ep.82[Side Y/異世界]Link: 猫又-11
咲希にLINEしようと思った。
iPhoneを手に取る。
でも、何を送れば良いんだろう。
例えば、鈴ちゃんと仲直りする方法を咲希に教えてもらったとして。
それで仲直り出来たとして。
それって、僕が鈴ちゃんと仲直りしたと言えるのだろうか?
これは、僕と鈴ちゃんだけの問題だ。
鈴ちゃんが怒った理由も。
僕がお風呂に入りたかった理由も。
どちらかが間違っているから喧嘩になった訳じゃない。
多分、お互いに当たり前だと思っていることが違った。
だったら、解決するのも僕達じゃないといけない。
咲希に正解を教えてもらって、その通りに謝って。
それで今日だけ仲直り出来ても、きっといつかまた、何処かで同じような問題にぶつかることになる。
僕はiPhoneの画面を消した。
ただ――。
『いつかまた』を考えている時点で、僕は未だ鈴ちゃんと一緒に居たいんだと分かった。
「……さて、どうしようか」
行く場所も無い。
鈴ちゃんの家には帰れない。
帰る場所なら、もう一つある。
でも、今、GatePairの画面を開く気にはなれなかった。
ふらふらと京杜を歩く。
昨日までなら鈴ちゃんが隣に居た道だった。
何処へ行くにも僕の手を引いて。
知っている人を見付ければ勝手に近付いて。
僕を『私のユウキ』と紹介する。
今日は一人だった。
静かだ。
いや、町は静かじゃない。
店から声がする。
子供が走っている。
何処かで犬が鳴いている。
鈴が鳴らないだけだった。
何かを打ち付ける乾いた音が聴こえた。
足を止める。
もう一度。
聞き覚えのある音だった。
何だっけ?
「あ」
竹刀だ。
人を叩いた時の音。
いや、そんな音を聞き慣れている人生ではないけど。
音のする方へ歩いて行く。
町の大通りから一本外れた道だった。
周囲の家より少しだけ大きな木造の建物が見える。
正面は大きく開かれていた。
中には広い板張りの床が見える。
壁際には木刀らしきものが並べられていた。
その隣には、竹刀にしか見えないものもある。
「剣道場……?」
中からまた音がした。
掛け声も聴こえる。
少しだけ気になった。
僕は腰のシルヴェーヌに触れる。
シルヴィに剣を教わった。
最初は散々だった。
木漏れ刃も。
落ち葉崩しも。
何度やっても上手くいかなかった。
それでも最後には、シルヴィと剣を交わせるくらいにはなった。
でも――。
あれは、シルヴィに教わった剣だ。
エルフの森で。
エルフを相手に使っていた剣。
この世界でも通用するんだろうか。
ちょっとだけ、気になった。
「御免ください」
入口から声を掛ける。
返事は無い。
「御免くださーい」
やっぱり返事は無い。
聞こえていないだけカモ知れない。
「……入りますよ?」
誰に言っているのか分からない。
靴を脱いで、板張りの床へ上がった。
勝手に道場へ入る。
何だか、道場破りに来たみたいな気持ちになってきた。
いや、破らないけど。
そもそも何を破れば道場破りになるんだろう。
奥へ進む。
声が大きくなる。
「せいっ!」
竹刀の音。
広い稽古場に出た。
二人の人が向かい合っている。
防具を着けていた。
面。
胴。
小手。
僕の知っている剣道の防具と殆ど変わらない。
「本当に剣道じゃん……」
思わず呟いた。
二人が同時にこちらを見る。
「あ」
完全に邪魔をした。
「こんにちは」
取り敢えず頭を下げる。
二人は顔を見合わせた。
その内の一人が竹刀を下ろしてこちらへ歩いて来る。
「何か、ご用ですか?」
面の中から男の人の声がした。
「あ、いえ。ちょっと興味があって」
「興味?」
「はい。外を歩いてたら音が聴こえて」
男の人が僕の腰を見る。
シルヴェーヌだった。
「剣をお使いになる?」
「一応」
「一応?」
「何か最近、同じこと訊かれた気がするな……」
「何です?」
「いえ、こっちの話です」
牛の獣人と会った日のことを思い出す。
少しだけ胸が重くなった。
今は考えないことにした。
「これって、剣道ですか?」
「剣道?」
男の人が少し首を傾げた。
「あれ? 違う?」
「剣を扱う道、という意味なら間違ってはいません」
「じゃあ、剣道?」
「私達は心源流と呼んでいます」
「流派の名前?」
「はい。心源流です」
流派があるんだ。
もう一人の人も竹刀を下ろし、こちらを見ている。
僕は稽古場を見渡した。
竹刀。
防具。
板張りの床。
現代日本の剣道場とあまりにも似ている。
でも、同じとは限らない。
「強いんです?」
一瞬、静かになった。
「あ」
言ってから気付いた。
男の人が僕を見る。
「それ、少し失礼ですね」
「ごめんなさい。他意は――」
「おい」
男の人が後ろへ声を掛けた。
「この人に竹刀を貸してやってくれ」
「え?」
もう一人が壁際へ歩いて行く。
「あ、いや……そういう意味じゃ」
目の前の男の人が面へ手を掛けた。
紐を解く。
面を取った。
三十歳くらいだろうか。
短い黒髪。
汗で額に髪が張り付いている。
怒っているようには見えなかった。
寧ろ、少しだけ笑っている。
「大丈夫。怒っている訳ではありません」
「いや、でも」
「怪我をさせるつもりもありません」
「それは僕が弱い前提ですよね?」
「強いんですか?」
「……それを確認したくて来ました」
男の人が笑った。
「では、丁度良い」
壁際から竹刀が投げられる。
男の人が片手で受け取った。
それを僕へ差し出す。
「一度、体験してみてください」
竹刀を見る。
僕の知っているものと殆ど同じだった。
「その上で」
男の人が僕を見る。
「強いか弱いか、あなた自身で判断してください」
嘘を吐いている顔ではなかった。
僕は差し出された竹刀を見る。
それから、腰のシルヴェーヌに触れる。
シルヴィから貰った剣。
この世界に来てから、ずっと僕の腰にある。
「……分かりました」
竹刀を受け取った。
思っていたより軽い。
「やります」
「では、防具を」
「着けないと駄目ですか?」
男の人の眉が少し動いた。
「怪我をしますよ」
「さっき、怪我をさせるつもりは無いって」
「言いました」
「じゃあ、大丈夫です」
「……」
男の人が僕を見る。
僕も男の人を見る。
「舐めてます?」
「いや、全然」
本当に全然。
寧ろ逆だった。
シルヴィに教わった剣が、この世界の剣に何処まで通用するのか。
それを知りたい。
防具を着けて、安全に竹刀を当て合いたい訳じゃない。
「その代わり」
僕は竹刀を軽く握り直した。
「僕も、怪我をさせないように努力します」
男の人の笑顔が消えた。
「……それは」
「はい」
「少し失礼ですね」
「ですよね」
今度は分かっていて言った。
男の人が面を被り直す。
紐を締める。
さっきまでより、少しだけ動きが速かった。
僕は稽古場の中央へ歩いた。
竹刀を握る。
構える。
その瞬間。
「……?」
男の人が止まった。
「どうしました?」
「いえ」
面の奥から声がする。
「変わった構えだと思いまして」
「ああ」
そうか。
僕が知っている剣術は、この人達のものじゃない。
「教えてくれた人がエルフなので」
「エルフ?」
「ですよね」
説明すると長くなる。
「気にしないでください」
「……分かりました」
男の人が竹刀を構える。
僕も相手を見る。
足。
肩。
手。
竹刀の先。
シルヴィとの稽古を思い出す。
『逃げ道を残すの?』
前に出る足。
後ろに残す足。
『残すっていうか……逃げ道が無いと身体が固まる』
残す足が逃げ道になる。
竹刀を握る手から少しだけ力を抜いた。
「お願いします」
「お願いします」
板張りの床を蹴る音がした。




