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GatePair: Link 〜【ブロック】すれば帰れる。──けれど、それは恋の切断だった〜  作者: 愛崎 朱憂
第二章:獣人編

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ep.71[Side Y/異世界]Link: 猫又-05

 鈴ちゃんに手を引かれて外へ出ると、足元の土が少し湿っていた。

 雨上がりなのか、軒先から落ちた雫が庭の端に小さな穴を作っている。

 踏み固められた細い道は濡れたところだけ色が濃く、下駄の跡や荷車の轍が浅く残っていた。


 鈴ちゃんは僕の手を握ったまま、何の迷いも無く歩いて行く。


 チリン。


 首元の鈴が歩く度に小さく鳴った。


 古い木の戸。

 格子。

 低い瓦屋根。

 板塀の隙間から覗く庭木。


 軒先には暖簾が下がり、どこかの家から味噌汁の匂いが流れて来る。

 湿った土の匂いと炭の匂いと、人が暮らしている匂いが混ざっていた。


 京杜は生活の音が近い町だった。


 桶の水を流す音。

 荷車の車輪が土を噛む音。

 遠くで子供が笑う声。

 誰かが誰かの名前を呼ぶ声。


 その中に鈴ちゃんの鈴の音が混ざっている。


 チリン。


「あ、鈴ちゃん」


 井戸端に居た女の人が顔を上げた。


 普通の人間だった。

 鈴ちゃんみたいな耳も尻尾も無い。

 頭に手拭いを巻いて袖を少し捲って、濡れた手を前掛けで拭いている。


 女の人は鈴ちゃんを見ても驚かなかった。

 黒い耳にも二つに分かれた尻尾にも、首元の鈴にも目を止めない。


 ただ、近所の子を見付けたみたいな顔だった。


「今日は男の人を連れてるの?」

「私の人」


 鈴ちゃんが即答した。

 僕は思わず鈴ちゃんを見る。


「鈴ちゃんの人?」

「うん」

「……紹介として、それで合ってる?」

「合ってる」


 女の人が笑った。


「あら、そう。鈴ちゃんの人なら、迷子にしちゃ駄目よ」

「しない」


 鈴ちゃんは僕の手を少しだけ強く握った。


 チリン。


「鈴ちゃん、昨日の干し魚、食べた?」

「食べた」

「また持って行く?」

「うん。要る」

「じゃあ、帰りに寄りなさい。包んでおくから」

「寄る」

「ちゃんと男の人にも分けるのよ」

「考える」

「考えなくていいの。分けなさい」


 女の人は声を出して笑った。

 僕も少し笑ってしまう。


 鈴ちゃんは当然みたいな顔をしている。

 干し魚を貰うことも。

 この人に話し掛けられることも。

 この町に居ることも。


 全部、当たり前みたいだった。


「鈴ちゃんって、町の人と仲良いんだね」

「仲良い?」

「うん。皆、普通に話し掛けてくれる」

「私だから」


 鈴ちゃんは短く言った。


 その言い方に少しだけ引っ掛かる。


 猫又だから、ではない。

 珍しいから、でもない。

 人間に似ているから、でもない。


 ──私だから。


 多分、この町ではそれが一番強い理由だった。


 用水路の横を歩く。

 水は浅くゆっくり流れていた。

 その横で小さな子供達がしゃがみ込んで葉っぱを浮かべている。


 皆、人間だった。


 小さな手。

 丸い頬。

 泥の付いた膝。

 鼻を擦る仕草。

 笑う声。


 その中で鈴ちゃんだけが黒い耳を持っていた。

 その中で鈴ちゃんだけに二つの尻尾があった。


 なのに、誰もそのことを騒がない。


「あ、鈴!」


 一人が立ち上がった。

 呼び捨てだった。

 鈴ちゃんは特に怒らない。

 子供の方へ顔を向ける。


 チリン。


「屋根、また登れなくなった」

「また?」

「降りられないんじゃなくて、登れない」

「それは猫として駄目」

「猫じゃないもん」

「じゃあ、もっと駄目」


 子供が頬を膨らませた。


 鈴ちゃんは僕の手を離さないまま軒先の低い屋根を見た。

 古い家の屋根で、二階ほど高くはない。

 けれど子供が登るには少し怖い高さだった。


「ユウキ、ここ」

「ここ?」

「待ってて」


 鈴ちゃんは僕の手を離す。


 チリン。


 軽く地面を蹴った。


 着物の裾がふわりと動き、黒い尻尾が二つに分かれて空気を払う。

 次の瞬間には、鈴ちゃんは軒先の上にいた。


 速い。

 猫だった。

 人の姿をしていても、やっぱり猫だった。


「ほら」


 鈴ちゃんは屋根の端にしゃがみ、手を差し出した。


 子供は目を輝かせて板塀に足を掛ける。

 鈴ちゃんが片手で引き上げると、子供は屋根の上に座った。


「凄い!」

「当たり前」

「鈴、凄い!」

「当たり前」


 同じ返事なのに、二回目の方が少しだけ得意そうだった。


 僕は下から見上げる。


 黒い髪。

 黒い耳。

 黒地に赤と金の花柄の着物。

 二つに分かれた尻尾。


 周りは全部人間の町だった。


 軒先で洗濯物を干している人。

 荷車を押して通り過ぎる人。

 店先で団子を並べる人。

 井戸端で桶を持つ人。

 走り回る子供達。


 その中で鈴ちゃんだけが明らかに違う。


 違うのに、誰も違うものとして扱っていない。


 夕方前の淡い光が瓦の上に座る鈴ちゃんの輪郭を少しだけ柔らかくしていた。


 子供が屋根の上ではしゃぐ。

 鈴ちゃんはその隣で、危なくないように尻尾で子供の背中を軽く押さえている。


 その仕草が、妙に自然だった。


 鈴ちゃんはこの町で猫又として怖がられている訳じゃない。

 人間の町に紛れ込んだ化け物として見られている訳でもない。


 子供に頼られて。

 大人に声を掛けられて。

 食べ物を貰って。

 時々、屋根に登って。


 そうやって、この町に居る。


 鈴ちゃんは子供を降ろすと、ひらりと地面へ戻って来た。


 チリン。


 足音より先に鈴が鳴る。


「お待たせ」

「うん」

「ちゃんと待ってた?」

「待ってたよ」

「逃げてない?」

「逃げてない」


 鈴ちゃんは僕の顔を見る。

 確認する目だった。


 がっかりしていないか。

 怖がっていないか。

 逃げる顔をしていないか。


 そういうモノを一つずつ嗅ぐみたいな目。


「ユウキは、痛くても鳴らないから」

「鳴らない?」

「声」


 鈴ちゃんは僕の胸元を見た。

 さっき爪を立てられた場所。

 服の下に、まだ少しだけ痛みが残っている。


「痛いのに、最初に声が出なかった」

「あぁ……」

「痛いなら、鳴れば良いのに」


 鈴ちゃんはきっと本気でそう言っている。


 怒っている訳でもない。

 揶揄っている訳でもない。


 鈴ちゃんにとって、それは多分、当たり前のことだった。


 鳴れば見てもらえる。

 鳴ればここに居ると分かってもらえる。

 だから痛い時も鳴れば良い。


 そういう世界で生きてきた子の言葉だった。


「僕はそういうの少し苦手かも」

「苦手?」

「声を出す前に固まる」


 言ってから、朝藤さんの顔が浮かんだ。


 メールの開き方が分からなくて、二時間声を掛けられなかった新人。

 社食の使い方が分からなくて、誰にも訊けなかった子。

 困っているのに「困っています」と言う前に固まってしまう子。


 僕は朝藤さんのことを声を出す前に固まる子だと思っていた。

 置いていかないようにしないといけない子だと。


 ──でも、同じだった。


 僕も同じだ。

 痛い時に最初の声が出ない。

 困った時じゃない。

 失敗した時でもない。


 痛い時に、声が遅れる。


 それに気付いた瞬間、胸の中で何かが少しだけ剥がれた。


「ユウキ?」


 鈴ちゃんが顔を覗き込む。


 黒い耳が少しだけ前に倒れていた。

 首元の鈴は鳴らない。

 動かずに僕を見ている。


「何でも無い」

「嘘」

「嘘じゃないよ」

「匂いが変」

「匂いで分かるの、便利過ぎるね」

「便利じゃない。見てるから分かる」


 鈴ちゃんはそう言って、僕の手をもう一度握った。

 さっきより少しだけ弱い。

 逃がさないためじゃなくて、確かめるための強さだった。


「ユウキは鳴らないから、私が見てないと分からない」


 その言い方が少しだけ可笑しくて。

 でも、全然おかしくなかった。


「見てくれるの?」

「見る」

「ずっと?」

「私の縄張りにいる間は」

「限定付きなんだ」

「ずっとって言うと、ユウキは困る顔をする」


 今度は僕が黙った。

 鈴ちゃんは僕の顔を見て、少しだけ目を細める。


「ほら」

「何が?」

「困った」

「……うん」

「だから、今は私の縄張りにいる間」


 チリン。


 鈴ちゃんが僕の手を引いて歩き出す。


「それなら、ユウキも逃げない」


 京杜の細い道を鈴ちゃんと並んで歩く。


 ここは人間の町だった。

 人間しか居ない町だった。


 その中で、鈴ちゃんだけが猫又だった。


 でも、誰も鈴ちゃんを外へ追い出さなかった。

 誰も鈴ちゃんを違うものとして遠ざけなかった。

 鈴ちゃんは『鈴ちゃん』としてここに居た。


「ユウキ」

「ん?」

「何を見てるの?」

「鈴ちゃん」

「がっかりした?」

「してないよ」

「人間の町なのに、私だけ違う」

「うん」

「変?」

「変じゃない」

「じゃあ、何?」


 鈴ちゃんが立ち止まった。


 手を引く力が止まる。

 尻尾も止まる。

 耳も動かない。


 首元の鈴も鳴らなかった。


 町の音だけが遠くで続いている。


 荷車の軋む音。

 子供の笑い声。

 用水路の水音。

 どこかの家から流れて来る味噌汁の匂い。


 その全部の真ん中で鈴ちゃんだけが止まっていた。


「鈴ちゃんって、綺麗だね」


 言った瞬間、鈴ちゃんの目が少しだけ開いた。


「……今、何て言った?」

「綺麗だと思った」

「可愛いじゃなくて?」

「可愛いもある。でも、今は綺麗」

「猫又なのに?」

「猫又だからじゃないよ」


 僕は鈴ちゃんを見る。

 逃げずに見る。


「鈴ちゃんだから」


 鈴ちゃんは未だ動かなかった。

 だから、鈴も鳴らない。

 その無音が返事みたいだった。


 やがて、鈴ちゃんの尻尾がほんの少しだけ揺れる。

 遅れて首元の鈴が小さく鳴った。


 チリン。


「……変な人」

「よく言われる」

「誰に?」

「妹とか」

「妹?」

「うん」

「その妹、私より可愛い?」

「比べる話じゃない」


 鈴ちゃんの目が細くなる。


「またそれ」

「また?」

「しるゔぃの時も言った」

「あぁ」

「狡い」

「……ごめん」

「でも、嫌じゃない」


 鈴ちゃんは僕の手を握り直した。


「ユウキ」

「うん」

「もう一回」

「何を?」

「さっきの」

「鈴ちゃんは綺麗だね」


 鈴ちゃんは顔を逸らした。


 チリン。


 首を逸らした拍子に、鈴が鳴る。


「……よろしい」

「先生みたい」

「私の町だから」

「何でもそれで通すね」

「通る」


 鈴ちゃんは歩き出す。


 僕の手を引く。


 チリン。


 今度の鈴の音は、さっきより少しだけ軽かった。

 京杜は人間しか居ない町だった。


 その町に、鈴ちゃんだけが猫又として居る。


 鈴ちゃんは猫又だから受け入れられている訳じゃない。

 猫又だから許されている訳でもない。

 鈴ちゃんは鈴ちゃんだからここに居る。


 そして僕は今、その町で──鈴ちゃんの手に繋がれている。

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