ep.88[Side M/異世界]Link: 人狼-15
大和さんのお父さんは、翌朝見付かった。
昨日と同じ森。
昨日と違うのは、私達が二人ではなかったことだった。
大和さんを含めて六人。
私は来なくて良いと言われた。
けれど、断った。
昨日、ここに居た。
お父さんが私達を逃がすために残ったところも。
大和さんが「親父、ごめん」と言ったところも。
最後まで見た訳ではない。
だからこそ、今日だけ見ないことにするのは違う気がした。
アレは居なかった。
森は静かだった。
静か過ぎて、昨日のことだけが嘘みたいだった。
大和さんのお父さんは、昨日と殆ど同じ場所に倒れていた。
背中の血は乾いていた。
もう、赤くは見えなかった。
誰も直ぐには近付かなかった。
大和さんだけが歩いた。
膝を突く。
首元へ手を伸ばして。
途中で止めた。
確認する必要なんて無かったのかも知れない。
「……帰ろう、親父」
それだけ言った。
大和さんはお父さんの身体を抱き上げた。
昨日、私を抱えた時とは違う。
ゆっくり。
頭が揺れないように、腕の位置を何度も直していた。
村へ戻るまで、一度も下ろさなかった。
その日の内に、お父さんは埋葬された。
灯京には墓地があった。
永遠名さんのお墓みたいに森の中へ一つだけ離れている訳ではなく、いくつもの墓石が並んでいる。
昨日まで話していた人が、石の下へ入る。
介護の仕事をしていても、その順番に慣れたことはない。
身体を綺麗にする。
着替えてもらう。
家族が来る。
送り出す。
仕事として出来ることには順番がある。
でも最後に残る空白だけは、何度見ても仕事にならなかった。
土が最後まで被せられるのを、大和さんは黙って見ていた。
私も隣で見ていた。
何も言わなかった。
昨日より、それで良いと思えた。
昼を過ぎてから家へ戻った。
「何か食うか?」
扉を閉めた大和さんが言った。
「大和さん、お腹空いてます?」
「空いてる。美憂は?」
「……訊かれるまで気付きませんでした。でも、多分空いてます」
「じゃあ食おう。腹減ってるかどうかまで考えなくなると碌なことねぇから」
大和さんはそのまま台所へ向かった。
「私、作りますよ」
「何作るんだ?」
「……食材を見てから考えます」
「やめとけ。昨日まで名前も知らなかったもんばっかだぞ」
「でも切るくらいなら出来ます」
「じゃあ切って」
「急に任せましたね」
「やるっつったの美憂だろ」
包丁を渡された。
昨日と同じ生活が始まる。
墓地から帰って来ても、お腹は空く。
火を起こす。
食材を切る。
食べる。
きっと夜になれば眠る。
そうやって、居なくなった人の分だけ少し形を変えながら、生活は続く。
私は野菜みたいなものを切りながら、さっきの墓地を思い出した。
思っていたより墓石が多かった。
それなのに。
「大和さん」
「ん?」
「灯京って、大人ばっかりですよね」
「急にどうした?」
「昨日、一人で歩いてて思ったんです。子供も居ましたけど……少ないなって。今日、墓地まで皆さんと歩いて、やっぱりそうだなって」
「ああ。少ねぇよ」
大和さんは鍋へ水を入れながら普通に答えた。
「何か理由があるんですか?」
「俺達、子供が出来にくいんだ」
包丁を止めた。
大和さんはこっちを見ずに続ける。
「同じ獣同士ならまだ出来やすい。狼と狼とか、兎と兎とか。けど灯京には色んな奴が居るだろ。好きになった相手が同じとは限らねぇから」
「……種類が違うと、出来ない?」
「出来ないことが多い。犬と馬の間に子供は出来ねぇだろ?」
「まあ……はい」
「俺達も似たようなもんだよ。ただ、完全に同じじゃねぇ。時々出来る」
「時々?」
「ああ。だから厄介なんだ。絶対無理なら最初から諦める奴も多いだろうけど、出来る夫婦も居る。生まれる子も居る。だから皆、もしかしたらって思う」
切った野菜を籠へ移す。
「でも皆さん、元は人間なんですよね?」
「元はな。身体はもう違う。見た目だけじゃなくて、中まで全部同じなのかなんて俺には分かんねぇけど、子供が出来にくくなったのは獣人になってからだ」
「じゃあ……妊娠はしても、生まれないことも?」
「ああ」
大和さんの返事が少しだけ遅くなった。
「出来たと思っても、途中で流れることも多い」
流れる。
意味は直ぐに分かった。
「……流産ですか?」
「多分、美憂の世界じゃそう言うんだろうな。こっちは『流れた』って言う」
「多いんですか?」
「昔は特にな。誰と誰なら出来やすいとか、そんなことも何も分かってなかった。好きになって、一緒になって、子供が欲しくて。それで出来ねぇか、出来ても流れる」
大和さんは鍋を火に掛けた。
「生まれて来ても、弱い子も居た。何日も生きられねぇ子も」
言い方は淡々としていた。
でも、何でもないことだと思っている声ではなかった。
何度も聞いて、何度も見て、そういう話し方になっただけなのかも知れない。
「大和さんは……?」
「俺?」
「子供、欲しいと思ったことあります?」
大和さんが少しだけこっちを見た。
「そりゃあるよ」
「そうなんですね」
「何で意外そうなんだ」
「いえ。大和さん、そういうこと考えなさそうだから」
「どういう人間だと思ってんだよ」
「畑と御飯と戦うことしか考えてない人」
「酷ぇな」
「あとガトーアンコ」
「それは美憂が名前付けただけだろ」
少し笑った。
でも、その笑いが落ちた後も、子供の話は残った。
「人間とは、どうなんですか?」
「何が?」
「人間と獣人なら……子供は出来るんですか?」
大和さんは鍋を混ぜながら、少し考えた。
「分かんねぇ。試した奴が殆ど居ねぇから。昔から人間と俺達は一緒に暮らして来た訳じゃないしな。ただ、俺達も元は人間だから、獣人同士よりは出来るんじゃねぇかって言う奴は居る」
木の匙が鍋の縁に当たった。
小さな音だった。
胸の奥に、嫌なものが落ちた。
人間なら。
私は人間だ。
大和さんは獣人。
子供が出来にくい村。
外から来た女。
大和さんは私に好意を持っている。
嫌な考えが、一つ形になったら止まらなかった。
「……大和さん」
「ん?」
「もしかして、人間の私と試そうとしてます?」
木の匙が止まった。
一瞬。
本当に、一瞬だった。
でも、止まった。
その一瞬が胸の中で勝手に大きくなる。
「私を、子孫を残すための『器』として……機能として見てますか?」
「違う」
声は直ぐだった。
大和さんが私を見る。
「絶対に違う」
「今、一瞬躊躇いましたよね?」
「躊躇ったよ」
否定されなかった。
心臓が少し冷える。
でも、大和さんは続けた。
「美憂にそんな考え方されてたことにショック受けただけだ。何て返したら、ちゃんと違うって伝わるか分かんなかった」
「……」
「俺、美憂と付き合えたらとか、その先まで考えたことが無いとは言わねぇよ。子供が居たらって想像したこともある。でも、それと美憂を子供作るために必要だと思うのは全然違うだろ」
大和さんは匙を置いた。
「子供が出来なかったら美憂じゃなくなるのか? 美憂じゃなくならねぇだろ。子供が作れるから好きになった訳でもねぇ。そんなこと、会った時には何も分かってなかったんだから」
言われて。
やっと、自分がどれだけ酷いことを言ったのか分かった。
「……すみません」
「良いよ」
「良くないです」
私は立ち上がった。
椅子が床を擦る。
そのまま、深く頭を下げた。
「ほんとに、ごめんなさい。言い過ぎました」
「美憂、そこまでしなくて良いって」
「でも、大和さんは一回もそんな扱いしてないのに。私が勝手に疑って」
「だから良いよ。誤解だけど、そう感じちまったんだから。俺も言い方に配慮が無かった。人間なら出来るかも知れねぇなんて話の後じゃ、そう思われても仕方ねぇ部分はある」
「でも」
「今、違うって分かった?」
「……はい」
「なら良い」
「怒ってないんですか?」
「怒るより、普通に傷付いた」
胸の奥が痛くなった。
「……ごめんなさい」
「だから何回謝るんだよ」
「傷付けたからです」
「分かった。じゃあ、もう一回だけ聞く。俺が美憂をそういう目で見てると思う?」
私は首を横に振った。
「思いません」
「じゃあ終わり」
「……はい」
「あと座れ。頭下げられたままだと落ち着かねぇ」
椅子へ戻った。
大和さんもまた匙を持った。
「私、ちょっと怖かったのかも知れません」
「何が?」
「人間だから必要だって言われることが。私自身じゃなくて、出来ることとか役割とか、そういうので見られるのが」
言ってから、前の世界を思い出した。
魔法使い。
役割。
必要とされること。
必要とされないこと。
「だから勝手に繋げました」
「そっか」
「……はい」
「なら次から、勝手に最後まで繋げる前に訊けよ。途中で」
「今日みたいに?」
「今日より三歩くらい手前で」
「結構手前ですね」
「器まで行く前に止まれ」
「はい」
大和さんが少し笑った。
私も少しだけ笑った。
鍋の煮える音が戻って来る。
暫くして、さっきの話がもう一度頭に浮かんだ。
「流れた子達って……どうしたんですか?」
「どうしたって?」
「亡くなった後です。今日みたいに、埋葬したり」
大和さんが不思議そうな顔をした。
「してねぇよ」
「……してない?」
「ああ」
「お墓は?」
「無い」
「一人も?」
「一人って……」
大和さんの眉が少し寄った。
本当に、私が何を訊いているのか分からない顔だった。
「美憂。流れたんだぞ。未だ生まれてねぇ」
「でも、お腹の中には居たんでしょう?」
「居たけど」
「じゃあ、何で」
「形が無いのに、何を埋めるんだ?」
頬を引っ叩きたくなった。
右手に力が入った。
私は拳を握り締める。
爪が掌へ食い込んだ。
違う。
大和さんは、酷いことを言おうとしている訳ではない。
本当に分からないんだ。
ここでは、それが普通なんだ。
生まれていなければ、人ではない。
形が無ければ、墓に入れるものもない。
だから埋めない。
私の普通を、そのままこの世界の人に叩き付けてはいけない。
「……美憂?」
「何でもないです」
「何でもない顔じゃねぇけど」
「少し、考え方が違っただけです」
「怒った?」
「……少し」
「何に?」
「今は言わない方が良いと思います」
大和さんは暫く私を見ていた。
「そっか」
それ以上、訊かなかった。
そのことに少し助けられた。
「名前は?」
「何の?」
「流れた子達です。名前は付けなかったんですか?」
「付けねぇよ。生まれて来る前なんだから」
胸の奥で、何かが動いた。
昨日まで聞いていた言葉。
ガトーアンコ。
失敗作のまま終わらせたくなかった。
名前を付ければ、少なくとも『生まれなかったモノ』じゃなくなる気がした。
そして。
『この村には、名前を付けなかったものが多い』
大和さんが前に言った。
植物の話ではない、と。
あの時は分からなかった。
今なら。
「大和さん」
「ん?」
「前に言いましたよね。この村には、名前を付けなかったものが多いって」
大和さんの手が止まった。
「……ああ」
「あれって」
続けようとして、別のものが先に浮かんだ。
森。
水溜まり。
子供みたいな輪郭。
水みたいに透けた身体。
足音も無く。
重さも無く。
私の下腹部だけを見ていた。
大和さんが、五十年前から知っていたモノ。
「……アレ」
声が小さくなった。
「もしかして、流れた子達なんじゃないですか?」
大和さんは答えなかった。
否定もしない。
でも、目を逸らした。
「大和さん?」
「分かんねぇ」
「でも、五十年前から居たんですよね?」
「ああ」
「女の人を襲う?」
「……ああ」
「お腹を?」
大和さんの目が、私の下腹部へ落ちそうになって止まった。
「そうだ」
全部が繋がっていく。
「何なんですか、アレ」
大和さんは直ぐには答えなかった。
鍋の中で泡が一つ弾けた。
「……ミズコ」
耳が、その音を勝手に漢字へ変えた。
「……水子?」
大和さんが私を見る。
「知ってんのか?」
「知ってるって……日本では、生まれる前に亡くなった子供のことを、そう呼ぶことがあります」
自分で言って。
背中が冷たくなった。
流れた子。
生まれなかった子。
弔われなかった子。
そして。
水子。
「……待ってください」
「何だ?」
「その名前、大和さん達が付けたんですか?」
「違う」
「じゃあ、誰が?」
答えを聞く前から。
何故か、一人しか浮かばなかった。
五十年前。
日本から来た人。
私と同じ言葉を知っていた人。
「永遠名が、そう呼んでた」
息が止まった。
「永遠名さんが……?」
「ああ。俺は意味知らなかったから、最初は『ミズコ?』って聞き返した。そしたら永遠名が、自分の世界じゃそういうのを水子って呼ぶって」
五十年前。
永遠名さんが付けた名前。
大和さんは、その音をずっと覚えていた。
墓も無い。
名前も無かった。
生まれることも出来なかった。
それでも。
永遠名さんだけが、アレを見て。
名前を付けた。
「……大和さん」
「ん?」
「永遠名さんは、アレが何なのか分かってたんですか?」
「分かってたかは知らねぇ。ただ、俺が『生まれることが出来ずに流れた子供の精霊』って言ったら、直ぐそう呼んだ」
胸の中で、最後の一つが嵌まった。
大和さん達は。
最初から知っていた。
流れた子供の精霊だと。
知っているのに。
埋めるものが無いから墓を作らない。
生まれていないから名前も付けない。
そして五十年前。
別の世界から来た永遠名さんが、その存在に名前を付けた。
水子。
私は拳を開いた。
掌に爪の跡が残っていた。
怒っている。
多分、未だ怒っている。
でも。
大和さんに怒鳴ることが答えではない。
この村の人達が悪い、と決めることでもない。
私には私の普通がある。
大和さん達には、大和さん達の普通がある。
だから。
その間に居るアレだけが、ずっと何処にも入れない。
「……名前、あったんですね」
「永遠名が付けただけだけどな」
「それでも、あります」
大和さんが私を見る。
「五十年前から、ちゃんと」
水子。
口には出さなかった。
でも、胸の中でもう一度だけ呼んだ。
今度は、アレではなく。
名前で。




