ep.79[Side Y/異世界]Link: 猫又-08
次の日の警備は町の外だった。
京杜を囲む木戸を抜けると、踏み固められていた道が急に細くなる。
両脇には背の高い草が生えていた。
その向こうには木々が並び、風が吹く度に葉の擦れる音が聴こえる。
町の中に居る時より、空が広い。
同時に、何処から何が出て来るのか分からない怖さもあった。
僕は腰のシルヴェーヌへ触れた。
昨日の警備では町の中を歩いただけだった。
道を塞いでいた荷車を動かしたり、店先で揉めていた人達の間に入ったり、迷子になった子供を家まで送ったり。
警備というより、町の何でも屋に近かった。
でも、今日は全員が刀へ手を掛けながら歩いている。
「町の外では、何を見回るんですか?」
「町へ近付く奴が居ないかだ」
先頭を歩く警備の男が答えた。
「盗賊とか?」
「それも居る」
「他には?」
「見れば分かる」
昨日から、この町の人は説明を省き過ぎる。
「見る前に知っておきたいんですけど……」
「知ってても、出る時は出る」
「そういう問題じゃなくて」
「喋ってねぇで、周りを見ろ」
「はい」
怒られた。
僕を含めて、警備は四人。
僕以外の三人は何度も町の外を見回っているらしい。
時々立ち止まり地面へ残った足跡を調べている。
僕には何処に何があるのかすら分からない。
「これは?」
僕は草の根元の足跡を指差した。
「鹿だな」
「こっちは?」
「猪」
「どうして分かるんですか?」
「形が違うだろ」
「同じ足跡に見えます」
「なら、踏まれて覚えろ」
「死んじゃいますよ」
「一度で覚えられる」
「覚えた後に使えないでしょ」
男達が笑った。
冗談なのか本気なのか分からない。
京杜の人達は時々ものすごく雑だ。
そのまま町の外周に沿って歩く。
暫くすると、先頭の男が急に手を上げた。
全員の足が止まる。
「……居る」
声が低くなった。
僕も周囲を見る。
最初は何も分からなかった。
風に揺れる草。
木々の影。
鳥の声。
その中で、一箇所だけ不自然に枝が動いた。
──何かが居る。
大きい。
木の幹と幹の間から、ゆっくりと姿を現した。
二本の角。
牛の頭。
人間より遥かに大きな身体。
剥き出しになった腕は太く、肩には大きな斧を担いでいる。
映画やゲームで見た姿が、そのまま目の前に立っていた。
──ミノタウロス……っ!
反射的に、シルヴェーヌの柄を握る。
「獣人だっ!」
警備の男が叫んだ。
三人が一斉に刀を抜く。
金属の音が重なった。
「獣人?」
「ああ」
隣に居た男が牛の頭をした人から目を離さずに答える。
「こういう人が沢山居るの?」
「ああ」
「牛の人だけじゃなくて?」
「色々居る」
鈴ちゃんは猫又だ。
人間ではない。
でも、鈴ちゃん以外に人とは違う姿をした人が居るなんて、考えたことも無かった。
この世界には『獣人』という種族が居る。
牛の獣人はこちらを睨んでいた。
斧を握っている。
けれど、振り上げてはいない。
僕達と同じだった。
こちらも武器を持っている。
向こうも武器を持っている。
お互いに、相手が先に襲って来ると思っている。
「囲め」
警備の男が言った。
三人が左右へ広がろうとする。
「待って」
「何だ」
「未だ、何もしてない」
「獣人だぞ」
「それは今、聞きました」
「なら分かるだろ」
「分からないから訊きたいんです」
「何をだ?」
僕は牛の獣人を見る。
目が合う。
人間の目とは違う。
でも、僕達を警戒していることは分かった。
僕はシルヴェーヌの柄から手を離した。
「おい!」
後ろから声が飛ぶ。
僕は両手を見える位置へ出して、一歩前へ出た。
牛の獣人が斧を構える。
警備の男達も刀を構え直した。
「待って!」
どちらへ言ったのか、自分でも分からない。
もう一歩だけ進む。
「戦う気があるか?」
牛の獣人の鼻から、荒い息が漏れた。
低い声が返って来る。
「……無い」
──言葉が通じた。
それだけで、少しだけ肩の力が抜ける。
「退いてくれないか」
「出来ない」
「何故?」
牛の獣人は斧を握り締めた。
「お前らが俺を殺そうとするからだっ!」
怒鳴り声が、木々の間に響いた。
後ろで刀が動く音がする。
「待って下さい」
振り返らずに言う。
「話せています」
「だから何だ」
「戦わなくて済みます」
「退け」
「少しだけ待って下さい」
牛の獣人は僕と、その後ろに居る警備の人達を交互に見た。
斧を下ろさない。
下ろせないんだ。
僕達が刀を向けているから。
「僕らは追わない」
「嘘だっ!」
即座に返された。
「嘘じゃない」
「人間はいつもそう言う!」
「僕は追わない」
「お前一人が追わなくても、後ろの奴らが追う!」
「追わせない」
「出来る訳がない!」
「約束する」
僕は振り返った。
「追いませんよね?」
誰も答えなかった。
三人とも刀を構えたまま、牛の獣人を見ている。
「この人は戦う気が無いと言っています」
「獣人の言葉を信じるのか」
「話して、嘘だと思わなかったから」
「騙されてるだけだ」
「それなら、戦いになった時に僕が責任を取ります」
「どうやってだ」
「僕が止めます」
腰のシルヴェーヌへ触れる。
戦いたい訳じゃない。
でも、この人が僕を騙して襲って来たなら、その時は僕が止める。
それで良い。
「だから、今は追わないで下さい」
返事は無い。
でも、誰も動かなかった。
牛の獣人へ向き直る。
「僕らは追わない」
「……」
「約束する」
「人間の約束など、信じられるか」
「それでも、今ここで戦うより良い」
「……」
「僕は君を殺したくない」
牛の獣人の目が僅かに動いた。
「君にも、僕達を殺す気は無いんでしょ?」
「……無い」
「だったら、退いてほしい」
長い沈黙が落ちた。
風が草を揺らす。
誰も動かない。
牛の獣人が斧を握る手から、少しずつ力を抜いていく。
「……本当に、追わないのか?」
「追わない」
「仲間を呼ばないか」
「呼ばない」
「矢を射ないか」
「射ない」
一つずつ、答える。
僕は弓を持っていない。
後ろに居る人達が持っているのかも、確認していなかった。
でも、約束した。
この人が引いてくれるなら、誰にも追わせない。
牛の獣人が斧を下ろした。
地面へ刃先が触れる。
「……分かった」
低い声だった。
「お前を信じる」
牛の獣人がゆっくりと後ろを向く。
背中が見える。
その大きな身体が一歩だけ森へ近付いた。
──その時。視界の隅を、何かが横切った。
空気を切る、短い音。
牛の獣人の身体が揺れた。
背中に、矢が刺さっている。
「なっ!」
振り返る。
警備の一人が弓を下ろしたところだった。
「何してるんですか!」
牛の獣人が斧を持ち上げようとする。
でも、腕に力が入らない。
片膝が地面へ落ちた。
「クソ人間共がっ!」
怒鳴り声が掠れる。
牛の獣人が僕を見る。
「違う!」
反射的に叫んだ。
「やっぱり……」
巨体が傾く。
「信じるんじゃ、なかった……」
地面が揺れた。
牛の獣人が倒れる。
「何で撃ったんですか!」
弓を持った男へ詰め寄る。
「逃げるところだったからだ」
「逃がすって約束した!」
「お前が勝手にした約束だ」
「追わないって言いました!」
「俺達は何も言ってねぇ」
「止めなかったじゃないですか!」
「話し掛けて気を逸らしてくれたんだろ?」
「違う!」
倒れた牛の獣人へ駆け寄る。
背中の矢へ手を伸ばす。
「抜くな!」
「でも!」
「毒が塗ってある」
手が止まった。
「毒……?」
「眠り毒だ。直ぐには死なねぇ」
牛の獣人の胸は動いている。
呼吸はしている。
目を閉じたまま、苦しそうに息を吐いていた。
「じゃあ、治療を」
「縄を持って来い」
「……え?」
「起きる前に縛るぞ」
二人が牛の獣人へ近付く。
太い縄を取り出し、腕を後ろへ回そうとする。
「待って下さい」
「邪魔だ」
「何処へ連れて行くんですか?」
「町だ」
「治療するんですか?」
警備の男達が顔を見合わせた。
それから、一人が不思議そうに僕を見る。
「治療?」
「毒を受けたんですよね?」
「死なない毒だと言っただろ」
「じゃあ、何のために町へ?」
「研究だ」
「……研究?」
「生きた獣人は貴重だからな」
何を言っているのか、直ぐには分からなかった。
「何を、研究するんですか?」
「決まってるだろ」
縄が、牛の獣人の腕へ巻かれていく。
「獣人を全滅させる方法だ」
「……」
「何を食わせれば死ぬか」
「どの毒が効くか」
「病を移せるか」
「繁殖出来なくさせられるか」
聞こえているのに、言葉が頭へ入って来ない。
「捕らえられない時は?」
「殺す」
「何で……」
「害獣だからだ」
男は、当然のことみたいに言った。
「町を守るために決まってるだろ」
牛の獣人の身体へ、何重にも縄が巻かれていく。
僕は動けなかった。
この人は、戦わないと言った。
僕を信じた。
僕は、追わないと約束した。
嘘を吐いたつもりは無かった。
本気で守るつもりだった。
──それでも。
牛の獣人にとっては、同じだった。
人間が約束して。
人間が矢を射た。
眠った牛の獣人が荷台へ載せられる。
腕が力無く垂れ下がった。
僕は、その手を見詰めた。
斧を握っていた手。
僕を信じて、斧を下ろした手。
その手が縄で縛られている。
「行くぞ」
荷台が京杜へ向かって動き始める。
僕も、その後を歩いた。
町を守るため。
警備の人達は、何度もそう言った。
昨日までの僕なら、正しい言葉に聞こえたカモ知れない。
でも今は──。
京杜へ続く道が、捕まえた獣を運ぶ檻の中みたいに見えた。




