ep.86[Side M/異世界]Link: 人狼-13
介護の仕事をしていると、人の喪失に立ち会うことがある。
亡くなる瞬間に居合わせることもある。
出勤した時には、もう亡くなっていることもある。
昨日まで食事をしていた人。
昨日までテレビを見ていた人。
昨日まで私と話していた人。
その人が、次の日には居ない。
最初の頃は、それが上手く理解出来なかった。
部屋へ行けば、ベッドはある。
枕もある。
コップもある。
歯ブラシもある。
服もある。
写真もある。
その人が使っていた物は全部ある。
でも、その人だけが居ない。
人が一人居なくなったのに、部屋は昨日と殆ど変わっていない。
廊下へ出れば、他の入居者さんがテレビを見ている。
昼になれば食事が来る。
誰かがナースコールを押す。
トイレ介助に呼ばれる。
薬の時間になる。
記録を書かなきゃいけない。
一人亡くなったからといって、施設の時間が止まる訳じゃない。
最初の頃は、それが凄く残酷に思えた。
ご家族さんが泣いているのに、私は次の仕事へ行かなきゃいけない。
数分前まで誰かの死に立ち会っていたのに、別の部屋では笑顔で「お昼ですよ」と言わなきゃいけない。
その切り替えが出来なくて、私も泣いた。
少なくとも二年目までは、私も泣いていたと思う。
――でも。
いつからだろう。
泣かなくなった。
慣れたのだと思っていた。
仕事だから。
私まで泣いていたら、ご家族さんを支えられないから。
次の人が待っているから。
だから泣かない。
そういうものなんだと思っていた。
でも、今。
隣で大和さんが泣いている。
五十年間、毎週永遠名さんのお墓に通っていた人。
昨日、私の心臓が止まった時に「怖かった」と言った人。
その人が今、自分のお父さんを失った。
多分。
私を助けるために。
それなのに。
私の目からは涙が出て来ない。
悲しくない訳じゃない。
怖かった。
胸が苦しい。
名前も知らない人が、自分のために残ったことが怖い。
大和さんが泣いていることも苦しい。
なのに、涙だけが出ない。
──私の心は、どこに置いて来てしまったんだろう。
人生で泣くことは沢山あった。
悲しくて。
苦しくて。
寂しくて。
怖くて。
もう嫌だと思う度に泣いた。
でも、泣いた分だけ涙が減っていくのなら。
私の身体には、もう涙が残っていないのかも知れない。
「……ごめん」
大和さんが言った。
私は顔を上げる。
「何がですか?」
「巻き込んだ」
大和さんは顔を上げない。
「親父まで……」
声が途切れた。
何か言わなきゃ。
そう思った。
大丈夫です。
大和さんのせいじゃないです。
助けてくれてありがとうございました。
幾つも言葉が浮かぶ。
でも、どれも違う。
大丈夫な訳がない。
お父さんが死んだかも知れないのに、大丈夫な訳がない。
大和さんのせいじゃないと、私が決めることでもない。
ありがとうございましたも違う。
私は助かった。
その代わりに、あの人が倒れた。
そんな時に、何をありがとうと言えば良いんだろう。
介護の現場でも、何度も思ったことがある。
人を亡くした人に、何を言えば良いんだろう。
最初の頃は、正しい言葉があると思っていた。
慰める言葉。
励ます言葉。
少しでも悲しみを軽く出来る言葉。
でも、何年働いても見付からなかった。
大切な人を亡くした直後に、悲しくなくなる言葉なんて無い。
死んだ人を戻せる言葉も無い。
言葉でどうにかしようとする方が、間違っている時もある。
「大和さん」
「……ん」
「私、ここに居ます」
それしか言えなかった。
大和さんが少しだけ顔を上げた。
目が赤い。
私は何も続けなかった。
励まさない。
慰めない。
大丈夫とも言わない。
ただ、ここに居る。
仕事で人を支える時も、本当はそうだったのカモ知れない。
悲しい人を、悲しくなくすることなんて出来ない。
私に出来るのは、その人が悲しんでいる時間に一緒に居ることくらいだった。
大和さんの手が地面に付いている。
大きな手。
昨日、止まった私の心臓を動かしてくれた手。
私はその直ぐ隣に、自分の手を置いた。
触れない。
握らない。
ただ、隣に置く。
「……美憂」
「はい」
「少し、このままで良いか」
「はい」
大和さんはまた俯いた。
私は隣に居た。
村から誰かの声が聞こえる。
風が吹く。
畑の葉が揺れる。
世界は何事も無かったみたいに続いている。
私の目から涙は出なかった。
それでも。
隣には居られた。
今は、それで良い気がした。




