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GatePair: Link 〜【ブロック】すれば帰れる。──けれど、それは恋の切断だった〜  作者: 愛崎 朱憂
第二章:獣人編

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ep.69[Side 鈴/幕間]猫又-前日譚

 吾輩は猫である。

 名前は未だ無い。


 そう思っていたのは、飼い主が産まれた朝までだった。


 その朝、吾輩は軒下で丸くなっていた。

 夜の冷たさが未だ庭の土に残っていて、腹の下から少しずつ身体が冷えていく。


 家の中は朝から騒がしかった。


 人間の足音。

 戸を開け閉めする音。

 女の人の叫ぶ声。

 それから、産まれたばかりの人間が泣く声。


 吾輩は耳を動かした。


 小猫のような声だった。

 けれど、よく響いた。


 やがて、縁側の戸が開いた。

 女の人が吾輩を見つけて、少しだけ驚いた顔をした。


「あら、こんな日に」


 その人は吾輩を抱き上げた。

 人間の手は温かかった。


 吾輩は鳴いた。

 家の中でも赤ん坊が泣いた。


 女の人は笑った。


「同じ日に来たのね」


 吾輩はその日から家の中に入れてもらえることになった。


 籠の中には飼い主が寝ていた。

 飼い主は女の子だった。


 赤くて、小さくて、よく泣いた。


 吾輩も小さかった。

 飼い主も小さかった。


 だから、人間たちは吾輩と飼い主を並べてよく笑った。


 吾輩は飼い主より先に歩けるようになった。

 飼い主より先に柱へ登れるようになった。

 飼い主より先に、家の中で一番暖かい場所を見付けることが出来た。


 けれど、飼い主は吾輩より先に言葉を覚えた。


 首元に小さな鈴の付いた首輪を巻かれたのは、飼い主が漸く立って歩けるようになった頃だった。


 首を振ると、音がした。


 チリン。


 最初は邪魔だった。

 首を振ると鳴る。

 走ると鳴る。

 棚から降りても鳴る。


 けれど、飼い主はその音を聴くと笑った。


「す……」


 吾輩は耳を動かし、首を上げた。


 チリン。


「すず」


 飼い主は吾輩を見てそう言った。

 人間達が笑った。

 誰かが手を叩いた。


「鈴が良いの?」


 飼い主はもう一度言った。


「すず」


 それから吾輩は『(スズ)』と呼ばれるようになった。

 鈴が鳴ると、飼い主は吾輩を見るようになった。


 吾輩が畳の上を歩いた。

 チリン。


「すず」


 呼ばれて振り返る。


 チリン。


「鈴」


 その度に、吾輩は飼い主の方へ行った。


 飼い主は少しずつ言葉を覚えた。

 初めは自分の名前で自分を呼んでいたのに、いつの間にか自分のことを『私』と呼ぶようになった。


 だから、吾輩もそうすることにした。


 私は猫である。

 名前は『鈴』になった。


 飼い主はよく大きくなった。


 昨日まで転んで泣いていたのに、ある日、私を追い掛けて走るようになった。

 昨日まで私の尻尾を掴んでいたのに、ある日、尻尾は触ってはいけないものだと覚えた。

 昨日まで私を抱き潰していたのに、ある日、私が眠っている時は起こさなくなった。


 私は飼い主が大きくなるのを傍で見ていた。


 飼い主が字を覚えた日も。

 飼い主が髪を結うようになった日も。

 飼い主が泣きながら、初めて家の外へ長く出掛けた日も。


 私はいつも飼い主の近くにいた。


 飼い主が嫁に行く日、家の中は朝から人間の匂いでいっぱいだった。

 知らない女の人達が飼い主の髪を綺麗にして、知らない男の人たちが外で慌ただしく動いていた。


 飼い主は白い服を着ていた。

 私の黒と真逆の白だった。


 私はその裾に乗ろうとして、何度も退かされた。


「鈴も行くの?」


 飼い主は私を抱き上げて笑った。


 行くに決まっている。


 ──私は飼い主の猫なのだから。


 そうして、私は飼い主について行った。


 新しい家は知らない匂いがした。

 畳の匂いも、柱の匂いも、庭の土の匂いも違った。


 けれど、飼い主が居た。

 だから、そこは私の家になった。


 飼い主に子供が産まれた日、家の中にはまた小さな泣き声が増えた。


 赤ん坊はよく泣いた。

 飼い主もよく眠った。

 私は赤ん坊の足元で丸くなり、泣き声が大きくなる度に耳を伏せた。


 人間は、よく増えた。


 飼い主の子供が立つようになった。

 飼い主の子供が私の鈴を指で鳴らすようになった。

 飼い主の子供が大きくなって、また別の家へ行った。


 それから、孫が産まれた。


 また小さな泣き声。

 また小さな手。

 また、私の尻尾を掴もうとする人間。


 私は少しだけ逃げるのが上手くなっていた。


 人間は大きくなる。

 大きくなって、家を出て、また小さい人間を連れて戻って来る。


 私はそれを何度も見た。


 飼い主はゆっくり小さくなっていった。


 背中が少し丸くなった。

 歩くのが少し遅くなった。

 私を抱き上げることは減ったけれど、代わりに膝を叩いて呼ぶようになった。


「鈴」


 私はその声が好きだった。

 呼ばれて顔を上げる。


 チリン。


 鈴が鳴ると、飼い主は必ず私を見た。


「鈴」


 呼ばれる度に私は飼い主の膝に乗った。


 飼い主の手は昔より細くなった。

 でも、撫で方は変わらなかった。


 頭から背中へ。

 背中から尻尾の手前まで。


 そこで止める。


 飼い主は尻尾を触ってはいけないことをずっと覚えていた。

 私が膝の上で少し身じろぎをする。


 チリン。


 飼い主はもう一度だけ撫でてくれた。


 だから私は飼い主の膝の上でよく鈴を鳴らした。


 鳴らせば飼い主は私を見る。

 鳴らせば飼い主は私を撫でる。

 鳴らせば、私はここに居ると分かってもらえた。


 百歳になった日の夕暮れ、目が覚めると、世界が少し低くなっていた。


 いつも見上げていた箪笥の取っ手が、目の高さにあった。

 畳の目が遠い。

 窓の桟も低い。


 私は立っていた。


 立とうと思った訳ではない。

 目が覚めたら、立っていた。


 足が二つだった。

 手も二つあった。


 私は自分の手を見た。


 毛が無い。

 爪も短い。

 肉球も無い。


 不便そうだと思った。

 でも、障子は開け易そうだった。


 鏡を見る。


 知らない女がこちらを見ていた。


 黒い髪。

 黒い耳。

 二つに分かれた尻尾。


 そして、首元には鈴の付いた首輪。


 私は首を傾げた。


 チリン。


 音がした。

 なら、これは私だと思った。

 飼い主に見せなければならない。


 私は部屋を出た。


 二本の足で歩くのは思っていたより難しかった。

 けれど、手で柱に触れれば転ばなかった。

 障子を開けるのも、戸を引くのも、手があれば簡単だった。


 人間は便利な身体をしている。

 私はそう思いながら飼い主を探した。


 飼い主は奥の部屋に居た。


 夕方だというのに未だ布団で寝ていた。

 周りには黒い服を着た人間達が座っていた。


 飼い主の子。

 飼い主の孫。

 飼い主の孫の子。


 皆、大きくなった。

 皆、飼い主から増えた人間だった。


 部屋の中は静かだった。


 人間が沢山居るのに誰も笑っていない。

 誰も大きな声で話していない。

 誰も飼い主を起こそうとしていない。


「もう夕方なのに、何で未だ寝てるの?」


 部屋の中の人間達が一斉にこちらを見た。


 男達は立ち上がった。

 女達は声を上げた。

 小さな子供が誰かの服を掴んだ。


「……何で、獣人が」

「どこから入って来た!」


 怒った声だった。

 怖がっている声でもあった。


 私は首を傾げる。


 チリン。


「私、鈴だよ」


 部屋の空気が止まった。


「……鈴?」


 誰かが言った。


 私はもう一度、首を傾げた。


 チリン。


「鈴だよ」

「その首輪……」


 飼い主の子が私を見ていた。


 昔、私の尻尾を掴んだ小さな手は、もう皺の多い手になっていた。

 その手が震えている。


「まさか」


 飼い主の孫が私の首元を見た。


 私は小さく頷いた。

 首元の鈴が遅れて鳴る。


 チリン。


「本当に、鈴なのか」

「うん」


 私はもう一度頷いた。


「鈴だよ」


 人間達はまた泣き始めた。


 怒っているのかと思った。

 怖がっているのかと思った。

 でも、違った。


 一人が私の前に座り込んだ。


 飼い主の子だった。

 もう、すっかり年を取っていた。

 けれど、匂いは覚えている。


 小さい頃、私の鈴を何度も鳴らした人間の匂いだった。


「鈴……本当に、鈴なんだね」


 手が伸びる。


 私は逃げなかった。

 その手は震えながら私の頭を撫でた。


 撫で方は、少し下手だった。

 飼い主ほどではなかった。

 けれど、嫌ではなかった。


「おばあちゃん、鈴が……鈴が、人の姿に……」


 飼い主の子は布団で眠る飼い主に向かってそう言った。


 飼い主の孫も、その子供も、私を鈴だと呼んだ。

 誰も、もう私を部屋の外へ出そうとはしなかった。


 私は飼い主を見る。

 飼い主は顔に白い布を乗せられていた。


 私は近付く。

 慣れない足で畳を踏む度に首元の鈴が小さく揺れた。


 チリン。


「ねぇ、何で顔にそんなの乗せてるの?苦しいよ」


 誰も答えなかった。

 部屋の中で人間達が泣いている。


 私は布団の横に膝をついた。

 二本の足はこういう時に少し不便だった。


 飼い主の肩に手を伸ばす。

 でも、どう触れば良いのか分からなくて、指先だけが少し震えた。

 身を乗り出した拍子に首元の鈴が揺れた。


 チリン。


「起きて」


 飼い主は起きなかった。


「お腹空いた。ご飯食べたいよ」


 飼い主は起きなかった。


 飼い主の手が布団の横にあった。

 私はその手を取る。


 小さかった私を抱いてくれた手。

 私の頭を撫でてくれた手。

 鈴、と何度も呼んでくれた手。


 冷たかった。


「ねぇ」


 私は飼い主の手を握ったまま少しだけ首を振った。


 チリン。


「飼い主」


 もう一度、首を振る。


 チリン。


「ねぇ」


 飼い主は起きなかった。

 何度呼んでも。


 何度、鈴を鳴らしても。

 起きなかった。


 その日から、人間達は私を追い出さなかった。

 この家に居て良いと言った。


 獣人が人間の町で暮らすことは、本来ならあり得ないことらしかった。

 けれど、私は鈴だった。

 だから私は人間の町に残った。

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