43. 媚薬
通路に出ると右から左、左から右へと血の足跡が幾つも往復しており、突き当たりの角には門番程の重武装ではないが同じような身形の装具を着けた衛兵が血に塗れて倒れ伏している。
短い間に起きた事件の筈だが、これまで全く気付かなかったのはフランの才能による防音効果が裏目に出たからだ。そして今も周囲の状況が全く耳に届いて来なかった。静謐な空間だ。
「盛大にぶっ飛ばして直ぐに誰も来ないと思ったら……テメェ、こんな状況になってる事を知ってて妨害して来たのか? シャルルさんよぉ」
「予定よりもだいぶ前倒しになるが仕方がない、ベルト様以外にはhぐぁ」ぷすっ
振り返るとシャルルの背後にフランが立っていて、手に持った注射器で首筋に薄黄色の液体を打っていた。
「明らかに敵対的でしたので無力化させてもらいました。媚薬の原液です、本来は水で3000倍に薄めて使用しますが大人しくしていれば死ぬことは無いでしょう」
「はっはっは……ああ! ぅあッ!? はぅぅう……!! ゔッッッ」ビクンビクンッ
「うわあ……」
「……原液で持つ必要あるか? 夜、代官に使うにしても薄めた方で十分だろ」
「麻酔薬などの都合のいい物を持ち合わせていなかったもので……それにこういった物は使う時々でその方に合わせた配合で処方しますので、原液の方が分量の計算が容易いのです」
「それはおかしい。あれだけ暴れた僕を無力化する為に必要な状況を想定して、悪魔契約の時にも使った塗って使う筋弛緩剤や麻酔になる経絡秘孔を使えば、即効性はなくとも制圧は楽になる筈だよね? なんならあのペースト状の筋弛緩剤を注射器で直接注入する事も出来たんじゃないの?」
「そりゃ多分肩凝りに使う湿布に使われてるのと同じ薬だな。よく効くから下層じゃ冒険者以外にもジジババに人気だそうだぜ。アレの原液なら俺やシャルルくらい屈強な奴を喋れる程度に大人しくさせられる。身を以て知ってるから断言するぜ」
「普段から御歳を召した方に合わせて処方する薬剤を調整する人なら、湿布の原材料の持ち合わせ位あってもいいと思うんですけど?」
「やっぱ裏切り者か?」
今フランは大きなミスを2つも犯した。一つは事情を知っていそうなシャルルを喋れないようにした事。もう一つは噓をついた事。この2つのミスはフランにとって余りにも初歩的な失敗と言わざるを得ない事から、やはり裏切り者ではないかと思わせられる。
「この状況で喧騒の一つも聞こえて来ないのも妙よね。ドアに魔法が掛かっていたり、シャルル? が敵対行動を取った時点で業務連絡とかしなかったのも怪しい。明らかに私達と外部とを切り離そうとしているように考えられるわ」
「付け加えると“フラン”という名前の真贋はハッキリしているものの、経歴には不明な点が多い。イェナ様の仰る所、行き倒れを拾ったそうだが、私はその時点から怪しいと思っていたぞ」
「名前の真贋調査は教会へのお布施・銀貨8枚になります」
フランが怪しい理由は2つに止まらない。現在進行形でやるべき事を拒否している事や過去の経歴が不明なのも引っ掛かる。お布施はどうでもいい。
自身に不利な情報が行き交う中、当のフランは何を考えているのだろうか。その答え如何によっては、今度はフランが無力化される番だ。
そしてこの防音空間の中で集中したエルドワーフの耳ですらハッキリと聞こえない声でフランが呟いた。
「…………今が潮時か」
フランが突如シャルルの陰に隠れるように屈むと、部屋の全方位から無数の金属線が壁を切り刻みながら部屋の中に留まっていた全員を捕らえた。いや、フランだけがシャルルを盾にワイヤーの隙間を無理矢理拡げて回避しているのを目で捉えることが出来た。
「いいいい痛い痛い!!? 身体が裂けちゃう!! ぷひゅん!」
「対獣討伐用捕獲網ッ!? 人間相手に使う物じゃねぇ!!!」
「不味い! 私の服はこんな時の為の備えも万全だが、セインが重傷だ! 足が無い!」
「うがああぁぁ!!!! 痛気持ちイイィィィぃ!!!!」
「ベルト様のご用意は想定内にして予定通りにしても、流石は学園トップのドワーフと屈強な冒険者達だ。一般的なご老人一人しか仕留められなかった……君の場合は運が良かったね」
目を凝らして見える細さのワイヤーが皮膚と服に食い込んであられもない姿を晒すスカーレッドとその他数名(一名除く)は無事だったが、セイン爺さんが重傷で放っては置けない。このどう転ぶか分からない危険な状況下で、回復役のセイン爺さんが真っ先に倒されてしまうのは大変良くない事だ。
だから助けようと思い一歩踏み出した所で音も無く真っ黒いナイフが横っ面に飛んできた。
それを手で掴み取ろうとしたら、直前でナイフがぴょんと跳ねて空を掴んだだけだった。ナイフはそのままフランの手元へと戻ってしまった。
「危ない危ない……奇襲のつもりが刃物を渡す所でした」
ナイフに紐を結わえているようだ。あれなら投げても紐を引っ張れば手元に戻る。だが投げナイフで牽制するだけなら、我慢すればワイヤーを焼き切りに近付ける筈。構わず駆け出したその時…
「忍法・加重の術!!」
「グッ!!?」
いきなり土嚢でも担いだかのように脚がグラグラと縺れてしまい、勢い余って転んでしまう。
パンッ
「うがあああ!!!??」
腹部に激痛が走ると共に全身に気怠さが圧し掛かり、見えない土嚢も相まって痛みにのたうつ力も出なくなった。




