ep.81[Side Y/異世界]Link: 猫又-10
目を覚ます。
障子の向こうが明るい。
朝だった。
「……ん」
身体を起こす。
隣を見る。
誰も居ない。
「……鈴ちゃん?」
返事が無い。
布団には僕一人だった。
昨日は確か、隣で寝ていたはずだ。
それに──。
胸元を見る。
濡れていない。
「……」
匂いを嗅いでみる。
鈴ちゃんの匂いもしない。
「マーキングされてない……」
いや。
されていないのが普通なんだけど。
昨日されたせいで、されていないことに違和感を覚えている自分が嫌だった。
「鈴ちゃん?」
布団から出る。
家の中を見回す。
居ない。
トイレだろうか。
それとも、もう外へ出たのか。
「鈴ちゃーん」
少し大きな声で呼ぶ。
「あ、起きた?」
奥から声が返って来た。
台所だった。
覗く。
鈴ちゃんが火の前に座っていた。
二又の尻尾が、後ろでゆっくり揺れている。
「うん。鈴ちゃん、どうしたの?」
鈴ちゃんが振り返る。
何を訊かれているのか分からない顔をした。
「朝ごはんを作ってるよ」
「鈴ちゃんが?」
「うん」
「朝ごはんを?」
「うん」
「……雪が降るかも」
「それ、どういう意味よ」
鈴ちゃんは軽く笑った。
「丁度出来たから、これ運んで」
「分かった」
僕は頷き、お皿に乗った焼き魚を受け取った。
昨日も魚。
今日も魚。
やっぱり海鮮なんだな、と思いながら部屋へ運ぶ。
卓袱台の上に置く。
鈴ちゃんは味噌汁の椀を両手に持って来た。
両手が塞がっている。
なのに、箸も一緒に来る。
「……」
二又の尻尾が、それぞれ一本ずつ箸を挟んでいた。
「便利だね、それ」
「何が?」
「尻尾」
「便利だよ」
「僕も欲しい」
「生やせば?」
「生えないよ」
「頑張れば?」
「努力でどうにかなる部位じゃないと思う」
鈴ちゃんは味噌汁を置いた。
尻尾も箸を置く。
僕も向かいに座ろうとして、少しだけ迷った。
「鈴ちゃん、訊きたいことがあるんだけど……」
二人分のご飯を置いて、鈴ちゃんは座った。
「何?」
「鈴ちゃんは、GatePairで誰かとリンクしたことあるの?」
鈴ちゃんが少し考えた。
「無いよ」
「嘘吐かなくて良いんだよ。マッチングアプリってそう言うモノだから」
「本当に無いよ」
「でも、今、考えたじゃん」
「即答して欲しかったの?」
「……別に、そう言う訳──」
「ユウキが初めてだよ」
息が止まった。
「リンクしたのも、マッチングしたのも、ユウキが初めてだよ」
鈴ちゃんが立ち上がらないまま、膝でこちらへ歩いて来る。
畳の上を少しずつ近付いて来る。
僕は動けなかった。
「でも、ユウキで良かった。初めてがユウキで」
「……鈴ちゃん……」
鈴ちゃんの二又の尻尾が僕の背中に添えられる。
「え?」
ぐいっ。
押された。
鈴ちゃんとの距離が一気に縮まる。
黒い耳。
首元の鈴。
目の前に、鈴ちゃんの顔がある。
近い。
近過ぎる。
鈴ちゃんが目を閉じる。
「だ、駄目だっ!」
立ち上がろうとした。
――その時。
膝が卓袱台に当たった。
「あっ」
味噌汁の椀が倒れる。
中身が僕の胸へ掛かった。
「熱っ──」
声が止まる。
──温い?
「……え?」
目を開けた。
暗い。
障子の向こうが、薄く明るくなっている。
胸元が濡れていた。
「……」
隣を見る。
鈴ちゃんが居る。
「すー……すー……」
何事も無かったみたいに寝息を立てていた。
黒い耳が少しだけ伏せている。
二又の尻尾も布団の上で動かない。
「……」
胸元を見る。
濡れている。
味噌汁じゃない。
匂いを嗅ぐ。
鈴ちゃんの匂い。
「…………」
――夢オチかよっ!!っつーか、またこれかよ!
横を見る。
「すー……すー……」
鈴ちゃんは寝ている。
本当に気持ち良さそうに寝ている。
僕は胸元を見る。
もう一度、鈴ちゃんを見る。
起こしたら駄目だ。
起こしたら多分、昨日と同じことになる。
いや。
昨日より増えるカモ知れない。
僕は音を立てないように、ゆっくり布団を捲った。
片足を出す。
鈴ちゃんを見る。
「すー……すー……」
もう片方の足を出す。
鈴ちゃんを見る。
「すー……すー……」
立ち上がる。
チリン。
「っ!」
固まった。
鈴ちゃんの首元の鈴が鳴った。
振り返る。
「……ん」
鈴ちゃんが少しだけ身体を動かす。
僕は息を止めた。
「すー……すー……」
寝た。
僕はゆっくり息を吐く。
今だ。
朝風呂に行こう。
そう思った。
家へ戻る。
戸を開ける。
鈴ちゃんは布団の上で、ちょこんと座っていた。
黒い耳は真っ直ぐに立っている。
二又の尻尾は動かない。
可愛らしく膝を揃えて座っているのに、その可愛らしさとは裏腹に、明らかに怒っていることだけは分かった。
「……起きた、んだ」
「ここに座りなさい」
声が低い。
「はい」
僕は大人しく従った。
鈴ちゃんの正面へ座る。
卓袱台を挟んで向かい合う。
「どこに行ってたの?」
「お風呂、です」
「何故?」
「……社会、生活……」
ドンッ!
鈴ちゃんが卓袱台を叩いた。
身体が少し跳ねる。
「他には?」
「他、とは?」
「その社会生活以外に理由は無いの?」
「濡れてるのが……気持ち悪いと言うか──」
ドンッ!!
さっきより強かった。
卓袱台の上に何も乗っていなくて良かった。
「ふうん」
「……」
「それでお終い?」
「えと……あと、臭いが──」
ドンッ!!!
今度は卓袱台が少し動いた。
鈴ちゃんの拳が震えている。
怒っている。
さっきまでより、ずっと。
「鈴ちゃん?」
「もう、ブロックして」
「へ?」
変な声が出た。
「私のこと、嫌いならブロックして」
「嫌いだなんて言っ──」
「嫌いなんでしょう!? 私のこと嫌いだから、私のものになりたくないんでしょう!?」
「違う。違うよ、鈴ちゃ──」
「出てって」
声が止まった。
「……」
「ブロックしないなら、出てって」
鈴ちゃんは僕を見なかった。
握った拳が、卓袱台の上に残っている。
爪が掌へ食い込んでいるのが見えた。
何か言わなきゃいけない。
違うと。
嫌いじゃないと。
鈴ちゃんの匂いが嫌だった訳じゃないと。
でも、何を言っても、今は全部言い訳に聞こえる気がした。
僕は立ち上がった。
鈴ちゃんは顔を上げない。
「……行って来るね」
返事は無かった。
戸へ向かう。
手を掛ける。
少しだけ待った。
鈴ちゃんは何も言わない。
戸を開けた。
外へ出る。
後ろで戸を閉める。
最後まで。
鈴の音は、鳴らなかった。




