第6話 便所を後回しにするな
東棟が崩れた翌朝、レオンは住民たちを中庭へ集めた。
「今日は便所を直す」
何人かが、崩れた東棟を見る。
「先に寝る場所を広くしないのか?」
「今の寝床は狭いが、全員が安全な場所で眠れている。便所は違う」
城内に便所は八か所あった。
そのうち、住民が使っているのは中央棟裏の三か所だけ。残りは床が抜けているか、排水管が壊れているか、崩れた建物の中にある。
三か所を八十六人で使っている。
朝と夜には列ができ、間に合わない子供もいた。汚れた水は排水口へ流しているが、その先がどこへつながっているか誰も確認していない。
「三十日後の検査にも、便所と排水が入っています」
セレナが付け加える。
「屋根のある部屋を増やしても、汚れた水が井戸へ入れば暮らせない。今日は、使っている三か所の排水を確認する。直せるなら、もう二か所増やす」
寝室を作ったときより、反応は鈍かった。
新しい寝台や食堂と違い、便所が直っても人に見せられる物は増えない。
それでも、後回しにはできなかった。
◇
中央棟裏の便所は、石壁で三室に分かれていた。
床の排水口から、城壁の外へ続く地下管へ流す構造らしい。洗い流す水は、井戸から桶で運んでいる。
「臭いが戻ってくることは?」
レオンが尋ねると、掃除をしていた女が答えた。
「風の強い日はあります。流した水が戻ってくることも」
「いつからだ?」
「魔王軍がいたころからです。戦いのあと、ひどくなりました」
レオンは床と排水口へ触れた。
「《改装》」
構造が頭の中へ入ってくる。
三本の排水管は、地下で一本につながっている。その先に水をためる槽があり、さらに城壁外の処理場へ流れるはずだった。
だが、途中で反応が途切れている。
「詰まっているだけか、管が壊れているか分からない」
「掘るのか?」
ガルナが足元を見る。
「いきなり床は壊さない。先に外側を見る」
城壁に沿って歩くと、排水の出口らしい石積みがあった。
本来なら、ここから処理場へ水が流れる。だが、地面は乾いている。
代わりに、少し離れた石壁の下が濡れていた。
「あそこから漏れている」
バルガスが運搬椅子の上から指す。
ガルナたちが土をどけると、割れた排水管が現れた。
上から落ちた石が管を押しつぶしている。汚れた水はそこでせき止められ、継ぎ目から周囲の土へ染み出していた。
井戸までは距離がある。
今すぐ飲み水へ混ざる位置ではない。それでも、漏れ続ければどうなるか分からない。
「この石をどけられるか?」
「できる」
ガルナが石を持ち上げる。
腕ほどの太さがある石管は、二か所で割れていた。
新しい管はない。
レオンは、使われていない浴室の排水管を外すことにした。太さが同じ部分を選び、割れた管の代わりに使う。
「風呂を壊すのか」
「今は湯も出ない。使えない設備を残すより、便所を使えるほうがいい」
バルガスが外した管の傷を見た。
「二本は使える。一番長いのは中まで割れとる」
「二本で足りる」
壊れた部分を取り除き、代わりの管を並べる。
隙間を埋める材料には、厨房に残っていた耐水性の灰と砂を使った。
レオンは接続位置を確かめる。
「排水管を、処理場まで水が流れる状態へ改装する。《改装》」
石管がつながり、灰と砂が継ぎ目を塞ぐ。
便所から水を流すと、今度は城壁の外まで届いた。
逆流もない。
「これで三か所は使える。次は、隣の二室だ」
◇
隣の便所二室は、入口を木板で塞がれていた。
中には壊れた便座と、ひびの入った水槽が残っている。排水管は先ほど直した本管につながっていた。
問題は水だった。
使うたびに井戸から桶を運ぶなら、五室へ増やしても水運びの仕事が増えるだけだ。
「昔は、上の水槽へ井戸水を送っていました」
後ろから声がした。
小柄なゴブリンの女が、壁から出た金属管を見ている。
髪は短く、腰に細い工具を何本も差していた。
「名前は?」
「ティナ。魔力設備の補助をしていました」
「この管を使えるか?」
「管は使えます。でも、水を上げる魔力ポンプが止まっています」
ティナに案内され、井戸脇の小屋へ入った。
中には歯車と青黒い石を組み合わせた設備がある。
井戸から水をくみ上げ、中央棟の水槽へ送る装置だった。
「壊れているのか?」
「動力は来ています。流れが合っていません」
ティナが青黒い石へ指を触れる。
「《調律》」
細い光が何本も浮かび上がった。
光は設備の中を流れているが、一部が揺れ、途中でぶつかっている。
「魔力の流れる速さがばらばらです。そろえれば動かせます」
「構造は分かるか?」
「魔力の流れなら分かります」
「水がどこへ送られるかは?」
ティナが管を見る。
「中央棟の水槽だと思います」
「思う、か」
配管は壁の中へ入り、途中から見えない。
レオンの《改装》でも、城全体に広がる古い管の行き先までは判定できなかった。
「先に管を調べる。今日は動かさない」
「でも、ポンプを動かせば、便所へ水を送れます」
「別の場所へ流れる可能性もある。誰かと一緒に確認してからだ」
ティナは返事をせず、光の揺れを見ていた。
レオンは、それを作業を始めないという返事だと思った。
◇
午後は、壊れた二室を使える状態にした。
便座は、腐っていない木材で作り直す。ひびの入った水槽は使わず、しばらくは桶を置く。
床と壁を洗い、内側から掛けられる鍵も取り付けた。
男女で場所を分け、夜でも分かるように扉へ印をつける。
五室すべてへ、掃除用の水と砂を置いた。
「これで検査に通るか?」
ガルナが尋ねる。
「数は足りるかもしれない。でも、毎日きちんと流せなければ駄目だ」
井戸から水を運ぶ仕事は残っている。
レオンは、明日から交代で担当できるよう、オーレンへ人数の割り振りを頼んだ。
そのとき、中央棟から子供の声がした。
「水が出た!」
レオンは顔を上げた。
便所の水槽につながる管から、水が勢いよく流れている。
ティナが井戸脇の小屋から出てきた。
「動きました。流れをそろえたら、ちゃんと水槽まで――」
「止めろ」
「え?」
「今すぐポンプを止めろ!」
ティナが小屋へ戻る。
しかし、管から出る水は止まらなかった。
別の場所で、金属が大きく鳴る。
井戸の中からだった。
ガルナが水くみ用の縄を引いた。
上がってきた桶は、半分も満たされていない。
もう一度落としても、水へ届く音がしなかった。
「井戸の水位が下がってる」
ガルナが言った。
ティナが小屋から飛び出してくる。
「止まりません。魔力の流れは切ったのに、ポンプだけ動いています」
便所へ水を送るために動かした設備が、城で唯一使っている井戸の水を吸い続けていた。
レオンは、水の流れる管をつかんだ。
便所は五室に増えた。
代わりに、八十六人分の飲み水が止まりかけていた。




