ep.84[Side Y/異世界]Link: 猫又-13
道場を出る。外の光が少し眩しかった。
「鈴のユウキだ!」
声がして、振り返る。子供達が走って来た。
「何?」
「さっきの見た!」
「壁斬った!」
「どうやったの?」
「何処で剣習ったの?」
「私にも教えて!」
一度に喋られて、何を答えれば良いのか分からない。
「待って。順番に」
「鈴のユウキ凄ぇ!」
「だから、順番に」
「剣教えて!」
「僕、人に教えられる程じゃないよ」
「でも強いじゃん!」
「負けたよ」
「嘘!」
「本当」
頭に竹刀が当たる前にリーニュを使っただけだ。あのままなら、普通に一本取られていた。
「壁も斬れるのに?」
「壁を斬る競技じゃないからね」
子供達が笑う。困った。どうやって帰ろう。
そう思って、何となく道の向こうへ目を向けた。木の幹から、黒い耳が少しだけ見えている。その下から、顔だけがこちらを覗いていた。
「鈴ちゃん?」
黒い耳が動いた。子供達も振り返る。
「あ、鈴だ!」
「鈴ちゃん!」
「鈴のユウキ、凄かったよ!」
鈴ちゃんは木の陰から出て来ない。僕は子供達の間を抜けて、近付いた。
「鈴ちゃん、どうしたの?」
「……」
「ずっと居たの?」
「ずっとじゃない」
「じゃあ、途中から?」
「……うん」
「何で?」
鈴ちゃんが少しだけ顔を逸らした。
「鈴のユウキが喧嘩してるって聞いて――」
「助けに来てくれたの?」
「そ、そんなこと」
鈴ちゃんは木の陰から出て、胸の前で両手を振った。
「助けに来た訳じゃない」
「ありがとう」
「だから、助けに来た訳じゃ――」
「違う」
鈴ちゃんが止まる。不思議そうな顔で僕を見る。
「僕がお礼を言ったのは、そっちじゃないよ」
「何?」
「喧嘩してても『鈴のユウキ』って言ってくれたことに、だよ」
鈴ちゃんが少し考える。黒い耳が動いた。それから、何かに気付いたみたいに目を見開いた。
「ち、違う!」
「何が?」
「そういう意味じゃない!」
「どういう意味?」
「皆がそう呼ぶから!」
「鈴ちゃんが言い触らしたんでしょ?」
「違う!」
「昨日、お寿司屋さんで聞いたけど」
「……」
「皆に言ったって」
「昔の話」
「昨日だよ」
鈴ちゃんの尻尾が忙しなく動く。
「じゃあ、もう僕は鈴ちゃんのユウキじゃない?」
動きが止まった。
「……」
「違うの?」
鈴ちゃんは答えない。顔が少し赤い。僕はそれを見て笑った。
「良かった」
「何が?」
「ブロックしなくて」
鈴ちゃんが僕を見る。
「僕、鈴ちゃんのこと嫌いじゃないよ」
「……」
「朝は、ごめん」
「何が?」
「鈴ちゃんの匂いが嫌だった訳じゃない」
少し考える。
「でも、濡れてるのはやっぱり気持ち悪い」
鈴ちゃんの眉が動いた。
「あ」
言い方を間違えた。
「違う。そうじゃなくて」
「……」
「マーキングされるのが嫌なんじゃなくて、されたまま外に出るのが嫌なの」
「同じ」
「違うよ」
「同じ」
「違うって」
「同じ」
「じゃあ、どうすれば良い?」
鈴ちゃんが黙る。
「僕は鈴ちゃんと一緒に居たい。でも、毎朝マーキングされたまま仕事には行けない」
「……」
「だから、二人で考えよう」
「二人で?」
「うん」
「ユウキが考えるんじゃなくて?」
「僕だけじゃ分からないから」
鈴ちゃんが僕を見る。暫くして、小さく頷いた。
「……分かった」
「本当?」
「うん」
「じゃあ、帰ろうか」
鈴ちゃんの耳が立った。
「帰る?」
「鈴ちゃんの家」
「……私の家だよ」
「知ってる」
「ユウキの家じゃない」
「昨日までは住んでたんだけど」
「今日、追い出した」
「じゃあ、戻して」
「……」
「駄目?」
鈴ちゃんは少しだけ考えた。
「考える」
「厳しいなぁ」
僕達は歩き出した。子供達が後ろから手を振っている。
「また剣教えて!」
「僕より道場の人に習った方が良いよ!」
「壁斬りたい!」
「それは習わない方が良い!」
声を返す。鈴ちゃんが隣を歩いている。
朝は一人だった道。今は鈴の音がする。
チリン。
それだけで、町が少しだけ元に戻った気がした。
「ユウキ」
「何?」
隣を見る。
「さっきの剣、凄かった」
「見てたんじゃん」
「少しだけ」
「どこから?」
「壁が切れたところ」
「一番派手なところだけだね」
「ユウキが斬ったの?」
「うん」
「シルヴィに教えてもらった?」
「そう」
「……ふうん」
鈴ちゃんの尻尾が少しだけ膨らんだ。
「何?」
「何でもない」
「シルヴィに嫉妬してる?」
「してない」
「してるでしょ」
「してない」
「耳動いたよ」
鈴ちゃんが両手で耳を押さえる。
「耳見るの禁止」
「そんなルールあるの?」
「今出来た」
「じゃあ、尻尾見る」
「尻尾も禁止」
「鈴ちゃん殆ど見られないじゃん」
「顔だけ見て」
「それは良いんだ」
「うん」
僕は鈴ちゃんの顔を見る。
「……何?」
「見てって言ったから」
「ずっと見なくて良い」
「難しいなぁ」
鈴ちゃんが少し笑った。僕も笑う。
朝のことなんて無かったみたいに。
いや。無かったことにはならない。でも、それで良い。
喧嘩して、考えて、また一緒に歩く。多分、それを繰り返していくんだと思う。
「ユウキ」
「何?」
「鈴とずっと一緒に居てくれる?」
直ぐには応えられなかった。
咲希。スタバの隣の席のあの人。シルヴィ。
鈴ちゃんとずっと一緒に居る。それは、あの人達を全部捨てることなんだろうか。僕に、それが出来る?
でも、誰となら全部を捨てても良いと思えるんだろう。そもそも恋愛って、全部を捨ててまで手に入れるものなんだろうか?
――GatePairは違う。
相手の世界を選べば、自分の世界を捨てることになる。自分の世界を捨てて、それでも一緒に居たい相手を探す。
それが、このアプリの前提なんだとしたら。僕はGatePairを使っていて良いんだろうか?
分からない。
でも、鈴ちゃんと未だ一緒に居たい。それだけは本当だった。
ずっと一緒に居られるかは分からない。明日のことだって分からない。
けれど、今、この瞬間は未だ鈴ちゃんと一緒に居たい。
それで良いのカモ知れない。
向こうから来た人と擦れ違う。
鈴ちゃんの肩が少し揺れた。
「うん。鈴ちゃん、一緒に居よう」
僕は前を見ていた。だから、鈴ちゃんへ視線を向けた。
チリン。
鈴の音。
チリンチリン。
「……」
何だ?
鈴ちゃんが居る。着物。二又の尻尾。肩。
でも、その上に何も無い。
「……?」
首から上が無かった。
何?
何?
何?
音がする。
チリン。
足元に目を向ける。
鈴ちゃんが居た。
違う。
鈴ちゃんの顔。
さっきまで僕を見ていた顔。
身体だけが、隣に立っていた。
「……」
悲鳴が聞こえる。
怒鳴り声も聞こえる。
周りの人達が騒いでいる。
僕は声が出ない。
何?
何が起こった?
さっき擦れ違ったフードを被った人が走っている。遠ざかっていく。
鈴ちゃんにぶつかった。
それだけ。
ぶつかって――
鈴ちゃんの首が――
「……」
身体が倒れる。
受け止められなかった。膝から崩れて、地面へ倒れた。
鈴ちゃん。
生きてる?
死んでる?
助かる?
首が無い。
首が無くても助かる?
猫又だから?
百歳だから?
人間じゃないから?
分からない。
どうすれば良い?
首を戻す?
拾う?
血を止める?
医者を呼ぶ?
追う?
逃げた人を追う?
鈴ちゃんの傍に居る?
何が正解?
何が一番良い?
何をすれば……。
――今、この瞬間に。
何をすれば後悔しない?
僕は動けなかった。
地面に落ちた鈴ちゃんの顔を、ぼうっと見ていた。
鈴ちゃんは、嬉しそうに笑っていた。




