第三章−愛情−【断章二】
パレーディアへと到着後、牢のような場所へと案内されたかと思えば……そこに待っていたのは尋問なぞ生温い、もはや拷問と呼べる聞き取りだった。
その証拠に、隣からはまるで人を殴るかのような壮絶な音と罵詈雑言が聞こえる。
「彼に何をしたんですかっ!」
それに私は咄嗟に立ち上がり、私への聞き取りを担当していた、正面に座る女性へと声を上げていた。
「さぁ?」
不敵な態度を取る眼前の女性の後方。格子を挟んだ廊下を、ソイルさんへの尋問を担当していたであろう男性が歩いていく。
ソイルさんはどうなったのだろう。
もし本当に、その男性に暴行が加えられていたとして、すぐさま何かしらの処置を施さなければ、既に身体の数カ所へ怪我と火傷を負っているソイルさんが危うい。
「あのっ!」
私は格子を両手で掴んで、その男性に声をかける。
「────死んじまうかもなぁ?」
私がソイルさんについて尋ねる前に、その男は言い放つ。
それに間髪を入れず、私は格子を強く揺らしていた。
「出してくださいっ! ソイルさんを……なんとかしないと!」
そしてその時────
「メ……ディ……ーッ!! 僕は大丈夫だぁっ! だから冷静になれぇっ! そいつらに逆らうなぁ!」
隣からソイルさんの叫声が聞こえてきた。
それが力を振り絞ってまで出された声だというのは、言葉の早さや震え、そして声の大きさで明らかだ。
その言葉は、私がソイルさんと同様の状況になってしまわないようにする為に言った優しさであるのは明白で、従わなければならないのは分かる。
……だが覚えたての『不安』がその決断を狂わせようとしている。
「ねえ、メディさん」
そんな中、格子を向いていた私の後ろから声が聞こえ、振り返る。
「私、あの男ほど外道ではありませんから、貴女にチャンスをあげます。もしかしたらそれで、隣の彼を救えるかもしれませんよ?」
イグナとは、ソイルさんを担当していた男性の名前だろうか。
「チャンス……ですか? そのチャンスとやらで、本当にソイルさんは救えるんですか!」
「えぇ。それも、簡単にね」
相手の言うことが事実なら、それに乗らないという選択肢はないだろう。
それに、このチャンスへ乗ることは、ソイルさんの意に背くことにはならないはずだ。
「なら、お願いします。彼を助けるためなら、何でもやりますから、そのチャンスとやらを教えてください」
やはり不敵な笑みを浮かべる女性は、もったいぶるようにして、そのチャンスとやらを話し始める。
「言ったけど、内容はとっても簡単。私の紹介で、とあるキャラバンに属してもらうだけです。あぁ、キャラバンっていうのは、簡単に言えば働ける場所ね」
「それは、一体どんなところに属せば?」
「男の夜をお供する、そんなキャラバンよ」
暗喩で示されたそれが具体的に何をする職業なのか、容易く理解はできた。
「外から来た人間で、貴女ほど顔立ちの整っている女性というのは珍しくってね? そのステータスは、かなり売れると思うの」
「変です、それじゃあ貴女にメリットがありません」
「貴女じゃなくて、『カニング』と呼んでください。それで私のメリットですけど、至ってシンプルですよ」
カニングさんは席を立ち上がり、格子側に立つ私へと、ゆっくりと距離を詰めてくる。
「紹介料に加えて、一ヶ月の間、貴女がどれだけ頑張ったかどうかで追加の報酬を貰えるんです。だからこれは、ちゃんと私にとって、凄くメリットのあることなんですよ」
カニングさんの距離は息のかかるところまで迫り、私はそれに後退っては格子に背をぶつける。
そして、続け様に私の耳横で囁いた。
「救いたいんでしょう、彼を……?」
有り体に言えば、身体を売るというその提示。
私としては、頭の中で従うべきでないと判断を下している。
というのも、私はセクサロイドでは無いので、男性が喜ぶような体型をしていなければ、そんな技術を持っている訳でもない。
合理的に考えて、上手くわけがない。
だが、その他にソイルさんを救う手段がないのなら、もはやこれに従うしかないのだろう。
「────分かりました。本当にソイルさんを助けていただけるのなら、貴女の言うことに従うことにします」
「はい。もちろん、彼を助ける約束は守ります。お話しの通じる方で何よりですよ、メディさん」
カニングさんが私から少し距離を置く。
「ではなるべく急いで準備をしてきますから、格子から離れ、壁に両手をついて待っていてください。鍵を開けたタイミングで逃げられたらとんでもありませんから、ね」
そう言われ、私は指示通りに格子の反対側へ進んでから壁へ両手をつく。
「少々、お待ちくださいね」
その言葉の後、格子が開いては閉められる重い音が響いた。
「ソイルさん……」
透視検査用の機能でソイルさんがいる部屋側を見つめると、機能により視界は白黒に覆われ、壁越しに彼が俯せとなって倒れているのが分かる。
幸い、呼吸はしているようで背中が上下している。
早く助けに行きたいが、今すぐカニングさんが来そうな気配はない。
────両手をつく壁が冷たい。
この都市も、イグナさんやカニングさんのように冷たい人ばかりなのだろうか。
いいや、彼らにも事情があってそうしたのだと信じて、私は残り続ける不安をどうにか殺そうと、透視検査機能をオフにした。
◇ ◇ ◇
────テラペイアの解散通知が届いた。
あと三日以内に規定値の売上を出せなければ、この都市に不必要なキャラバンとして扱われ、テラペイアは強制的に解散されてしまう。
「はぁ……」
溜め息を吐き、その通知書を握りながら私はギルドの本部へと向かう。目的は解散猶予の延長を打診のためだが、しかし、結果は何よりも明白だろう。
一歩一歩を踏み出す度に溜め息を吐いて、コンクリート造のギルド本部の前に立つ。感情を整え、同時に既に予想のつく結果を想い、深呼吸にも似た溜め息を吐いてからその建物の中に入る。
中はいつも通り、がやがやと人の声が混じって、騒がしい雰囲気だった。
新たなキャラバンに所属するための斡旋を受ける者、支援だとか給付金だとかの制度について尋ねる者。
そして、キャラバンの解散について話す者。それ以外にも、様々な目的を持った人間がここには集まる。
「ピュラモスさん、こちらの窓口へどうぞ」
受付もせず、建物に入っただけだというのに名前を呼ばれたことへ身体が跳ね上がる。
呼びかけに従って、一番奥の窓口へと向かう。
「もしもご用件が昨日と違うのであれば、それは恐縮ですが……あらかじめ言っておきます。解散猶予の延長はできませんよ」
私が座る前にギルドの従業員は言い放つ。
当然、それは間違いでは無く、昨日と同じ用件なのは確かだが、私も易々と引き下がる気はない。
躊躇いもなく、席へと座る。
「お席に着くということは、昨日とは別な用件で?」
「い、いえ。昨日と同じ用件では、あるんですが────」
「ではできないと、何度も言っているでしょう。そもそも、貴方のキャラバンだけにこれが適用されてしまったら、公平性が保たれないじゃないですか」
「それは理解してるんですよ。してるんですが……私にも、現在進行形で抱え持ってる患者さんがいるんです。急に解散なんてさせられたら、彼らはどうすればいいんです?」
「あのね、それは貴方が持つ責任なんですから。我々に相談されても、ギルドとしてはどうにもできないんですよ」
「ですから、その責任を持っているからこそ、彼らをどうこうする時間が欲しいんです。急にこんな通知書を渡されても────」
握られてくしゃくしゃになった通知書を、軽くテーブルに叩きつける。
「どうにもできるわけないじゃないですか……! 患者の中には身寄りの無い者だっているんです、一週間なんて短い時間じゃ、その人達の受け渡し先を見つけることもできませんよ……!」
「それこそ、こんなところに来ている暇は無いんじゃないです? 昨日だってこんな無駄な話し合いを二時間もしましたし、私達としても貴方としても、帰っていただいた方が有意義では?」
「今貴方たちが期間を延長すれば済む話なんですっ!」
声を荒げると共に、席を立ちあがる。
そこで、自分が感情的になってしまっているのに気付いた。
このままでは昨日と同じで、感情的な会話なっては会話が平行線を辿る一方だろう。
「す、すみません。少し熱く────」
少し冷静になろうと、席へと座ろうとして従業員が言う。
「これは個人的な意見なので、ギルドの立場は関係なく言わせていただきますがね。そんな患者、適当な場所に転がしときゃいいでしょう」
「え……は?」
私の聞き間違いではないかと、一瞬耳を疑ったが、それは紛れもなく従業員の本音であっただろう。
「大体、他の医療キャラバンへの引き取りが上手くいかないのは、アンタが抱え込んだ患者らの性質と、身寄りの無い奴らってのが原因なんでしょう。そんな奴らだ、適当に外に放ってから知らないフリをしてればいいじゃないですか」
「ふざけるなッ! 命を、君はなんだと思って……!」
自分の気持ちを落ち着かせたばかりだというのに、結局は感情を爆発させてしまった。
……これでは、昨日の二の舞ではないか。
「もういいでしょう。これ以上は私見をぶつけ合う話し合いになってしまう。無理なのが分かっていただけたなら、早急に解散の準備をお願いします。もしくは、残る時間で規定の売上を出すとかね」
従業員はテーブルに広げた書類を脇へと抱え、席を立ち上がった。
「あっ、あの! まだ────」
「他の方の対応もっ! あるので」
凄まれて、このように聞く姿勢を崩されては、これ以上何も言うことはできなかった。
後ろへと下がっていく従業員の背中を見つめ、私は解散通知書を握りしめて席から立ち上がる。
「どうにか、しなければ」
やはりギルドに相談したところで埒が明かない。
ギルドへの交渉は大人しく諦め、既に探し尽くした他の医療キャラバンの手を借りてみるしかないだろうか。
……少なくとも私には、テラペイアで抱える患者達を見捨てるという選択肢は、できなかった。
◇ ◇ ◇
カイさんより預かっていたハンドガンをカニングさんへ預けたあと、牢を出た。
そして、黄味がかった土の上に、三人分の足跡が残されていく。
一人分は私で、もう一人はカニングさん。
そしてもう一人は、カニングさんが紹介するキャラバンの団長を務める男性らしい。
確かに、長と言うに相応しい印象の良さはあった。肌はきめ細かく、爽やかな風貌、そして軽快な口調は余裕を漂わせる。
「確かに、カニングの言う通りだね。外から来た人間で、こんなにも肌の透き通った子は見たことがない」
「あ、ありがとうございます」
初対面で中々ハッキリという物言いに、少々動揺する。
「確かに色々と小柄だが、顔も良い。凄く整っている。その銀色の髪の毛は……そうだな、少し綺麗にまとめるともう少し大人びて見えそうだ。口調や雰囲気も大人びているし、見た目とのギャップで人気は出そうだね」
もの凄く褒められているのは分かる。
だが、歩き姿をまじまじと観察され……どうしてか、正直喜ばしくはない。
加えて、カニングさんの私を見る際の目つきも、鋭かった。
「カニングさん。ソイルさんは……」
「あぁ、恐らくはそれなりの治療を受けると思いますよ」
本当だろうか。
彼女を信じようにも、彼女は私へと目線を合わせてくれることがない。
「というか、聞き取りのときから彼を気にかけていましたが……そんなに彼が気になりますか?」
「当然です。ソイルさんは私の────」
大切な仲間。そう言おうとして、私は口ごもった。
故郷を共に離れ、苦楽を共にし、お互いを支え合って死の窮地までも脱した。
紛れもなく『仲間』と呼べるのは間違いないのだが、なんだか……その物言いでは、少し遠く感じてしまう。
「彼氏、なんですか?」
カニングさんに言われ、肩が若干跳ね上がった。
「い、いえ。そこまで深い関係ではないです。ないんですが、深くない関係と言われるとそうでもないと思っていて……彼との距離感は、どう口に表していいものか」
「俺はそのソイルって子を知らないから何とも言えないけど。友達、なのかな?」
友達や友人。そこまで言ってしまったら、おこがましくはないだろうか。
出会ってから一ヶ月も経たない私を、ソイルさんは『友人』だと、思ってくれているだろうか。
まして、『人間』と『アンドロイド』という隔たりがある中で、私をそのように捉えてくれているだろうか。
それは────
「それは、本人に聞かなければ……分からないと思います」
「そっか。それじゃあ、今度会ったときにでも聞いてみような」
にっかりと笑うその男性は私の肩へと手を回す。
そうしてその顔が近付いて、この男性の名前を聞いていなかったのを認識する。
「あの、すみません。お名前を聞いてませんでした」
「ルクリア・ブロッサムだ。よろしく、メディ」
「よろしくお願いします、ルクリアさん」
肩に手を回されていることで、多少歩きづらく感じる中、カニングさんが咳払いをする。
カニングさんのほうを見ると、やはり私を鋭い目つきで見つめていて、そこでルクリアさんが肩から手を離す。
「メディさん。貴女、初対面の男性に容易く身体を触られて、何とも思わないんです?」
「抵抗がないと言ったら嘘になりますが、ルクリアさんからは敵意を感じませんので、特段不快とは思いませんでした」
「……へえ」
カニングさんの声が低くなり、歩く速度の早くなるのが分かった。
特に不快にさせるようなことを言った覚えはなかったが……。
「まあまあ、そういう子なんだよ。カニング」
「そういう子、ですか。……想像以上に向いてるかもしれませんね、私の紹介した仕事」
私とて、進んでそうしたい訳ではない。あくまでも、ソイルさんの安全を引き換えに承諾したことだ。
カニングさんもそれを理解して、言っているのだとしたら、それが嫌味であるのは私でも分かる。
しかし、その推測を口にしてしまっては彼女を更に不快にしてしまうのは自明であり、私は黙ったまま、カニングさんとルクリアさんの後ろをついていった。
そうして移動中。ルクリアさんと世間話をしながら、ひたすらに歩き、とうとう目的地へとたどり着く。
────そこは随分と広い敷地だった。
敷地のあちこちには木造の平屋が建てられていて、それらの外壁には防音用のシートのような物が貼り付けられている。
敷地の入り口には、私を四人分ほど積み上げた高さの看板が立ち、そこには『ブリス』の文字。
「ではようこそ、メディ。我々のキャラバン、ブリスへ」
「……よろしくお願いします」
ルクリアさんが私に鍵を差し出す。
「やることは簡単さ。一番左奥から手前側に三番目、入り口に『111』と書かれた平屋がある。その鍵はそこの鍵でね、開けて入ってもらうと中にはベッドがあるはずだ。その上に衣服を用意させていたから、それへ着替えて待っていてくれ」
「分かりました。着替えた後は?」
「出番になったら、室内にあるベルが鳴る。後は、お客さんと君の時間だ」
「あの、マニュアルなどは?」
「そいつは君の経験、だね。ほらカニング、案内してあげて」
型には嵌められない作業、私にできるだろうか。
「早く、こっちです」
牢の中よりも明らかに、カニングさんの態度はあっさりとしていた。
「はい」
二つ返事を返した私の前を、黙々と彼女は歩く。
そして、十分も経たないうちに件の平屋に到着した。
「では、さっさと着替えてきてください。写真を撮らなければいけませんから」
「写真、ですか?」
「このキャラバンで貴女に行ってもらうことについて、説明をしたとは思いますが……客は相手をしてもらいたい女子を選ぶんです。そして、選ぶ材料としての写真を撮る。ただ、それだけです」
「なるほど……そういうことなら、分かりました。着替えてきます」
カニングさんが何で機嫌を崩しているのかは分からないものの、その原因が私と居ることであるというのならば、なるべく作業を早く終わらせた方が彼女の為だろう。
扉の鍵を開け、中に入る。
「暗い……」
カーテンは閉め切られていて、陽射しは一切として入っていない。
壁に手をつくと、何やらスイッチのようなものを押したような感覚を感じ、すぐさま部屋に明かりが灯る。
それにより見えた部屋の全体像。
広さとしては先程の牢より広く、ここを生活の拠点として一人が使うとしたら、恐らくは手に余るであろう広さだった。
玄関のすぐ隣にはトイレとシャワー室があり、壁を挟んだその部屋の反対側には小さな冷蔵庫が一つだけ置かれている。しかし、キッチンは見当たらなかった。
極めつけに、最も目を引いたのは部屋の中央に置かれたダブルベッドだ。
シーツや布団はキレイな状態にされており、ベッドの横のテーブルには何に使うのかも分からない道具が置かれていた。
「これ、ですね」
ベッド上に置かれていた、シーツや布団と同じような美しさで畳まれた衣服を両手に持って広げる。
広がったその純白の衣服は一瞬だけナース服にも見えたが、いざ広がるとそれはドレスのようだった。
そのドレスは全体的にAラインのシルエットで、すっきりとした印象を持たせる。加えて、タイトなウエストのリボンと付け襟は可愛らしさを醸し出す一方、服上は肩が出ており、フリルのスカート丈も短いが故に、露出度が故意的に強調されているものだというのが分かる。
そして恐らく、一瞬ナース服に見えたのは、一部分に赤色でアクセントが入っていたからであろう。シャングリラで良く見られたナース服も、同様に赤色のラインが部分的に存在していた。
シャワーを浴びてから、ドレスへ着替えたいのも山々だが、今は人を待たせている。
汚れた今の服を脱ぎ、早速そのドレスに袖を通す。
そして、数十分程して、ようやく着替えが終了する。着慣れた形状の衣服では無かったので、袖を通すのに時間がかかってしまった。
「お待たせしました、カニングさん」
扉を開けると、カニングさんは目を丸くしてから軽く咳払いをし、部屋の中へと入ってくる。
「随分とお似合いじゃないですか。ルクリアさんも、お客さんも喜びますよ」
「そう、でしょうか」
「きっとそうです」
カニングさんは私を部屋の中央に誘導し、ベッドの上へと座らせる。
そして、カメラらしきものを取り出しては、それを私へと向けた。
「撮ります、笑ってください」
若干、口角を吊り上げて柔和な表情を作る。
とびきりの笑顔を作ろうかとも考えたが、様々な人が見ると言うのなら柔和なくらいが丁度良いだろう。
『カシャっ!』
軽快な音がした後、撮った写真をカニングさんは確認する。
「ど、どうでしたでしょうか。良くは映っていますか?」
私の呼びかけへ、カニングさんは応えない。
数秒の沈黙の時間が流れ、私は声をかけた。
「あの────」
その時だった。
「…………気持ち悪い」
「……え?」
呟くように小さく発せられたその言葉。
聞き間違いかと思い、カニングさんの表情を窺うと、彼女は唇を震わしながら噛みしめ、眉間に皺を寄せていた。
「とっても、綺麗に撮れてます。……気持ち悪いぐらいに」
聞き間違いではなくとも、どうやら誇張された比喩表現だったようだ。
それに気前良く感謝をしようとして、だがしかし、カニングさんの表情が変わらないことに疑問が浮かんだ。
「褒めていただいている……にしては、随分と表情が曇っているといいますか。あまり、良くはなさそうですが────」
「えぇ、そうです。写真は良いんです。写真は」
カメラを見つめ続けていた彼女が、その視線を私へ合わせる。そして、続けざまに言い放つ。
「気持ち悪いんですよ、貴女が。私から提案をしたことではあるんですが、身体を売ることも厭わないどころか、初対面の男に気安く触られても動じない。嫌なくらいに愛想を振りまいて、その衣服だって随分と似合っていて、カメラ映りも良い。なんだか気持ち悪いんですよ……人間じゃないみたいで」
「人間じゃ……ない、ですか」
的を射た発言とはこのことだろう。彼女は何も間違ったことは言っていない。
しかしどうして、疑問がまた一つ。生まれた。
「なんでこんなにも胸が────痛く感じるんでしょう」
◇ ◇ ◇
パレーディア、郊外。
空の光も橙色になり始めた頃。
「駄目だ。帰ってくれ」
木扉が、軋む音を立てながら閉められる。
「ここも駄目か……」
ギルドにあしらわれ、医療キャラバンを巡って12軒目。ここでも私の患者を受け容れてはくれなかった。
それもそうだ。
私の抱えてる患者の中には、シンドロモンスに感染している患者だっている。治療方法も確立されておらず、最悪の場合、周囲へ多大な影響を与えかねない感染者を引き取ろうとしてくれる医者や研究者などがいないも当然だろう。
だが……かといって、このままキャラバンが解散されてしまえば患者達は行き場を無くし、路上生活を強いられることになる。
加えて、テラペイアで厳重管理しているシンドロモンス患者用の病棟も使えなくなると、感染患者の管理ができなくなり、パレーディア内でシンドロモンスが発生する大事にもなりかねない。
それだけは絶対に避けなければならない。
だが────
「ツテがないのも事実……か」
正直、お手上げなのも現実だ。これまでのキャラバンで駄目なら、これ以上頼りにできるキャラバンは無いに決まっている。
三日以内に規定の売り上げを達成する手段にシフトするのも手だが、診察を受けたい者が行く先のキャラバンを決めるのは私ではない。そんな運任せをあてにするのは間違っている。
「考えても仕方ないか……戻ろう」
ひとまずは帰ってコーヒーでも飲みながら考えるとしよう。
それに今の時間に戻らなければ、あっという間にも夜がやってきてしまう。
夜になれば、不用意に歩くのも恐ろしい。
私はその足をテラペイアの診療所へ向け、擦り減った靴跡を残しながら歩き出した。
◇ ◇ ◇
────仄明るい部屋の中でベッドに座って待ち続けること、約五時間と三十分。
ルクリアさんは、出番になったら室内のベルが鳴ると言っていた。それが未だ鳴らぬということは、まだその時では無いということなのだろう。
写真を撮り終えた後、暫くシャワーを浴びられそうな時間があったので浴びることができた。
その際に潤滑ゼリーのような物が風呂場に置いていたが……それを見て、ベッド横のテーブルにあった何へ使うのか分からない物品の目的を理解した。
あれはきっと、そういった行為に用いられるものなのだろう。
それを理解しただけではない。
これから自分の身に起こるであろうことも、今の自分の状態も、理解はしている。
「……ふぅ」
────そう、しているはずなのだが、何故だか不安は拭えないまま。
カニングさんの情報を信じるのであれば、彼はきっと相応の処置を受けているはずで。
それに先程、ソイルさんがカイさんの関わる組織に引き取られたとの情報も提供してくれた。
だのに、何故不安は拭えないままなのだろう。
この不安は、ソイルさんが心配で感じていた不安ではなかったのか。
カニングさんの情報は、安心できる情報をするためには十分な情報のはずだ。
だが、不安が潰えるどころか、増していく。
それを感じていたその時。
『チリン!』
…………ベルが、鳴った。
同時に、更に胸の辺りがざわめき始める。
ドアを見るとスリガラス越しに、玄関外灯に照らされる人影があった。
こうなった際の対応を、カニングさんも、ルクリアさんも教えてはくれなかった。
マニュアルとなるのは、私の過去の人と関わった経験のみ。
「は、はい!」
ドアの先に声が届くように、若干大きめの声で応える。
そして、ゆっくりと扉が開かれる。
「入るよ」
ドアの軋む音の後に現れたのは中肉中背の体型で、若干汗ばんだ様子の作業着を身にまとった男性だった。
「すごいなぁ、写真以上だ」
男性の言ったそれが、何への称賛なのかは分からなかったが、少なくとも私へのものであるのは分かる。
「えっと────」
「初めてなんだってね。俺が最初で嬉しいよ」
ベッドへ座る私の隣に、その男性は腰を下ろす。
男性はやはり、汗をかいた後なのか、塩気の強い匂いが鼻を突く。
「震えてる、大丈夫? 緊張してるなら安心してよ、俺が手ほどきしてあげるからさ」
震えている……。
そんな実感はなかったが、言われて意識をして、確かに私の肩は震えていた。
その肩に、男性の手が回される。
「あ、あの……その」
「可愛いなー! そんな反応するの!」
回された男性の手が、私の胸の辺りに触れた。
その瞬間────
「やめてくださいっ!」
男の手を振り払って、私は立ち上がっていた。
男は呆気に取られたかのような顔をして、私を見つめる。
「えっとー、ごめん。ちょっといきなりすぎた?」
申し訳なさそうにする男へ、私も何か謝罪の一つを示すべきだっただろう。
「っ!!」
「あれ、ちょっと! どこ行くの!」
気付けば男に背を向け、扉を開けて走り出していた。
ドレスなのも相まって、非常に走り辛くも、ひたすらに走った。
ただただ、全力に。
ブリスの敷地をあっという間に抜け出し、私は知らない道をひたすらに進む。
────何故だ。
何故、私は逃げ出してしまったのだろう。
自分でとった行動であったはずなのに、疑問が頭の中で反芻して止まない。
だがしかし、理解をしていないにも拘らず、私の足は止まることなく動き続ける。
理解のため、客観的に捉えてみる。
数分前の自分を振り返るに、あれは人間でいう『反射』的な行動のようにも思えた。
そうだ。ああいったような状況を鑑みて、人間が似たような反応をすることを私は知っている。
「もしかして、これが……恐怖?」
これが恐怖という感情であるなら、私が『逃げる』という選択肢をとったのも妥当だろう。
しかし、その推測は更なる疑問を生む。
「私は────一体、何に恐怖を」
ソイルさんが危うい状況であったこと?
否、ソイルさんはカイさんの関わる組織に引き取られた。
体をあの男へと差し出すこと?
否、これもとっくのとうに決まっていたことで、逃げ出すのならもっと最適なタイミングがあったはずだ。
分からない、理解ができない。
自分の行動であるのに。それでもやはり、足は止まらない。
そうして見知らぬを道を走り続けて、視界の悪い角を曲がった瞬間。
「んっ!」
「うおっ!?」
体に振動が走って、次いで若干、横方向へと吹き飛ばされる。
土の感覚が両手に伝い、腿の側面に衝撃が走る。
「あいってて……」
どうやらぶつかった相手は男性らしく、痛がる向こうも私同様に姿勢を崩してしまったようだ。
勢い良く走っていたものだから、ケガなどはしていなかっただろうか。
「す、すみません! 急いでいて!」
立ち上がろうとして、ドレスのフリルを踏んでよろめく。
仕方なく、男性までそこまでの距離があったわけではなかったので、四つん這いで近寄る。
「お怪我はありませんか?」
全身を見ても、男性の身に纏うその正装の上からは、ケガをしているかの判別がつかない。
「すみません、痛い場所は? もしあれば、服をめくってその箇所を見せて欲しいのですが」
私の問いかけに、茶髪の男性は何も応えない。
もしや、反応ができないほどのケガを負ってしまったのだろうか。しかし、そうなるほどの強さでぶつかった訳でもないし、意識の喪失が見られるわけでもない。
数十秒が経っても反応がなかったので、とうとう男性に触れようと手を近付けると、男性は少し後ろに引いてから、ようやく口を開いた。
「あっ、いや……大丈夫────なんですけど!」
口ごもる男性。
そして、視線は私から逸らされる。
「なんですけど……その」
「すみません、診させていただきますね」
どうにもハッキリとしない反応に、私は負傷した部位がないかを確認するために肌へ触れた。
そして────
「いやそのっ!」
男性はまたも後ろへ下がりながら、あっさりと立ち上がってみせた。
◇ ◇ ◇
角より飛び出してきた、ドレスを身に纏う女性の手が私の肌へと触れられる。
「いやそのっ!」
そうして、色々と声をかけてもらっていたみたいだが、身体が反射的に跳ね上がる。
同時に、呆けていた意識が引き戻された。そして、視界に映り込んだその女性の様相に私は目を見開かせた。
土をドレスに付け、座り込むその女性に月明かりが射し込む。そうして、彼女の姿が暗闇の中に明瞭となっていく。
月が梳いていく美しい銀色の髪。私を貫くように向けられる慈悲深い視線、それを発する赤色の瞳。儚さを感じさせる小柄な体躯。
総じて感じさせる美しさは、私がこれまでに見た人間にはない、感じたこともないような美しさだった。
「怪我はないので! 大丈夫……!」
自分が大丈夫なのを伝えると、目の前の女性は私から体を離れていく。
「なら、良かったです。……すみません、衣服を汚してしまって」
彼女の謝罪に自分のスーツを確認すると、確かに姿勢を崩した際に地面へとついた腿の部分が茶色に染まっていた。
「あいや、些末なことだ、これぐらい。それより────」
彼女が着ている華々しいドレスのほうこそ、折角の純白さを台無しにするように土がつきまくっている。
「貴女のほうこそ、綺麗なドレスが汚れてるじゃないか」
「……あっ」
それに今気が付いたのか、彼女は汚れた部分を見つめて一言を漏らし、そして、顔を歪ませたように見えた。
「でも、貴方の正装も汚してしまって……それに、ぶつかったのも私のほうからですし。このドレスは……お構いなく」
そういう彼女の表情は、先程確かに歪んでいたと思ったのだが、気のせいだったのか、柔和な状態に戻っていた。
「私の服のほうこそ気にしないでくれ。それにもう、家に帰るところだったからね。このスーツはもう……今日は何の役にも立たない」
話す言葉が後ろへ行くにつれて、無意識的に声量が小さくなっていた。
それは、これまで外に出すこともできなかった弱音を、申し訳程度に吐露したものだったからだ。
「ところで、そっちの包帯のほうには?」
パット見、彼女に怪我はなさそうだったが、左腕の包帯の下にあるのかもしれない怪我に問題はないのかは、気になるところだった。
「問題ありません。心配していただき、ありがとうございます」
外見だけではない。その言葉遣いも大変丁寧だ。
それが、美しさに拍車をかける。
「その鞄の中身……もしかして、お医者様なんですか?」
目の前の彼女へと感心する一方で、女性はぶつかった際に地面へと転がった鞄を指差してそう言う。
私もその指の先を見やると、いつも持ち歩いていた、鞄の中の診察器具が外へと散乱していた。
「あっ……!」
咄嗟に散乱したものを掻き集めながら鞄を拾う。
同時に、彼女の質問へと言の葉を返す。
「そ、そうなんだ。そうなんだが────」
……それもじきに終わる。
正直、諦めが胸中を埋め尽くしていたのは事実だ。
一昨日、昨日と続き、今日。
ギルドへの交渉も、他の医療キャラバンへの打診も、何一つとしてうまく行かなかった。
そもそも、他の医療キャラバンと同様の運営に加え、シンドロモンスの研究も含めて、それらを患者第一にやってきたつもりだ。
しかし、それが仇となった。
身寄りの無い者や、医療費を払うことのできない者。
そういった者については無償で抱え込んだため、他のキャラバンよりも売り上げをギルドへと示すことができず、結果、解散通知が出されてしまった。
「なん……だが?」
汚れを気にしないのか、地面へと座ったままの彼女は私の言葉の続きを待つ。
「────それも、あともう少しで終わるんだよ。私の、医者として活動するためのキャラバンがね」
それを皮切りに、気付けば私は、弱音を全て彼女へと話してしまっていた。
それは、解散通知が届いて以来……否、テラペイアを設立して以来、誰へも話せていなかった弱音だった。
どうせ無くなってしまうのだから、そんな諦観ゆえだったのかもしれない。
しかし────
「あの、提案があります」
目の前の女性は至って真面目な表情で、私をからかうような雰囲気もなく。
真っ直ぐな声で続けた。
「私……外から来た人間なのですが、それを踏まえて、一つの提案をさせてください」
「そんなに改まることもないよ。だが、聞かせてくれ」
「私を、そこで────働かせてはいただけませんか」
意図も掴めぬその提案へ、私は呆気にとられていた。
「外から来たと言っても、私も医者なのです。今は……事情があって、このような成りですが。力になれる自信はあります」
「医者…………だが、しかしだね────」
仮に彼女の言う事を信じ、そのうえでテラペイアへ受け入れたとして、払える対価がない。
現存する、私を除いた四名のスタッフにも支払える対価もないというのに。
「貴方のキャラバンにおいて、対価が支払えない状況であるのは先程の話で承知しましたので、私はそれを求めたりはしません。ただ……贅沢を言えるのなら、雨風を凌げる場所さえ提供していただけるのなら」
口ごもる私の言葉を先回るようにして提示された、これ以上に無い案。
土で汚れているとはいえ、このような豪勢なドレスを身に纏う彼女が何故そこまでしてキャラバンに入ろうとしたのか、それは私の知るところではない。
しかし、よくよく考えると外から来たという彼女もまた、身寄りのない状況ではないのか。
それでもって、彼女の言うことを信じたとして。
その実力は未知数で、それがテラペイアの存続にとって、良い方向か悪い方向かのどちらかに繋がるのかも、分かったことではない。
だが……既に状況は最悪。良い方向に転がったのなら、それは喜ばしいことであるし、悪い方向に転がろうにも、これ以上後ろはない。
テラペイアの解散危機という状況で、打開の可能性の一粒でも溢してしまうのは、それこそ本当に諦観ではないのか。
「君が何をもって、解散寸前の私のキャラバンに入りたいのか……それはおいておくとして、本当にいいんだね?」
「はい、お願いします……!」
彼女のその言い方からは、何かこう……強い決意のようなものを感じた。
まるで、自分の進む道の先に、守りたい何かがあるかのような……私が医者という道を目指したときに抱えていた感情と似た何かを持っているような感じだった。
「そうだ、君の名前は?」
「メディ・ハヴァーです」
「そうか、メディ。私はピュラモス・アモリス。まだ正式な手続きを踏んではいないから、いきなり従業員とはいかないが……よろしく頼むよ」
メディはドレスで躓かないよう、慎重に立ち上がって、私と目を見つめる。
「はい、よろしくお願いします」
彼女の狙いは分からない。が、明白に、確かなことが二つ。
この出会いがテラペイアにとって、間違えようもなく運命的な瞬間であったのが確かであったということ。
────そして一つ。このとき、私は、彼女へ一目惚れをしてしまっていたということだ。




