ep.80[Side Y/異世界]Link: 猫又-09
荷台が京杜の木戸を潜る。
「獣人を捕らえたぞ!」
荷台を引いていた男が声を上げた。
通りに居た人達が一斉に振り返る。
牛の獣人は荷台の上に横たわっていた。
太い腕は背中で縛られている。
両脚にも何重もの縄が巻かれ、背中には未だ矢が刺さったままだった。
「獣人?」
「生きてるのか?」
「生け捕りにしたの?」
「初めてじゃないか?」
町の人達が集まって来る。
怖がっている人も居た。
子供を背中へ隠す人も居た。
でも、一番多かったのは喜んでいる人だった。
「これで研究が進む」
「獣人を全滅させられるカモ知れない」
「もう森を怖がらなくて済む」
荷台の車輪が土を噛む。
軋む度に、牛の獣人の腕が揺れた。
斧を握っていた手。
僕を信じて、斧を下ろした手。
その手が縄で縛られている。
「見世物じゃないです」
僕は声を上げた。
町の人達は牛の獣人を見たまま、僕へ道を空ける。
荷台は止まらない。
「この人は怪我をしています。先に治療して下さい」
「研究に使えなくなったら困る。死なない程度には治す」
荷台を引く男が振り返らずに答えた。
「そういう意味じゃありません」
「じゃあ、どういう意味だ?」
「普通に治して下さい」
「獣人を?」
「人だからです」
男が鼻で笑った。
「獣人だぞ」
「話せます」
「話せる害獣だ」
「戦う気は無いって言いました」
「獣人の言葉を信じたのか?」
「嘘じゃなかった」
「お前には、そう聞こえただけだ」
通りの端に、昨日干し魚をくれた女の人が立っていた。
目が合う。
「ユウキさん」
「この人を助けて下さい」
女の人は困ったみたいに眉を下げた。
「獣人なんだろう?」
「でも、何もしてません」
「町へ近付いたじゃないか」
「それだけです」
「それだけで怖いんだよ」
魚を分けてくれた時と同じ、優しい声だった。
僕は女の人を見る。
「鈴ちゃんとこの人は何が違うんですか?」
女の人が目を瞬いた。
「何って……全然違うじゃないか」
「何が?」
「鈴ちゃんは猫だった頃からこの町に居るだろう?」
「この人にも、暮らしていた場所があるカモ知れない」
「子供の獣人なんて見たことないよ」
女の人は、それで説明が終わったと思っているみたいだった。
鈴ちゃんは内側に居る。
牛の獣人は外側から来た。
だから違う。
その境目が僕には見えなかった。
「行くぞ!」
先を歩く男に呼ばれる。
僕は女の人から目を離し、荷台を追った。
牛の獣人は町外れの建物へ運ばれた。
高い板塀に囲まれ、入り口には刀を提げた男達が立っている。
「開けろ! 生きた獣人だ!」
門番が目を見開いた。
「本当か?」
「眠り毒で寝てるだけだ」
「直ぐ先生を呼べ!」
門が開いた。
荷台が中へ入っていく。
僕も後へ続こうとする。
門番の腕が胸の前へ出された。
「お前はここまでだ」
「僕も入ります」
「警備の仕事は終わりだ」
「この人を何処へ連れて行くのか見届けます」
「見てどうする?」
「解放してもらいます」
門番の目が細くなる。
「生きた獣人を初めて捕らえたんだぞ」
「僕を信じたから捕まったんです」
「お前が話し掛けて、気を逸らしたからな」
「違う」
「何が違う?」
「退かせるために話しました」
「結果は同じだ」
「同じじゃない!」
声が板塀へ跳ね返った。
荷台は建物の奥へ運ばれていく。
牛の獣人の腕が荷台の端から垂れている。
指先まで見えなくなる。
「待って下さい!」
門へ踏み出す。
二人の男に肩を掴まれた。
「離して下さい!」
「邪魔をするなら、お前も捕らえるぞ」
腰のシルヴェーヌへ手が伸びそうになる。
ここで抜けば、この人達と戦うことになる。
町の中で。
鈴ちゃんの町で。
「追わないって約束したんです」
「お前が勝手にした約束だ」
「それでも僕は約束した!」
門が閉まる。
牛の獣人を運んだ荷台も、警備の人達も、板塀の向こうへ消えた。
重い閂が掛かる。
「開けて下さい」
門を叩く。
「僕が話し掛けたから、あの人は武器を下ろしたんです」
返事は無い。
「開けて下さい!」
もう一度叩く。
掌が痛い。
痛いのに、今度は声が直ぐに出た。
「開けて下さい!」
何度叩いても門は開かなかった。
詰所へ戻される。
「今日はもう帰れ」
警備の男が言った。
「牛の獣人は、どうなるんですか?」
「調べられる」
「その後は?」
「知らねぇ」
「生きて帰れますか?」
「帰す訳ねぇだろ」
当たり前みたいに言われた。
「逃がせば、仲間を連れて戻って来る」
「戻って来ないって約束させます」
「また約束か」
「話せるんです」
「話せるから嘘を吐けるんだろ」
何を言っても届かない。
腰に下げた札へ触れる。
町の警備だと示すために、昨日渡された札。
鈴ちゃんと一緒に居るため。
この町で食べていくため。
僕自身が社会生活を送るため。
そのために始めた仕事だった。
「明日も来い」
男が机の向こうで言った。
「町の外へ出すかは考える」
「牛の獣人に会わせて下さい」
「駄目だ」
「なら、明日も頼みます」
「好きにしろ」
何をすれば助けられるのか分からない。
門を破るのか。
警備の人達を説得するのか。
牛の獣人を連れて、町の外へ逃げるのか。
何も決まっていない。
でも、助けると決めた。
決断した後は、出来るようになるまで努力するだけだ。
僕は詰所を出た。
町の中は、いつもと変わらなかった。
店先に野菜が並んでいる。
子供達が走っている。
用水路を水が流れている。
少し前まで牛の獣人を見ていた人達も、もう自分の生活へ戻っていた。
今日の夕飯。
明日の仕事。
洗濯物。
子供の迎え。
その町の端で牛の獣人が縛られている。
同じ町の中にあることが信じられなかった。
歩いている内に、鈴ちゃんの家が見えて来る。
戸は閉まっていた。
その前で立ち止まる。
どんな顔で帰れば良いのか分からない。
朝、鈴ちゃんに言った。
終わったら帰って来る。
その約束は守った。
牛の獣人には追わないと約束した。
嘘を吐いたつもりは無かった。
本気で守るつもりだった。
それでも、守れなかった約束は嘘と何が違うんだろう。
戸へ手を掛ける。
開ける前に、内側から音がした。
戸が横へ動く。
黒い耳が見えた。
「ユウキ」
鈴ちゃんが僕を見上げる。
起きたばかりなのか、黒い髪が少し乱れていた。
二つに分かれた尻尾が戸の向こうでゆっくり揺れている。
「ただいま」
「おかえり」
鈴ちゃんは僕の匂いを嗅ぐみたいに、鼻を少し動かした。
「遅かった」
「ごめん」
「帰って来たから許す」
「ありがとう」
家へ入る。
鈴ちゃんが戸を閉めた。
さっきの門とは違う。
僕を締め出すためじゃない。
外から帰って来た僕を、この家へ入れるための戸だった。
鈴ちゃんは僕の前へ回る。
「ユウキ」
「何?」
「座って」
「うん」
畳へ座る。
鈴ちゃんも向かいに座った。
何も言わずに僕の顔を見ている。
「どうしたの?」
「ユウキが変」
「変?」
「元気無い」
「そうかな」
「ある?」
「……無いかも」
「何があったの?」
答えようとして、口が止まる。
獣人。
研究。
全滅。
それから、鈴ちゃんは鈴ちゃんだと言った町の人の声。
「約束を守れなかった」
「誰との?」
「今日会った人」
「ユウキ、嘘吐いた?」
「吐いてない」
「本当に守ろうとした?」
「うん」
「じゃあ、嘘じゃない」
「でも、守れなかった」
「うん」
鈴ちゃんは僕を責めなかった。
慰めようともしなかった。
ただ、僕を見ている。
「その人、痛い?」
「多分」
「ユウキも痛い?」
胸の奥が重い。
「……うん」
「でも、ユウキは鳴らない」
「今は少し鳴ったよ」
「少し」
「足りない?」
「足りない」
鈴ちゃんは僕の隣へ移動した。
肩へ鼻を寄せる。
「変な匂い」
「お風呂には入ってないよ」
「そうじゃない」
「じゃあ、何の匂い?」
「元気無い匂い」
「そんな匂いあるの?」
「ある」
鈴ちゃんは言い切った。
「直ぐには消えないと思う」
「じゃあ、ご飯食べる」
「そうだね」
「今日は外でご飯食べよう」
「外?」
「うん」
「鈴ちゃんが?」
「私が」
「珍しいね」
「ユウキが元気無いから」
「外で食べたら元気になる?」
「魚を食べればなる」
「鈴ちゃんが食べたいだけじゃない?」
「違う」
答えが早かった。
「何を食べるの?」
「お寿司」
「寿司があるの?」
「あるよ」
「じゃあ、行こうか」
鈴ちゃんは立ち上がり、僕の手を取った。
「今から?」
「今から」
「仕事帰りなんだけど」
「そのままで良い」
「汚れてるカモ知れないよ」
「私のユウキだから良い」
「それで全部通すね」
「通る」
鈴ちゃんは僕の手を引いた。
チリン。
家の外へ出る。
夕方の京杜は朝よりも人が多かった。
仕事を終えた人達が通りを歩いている。
店先から湯気が上がっている。
焼いた魚と、醤油に似た匂いが流れて来る。
鈴ちゃんは迷わず進んで行く。
「何処へ行くの?」
「お寿司」
「やっぱ、海鮮なんだね」
「海鮮?」
「魚とか、海のもの」
「魚、美味しいよ」
「そうだね」
通りの端に、暖簾の掛かった小さな店があった。
中へ入る。
横長の木の台。
その向こうで、鉢巻きを巻いた男の人が魚を切っていた。
「鈴ちゃん、いらっしゃい」
「魚」
「見れば分かるよ」
「美味しいの」
「いつもそれだねぇ」
店の人が笑う。
「今日は男連れかい?」
「私のユウキ」
「お噂は聞いてるよ」
「何をですか?」
「鈴ちゃんの人だって」
「町中に広がってません?」
「鈴ちゃんが言って回ってるからね」
隣を見る。
鈴ちゃんは何も悪くないみたいな顔をしている。
「言って回ったの?」
「訊かれたから答えた」
「何人に?」
「皆」
「皆かぁ」
鈴ちゃんは僕の袖を引いた。
「座って」
「はい」
二人で横並びに座る。
店の人が、木の台へ握りを置いた。
赤い魚。
白い魚。
銀色の皮が付いた魚。
細かく刻まれた魚を乗せたもの。
「本当に寿司だ」
「お寿司だよ」
鈴ちゃんは一つを摘まみ、迷わず口へ運んだ。
黒い耳が少しだけ動く。
チリン。
「美味しい?」
「美味しい」
「良かったね」
「ユウキも食べて」
僕も一つ取り、口へ入れる。
魚には最初から味が付いていた。
少し酸味の強い米。
魚の脂。
塩気。
僕が知っている寿司より素朴だった。
でも、美味しい。
「美味しい」
「当たり前」
「鈴ちゃんが作った訳じゃないよね?」
「私が連れて来た」
「そこを功績にするんだ」
「私が居なかったら、ユウキは食べられなかった」
「それはそうだね」
「だから、私も偉い」
「鈴ちゃんは偉いね」
「うん」
鈴ちゃんは満足そうに次の握りへ手を伸ばした。
店の人が笑っている。
「鈴ちゃん、今日は随分食べるねぇ」
「ユウキを元気にするから」
「鈴ちゃんが食べて、ユウキさんが元気になるのかい?」
「なる」
店の人が僕を見る。
「本当ですか?」
「今のところ、少し元気になってます」
「ほら」
鈴ちゃんが得意そうに言った。
鈴ちゃんは魚を見ている。
でも、時々こちらを見る。
食べているか?
未だ元気が無い顔をしていないか?
確認している。
「ユウキ」
「何?」
「それ食べないの?」
「食べるよ」
「遅い」
「鈴ちゃんが早いんだよ」
「魚は直ぐ食べないと逃げる」
「もう逃げないよ」
「逃げるカモ知れない」
「握り寿司が?」
「油断したら」
「怖い世界だね」
僕は握りを口へ運んだ。
「美味しい?」
「美味しい」
「元気?」
「少し」
「少し?」
「さっきよりは」
「じゃあ、もっと食べる」
「鈴ちゃんが?」
「ユウキも」
鈴ちゃんが次の魚を指差す。
牛の獣人のことが消えた訳じゃない。
閉じられた門も。
守れなかった約束も。
明日、何をすれば良いのか分からないことも。
全部、胸の中に残っている。
でも、鈴ちゃんの隣で寿司を食べている間だけは、少しだけ息が出来た。
「ユウキ」
「ん?」
「魚、嫌い?」
「好きだよ」
「私とどっちが好き?」
「鈴ちゃんは食べられないよ」
僕は笑った。




