ep.85[Side M/異世界]Link: 人狼-12
その時、私の視界を何かが横切った。
直ぐ側まで迫っていたアレが破裂する。
「親父っ!」
大和さんが叫んだ。
水みたいな身体が空中に飛び散る。
頭も、腕も、脚も、一瞬で形を失った。
「え……?」
何が起こったのか分からない。
大和さんは私を抱えたまま走り続けている。
私はその肩越しに後ろを見た。
飛び散った水が地面に落ちる。
消えた。
そう思った。
けれど、地面に散った水滴が動いた。
一つ。
二つ。
離れていた水が互いを探すみたいに集まっていく。
脚。
身体。
腕。
頭。
また子供の形になった。
「嘘……」
アレは何事も無かったみたいに私達を追い掛けて来る。
でも、少し離れた。
私は前を見る。
木々の間から誰かが走って来ていた。
二本の脚で地面を蹴っている。
人みたいな身体。
でも、人じゃない。
肌や顔に、蛇みたいな特徴がある。
その人は走りながら弓を構えた。
弦が鳴る。
矢が私達の横を通り抜ける。
後ろでアレが破裂した。
水になる。
地面に落ちる。
また集まる。
また人の形になる。
それでも、少しだけ距離が開いた。
蛇の人がもう一本、矢を放つ。
破裂。
戻る。
また放つ。
破裂。
戻る。
「離れてます!」
「黙ってろ!」
「でも──」
「良いから!」
怒鳴られて私は口を閉じた。
蛇の人が近付いて来る。
大和さんは止まらない。
蛇の人も止まらない。
擦れ違う直前、その人が私達を見た。
「行きなさい!」
「親父、ごめん……」
大和さんの声が震えていた。
親父。
私は蛇の人を振り返る。
──あの人、大和さんのお父さん?
初めて見る人だった。
名前も知らない。
話したこともない。
それでも、その人が大和さんのお父さんだということだけは分かった。
大和さんは振り返らない。
私を抱えたまま、森を走り続ける。
私は顔を上げた。
大和さんの頬に何かが流れていた。
汗だと思った。
これだけ走っている。
息も荒い。
でも、違う。
目から流れている。
──泣いてるの?
大和さんが泣いていた
。
声を上げる訳じゃない。
顔を歪める訳でもない。
ただ、涙だけが頬を流れていた。
私はもう一度後ろを見る。
大和さんのお父さんは、私達が来た方を向いて立っていた。
弓を構える。
放つ。
アレが破裂する。
戻る。
もう一度。
破裂。
戻る。
その度に私達との距離が開いていく。
アレを倒そうとしているんじゃない。
倒せない。
多分、それを知っている。
壊れている間だけ、アレは動けない。
だから何度も壊している。
私達が逃げる時間を作るために。
「大和さん……」
「見るな」
大和さんは前を向いたまま言った。
「でも、お父さんが──」
「見るな!」
声が裏返った。
私は何も言えなくなる。
それでも、目だけは後ろを向いたままだった。
蛇の人がまた弓を引く。
矢を放つ。
アレが破裂する。
次の矢を取る。
弓に番える。
引く。
その時だった。
アレが消えた。
「……え?」
破裂していない。
地面にも水は落ちていない。
本当に消えている。
蛇の人も周囲を見る。
右。
左。
弓を構えたまま何かを探している。
「どこ……?」
私は目を凝らした。
居ない。
どこにも。
蛇の人の身体が揺れた。
「え?」
背中から何かが生えていた。
小さな腕。
子供の腕だった。
半透明の腕が、蛇の人の背中から突き出している。
何が起きたのか理解出来なかった。
アレはどこに行った?
何で腕だけがある?
何で背中から出ている?
頭の中で一つずつ考えて、全部が繋がった。
「嘘……」
透明だった腕が色付いていく。
赤。
薄かった赤が濃くなる。
腕を伝って、赤い雫が落ちる。
「嘘……」
蛇の人の膝が折れた。
片方の膝が地面に付く。
それでも弓を離していない。
腕を上げようとする。
上がらない。
もう一度。
震える腕が少し上がる。
でも、直ぐに落ちた。
背中から子供の腕が抜ける。
赤いものが飛び散った。
蛇の人が倒れた。
「大和さん!」
大和さんの腕に力が入る。
「大和さん、お父さんが!」
「分かってる!」
「でも──」
「分かってんだよ!」
声が裏返った。
私は黙った。
大和さんは一度も振り返っていない。
でも、分かっている。
だから泣いている。
『親父、ごめん』
大和さんはそう言った。
自分のお父さんを置いて来た。
私を抱えて。
逃げるために。
違う。
私を逃がすために。
胸の奥に、重いものが落ちた。
──私が居なかったら。
そう思った。
私が居なければ、大和さんはもっと速く走れたかも知れない。
私が居なければ、お父さんは残らなくて良かったかも知れない。
私が。
「……っ」
大和さんの身体が大きく揺れた。
私は服を掴む。
今は考えている場合じゃない。
大和さんが走っている。
私を抱いて走っている。
だから、落ちないようにしなきゃいけない。
森を走る。
枝が大和さんの肩に当たる。
葉が私の頬を擦る。
木の根を飛び越える度に身体が浮く。
直ぐ側に大和さんの息遣いがあった。
荒い。
速い。
時々、喉の奥で音が詰まる。
私はそれに縋るように、大和さんの服を強く握った。
後ろはもう見なかった。
見られなかった。
アレが追って来ているのかも分からない。
足音はしない。
声もしない。
それでも直ぐ後ろに居る気がして、身体が勝手に硬くなる。
大和さんの腕だけが、私を離さなかった。
どれくらい走ったのか分からない。
森の音が少しずつ戻って来る。
鳥の声。
葉が擦れる音。
足音。
大和さんの呼吸。
森を抜けた。
急に視界が明るくなる。
灯京が見えた。
家がある。
畑がある。
人が歩いている。
遠くで誰かが話している。
さっきまでと何も変わっていない。
たった今、一人死んだカモ知れないのに。
世界は何も変わっていなかった。
大和さんは村に入っても止まらない。
一度、後ろを見る。
また走る。
もう一度振り返る。
誰も追って来ていない。
それでも走る。
家々を抜けて。
人の声を抜けて。
漸く足を止めた。
大和さんが私をゆっくり降ろす。
地面に足が付いた。
膝に力が入らない。
私はその場にしゃがみ込みそうになって、何とか耐えた。
大和さんは違った。
私を降ろした直後、その場に座り込んだ。
「……」
私は大和さんを見下ろした。
あれから一言も喋っていない。
親父。
そう呼んでいた。
初めて会った人。
名前も知らない人。
大和さんのお父さん。
その人の背中から子供の腕が生えた。
透明だった腕が赤く染まった。
その人は倒れた。
それだけで、何があったのか察しは付いていた。
──掛けてあげる言葉が見当たらない。
「……大和さん」
だから、名前を呼んだ。
大和さんは返事をしない。
俯いたまま地面を見ている。
私はその隣に座った。




