4.決戦は美しく華麗に(1)
いよいよ作戦決行日、時間は午前7時42分。帝都の一角では着々と準備が行われていた。
朝日が燦々と降り注ぐ平和な街並みの裏で、国家の存亡を賭けたレベルの極秘防衛作戦──『オペレーション・ピュア・ホワイト・シールド』は、すでに最終フェーズへと突入していた。
現場は、聖ルミナス女学院へと続く緩やかな坂道の直前、商業通りの交差点。
ターゲットとなるのは、昨日「マリア様をナンパして鼻をあかしてやろうぜ」などと抜かした、男子名門校のうぬぼれ屋三人組──通称『コードネーム:チャラ男A・B・C』
お嬢様に害をなす不届き千万な害虫どもを、彼女に「一切の認知すらさせず」に、この世の裏側へ排除する。それが今回の、そして我がフランシスカ伯爵家使用人たちの絶対任務であった。
「ターゲット、予定時刻より3秒遅れで喫茶店前を通過。これより『ゾーン・アルファ』へ侵入します」
潜伏中の情報担当のハンツが、路地裏のゴミ箱に偽装した超高感度無線機に向かって、凍りつくような低い声で囁く。
──失敗は許されない。
「お嬢様親衛隊」隊員としてのプライドにかけても必ずや成功させなければならない一大任務に、全員の緊張感が一気に増した。
ハンツのその目は一切の妥協を許さないプロの輝きを放っていた。
彼は三人組の歩行速度、風向き、果てには彼らが履いている革靴のソールの摩耗具合、さらには帝都の舗装石の歪みまでを脳内コンピュータで瞬時に計算し尽くし、コンマ一秒単位の未来予測を弾き出していた。
対マリア安全保障特別作戦本部(もとい使用人室)のスピーカーから、ハンツの報告を受けたエリオットの、冷徹極まりないドSな司令が響く。
『了解した。ゴミの分別は素早く、かつ静かに。……ミリア、仕掛けなさい』
「ふふ、了解ですわ、総司令官殿。すぐに片付けて差し上げます」
(特殊薬剤塗布済)洗濯紐を手に、エプロン姿で路地裏に佇むバナナ担当のミリア。
近所の奥方たちからは「いつも穏やかで親切なミリアさん」と慕われている彼女の正体は、かつて大陸全土を震え上がらせた伝説の暗殺部隊『沈黙の白百合』のトップエースである。
彼女は愛用の洗濯籠から、一見するとただの洗濯洗剤に見える怪しいボトルを取り出した。
中身は、調合師のアルバインが今回特別に通常より純度を上げたバナナ200本から抽出した最高レベル『特殊摩擦係数ゼロ・超潤滑特性バナナ・ナノオイル』
ミリアは恐るべき体幹の安定感で、重力を無視するように美しく跳躍した。
空中で翻るエプロンの裾が地上に戻る瞬間、その指先から放たれた極薄のバナナオイル層が、三人組の進行方向、わずか数メートル先の石畳へと正確無誤に噴射される。
肉眼では絶対に視認できない、厚さ0.01ミリの「物理法則を拒絶した絶望の罠」である。
「さあ、おイタな男の乳幼児たち。泥水がお似合いですわよ?」
ミリアが慈愛に満ちた菩薩の笑みを浮かべた瞬間、チャラ男Aの右足がその『絶対滑走地帯』へと進入した。
「──ッッ!?」
チャラ男Aの視界が垂直に90度回転する。摩擦という概念を失った世界において、人間の二足歩行などただのギャグだった。
彼は絵に描いたような放物線を描いて空中へと跳ね上がった。連鎖するようにチャラ男B、Cも足をすくわれ、三人揃って重力から解放された見事なシンクロナイズド・フライングを披露する。
普通であれば、ここで派手な衝突音と悲鳴が響き、周囲の注目を集めてしまう。
それを防ぐために次の段階へ移ろうとした時、事態は緊迫した。
折悪しく、その500メートル先の校内では、何も知らない純真無慮な、お嬢様が優雅に中庭を歩いている姿が見えていた。
『──ギルバート! ターゲットの姿勢制御崩壊を確認! お嬢様がこちらを向く前に、音響および視界を完全物理遮断せよ!』
エリオットの冷酷な、しかし焦りの滲む指示が入る。
「ガッテンよォォォォ〜〜〜〜んッ!!! エリオットの頼みなら、アタシ、地獄の果てまで爆走しちゃうんだからァァァァんッッ!!!」
無線機から響いたのは、大気を震わせる地鳴りのような超重低音。
しかしその口調は、乙女のパッションに満ちた凶悪なギャップを孕んでいた。
今日もその黒光りする鋼のような肉体に、彼の戦闘服である、フリルがたっぷりとあしらわれた特注巨大ピンク色のエプロンを纏い、愛するエリオット(※超片想い)の指示に魂を真っ赤に燃やしていた。
凄まじい鞭の音が響き、馬車が爆走する。だがそれは普通の馬車ではない。
車体には『特製・極厚ジューシー牛カツ・ソース二度漬け禁止!』とデカデカと書かれた巨大な暖簾が揺れる、移動式戦闘屋台馬車であった。
──ドォォォォォン!!!
道路にタイヤ痕を焼き付けながら、ギルバートの牛カツ屋台が、宙に浮いた三人組とマリアの視界の間に完璧なタイミングでドリフト侵入した。
その差、わずか数ミリの間一髪であった。
「おーほほほ! 今日の特製牛カツ、最高に揚がってるわよぉ〜ん!!」
ギルバートは凄まじい豪腕で、直径1メートルのフライパンを振り、超高温のラードで衣を揚げる「凄まじい爆音」を響かせた。
これこそが音響遮断作戦。三人組が石畳に叩きつけられた「ぎゃふん!」という情けない悲鳴と骨が軋む音は、カツが激しくジュワジュワと揚がる、食欲をそそる爆音によって文字通り完全に掻き消されたのである。
しかし、作戦はまだ終わらない。地面に這いつくばる三人組は、痛みに耐えながらも、まだお嬢様の方へ這い上がろうとしていた。
『アルバインさん、トドメを』
エリオットの、虫ケラを見るかのような氷の声が下る。
「了解いたしました、総司令官。彼らには少しばかり、脳のピクニックを楽しんでもらいましょう」
ロマンスグレーの髪を綺麗に整え、仕立ての良い三つ揃えのスーツを完璧に着こなした元敏腕国家諜報員──アルバインが、上品に懐中時計を確認した。
彼の傍らには、蓄音機をサイバーパンク風に改造したような、禍々しい鉄の機械が設置されている。
これこそが、フランシスカ伯爵家が誇る最高機密『広帯域心理誘導装置(超低周波音波発振器)』であった。
アルバインが静かにスイッチを押すと、人間の脳幹を直接揺さぶる、非人道的な特殊超音波が三人組の脳をピンポイントで直撃した。
「う、う頭が……」
「なんか……あっちに行かなきゃいけない気がする……」
「あっちに……俺たちの、約束の地が……」
三人組の瞳から完全に光が消えた。
音波によって空間認識能力と方向感覚を完全にバグらせられた彼らは、まるでゾンビのようにふらふらと立ち上がり、お嬢様とは全く逆の方向──
帝都の遥か郊外に広がる、一度迷い込んだら生きては戻れないと噂される『帰らずの魔の樹海』の方角へと、手を前に突き出したままトボトボと歩き始めた。
「よし、そのまま真っ直ぐ進むといい。野生の熊たちと親睦を深めてくるんだね」
アルバインは優雅にアールグレイの紅茶を口に含み、フッ、と知的でサディスティックな笑みを浮かべた。
すべては、お嬢様の視界に入る前の、わずか十数秒の出来事である。
今日も華麗に『オペレーション・ピュア・ホワイト・シールド』をきめた「お嬢様親衛隊」らは、物音を立てず街の風景へと消えていく。
本日も無事、彼らの手によって穏やかな世界平和が守られているのだった──
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