの冷酷な声音で囁いた。
「よくやった。熊の爪が彼らの不埒な根性を少しでも削ぎ落としてくれることを祈るよ。……さあ、明日はお嬢様の大好きなアールグレイのスコーンを焼かなければならないんだ。夜間の警備も怠るなよ」
『了解』
マリアは決して知らない。
自分が何気なく歩く道が、どれほどの精鋭たちによって血気盛んに、そして本気すぎるやり方で安全を保障されているのかを。
◇
──一方その頃、帝都郊外の鬱蒼と茂る『迷いの樹海』の奥深くでは悲痛な叫びが轟いていた。
「ここは一体どこなんだよぉぉぉぉ!!!」
チャラ男Aの絶叫が、静かな森に虚しく響き渡った。
三人組の衣服はボロボロ、顔は泥とバナナオイルでドロドロ、足の裏はマメだらけである。
「なんで俺たち、あんな可愛い女の子をナンパしようとしてただけなのに、気づいたら野生のクマと対峙してんだよ!!」
「マリア様って言ったか!? あいつのバックにいる奴ら、絶対に堅気じゃねえ!!」
「もう女の子なんて二度と声かけないから! お母ちゃん助けてぇぇぇ!!」
彼らがこの深い深い緑の監獄から自力で脱出し、文明社会の光を目にするまで──あと丸二日と半日かかることを、彼らはまだ知らない。
フランシスカ伯爵家の鉄壁の防衛網は、今日も今日とて、お嬢様の知らないところで完璧に機能しているのであった。
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