ep.83[Side Y/異世界]Link: 猫又-12
男の人が一気に距離を詰める。
速い。
竹刀が正面から落ちて来る。
僕も竹刀を上げた。
二本の竹刀が重なる。
乾いた音が道場に響いた。
手首に重さが来る。
思っていたより強い。
力だけじゃない。
竹刀の置き方が上手い。
押される。
僕は後ろの足を残したまま、一歩だけ下がる。
男の人も追って来ない。
一度、距離が開いた。
「案外やれるんですね」
「これくらいは、ね」
本当は少し安心した。
全く通用しなかったらどうしようと思っていた。
シルヴィに教わった剣は、ちゃんとこの世界でも使える。
男の人が竹刀を構え直す。
僕も構える。
前に出る足。
後ろに残す足。
男の人の視線が僕の足元へ落ちた。
「やはり、おかしな構えですね」
「そう?」
「『逃げ』が見えます」
僕は自分の足を見る。
別に、変なことをしているつもりは無い。
――『逃げ道を残すの?』。
前に出る足。
後ろに残す足。
『残すっていうか……逃げ道が無いと身体が固まる』
シルヴィの声が聴こえた。
残す足が逃げ道になる。
「そんな心持ちで、勝てると思っているんですか?」
「逃げちゃ駄目なの?」
「……何?」
男の人の声が少しだけ止まった。
「勝てないなら、逃げれば良いでしょ?」
「剣を持って向かい合っている相手から?」
「うん」
「甘いですね」
「そうかな」
昨日の牛の獣人を思い出す。
斧を下ろした背中。
そこへ刺さった矢。
「逃げられるなら、逃げた方が良いと思うけど」
「相手が追って来たら?」
「逃げる」
「追い付かれたら?」
「その時は戦う」
「では、最初から戦えば良い」
「何で?」
男の人が黙った。
「戦わなくて済むカモ知れないでしょ?」
「剣を抜いた時点で、戦いは始まっています」
「でも、終わらせ方まで決まってる訳じゃない」
男の人の竹刀が少し上がる。
「相手を斬る覚悟が無い」
「無い方が良くない?」
「剣士としては致命的です」
「僕、剣士じゃないから」
「剣を持っているでしょう」
「持ってるけど」
腰のシルヴェーヌを見る。
シルヴィから貰った剣。
僕は剣士になりたくて剣を持った訳じゃない。
「斬らなくて済むなら、その方が良いよ」
「綺麗事ですね」
「そうカモ知れない」
否定する理由も無かった。
「でも、逃げられるのに斬る必要は無いでしょ」
「逃げ道を残していては、踏み込めない」
「逃げ道が無い方が怖くない?」
「怖い?」
「うん」
男の人を見る。
「逃げられないと思ったら、斬るしかなくなるから」
昨日の牛の獣人は、そうだった。
囲まれて。
刀を向けられて。
逃げられなくなって。
だから斧を構えた。
僕は逃げ道を作ったつもりだった。
作れなかった。
「やはり、甘い」
男の人の声が低くなる。
「そうカモね」
竹刀を握る。
握り過ぎない。
男の人が動いた。
今度はさっきより速い。
正面。
竹刀を合わせる。
受ける。
重い。
直ぐに横から来る。
避ける。
もう一度。
肩。
手首。
頭。
狙う場所が次々変わる。
僕は後ろへ下がる。
一歩。
もう一歩。
残す足を使って距離を作る。
でも、男の人はその距離を潰して来る。
速い。
けれど、シルヴィとは違う。
シルヴィの剣はもっと静かだった。
何処へ来るのか分からないまま、気付いた時には線が通っている。
この人の剣は違う。
目の前から来る。
見えている。
なのに、間に合わない。
竹刀が横から来る。
僕は受ける。
手が痺れた。
「っ……」
「逃げているだけでは勝てませんよ」
「未だ負けてないよ」
「では、どうぞ」
男の人が一度離れた。
誘われている。
分かる。
でも、行かないと何も始まらない。
僕は前へ出た。
竹刀を振る。
男の人が身体をずらす。
当たらない。
次。
もう一度。
避けられる。
竹刀が返って来る。
僕は身体を引く。
間一髪で顔の前を通り過ぎた。
「危なっ」
「逃げましたね」
「逃げるよ」
男の人の肩が少しだけ動いた。
笑ったのカモ知れない。
もう一度、距離が縮まる。
竹刀を合わせる。
今度は押し返せた。
そのまま前へ出る。
男の人が下がる。
初めて、相手の足が後ろへ動いた。
「お」
「何です?」
「今、逃げた」
「間合いを取っただけです」
「僕も、それだった」
「違います」
即答だった。
「狡いなぁ」
男の人の竹刀が来る。
避ける。
僕も返す。
竹刀同士がぶつかる。
離れる。
また近付く。
何度目か分からなくなった。
腕が重い。
呼吸も少し速くなっている。
男の人は未だ崩れない。
強い。
多分……僕よりずっと。
それが分かる。
シルヴィと剣を交わせるようになったから、僕も強くなったと思っていた。
違う。
僕は、シルヴィに合わせてもらえるくらいにはなっただけだ。
それでも。
何も出来ない訳じゃない。
男の人の竹刀が上がる。
頭。
そう思った。
だから、横へ逃げる。
でも違った。
竹刀が途中で軌道を変える。
「っ!」
肩へ来る。
竹刀を上げる。
遅い。
腕に当たった。
鈍い痛みが走る。
「痛っ!」
男の人が止まる。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」
腕を動かす。
痛い。
でも動く。
「続けます?」
「勿論」
竹刀を構える。
男の人も構える。
今度はさっきまでと空気が違った。
少しだけ。
本当に少しだけ。
遊びじゃなくなった気がする。
「行きます」
「はい」
男の人が踏み込んだ。
速い。
さっきまでで一番。
正面から竹刀が来る。
僕も竹刀を出す。
重なる。
押し負ける。
竹刀が弾かれた。
「あ」
腕が外へ流れる。
空いた。
頭。
男の人の竹刀がそのまま真っ直ぐ落ちて来る。
避けられない。
後ろの足は残っている。
でも、間に合わない。
頭に当たる。
そう思った。
線が見えた。
竹刀。
僕。
その向こうの壁。
一本で繋がる。
振らない。
通す。
ヴェール=パッサージュ・リーニュ。
竹刀を置く。
抵抗が走った。
次の瞬間。
男の人の竹刀から、先端側が離れていた。
切断された竹が僕の横を通り過ぎる。
頭には当たらない。
後ろで、何かが床へ落ちた。
道場が静かになった。
僕は男の人を見る。
「大丈夫だった?」
「……何がですか?」
「君と、壁際のギャラリさん達」
「は? 何を言って――」
男の人の声が止まった。
手に残っていた竹刀を見る。
半分になっている。
切断面は、妙に綺麗だった。
壁際に居た人達も動かない。
その後ろ。
木の壁に一本の細い切れ込みが入っていた。
僕の位置から。
男の人の竹刀を抜けて。
壁まで。
一本の線。
誰も怪我はしていない。
「大丈夫そうだね」
息を吐く。
男の人が僕を見る。
面の奥からでも分かるくらい、視線が止まっていた。
「……何なんですか? あなたは」
「ユウキです」
「それは聞きました」
「あ、そうだった」
男の人が面を取る。
さっきまであった笑顔は消えていた。
半分になった竹刀を見る。
壁を見る。
僕を見る。
「今、何をしました?」
「通しました」
「……何を?」
「線を」
男の人の眉が寄る。
「線?」
「はい」
「竹刀で?」
僕も自分の竹刀を見る。
こっちは壊れていない。
「竹刀でも出来るんだ」
「……今、初めてやったんですか?」
「竹刀では」
男の人が何も言わなくなった。
「それは、何という流派です?」
「流派?」
――心源流。
さっき、この人がそう言っていた。
僕は考える。
「分かりません」
「分からない?」
「教えてくれた人に、流派の名前を訊いたことが無いので」
「では、今の技は?」
「技じゃないです」
シルヴィの声を思い出す。
『それは技名じゃない。技術の名前』
「ヴェール=パッサージュ・リーニュ」
「……」
「技術の名前です」
男の人が僕を見る。
「誰に教わったんです?」
「シルヴィ」
「先程言っていた、エルフですか?」
「うん」
男の人が切れた竹刀をもう一度見る。
「その人は、何者なんです?」
「何者……」
少し考える。
エルフの森の長老の娘。
剣が強くて。
僕に剣を教えてくれて。
――僕が好きになった人。
「シルヴィは……部隊長だよ」
男の人は暫く僕を見ていた。
「……あなたも大概ですね」
「何が?」
「分かりません」
「そっか」
僕は竹刀を下ろした。
「じゃあ、僕の負けですね」
「……は?」
「さっき、頭に当たってたでしょ?」
「ですが――」
「リーニュを使わなかったら、普通に一本取られてた」
男の人が黙る。
「強いね。心源流」
僕が言うと、男の人は半分になった竹刀を見る。
それから壁を見る。
「……今、それを言われても、全く嬉しくありません」
「何で?」
「本気で訊いています?」
「はい」
男の人は大きく息を吐いた。
壁際から、誰かが笑った。
一人が笑うと、もう一人も笑った。
漸く道場の空気が少し戻って来る。
「取り敢えず――」
男の人が僕を見る。
「壁の修理代について話しましょうか」
「あ」
壁を見る。
細い切れ込み。
でも、確実に切れている。
「……お金、持ってないです」
「……」
「明日から警備の仕事があるので、分割で」
「何なんですか、本当に」
今度は壁際の人達も声を出して笑った。




