3.安全保障特別作戦会議
──マリアが2階の自室に入り、重厚な扉が閉まったその瞬間。
使用人室、もとい「対マリア安全保障特別作戦会議室」の扉が、厳かにロックされた。
「──報告せよ、ハンツ」
エリオットが、窓からの夕闇に紛れ、銀縁眼鏡をキラーンと冷酷に光らせた。
いつもの物腰柔らかい家庭教師の顔は微塵もない。そこにいるのは、冷徹極まりない「防衛軍総司令官」の貌だった。
ハンツは、裏の犯罪ネットワークから得た極秘情報がこれでもかとビッシリ書き込まれた『黒革の手帖』をパラパラと開き、低い声で言った。
「へい、エリオットの旦那。今日、お嬢が通う女学院の近隣にある、男子名門校のチャラついたガキども三人組がですね……『ルミナスのマリア様って、超ツンツンしてて可愛いよな。今度の週末、ナンパして鼻をあかしてやろうぜ』って、商店街通りの茶店で盛り上がってやがりました」
「何だと……?」
ギルバートが、マリアのために特製マドレーヌを焼いていた、鋳鉄製のぶ厚いフライパンを素手でメキメキ……と、まるで濡れた雑巾のように握り潰した。
「おやめなさい、ギルバート。これで今週三個目のフライパンです」
エリオットは眉間を指で揉みながら、氷のように抑揚のない声で言い放った。
「お嬢様をナンパ? 十年、いえ、我がフランシスカ伯爵家の歴史の長さと同じく、百年早いです。ギルバート、そのチャラついた若者たちの明日の胃袋に、致死量の一歩手前の超強力下剤を仕込みなさい」
「待ちやがれ、エリオット。それではいささか、生ぬるい」
ミリアが、洗濯物を丁寧に畳みながら、穏やかな菩薩のような笑顔で、その指の隙間に細い銀針を何本も挟み込んだ。
「私の『特製神経毒』であれば、脳の痛覚神経だけを適度に刺激し、三日間ほど『立っていることも、女性の顔を見ることも不可能な、恐怖に震えるだけの肉体』に仕立て上げられますよ。フフフ……」
「いや、物理的な接触は痕跡が残る。まずは私が、彼らの親族の不正、借金状況、および彼らが思春期にノートに書き殴ったであろう黒歴史の日記内容をすべて入手しましょう。それを学校の掲示板と実家の門前に匿名で流布します。精神的に、社会的に、根底から抹殺するのが最も効率的で、芸術的です」
アルバインが、上品にアールグレイの紅茶をすすりながら、もっとも恐ろしい提案を平然と言った。
(どれもこれも、この国の法に触れる重犯罪ですから……。まったく、この人たちときたら、お嬢様のことになると加減というものを知らない)
エリオットは内心で深くため息をついた。(いやお前もだろ……と、何処かで声が聞こえた気がした)
だが、彼の目の奥にある「独占欲」という名の暗い炎は、誰よりも激しく燃え盛っていた。
「みなさん、落ち着いてください。我が最優先事項は『お嬢様の純真な心を傷つけず、かつ、お嬢様に一ミリも気づかれないように処理すること』です。では今から作戦を伝達します」
エリオットはニヤリと笑いながらペンを取り、卓上の地図に鋭い赤線を引いた。
「ハンツ、その男子生徒三名の明日の起床時間から通学路、歩行速度を秒単位で予測しなさい。ミリア、彼らが女学院の通りに入る直前、通学路の曲がり角に『特殊摩擦係数ゼロ・バナナオイル』を塗布し彼らの足元を奪います」
「フフッ。では今回はバナナを通常の倍200本用意し純度高めの最高級、即滑り液を製造しましょう!」
「よろしい、ミリア。確実に仕留めなさい」
エリオットは真剣な眼差しで地図にトラップ位置を示しながら続けた。
「ギルバート。彼らが体勢を立て直そうとしたその瞬間、お嬢様の視界を遮るように、お前が『超巨大な牛カツの移動屋台』を馬車で爆走させ、マリアお嬢様の視界から彼らを完全に物理遮断しなさい」
「ガッテンよ〜ん。任せてぇ〜」
「アルバインさんは、混乱に乗じて、例の『広帯域心理誘導装置(音波発振器)』を使い、彼らをそのまま郊外の深い樹海へと静かに誘導。自力で脱出するのに二日はかかるように調整を」
「「「「了解!!」」」」
こうして、マリアの知らないところで、彼女に近づこうとするすべての異性、ナンパ男、あるいは肩がぶつかりそうになった通行人までもが、国家機密レベルの防衛網によって、物理的・精神的に、ことごとく、静かに叩き潰されていた。
◇
──その夜、マリアは自室の天蓋付きベッドの中で、枕に顔を埋めていた。
「どうして……どうして私は、生まれてから一度も、男子からラブレターとか、お声がけとかを頂けないのかしら……。やっぱり、私がお高くとまっていて、可愛げのない女だからね……うう、一生独り身なんだわ……」
シーツを涙で濡らすマリアの裏で、親衛隊たちは血と汗(とバナナの皮)の死闘を繰り広げ、世界の平和とお嬢様の純潔を守り抜いていたのである。
◇
──翌朝、普段よりすこし遅れて現れたマリアは、朝食の席でいつも以上にトゲトゲしく振る舞う。
「エリオット、この紅茶、温度が1度低くてよ。あなた、私の執事なのに、そんなことも分からないの?」
(ちがーーう! 本当は昨夜、この自分の性格が嫌になり眠れなくて、寝坊してしまったのが恥ずかしかっただけなのに、どうしてまた私は、こんな可愛くないこと言っちゃうのよぉぉ!)
「申し訳ありません、お嬢様。直ぐに新しいのをお持ちします」
エリオットは恭しく一礼し、部屋を出ていった。
◇
「ハァぁ……なんて可愛らしい。寝坊したことの恥ずかしさで、頬を染めながらも、不機嫌を装ったそのお姿。世界一愛らしい……」
エリオットは、熱くなる身体に堪えながら紅茶を淹れなおした。
「今日は大事な仕事が控えている。執事たる者がこのような醜態ではなりません」
先程入れた眼鏡を胸ポケットから取り出し、改めて掛けなおした瞬間「万能執事」モードになっていた。
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